手の中の戦争




ようこそ、特殊機動部隊へ



特殊機動部隊。


それは、陸上自衛隊の中でも特異な部隊である。部隊を構成する隊員だけでなく、任務もまた、特異である。
構成員は六名。そのうち三名が人間で、他は、人型自律実戦兵器二機と人型戦闘兵器が一機、所属している。
鋼の体を持つ彼らは、特別訓練を受けた戦闘員と共に、国家を揺るがしかねない危険を、秘密裏に壊滅する。
彼らは影であり、そして、盾なのである。




駐屯地の片隅にある特殊機動部隊専用営舎は、他の営舎に比べて随分と小さかった。
小さなビル程度の大きさしかなく、こぢんまりとしている。その隣にあるガレージの方が、余程大きかった。
特殊、と名の付く部隊が使っているにしては、随分と手狭に思える。構成員が少ないから、なのだろう。
だが、その入り口は違っていた。一般の営舎にはないような、カード式の認証システムが備え付けてある。
超強化ガラスの自動ドアの脇に、銀色の箱が付けてある。小型のモニターと、やはり銀色のテンキーだった。
モニターの左側には、カードリーダーがあった。それを見ながら、彼はこのドアを開ける手順を思い出していた。
事前に教えられたパスワードを、確かめてから、頷いた。紺色の制服の胸元から、カードキーを取り出した。
それをカードリーダーに差し込んで下にスライドさせ、認証されたのを確認してから、テンキーを叩いた。
モニターに十三桁の数字が並んだが、ERROR、と赤い文字がモニター一杯に表示され、激しく点滅した。

「ちゃんと入れたはずなんだが…」

もう一度テンキーを叩こうとすると、背後から声が掛けられた。

「網膜認証、しました?」

女の、平坦な声だった。振り返ると、サブマシンガンを担いだ戦闘服姿の女性自衛官が立っていた。

「去年、工作員に侵入されそうになったので、ちょっといじったんですよね」

彼女は頬に付いた泥を乱暴に拭うと、階段を昇り、彼の背後までやってきた。

「網膜認証のためのデータ、作ってありますよね。セキュリティにインストールしますから、寄越して下さい」

「作った覚えはあるが、そのためのメモリーなんて、どこにも」

彼がカードキーを裏返すと、戦闘服の女は彼の手からカードキーを奪った。

「この中です。説明されなかったんですか、高宮重工から」

女はカードキーの裏側を、モニターに当てた。モニターから光が発せられ、横一線の赤い光が、下に滑っていく。
数秒後、甲高い電子音が響いた。女はモニターとテンキーを見ていたが、彼に振り向き、カードキーを渡した。

「てっきり、またどこぞの情報スパイかと思いましたけど、偽造データじゃないらしいので自衛官ですね」

「当たり前だ!」

いきなり疑われたことにむっとし、彼は制服の胸に手を当てた。

「見て解らないのか!」

「所属と名前を」

「伊原英介三等陸尉だ。君は」

伊原は、女を見下ろした。全体的に小柄で身長も低く、手にしているサブマシンガンが似合っていなかった。
訓練後なのか、戦闘服は泥と砂に汚れている。ジャケットには拳銃だけでなく、手榴弾も装備されている。
目深に被ったヘルメットとゴーグルで、表情は窺えない。右の頬には、うっすらとだが古い傷痕が付いていた。
女はゴーグルを外すと、ヘルメットも外した。ぐしゃぐしゃに乱れた髪を簡単に直してから、伊原を見上げる。
顔は若く、まだ幼さも残っているが、その眼差しは冷ややかで鋭かった。伊原は、一瞬気圧されそうになった。

「じゃ、部下ですね」

女は右手を挙げ、敬礼した。かっ、とジャングルブーツのかかとを叩き合わせる。

「鈴木礼子二等陸尉です。以後、よろしく」

「鈴木…?」

伊原は、彼女が名乗った地位が信じられなかった。事前に渡された資料では、彼女の地位は一等陸曹だった。
三等陸尉を、飛ばしている。だが、肩に付けられている階級章は間違いなく二尉だ。礼子は、手を下ろす。

