その日の夕方。伊原は、特殊機動部隊専用営舎の事務室にいた。 今日の訓練で見た物や事が、頭の中を渦巻いている。どれもこれも現実味がないが、頭には鈍い痛みがある。 リモートコンシャスネスシステムによる集中力の疲弊は、未だに回復しておらず、一眠りしても戻らなかった。 日も暮れたし勤務時間も終わったので、そろそろ官舎に戻らないと、とは思うが、椅子から立ち上がれなかった。 薄暗い事務室の天井を見上げながら、伊原は今日の出来事を思い返した。まずは、あのバリアーフィールドだ。 そして次に、光学迷彩。リモートコンシャスネスシステム、ロボットを操る自分、最後に、礼子の口付けだ。 北斗に縋って恥じらう礼子は、あの尖った言動からは考えられないほど弱々しくて、少女のような表情だった。 あれは、伊原も可愛いと思った。ああいった部分が、北斗と南斗の言うところの、礼子の素敵さなのだろう。 伊原が無意識に口元を押さえていると、急に扉が開いた。その音に驚いて跳ね起きると、相手も驚いてしまった。 扉を開け放った神田は、目を丸くしている。伊原の姿を認めると、取り繕うような笑顔を浮かべ、部屋に入った。 「あ、いえ、いるとは思っていなかったもので」 「何か?」 伊原が問うと、神田は扉を閉めてから、自分の机にやってきた。その上にあった、書類を取る。 「この後で作戦会議があるもので、それに必要な資料を取りに来たんですよ」 「あ、はぁ…」 伊原は拍子抜けして、椅子に座り直した。神田は書類を揃えると、自分の席に座った。 「それで、どうでした? オレの仲間の訓練は」 「どうも、何も…」 何から話せばいいのか解らず、伊原は髪を乱した。神田は、人の良さが滲み出た、柔らかな笑みになる。 「今日の訓練日程はオレも把握してます。オレは、別の訓練をしていたから、こちらには来られませんでしたけどね。訓練用バリアーフィールドは、あれでもまだレベルは低いほうなんですよ。本当は、縦百メートル横二千メートル程度のバリアーを張れるぐらいのジェネレーターと粒子変換装置があるんですけど、それを維持するためには電力が二億ボルトも必要なんで、実用化はまず無理ですね。それと、光学迷彩ですが、あれも実用化はまだまだ厳しいです。礼子ちゃんが実験台になってくれているけれど、それでも開発にはまだ時間が掛かります。オレの妹も光学迷彩の研究チームにいるんですけど、屈折率の変化の維持が今後の課題だとか言ってましたよ。最短でも五時間程度は光学迷彩を維持出来ないと、戦闘には使えませんからね。まぁ、オレは実戦では使うことはないでしょうけどね。礼子ちゃんが前線に出るようになってからは、もっぱら後方支援ですから」 「二万平方メートルの、バリアー、ですか…?」 伊原が口を半開きにすると、神田は頷いた。 「今の技術では空間に平らなバリアーしか張れませんけど、技術が進めば湾曲も可能になると思いますよ。むしろ、その湾曲の技術を開発しないと、都市防衛には使えませんね。こういうご時世です、いつ、どこの国から、ミサイルが飛んでくるか解りませんから」 「光学迷彩も、五時間って…。五分が限界じゃありませんでしたか?」 「今のところは、です。改良すれば、どんどん良くなりますから。期待していて下さいね」 神田は、得意げだった。伊原は一気に大きくなったスケールに、圧倒されてしまった。 「はぁ…。なんか、そのうち、巨大ロボでも造ってしまいそうな勢いですね…」 「さすがにそれは出来ませんよ、高宮重工が国の許可をもらっていませんから。まぁ、造れるんですけど」 なんでもないことのように、神田が答えた。伊原は、思わず立ち上がってしまった。 「造れるんですか!?」 「ええ、まぁ。というか、造ってあるんですよね、一機だけ。オレはそのテストパイロットをしましたし」 伊原を見上げ、神田は返した。