そして。午後三時三十分。 パワードアーマーを着た礼子と、人型自律実戦兵器五式七号機二○十七年式を操る伊原の、戦闘が始まった。 グラント・Gは、まだ訓練場を走り回っていたいようだったが、礼子に言われて今は管制室に退避している。 伊原の視界は、全方向型モニターに埋め尽くされていた。ヘルメットタイプで、インカムも付いている。 解像度の高いモニターには、礼子の姿が映っている。すぐ目の前にいるような、錯覚を覚えるほどだった。 手を動かすように念じると、モニターの下から機械の手が出てくる。銀色の左手を、軽く握ってみた。 思う通りに、動いた。試しに前進してみると、視界が揺れて重たい足音が聞こえ、礼子との距離が狭まる。 両手を前に出してみる。モニター一杯に広がった手を傾け、銀色の手の甲に顔を映すと、北斗の顔が映った。 「信じられない…」 『フェイスパターンも北斗と同じまま、っていうのが、ちょっとやりづらいかな…』 礼子の声が、モニターの両脇、つまりヘルメットの両耳部分に内蔵されたスピーカーから聞こえてきた。 「やっちゃえ、礼ちゃん! 北斗への憂さを晴らす超マジチャンスだぜい!」 南斗の声が、背後から聞こえた。モニターの中の礼子は笑ったのか、僅かに肩を震わせる。 『ありがと、南斗。そうだね、そう思えばなんでもないや』 「れ、礼子君!」 戸惑った北斗の声が、また背後から聞こえた。そして、それを窘めるさゆりの声と足音がした。 「ほらほら、南ちゃんも北ちゃんも、制服さんの邪魔しないの。操縦の妨げになっちゃう」 へーい、と南斗のつまらなさそうな呟きと、この愚兄が妙なことを言いおって、との北斗の嘆きが遠ざかった。 伊原は、さゆりに感謝した。このまま北斗と南斗が喋っていては、集中出来るものも出来なくなってしまう。 周囲の音を完全に無視し、伊原は集中した。モニターの中に、いや、目の前にいる礼子は、身構えていない。 ボディラインに沿っている漆黒の装甲は、指先まで続いている。関節以外は、くまなく装甲で埋め尽くしている。 その、影が揺らいだ。伊原が反応するよりも先に、礼子の影は視界から失せ、体重の軽い足音が移動する。 ざり、と靴底がコンクリートと砂を噛む硬い音がした。かと思った直後、後頭部に強烈な衝撃が加わった。 「うっ!?」 激しく視界が揺らぎ、ノイズが頭に響く。衝撃こそなかったが、視界が揺らいだせいで、少し酔ってしまった。 視界の補正が働いてモニターは元に戻ったが、見ていたのは足元で、礼子の姿はどこにも見当たらなかった。 伊原は顔を上げ、辺りを見回した。ライトは灯っているが、薄暗い訓練場の中には、障害物が多かった。 市街戦を想定しているのだろう、建物を模した壁がある。伊原は出来る限り注意を配ったが、人影はない。 光学迷彩を使ったのだ、と伊原は直感した。先程の感じでは、作動させて十秒もしないうちに姿を消せるのだ。 先程、後頭部を強かに攻撃されたせいか、上手く平衡感覚が保てず、歩き出そうと思ってもよろけてしまう。 ロボットならロボットらしくしてくれ、と伊原は内心で毒突いた。こういった人間臭さは、不要だと思った。 歩き出したが、すぐに立ち止まった。このまま馬鹿みたいに正直に歩いていってしまったら、礼子の思う壺だ。 銃がないのが不満だが、仕方ない。伊原はモニターに意識を集中させて、機能を呼び出し、画面に展開した。 パルスキャッチャー、簡易ソナー、サーモグラフィー。その中のサーモグラフィーを念じ、機能を切り替えた。 すると、世界に色が付いた。単調な灰色だけだった景色が、青や緑、オレンジ色などのカラフルなものとなる。 寒色になればなるほど温度は低く、温色になればなるほど温度は高くなる。それぐらい、誰でも知っている。 伊原は身を低くすると、手近な壁の影に身を潜めた。顔を出して辺りを見回すが、人間らしき体温はなかった。 地面には、自分が残してきたらしい足跡の温度が残っていた。それはいずれも赤やオレンジで、熱いようだ。 ロボットというものは、相当な熱を発するものらしい。エンジンを搭載している機械ならば、それは当然だ。 となれば、礼子の足跡も少しは熱が残っているはず。伊原は顔を出して地面を凝視し、熱の有無を確かめた。 