「防衛庁長官の暗殺を目論んでいたテロリストを、仕留めたんですよ。それで」

礼子の表情は変わらないが、あまり面白くなさそうだった。

「正直、いらないんですけどね。そんな地位なんて。辞退しようと思ったんですけど、どうしてもって」

礼子はゴーグルとヘルメットを提げ、自動ドアの前に立った。分厚いガラスの扉が、ゆっくりと横に滑る。

「中、入るんなら早くした方がいいですよ。セキュリティを解除してから三分後に、また閉まるので」

中に入った礼子は、振り返り、横顔だけ見せた。やはり、面白くなさそうだった。

「その後に開けるためには、パスワード認証が五回に網膜認証が二回に、指紋認証と音声認証が必要になります。二回失敗したらシャッターが下りてきますんで、注意して下さい。シャッターの重さはかなりありますし、落下で加速しますから、頭蓋骨は簡単にいきますんで、そんなところに突っ立っていたら死にますよ?」

それではお先に、と礼子は廊下の奥に進んだ。砂の付いた靴底が、コンクリートを踏む足音が遠ざかっていった。
伊原は、礼子の目とその雰囲気に少々圧倒されていたが、気を取り直して自動ドアの前に進み、営舎に入った。
何を戸惑っている、相手は年下の女だ。たかが二十一歳の、叩き上げの、WACに過ぎないじゃないか。
だが。そんな相手よりも地位が下だというのが、信じられなかった。そんな事例が、あっていいのだろうか。
伊原は訝しみながらも、事務室に向かった。




午後の訓練が終了すると、礼子以外の隊員達も帰ってきた。
礼子は戦闘服からジャージに着替えていて、汚れも落としていた。自分の机に座り、黙々と読書に耽っている。
その右隣には、戦闘服姿のロボットが腕を組んで座っている。ヘルメットの脇にはローマ字で、HOKUTO とある。
北斗の向かい側には、北斗と良く似ているが目元を覆うバイザーのデザインが違っている、南斗が座っている。
北斗が背筋を伸ばして座っているのに対し、南斗はだらしなく腰を落としていて、足も大股に広げていた。
南斗の右隣には、伊原よりも一回り年上の自衛官、神田葵がいた。彼は、事務室の入り口に立つ伊原を見た。

「彼の処遇、どうしようか」

「ていうか、エリートコースの制服組なんて回してくんなよー。マジで何考えてんだよ、お偉いさん達」

あーやだやだ、と南斗は顔を逸らした。伊原は南斗の発した言葉の内容にも驚いたが、その流暢さにも驚いた。
北斗は伊原を見たが、あからさまに嫌そうに口元を曲げた。礼子は文庫本を広げていたが、ぱたんと閉じた。

「私だってごめんだよ、素人を前線に置くなんて」

「実地研修、ってことらしい。お前ら、そんなにいじめるな」

スチール机の島に横付けされた机に向かっていた壮年の男、朱鷺田修一郎が言うと、北斗は朱鷺田に向く。

「しかしですな、隊長」

「Hahahahahahaha! セイゼイ可愛ガッテヤロウジャネェカ、borther! オレ達ノヤリ方デナ!」

事務室の奧にいた、下半身が戦車のようになっている赤いロボットは、左腕のドリルをぎゅいっと回転させた。
分厚い装甲を付けた胸元には、Grant.G とある。北斗は組んでいた腕を緩めると、太い顎に手を添えた。

「自分達は、制服の研修に手を貸せるほど暇ではない。だが、下手に扱いを間違ってしまったり、与えてはならない情報を与えてしまったりすると、機密漏洩が起きてしまう確率は十二分にある。そうなってしまえば、余計な仕事が増えてしまうだろう。それを防ぐためにも、誰かが制服に付いておかねばならんとは思うのだが…」

「問題はそこなんだよなぁ…」

神田は目を動かして、伊原を上から下まで見下ろした。

「無論、最優先は任務だ。だが、制服さんをないがしろにすると、オレ達の今後に影響が出ないとも限らないし…」

「オペレーターは、最近は神田さんで事足りてますからね。本当に、どうしましょうか」

礼子は頬杖を付くと、興味の欠片もない顔で伊原を眺めた。

「無駄な人員ほど、扱いづらいものはないですね」

言い返したかった。だが、言い返せなかった。彼女は曲がりなりにも上官であるし、この部隊では先輩だ。
だが、年下の女だ。これが、悔しくないわけがない。伊原が苛立ちを押さえていると、朱鷺田が礼子を見やる。