無論、部外者に言える範囲のことだけだが。 「といっても、その機体は飛行性能は悪いしバランサーはイマイチだし、エンジン出力が上がらないし、外部装甲も脆いし関節だって頼りないから、格闘戦なんて出来やしない機体ですけどね。リモートコンシャスネスのシンクロ率も今一つだから、あれじゃ実戦では使い物にはなりませんね。あれなら、手で操縦した方が早いですから」 この人は、一体何者なんだ。特殊機動部隊の中では、普通の人間だと思っていたが、彼も普通ではないらしい。 伊原はぽかんとしながら、神田を見つめていた。神田は操縦桿を操る恰好をさせた右手を挙げると、握った。 「別に、大したことじゃありませんよ。コツさえ覚えれば出来ますよ、誰だって。オレに出来るんですから」 「リモートコンシャスネスって、あれですよね? 僕もしましたけど、あれのどこが、遅いんですか? 反応、凄く速いじゃないですか! 思ったことがすぐに伝わって、北斗と同型のロボットが自由自在に動いたんですよ! あんなに凄いのに、実戦では使えないなんて嘘ですよ!」 伊原は机に両手を付いて、神田に迫る。神田はその勢いに負け、ちょっと身を引いた。 「いえ、だからダメなんですよ。現在のリモートコンシャスネスシステムの適応範囲は、せいぜい半径一キロメートルしかないんですよ。リモートコンシャスネスシステムを使ってロボットを動かすためには、脳波を解析した電波を送信してロボットに受信させてプログラムに作用させなければならないんですけど、その解析電波の周波数が特殊なのと、受信装置がやたらとデリケートなのと、プログラムにはまだまだ欠陥があるせいで、とてもじゃないですけど兵器として配備は出来ませんよ。それに、金も掛かりますしね。リモートコンシャスネスシステムの装置をワンセット造るだけで、何億って金が動いちゃいますから。実用化なんてとんでもないですよ」 「億、ですか」 「下手をしたら兆ですね。高宮重工が儲かっているからいいものの、そうでなかったらどうなっていたやら…」 神田は姿勢を戻すと、真面目な表情になる。 「ですから、あなたのような制服さんにも、頑張って頂かなくてはなりません。是非とも官僚に昇進して、政府から軍資金を巻き上げて下さい。そして、それをこちらに寄越して下さい。実戦可能な機体が北斗と南斗とグラント・Gだけでは手が足りなくなってしまいそうなので、そろそろ、新規の機体を投入したいんですよね。その機体に搭載させるコアブロックは八割程度完成していますから、後は人工知能の情操教育と機体の改造をするだけです。今の我々は高宮重工に頼り切りですからね、この状態ではいつか高宮重工が倒れてしまいます。それを阻止するためにも、自衛隊と政府からの軍資金が絶対に必要なんです」 「いきなり、そんなことを言われましても…」 神田の並べた言葉に、伊原はまごついた。神田は、申し訳なさそうにする。 「オレだって、出来れば、こんな生々しい話はしたくないですよ。ですけど、うちの隊長が制服さんを研修に寄越した理由って、どう考えてもそれなんですよ。あの人は、オレ達の中でも一番強かな人ですから、何の計算もなしに人を動かすようなことはしません。きっと、研修の間に恩でもなんでも売っておいて、官僚に昇進したらこちらを優遇してもらえるようにするつもりなんでしょう。ですが、その作戦は破綻しそうですね。昨日のあなたの態度から判断して、あなたがオレ達を優遇してくれるようには思えません。オレ達最前線の人間が制服組をあまり好んでいないように、あなたも我々をそれほど好んでいないようですから」 伊原は、答えに困っていた。確かに、特殊機動部隊の誰も好きではない。誰も彼も偉そうで、無遠慮で、手酷い。 だが、優秀だ。このまま裏に引っ込めておくのは惜しいロボットや人間ばかりで、使い道はいくらでもある。 