コンクリート製の地面は、見事に真っ青だ。隅の方は黒ずんでいるので、底冷えしているようだった。 ライトに照らされているところは、鮮やかなグリーンになっている。そのライトの下から、視線を外した。 グリーンの端が、黄色くなっている。その黄色は点のように連なっていて、訓練場の奧へと向かっている。 見つけた、と伊原は内心で歓声を上げた。あれは間違いなく、礼子の足跡だ。あれを追えば、礼子がいる。 伊原は腰を浮かせ、慎重に歩いた。礼子の足跡を見失わないように、体を出してしまわないように気を付けた。 追っていくと、礼子の足跡の温度が次第に高くなっている。ということは、礼子に近付いてきたという証拠だ。 黄色からオレンジへ、オレンジから朱色へ。その足跡の間隔が狭まってきた、と思った時、赤が視界を塞いだ。 『体、丸見えですよ!』 礼子の叫びと同時に、顎に膝が入る。特殊合金で出来た強化装甲が金属に叩き付けられ、凄まじい音がする。 視界が上に動き、またノイズが走る。伊原が姿勢を戻そうとするより先に、今度はかかとが落ちてきた。 『ついでにっ!』 後頭部を踏み付けた足が離れ、飛び上がる。そして、背中に体重が降ってきた。 『背中は、弱点なんですよ?』 どん、と背中に膝が落ちてくる。伊原は体を起こそうとするが、頭を踏み付けられていて動きが取れなかった。 「いつのまに…」 『あなたが私の足跡なんか辿っている間に、私はあなたの背後に回ってきたんです。壁の上を通ってね』 「上、だと?」 『ええ。あなたが下ばかりを見ているもんですから、どうせなら見えない位置に移動しようと思いましてね!』 礼子の強い蹴りが背中に叩き込まれ、伊原は、いや、伊原の操る機体は地面に突っ伏した。 『我が侭言ってこれを引っ張り出してもらったけど、意味なかったですね』 礼子の靴底が、後頭部を押さえ込んでいる。背中に、乗られている。生身でも、いや、生身でなくても無様だ。 これで終わってたまるか、こんなことで。伊原は次第に怒りを感じ始め、無意識に歯を食い縛り、拳を固めた。 すると、ロボットの拳も、きつく握り締められた。エンジン活性率が上昇を始め、出力も上がってきている。 これなら、いける。伊原は自分が起き上がる気持ちで気合いを入れ、意識を強めると、機体も起き上がった。 サーモグラフィーを切り、元に戻す。集中するのはそっちではない、今は、礼子を倒すことだけに集中するんだ。 「うおああああっ!」 伊原は目一杯力を込め、飛び起きた。背中に立っていた礼子は、急いで飛び退いた。伊原は、背後に振り返る。 光学迷彩は高性能で、姿はまるで見えない。だが、飛び退いた際に起きた砂埃が、地面に舞い上がっている。 そこを目掛けて、伊原は腕を振った。拳を固めて体重を前に乗せ、腰を据えて、強烈なパンチを繰り出した。 だが、掠りもしない。礼子がいるであろう場所に向けて、無茶苦茶に拳を突っ込んだが、手応えは一つもない。 ならば、どこにいる。伊原は周囲を見渡していたが、軽い足音が跳ねる音を聞いたので、真上に顔を向けた。 大型のライトが付けられた天井が、ほんの少し、揺らいでいた。そこだ、と確信して伊原は飛び上がった。 「だあっ!」 怒りに任せて、右腕を突き出す。ちっ、と小指の端に何かが掠った感触があったが、すぐに遠のいてしまう。 直後、背後に着地音がする。伊原の体が落下するよりも先に、音が動いたかと思うと、背中に衝撃が訪れた。 揃えられた足が、背中を抉る。普通のジャングルブーツとは違った硬い靴底に、突き飛ばされてしまった。 そのまま前のめりに倒れ、顔から転んでしまった。視界にはコンクリートが広がり、白い砂埃が漂っている。 『安易に足元を崩さないことです。足元が崩れれば、その分打撃の威力は増します』 礼子の冷徹な言葉が、伊原の頭上に降ってくる。伊原は起き上がると、砂に汚れたゴーグルを拭った。 「今、何を」 彼女の姿は見えないが、そこにいるであろう礼子に向けて言った。礼子の声色は、変わらない。 『何のことはない、ただの跳び蹴りですよ』 伊原は声の方向を探ろうとしたが、無駄だった。礼子の声は、リモートコンシャスネスではなく無線なのだ。 