「鈴木。お前、こいつ、嫌いなのか?」

「嫌いっていうか、気に食わないだけです。ろくに戦いもしないくせに、私よりも給料が良いかと思うと」

礼子の呟きに、朱鷺田は可笑しげにした。

「確かにそうだな。それは、俺も気に食わん」

「Hey You! チッタァ言イ返シタラドウナンダ、制服! オ前ニハ Big magnum ハ付イテネェノカ?」

Hahahahahahahahahaha、と高笑いするグラント・Gに、南斗はさも可笑しげに笑った。

「ま、オレらにも付いてねーけどな!」

「グラントも南斗も、あんまり下品なこと言わないの」

礼子は、やはり素っ気ない。伊原は、とりあえず何か一つでも言い返したかったが、足元を睨むしかなかった。
特殊機動部隊での実地研修を行って、形だけでも経験を作っておかないと、今後の昇進に影響が及んでしまう。
そのために、他の部隊ではなく、特殊機動部隊に回してもらった。この部隊の評判は芳しくないが、手柄は多い。
そんな部隊での経験となれば、上からの評価も高くなる。それを見越して来たのだが、選択を誤ったと思った。
伊原が俯いていると、礼子が立った。文庫本を北斗に渡し、私の部屋に置いてきて、と言ってから朱鷺田に向く。

「隊長」

朱鷺田は礼子に目をやり、伊原を指した。

「鈴木、この制服の世話でも志願してくれるのか? まぁ、俺もそうしようと思っていたんだが」

「ていうか、私ぐらいしか出来ないと思うんですよね」

礼子は、至極やる気のない表情だった。本当に、やりたくないらしい。

「神田さんは家庭がありますから顧みなきゃならないし、北斗と南斗は問答無用で却下だし、グラントも不安要素がてんこ盛りだし、隊長も二佐になっちゃいましたから忙しいですし。てなわけで、私しかいないんじゃないかなーと」

「正しい判断だ、鈴木。それじゃ今から、お前は制服のお守りだ」

朱鷺田がぞんざいに命令すると、礼子は敬礼した。

「アイサー」

「な…」

礼子から手渡された文庫本を机に落とし、北斗は固まった。直後、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。

「待ちたまえ礼子君! 礼子君のパートナーは自分であって、制服などではない!」

「うるさい」

仁王立ちしている北斗を、礼子は一蹴した。北斗は伊原を指し、喚く。

「だっ、大体、こんな生っちょろい制服男が礼子君の役に立つものか! 出来ることと言えば、せいぜい書類書きと接待と昇進ぐらいなものではないか! 自分のように、コンクリート壁を打ち砕いたり乗用車を担ぎ投げたり戦車を操縦したり時速五百キロで飛行したりカールグスタフの砲撃にも耐えうるボディを持っておったりせん、ただの人間ではないかっ! 考え直してくれたまえ、礼子君!」

「そうそうそう! 適当なミス犯したことにして、とっとと送り返しちまおうよ、こんな制服!」

南斗も立ち上がると、北斗に同調する。礼子は、二人の大柄なロボットに手を振る。

「あんたら、座れ。ていうか、そんなこと言うもんじゃないよ。確かに、私も制服組は好きじゃないけど、この人も仕事で来ているわけだから、私達も仕事をしなきゃならないの。立場はどうあれ、自衛官は自衛官なんだから。だから、この人の実地研修をやらせてあげなきゃならないの。正直、面倒だけどね」

「言うねぇ、礼子ちゃん。ストレスでも溜まったのかい?」

神田が哀れむと、礼子は口元を引きつらせた。

「それなりに。休暇で家に帰れるはずだったのに、暗殺のせいで休暇が吹っ飛びましたからね。溜まりもします」

礼子は、黙りこくっている伊原に向いた。

「じゃ、制服さん、まずは営舎の中を案内しますんで、付いてきて下さい。狭いからすぐに終わりますけどね」

礼子に促され、伊原は事務室から廊下に出た。伊原はどっと疲れてしまい、廊下に出ると、ゆっくりと息を吐いた。
背後で、礼子が事務室の扉を閉めた。事務室の中からは、北斗と南斗が、やかましいぐらいに文句を言っている。
伊原は目元を押さえながら、落ち着け、落ち着け、と己に言い聞かせた。この異様な状況を、冷静に眺めるんだ。
二尉とはいえ、礼子は後輩だ。そんな女に、これ以上舐められてはいけない。だから、これから強く出るんだ。
そうすれば、きっと、大丈夫だ。北斗、南斗、グラント・Gのロボット達にも、次こそは言い返してやるのだ。
何が制服だ。ただの戦闘員が、官僚候補に対してあんな大きな態度を取ることからして、まず間違っている。
実地研修を終えたら、処分を与えてやる。屈辱を与えてきたことを後悔するほど、強烈な処分を、隊員全員に。
伊原は目元から手を離し、礼子に向き直った。礼子は伊原をちらりと見たが、廊下を歩き出し、階段に向かった。