これで更に戦力を増強させたり、武装を強化させたら、どれほどの強さを得るのか。かなりのものになるだろう。 今でも、彼らは充分に国防の要だ。他国への牽制のためにも、これからも力を与えておくに越したことはない。 すると、扉がノックされた。神田が返事をすると扉が開かれ、礼子が入ってきた。今は、普通の戦闘服姿だ。 「神田さん、さっさと会議室に来て下さい。あんまり時間はないんですから」 「あ、ごめんごめん。すぐに行くよ」 神田は資料を手にして、立ち上がった。礼子は、伊原に目を向ける。 「制服さんも、来て下さい。研修ですけど、一応は隊員ですから、作戦会議に出席する義務はあります。実戦配備はしませんけどね、死なれると後が面倒ですから」 じゃ、と礼子は神田と連れ立って出ていった。会議室に向かうために階段を昇る二人の足音が、遠ざかっていく。 伊原が事務室から出ると、正面玄関から入ってきた北斗と南斗と鉢合わせた。二人は、揃って立ち止まった。 西日に照らされた二人の半身は、暗くなっている。銀色の頬とゴーグルが光を反射していて、眩しいほどだった。 「お、制服じゃんー」 南斗がやる気なく言うと、北斗が伊原を指した。 「制服ではないか。さっさと上に行きたまえ、そこに突っ立っておられては自分達が進めんではないか」 「あ、ああ」 伊原が身を引くと、二人は近付いてきた。二人共相当な体重があるので、一歩進むたびに、床に震動が起きた。 それが、伊原の前で止まった。逆光となった北斗と南斗は、暗青のゴーグルと暗赤のバイザーだけが光っている。 体が大きいのでそれだけでも威圧感があるのだが、陰っているために表情が窺えず、余計に凄みが増していた。 伊原は、もう一歩、ずり下がった。背が壁に当たって、身動きが取れなくなる。南斗は、北斗の肩に腕を乗せる。 「どーする、北斗? やっちゃう? マジやっちまう? ていうかやっちまいたくね?」 バイザーから零れる明かりで艶やかに光る銀色の唇が、にいっと広がる。 「うむ。かつての自分の体であったとはいえ、間接的とはいえ、制服が礼子君を穢したことには変わりないのだ」 北斗の口元も、不気味に上向く。伊原は、顔を引きつらせる。 「あれは…鈴木二尉がしたことであって、僕には、何の責任もないのですが」 がしゅっ、と重たい足音が迫る。伊原との間を詰めた南斗はにやにやしていて、その表情は悪意が滲んでいる。 北斗は、やたらと怖い顔をしている。伊原に対する嫉妬や苛立ちなどを露わにしており、敵意が剥き出しだ。 南斗の手が伊原に伸びようとした、その時。ごとごとごとっ、と重たいものが正面玄関の階段を駆け上がった。 それは半分ほど開いた自動ドアをこじ開けて乗り込んでくると、キャタピラを軋ませながら向かってきた。 「Hahahahahahahahahahahahaha!」 ドリルを左腕だけに付けたグラント・Gは廊下を駆け抜けてくると、おもむろに、それを高々と振り上げた。 「見苦シイゼ、brothers!」 グラント・Gのデストロイドリルが振り下ろされ、北斗と南斗の背に力強く叩き付けられると、悲鳴が上がった。 ぎゃっ、ぐわっ、とつんのめった二人は伊原の両脇に崩れ落ちた。伊原はぎょっとしてしまい、固まっていた。 壁に顔から突っ込んでいる兄達をドリルで張り倒してから、グラント・Gは伊原に近付いてくると、顔を寄せる。 「Hey、制服! コノ Foolish brothers ノ言ウコトハ気ニスルナ。要ハ面白クネェノサ、礼子ガオ前ニ付キッキリデイタコトガナ! ツマリ、タダノ jealousy ッテワケサ。特ニ North star ハ礼子ト be in love 、妬カレテ当然ッテワケサ!」 「気のせいじゃ…なかったのか」 道理で、礼子と北斗の距離が近いわけだ。