だから、ヘルメットの中に直に聞こえてくる。そんなものでは、礼子との距離感など、掴めるはずもない。 礼子への苛立ちと、姿が見えない相手から襲われていることへの畏怖で、伊原は冷静さを失っていた。 「このっ!」 どれか一つは、当たるはずだ。伊原は荒々しく両腕を振り回すが、手応えはなく、空しく宙を切っている。 前に、後ろに、右に、左に、滅茶苦茶に拳を繰り出す。腕を振るたびに視界が揺れるが、気にならなかった。 あの女はどこだ。叩き潰してやる。伊原は目を最大限に見開いて、ヘルメットの内側のモニターを睨んだ。 自分の重たい足音に混じり、小さく、別の音がした。反射的にその方向に振り向くと、壁が揺らいでいた。 『時間切れか』 灰色の壁がぐにゃりと歪んでいた。その歪みが身を屈めると、上に飛び上がり、伊原の視界から失せた。 伊原が真上を見上げると、今度は天井が歪んでいた。水面の波紋を通したような、奇妙なものが視界にある。 一瞬の後、それが降ってきた。伊原が身を引くよりも先に、歪みから突き出てきたものが顔に叩き込まれる。 『ふっ!』 息を抜く、女の声がした。頭を後方に揺さぶられた伊原は、姿勢を戻そうと思ったが、仰け反ってしまった。 ぐらりと後方に倒れ、激しい金属音が響いた。起き上がると、目の前にあの歪みがあり、輪郭が見えてきた。 波打っていた背景が弱まり、徐々に闇のような黒が滲み出てきた。装甲に包まれた指先と、つま先が現れる。 次に強化装甲を付けた腕と足が見えるようになり、引き締まった腰と胸、そして頭部のヘルメットが認識出来た。 視界が悪い、と吐き捨てると、礼子はヘルメットの顎の部分を緩めた。ぱちん、と止め金を外し、頭から抜く。 ヘルメットを足元に放り投げて素顔を晒した礼子は、軽く頭を振ると、荒い手付きで短く切られた髪を乱した。 『三尉』 「…なんですか」 伊原は、また苛立ちが増していた。武装を解いた、ということは、それだけ油断されている、ということだ。 礼子の眼差しは、やはり冷たかった。だが、口元は困ったように曲げられていて、眉も少し下がっている。 『ちょっと、いいですか?』 今度は何を始めるつもりなんだ、と伊原が訝っていると、礼子は大股に彼に歩み寄ってくると背伸びをした。 少し上から、礼子を見下ろす形になる。戦闘を行っていたため、頬は上気していて、肌も汗ばんで光っている。 上目に見上げてくる礼子は、やりづらそうな顔をしていた。伊原は、思い掛けないことに、たじろいでしまう。 「なんでしょう、二尉」 『ごめん、北斗』 小さく謝罪した礼子は、腕を伸ばしてきた。伊原が身を引くよりも先に、装甲に包まれた腕が首に回される。 礼子の体重が掛けられると、伊原の意思に反して背が曲がった。視界に、気恥ずかしげな礼子の顔が広がる。 それが、近付いた。目を閉じた礼子はかかとを目一杯上げ、少し顔を傾けながら、艶やかな唇を重ねてきた。 伊原の背後で絶叫が二重に聞こえてきたが、伊原は何が起きたのか全く理解出来ず、ただただ動揺していた。 せめて引き離そう、と手を動かそうとすると、首の後ろでヒューズが爆ぜた。視界が遮断され、真っ暗になる。 続いて聴覚も切られ、ヘルメットの内側からは音が失せた。シャットダウンされたのだ、と伊原は直感した。 底のない闇となった視界の中心で、Your Lose の文字が点滅していた。 訓練場から管制室に戻ってきた礼子は、得意げだった。 表情こそ平静だが、眼差しは笑っている。彼女の隣に立っている北斗は口元を歪め、物凄く苦い顔をしていた。 その肩には、姿は同じだが中身のないロボット、人型自律実戦兵器五式七号機二○十七年式が担がれている。 傍目から見ると、妙な光景だった。南斗はその人型自律実戦兵器五式七号機二○十七年式の、首筋を見ている。 リモートコンシャスネスシステムを外した伊原は、集中力が尽きたため、椅子から立ち上がれもしなかった。 徹夜明けのような頭痛が頭全体にあり、至近距離でモニターを見続けたために強烈な眼精疲労で瞼が重たい。 パワードアーマーを着たままの礼子は、また缶コーヒーを飲んでいた。飲み干してから、北斗を見上げた。 「そんなに気にしないの。