「じゃ、早く行きましょう」

「鈴木二尉」

伊原が呼び止めると、礼子は立ち止まった。

「なんですか。トイレなら一番奥ですよ」

廊下の奥を示しながら言った礼子に、伊原はむっとながら言い返した。

「君の部隊は、恐ろしく非常識な部隊のようですね」

「北斗と南斗とグラントには、常識を求めないで下さい。あの三人は戦いしかしていないから、世間知らずですし」

「君もだ、鈴木二尉!」

礼子に詰め寄り、伊原は声を荒げた。礼子はそれに動じずに、伊原を見返す。

「具体的に仰って下さい」

「僕は君達のようなただの戦闘員とは違う人間だ、もう少し丁重に扱ってくれないか!」

「丁重ですよ。縛りませんでしたもん」

「まず、その口の利き方をどうにかしないか! 彼らもそうだが、君は最も口が悪い! それでも女性か!」

「格下の人間に指図される筋合いはありません」

礼子の口の端が、持ち上げられる。だが、決して親しげなものではなかった。

「言いたいことはそれだけでしたら、案内を続行しますよ、制服三尉?」

「それと、その、制服というのはなんだ!」

「単なる通称ですよ。うちの部隊は制服なんて滅多に着ませんし、今のところはあなたしか着ていませんから」

それじゃ行きますよ、と礼子は歩き出した。伊原は、渋々礼子を追った。

「僕には名前がある、それを忘れでもしたのか」

「忘れちゃいませんよ。ただ、面倒なだけです」

礼子は、背後に追い付いた伊原に、振り返りもしなかった。

「どうせ、すぐに忘れてしまう人間の名前なんて、覚えるだけ無駄だと思うんです」

「それはないんじゃないのか、鈴木二尉」

「そちらこそ、いい加減に立場を弁えて下さい。腕立て伏せ用意!」

突然、礼子が叫んだので、伊原は一瞬戸惑った。礼子は手を下げて、伊原に伏せるように指示する。

「ほら、早く。上官侮辱の次は命令違反ですか」

伊原は従いたくなかったが、仕方なくその場に伏せた。始めっ、の掛け声と共に始めたが、悔しくてたまらない。
上目に礼子を窺うと、礼子は踊り場に直立不動だった。あの冷ややかな眼差しで、伊原をじっと見下ろしている。
なぜだ、なぜこんなことをしなくてはいけない。理不尽だ。訳が解らない。伊原は、沸き上がる怒りを腹に溜めた。
礼子は、悔しさと苦しさで顔を歪めながら腕立て伏せを行う伊原を見下ろし、その背や手足をじっと見ていた。
体の動きに合わせて動く裾からは、武器は見えない。腰も肩も、ホルスターを付けている様子はなさそうだった。
身のこなしも普通だ。どうやら、この男は至って普通の官僚候補らしい、と思い、礼子は内心で少し安堵した。
この分だと、戦闘は起きずに済みそうだ。営舎の中は狭いから暗殺はやりやすいが、戦闘はやりづらいのだ。
礼子は腕を組み、戦闘服の下に隠したグロック26を確かめた。眼下では、伊原が腕立て伏せを続けている。
彼は回数を言っているが、まだ十五も行っていない。遅い、と礼子は呆れたが、仕方ないか、とも思った。
所詮、ただの官僚候補だ。普通の自衛官に比べれば、体力が劣っているのだから、筋肉がなくて当たり前だ。
礼子は、ますます伊原に興味がなくなった。日々体を鍛え上げていると、自分より弱い男は頼りなくて仕方ない。
一から鍛え上げてしまいたい衝動に駆られたが、伊原の研修期間はほんの一週間しかない。まず、無理だろう。
そう思うと、一層つまらなさが増した。







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