伊原は納得しながらも、また新たな混乱が起きてしまいそうだった。 グラント・Gは、廊下に顔面から突っ伏している兄達を一瞥してから、前進して伊原との間隔を狭めてきた。 間近で見ると、グラント・Gは作業機械に似た雰囲気がある。兄達とは違い、顔の形状も人間からは程遠い。 全体的に角張っていて、目元は横長のライトブルーのゴーグルで、鼻から口はなく、顎の太いマスクになっている。 肩幅も広く、装甲も厚く、戦車のような形状の下半身は強固だ。どこからどう見ても、女性には見えなかった。 ライトブルーのゴーグルが、一瞬、点滅した。グラント・Gはエレクトドリルを外した右手を、伊原に伸ばした。 「マァ、オレハオ前ミテェナ生ッチョロイノハ嫌イジャナイゼ? 守リ甲斐ガアリソウダカラナ!」 ジャアオレハ先ニ行クゼ、とグラント・Gは伊原の前から後退すると、キャタピラのまま階段を昇っていった。 ごとごとという重たい音とキャタピラの軋みが、次第に上昇していく。伊原は、恐る恐る、二人を見下ろした。 壁に顔を埋めていた北斗と南斗は、体を起こした。南斗は伊原を見下ろしてから、階段の上に向けて叫んだ。 「G子ー! 官僚だけはやめとけー! ろくなことにはならねぇからなー!」 「そおだあっ! グラント・Gよ、お前はまだ男女交際を行うには幼すぎるのだ、考え直すが良いー!」 北斗も、南斗と同じように階段の上に叫んだ。伊原は壁から背を離すと、手を横に振る。 「いや、僕は人間だし、彼女はロボットだし、そういう付き合いに至ることはないですよ」 「万が一ってこともあるじゃねぇか! あれで結構可愛いんだぞ、G子は! たまにマジ女の子っぽいんだぞ!」 南斗は伊原に振り返ると、喚いた。北斗は、大きく頷く。 「自分達の大事な妹であるグラント・Gとの交際を始めたくば、自分達を倒してもらおう、制服よ!」 制服のくせに生意気だっ、と言い散らしながら北斗は階段を乱暴に駆け上がり、南斗もそれに続いていった。 伊原は、ただ、呆れていた。グラント・Gが伊原に言った言葉は、どう考えても恋愛感情を示すものではない。 深読みしすぎだ、気に病みすぎだ。グラント・Gは女らしさの欠片もないのだから、心配しなくても良いと思う。 北斗と南斗が伊原に妬いていた、というのは薄々感じていた。だが、まさか、北斗と礼子の関係が恋愛関係とは。 世の中、不思議なことがあるものだ。伊原は深く深くため息を吐いてから、渋々、会議室に向かっていった。 いくら優秀でも、こんなおかしな部隊は、好きになれるわけがない。 特殊機動部隊での研修を終えて、半年後。 伊原は、もう二度と会うことがないと思っていた彼らに、会っていた。目の前にあるのは、北斗の大きな背だ。 小型ジェットポッドを二基と方向指示翼一対があり、両腕も付け替えてあり、大型の砲が装備されている。 北斗がその両腕を持ち上げると、伊原は抱えられ、持ち上げられた。あっという間に、その場から離れる。 真っ黒な装甲に包まれた硬い腕と腹、そして膨らみの少ない胸を覆う強化装甲が、伊原のすぐ傍にあった。 伊原を肩に担いだ高く跳ねた彼女は、膝を曲げながら降下し、膝を擦りながらアスファルトに着地した。 装甲とアスファルトが擦れ合い、勢いが殺されて止まる。彼女は伊原を肩から下ろすと、北斗の背を見やった。 北斗が両腕の砲を向けている先には、真上から叩き潰された伊原の車と、その上に立つ大型のロボットがいた。 ルーフからボンネットまでひしゃげていて、フロントガラスも粉々に砕け、露出したエンジンも潰されている。 黒い塗料が、ロボットの手足に擦れたのか付いている。その装甲の付いた膝の下にあるのは、運転席だった。 無惨にも、ハンドルは中央から割られている。シートもぐちゃりと潰れていて、切れたカバーから綿が出ている。 