中身は制服三尉でも、体はあんたなんだから」 「しかしだな…」 北斗は自分が担いでいるかつての自分を見ていたが、腑に落ちない様子で礼子を見下ろす。 「ケーブル一本、切られただけだから修理には時間も金も掛かんねーだろ。うん、マジ大丈夫ー」 南斗は人型自律実戦兵器五式七号機二○十七年式から離れると、頷いた。伊原は、恐る恐る、礼子を見やる。 「あの、鈴木二尉。何を…したのですか?」 「外部から強制シャットダウンをしたんですよ」 礼子はコーヒーの空き缶を下ろし、北斗に寄り掛かる。 「三尉が使用した機体は、コアブロックは入っていませんが制御プログラムは北斗が使用していた時と全く同じ仕様になっています。このタイプのロボットは、安全上の理由で、センサーの七割が機能を失うと自動的にバッテリーが切断されてエンジンが停止するようになっているんです。先程、私が切ったのは、センサーが受け取った情報をコンピューターに伝えるための、メインケーブルなんです。そのケーブルがコンピューターに伝えている情報は、視覚が五割と聴覚が五割とパルスセンサーが五割になっているので、それを切ればシャットダウンされるんです。他にも、背部のコントロールパネルを開いて手動で行う方法もあったんですけど、首の後ろのケーブルを直接切るのが一番手っ取り早いと思いまして」 「ですけど、なぜ、あんな…」 伊原が言葉を濁すと、礼子は少々気恥ずかしげに、目線を彷徨わせる。 「その、なんていうか、顔が北斗だったから、出来たんですよ」 「しかし、だからと言って…」 北斗が、情けない声を出した。礼子は頭を反らして北斗を仰ぎ見ながら、こん、と物言わぬロボットを小突いた。 「銃は使えない、下手に傷付けると後が面倒だから突きも蹴りも出来ない、ワイヤーカッターも使えない、光学迷彩はバッテリー切れ、罠は仕掛けていない。そんな状況で、これの機能を止めるためには、あれしかなかったんだよ。解ってよ、もう」 礼子は顔を伏せると、手袋を外した手で顔を覆い、肩を縮める。 「私だって、出来ればやりたくなかったよ? だって、めちゃめちゃ、恥ずかしいし」 「今回のリモートコンシャスネスシステムの使用記録、全て残してあります。社外の人間が使用した例は少ないので、貴重なサンプルとして活用させて頂きます。ご協力、ありがとうございました。伊原三尉、鈴木二尉」 さゆりが意地悪く微笑むと、礼子は慌てた。 「最後のところは、切って下さいね!? あんなもの、開発会議で使ったりしないで下さいね!」 「そっ、そおだあ! あれを見ていいのは自分だけなのであるからして、公表など以ての外なのだぞ!」 北斗は担いでいたロボットを放ると、さゆりに詰め寄った。さゆりは、北斗の厚い胸をぽんぽんと叩く。 「解ってるって、それぐらい。ちゃーんと編集してから開発会議で使うから心配しないで、北ちゃん」 北斗が放り投げたロボットを受け止めた南斗は、あー、と唸りながら口元を引きつらせ、顔を背けた。 「せめてオレのいないところでやってくんね? 北斗も礼ちゃんもさぁ…」 「Hahahahahahahahaha! イツカイイコトアルサ、兄貴!」 グラント・Gはドリルを振り上げると、荒っぽく南斗の背を叩いた。南斗は、妹の頭を小突く。 「G子。それじゃ、慰めてんのか痛め付けてんのか、解んねぇよ」 伊原は、恥じらっている礼子が物珍しかった。頬をほんのりと赤らめていて、北斗の太い腕に縋り付いている。 勝つためには仕方なかったとはいえ、余程恥ずかしかったのだろう。北斗の戦闘服の袖を、強く握り締めている。 この二人は、一体どういう関係なのだろう。先程の言葉から察するに、友人、同僚、以上であるのは間違いない。 キスをする関係、といえば、普通に考えれば恋人同士ということになるが、礼子は人間で北斗は戦闘ロボットだ。 そんなこと、有り得るわけがない。生身の人間が、意志を持っているとはいえ人工物と、恋に落ちるはずがない。 まさかな、と思いながら、伊原はパイプ椅子に身を沈めた。リモートコンシャスネスによる疲労が、全身にある。 気を抜けば、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。 06 9/2 |