そこは、つい数秒前まで、伊原が居た場所だった。あのままあそこにいたら、どうなっていたか、考えたくもない。 伊原は滲み出てきた冷や汗を拭ってから、彼女を見下ろした。パワードアーマーに身を包んでいる、礼子だ。 車から出た炎がちらちらと揺れ、手足が長く頭の小さいロボットの装甲を舐め、北斗の影を伸ばしている。 「北斗、エンジンを!」 伊原を背中に隠してから、礼子は叫んだ。 「言われずとも解っている!」 北斗は両腕に備えた太く長い砲を持ち上げ、その砲口をロボットに向けた。じゃきり、と砲弾が装填される。 「解析完了、照準固定! 五十ミリ強化貫通弾、及び五十ミリ瞬間冷却弾、発射用意!」 北斗の、両の拳が固く握られた。反動を堪えるために、足を踏ん張る。 「発射あ!」 発射音が、二回轟いた。右から一発目が放たれ、ロボットの胴体を貫いたかと思うと、二発目が左から放たれた。 爆音と同時に広がった炎と煙の中心に打ち込まれた砲弾が炸裂すると、蒸気にも似た真っ白な冷気が発生した。 煤と熱が混じった空気も冷やされ、気温が下がる。冷気の煙が薄らぐと、炎の消えた車体とロボットが見えた。 どちらも、表面が白く氷結していた。黒かった車体は薄氷に覆われ、ロボットのボディも凍り付いている。 ロボットは、胴体に大穴を開けられていた。そこにあったであろうエンジンは、見事に吹き飛ばされていた。 ぎりぎりぎり、と膝の関節を軋ませていたロボットは、バランスを崩し、頭からアスファルトに倒れ込んだ。 中央だけが潰されていた車体が、ロボットのボディによって完全に叩き潰されてしまい、ガソリンが漏れた。 北斗は左足に付けていたケースから砲弾を取り出すと、左腕の砲をスライドさせて開け、砲身に装填した。 「五十ミリ瞬間冷却弾、二発目、発射!」 今度は下に向け、放った。どおん、と発射音と炸裂音が辺り一帯を揺さぶり、車体の下部は大きく抉られた。 二発目の冷却弾で完全に凍結した車体とロボットは、沈黙した。北斗は腕を下ろしたが、左肩を押さえた。 「さすがに…連射はきついな。メインシャフトに歪みが生じてしまった」 「いいよ、もう充分だよ。無理はしないで。南斗、敵は?」 礼子は側頭部に手を当てて、無線に話し掛けた。うん、うん、と数回頷いてから、北斗に向いた。 「他の機体は南斗とグラントが撃墜したってさ。機体回収に、自衛隊車両と神田さんが来るってさ」 「五十ミリ強化貫通弾の威力も、瞬間冷却弾の効果も実証された。これなら、今後の実戦でも汎用が可能だろう。高宮重工の複製に過ぎない特殊強化合金といえど、その強度は自分達と同等だ。用心して、戦わねばならんな」 北斗はゴーグルを薄く光らせると、動きを止めたロボットを上から下まで眺めた。 「敵機、スキャニング開始。メインコンピューター、全破損、サブコンピューター、メモリーブロック、ブラックボックスの破損を確認。通信電波断絶、エンジン、及びバッテリーの破損を確認。任務完了だ」 伊原は、ただ突っ立っているしかなかった。何が起きたのか全く解らないうちに、戦闘が終了してしまった。 北斗は、伊原に歩み寄ってきた。両腕の砲の重量があるせいか、以前よりも足音が大きくなっている気がする。 礼子もやってくると、ぱちん、と顎の下のロックを外した。黒いヘルメットを頭から抜くと脇に抱え、敬礼する。 「伊原三尉。お久し振りです。あなたの暗殺が企てられていたので、阻止を行いました」 「あ、はぁ…」 伊原は、気の抜けた声を漏らした。北斗は両腕を下げたが、左肩から金属の割れる音がして、顔を歪めた。 礼子は、北斗の左腕に手を添えてから伊原に向いた。車体の炎が消えたので暗さが戻り、その表情は見えない。 「三尉。あなた、カードキーを破棄しましたか?」 「そりゃ、当然、研修が終わった時にちゃんと切り刻んで破棄しましたが」 「甘い。高宮重工製のカードキーは、燃やさなければならんのだ。そうしなければ、内蔵チップが残ってしまうのだ。それを回収したろくでもない連中が、お前を付け狙っておったのだ。お前を殺し、お前に成り代わって営舎に潜入し、我らの機密を盗むためにな」 左肩が痛むのか、北斗の口調は少し弱かった。礼子は、北斗の左腕に手を添える。 「まぁ、そういうことです。指紋や声紋などのデータは偽造が可能なんですけど、網膜のデータだけはどうしても偽造が出来ないんです。それに、網膜認証のデータの書き換えを行うには、以前に網膜認証を行った人間の目が必要なんです。連中は、そのために、あなたの目を奪いに来たんですよ。眼球と水晶体の偽造は難しいですからね」 「僕の、目…?」 目だけを引き抜かれた様を思い浮かべ、伊原は気分が悪くなった。 「すまん、礼子君。膝にも来ている。少し、肩を貸してくれんか」 北斗は礼子に寄り掛かるように、背を曲げた。相当な重量が掛かっているはずだが、礼子の姿勢は変わらない。 いいよ別に、と礼子は北斗の胸を支えた。彼女の力が増しているのもまた、パワードアーマーのおかげだろう。 道路を抜けてきた風には、冷気と機械油の匂いが含まれていた。礼子は北斗の胸を支えながら、伊原に向いた。 「三尉。あなたは私達のことを好かないかもしれないし、私達もあなたみたいな官僚候補は好きません」 ですけどね、と礼子は鋭い目元を細めた。 「任務となれば、守りますよ?」 「自分も、お前は好かん。だが、お前は国民であり、同じ自衛官だ」 北斗は礼子に傾けていた体を起こし、彼女に掛ける体重を減らしてから、表情を引き締めた。 「守る義務があるのだ」 右方向から放たれた車のハイビームが、二人を照らし出す。伊原はその光の強さで、一瞬、目が眩んだ。 ハイビームの先を辿って見ると、ミリタリーグリーンの自衛隊車両が、こちらに向かってやってきていた。 夜の暗さを掻き消してしまうほどの光の中、伊原は二人と向き合った。鋼の戦士と、鋼の鎧を着た戦士だ。 彼らは、好きにはなれない。だが、嫌う気にはなれない。仕事だから、かもしれないが、守ってくれたのだから。 伊原は二人に敬意を称するために、最敬礼した。今、この場で二人の戦士に言うべき言葉は、決まっている。 「任務、ご苦労様です」 北斗と礼子も、敬礼を返してきた。車両がこちらに近付いてくると、ハイビームは強まり、二人の姿は薄らいだ。 伊原は手を下げてから、一歩、引いた。本当の最前線を目の当たりにすると、怯えも、恐怖も、起きてくる。 だが、それ以上に、悔しさも起きてきた。このままでいたら、間違いなく、彼らからはまた見下されるだろう。 そうなってしまうのは、さすがに口惜しいと思った。こうなったら、やれるところまでやって、昇進してやろう。 伊原は、彼らとは違うただの人間だ。特殊機動部隊を見返すためには、自分のやれる形でやりかえすしかない。 そのためにも、上を目指すのだ。 特殊機動部隊。 部隊を継続させていくか否かは、防衛庁及び政府内で議論が交わされ続けているが、未だに結論は出ていない。 少数精鋭の部隊ながら、オーバーテクノロジーを元にして造られた、強力な大量破壊兵器を多数有している。 一歩間違えば、彼ら自身が脅威となり、日本国民のみならず世界全体に対して危険をもたらす可能性もある。 だが、特殊機動部隊の功績はいずれも素晴らしく、重大事件の発生を未然に防ぎ、国防の最前線を担っている。 故に、特殊機動部隊を解散させることは国防を揺るがすことと同等であり、国家に危機が訪れることだろう。 今現在、日本政府内には、特殊機動部隊を超えるほどの、機動力と戦闘能力を持った戦闘部隊は存在しない。 よって、特殊機動部隊は、平和に不可欠なのである。 06 9/4 |