手の中の戦争




ソルジャー・マインド



その夜。インパルサーは、由佳の傍にいた。
メンテナンスドックの上の家から運び出してきたソファーに横たわっている由佳は、毛布を被って丸まっていた。
他の面々も、それぞれのコマンダーの傍にいる。こんな状況で自宅に帰るのは危険だ、と全員が判断したのだ。
敵の動向も目的も掴めていないのだから、下手に動くとどうなるか解らない、と。よって、全員がここに泊まった。
ここには、マリーが持ち帰らなかった家具や神田が持ち込んだものなどがあったので、一応なんとかなっている。
長い間誰もいなかった家に明かりが灯るのは不自然だ、とのことで、メンテナンスドックで夜を明かすことにした。
照明を落とされたメンテナンスドックの中は暗く、静まっている。大型モニターだけが、薄く光を放っていた。
側頭部から伸ばしたケーブルをコンソールに接続したイレイザーが、画面と睨み合っており、腕を組んでいる。
その足元では、さゆりが丸くなっている。イレイザーは時折さゆりを見下ろすが、また、画面に顔を向けた。
インパルサーは、顔の前に手を差し出し、握り締めた。エモーショナルリミッターのレベルは、最大にした。
コアブロックに充ち満ちていた激しい怒りはリミッターによって制御され、なんとか冷静さは取り戻していた。
だが、気を抜けば、すぐにまた怒りが戻ってくる。インパルサーは、鈴音の傍にいるリボルバーに目を向けた。
胡座を掻いて座り込んでいる長兄は、かなり怖い顔をしていた。鋼の兄弟達は、皆、怒りを滾らせているのだ。
インパルサーは、目線を落とした。すると、由佳が身動きした。毛布の中で身を捩ってから、薄く目を開いた。

「起こしてしまいましたか」

声を潜め、インパルサーが囁いた。由佳は、薄暗い中で目立つ、彼のレモンイエローのゴーグルを見つめる。

「気にしないで。眠れなかっただけだから」

由佳は体を起こすと、ソファーの上から降りた。インパルサーの傍に座ると、その厚い胸に寄り掛かる。

「怒らないで、って、無理だよね」

「はい」

素直に、インパルサーは頷いた。由佳は、肩に回されたインパルサーの手に己の手を重ねる。

「あたしも、腹が立って仕方ないの。でも、それよりもずっと、悲しくて仕方ないの」

「僕達の、宿命のようなものかもしれませんね」

手に重ねられた由佳の手の温かさを感じながら、インパルサーは由佳の髪にマスクを寄せた。

「認めたくはありませんけど」

うん、と由佳は小さく同意した。インパルサーは由佳から感じる温もりや鼓動に、センサーを全て向けていた。
何よりも愛しい彼女が、傍にいる。それだけで、感情回路を軋ませていた怒りが弱まってくれるような気がした。

「あたしね」

由佳は上目に、インパルサーのマスクフェイスを見上げた。

「ちょっと、嫌なこと思い付いちゃった」

「それはなんですか?」

インパルサーが問うと、由佳は両腕を抱き締めた。

「うん。あの出来損ないのロボットにあった空間ってさ、丁度、人間が一人入れるぐらいなんだよね?」

「はい、そうです。高さのわりに横幅が少ないので、二人は無理ですね」

「うん、それでさ…」

由佳は目線を彷徨わせ、言い淀んだ。

「もしかしたら、そこに入るのは、パイロットなんかじゃないかもしれない」

「なぜ、そう思うんです?」

「だって、あのロボット、あたしから見てもおかしい気がするし。確証はないけど、何か、嫌な感じがするの」

だから、と由佳は顔を伏せた。インパルサーは、由佳を抱き寄せる。

「ですが、不完全なマシンソルジャーであるからこそ、パイロットを乗せるのかもしれませんよ。僕のセンサーが感知していないだけで、操縦桿やシステムが搭載されているのかもしれませんし」

「だったら、まだ、いいよね。でも、そうじゃなかったら? あいつらが、あんた達が人間を殺せないのを知っていて、そうしていたとしたら? そうだったら、凄く、嫌だよ」

インパルサーは、わざと口調を明るくさせる。

「大丈夫ですよ、由佳さん。もし、そうだとしても、僕達はあのマシンソルジャーだけを攻撃しますから」

「でも…」

由佳は、インパルサーの腕の中で身を縮めた。インパルサーは由佳の頭を抱えると、大丈夫です、と繰り返した。
彼女の予想は、一番考えたくないことだった。だが、もし、そうだとしたら、シュヴァルツ工業は凄まじい組織だ。
人間の命を危険に晒すことも厭わないほどの覚悟を持って、マシンソルジャーに対して戦いを仕掛けるのだから。
だが、そうであるはずがない。そうであって、いいわけがない。しかし、コンピューターは冷静に結論を弾き出す。
現在は、まだ仮定の話でしかない。もしも、が前に付く、情報と可能性だけで判断した結論でしかないのだから。
それが、可能性だけであることを、祈るしかなかった。




オペレーター服を脱いで、防護スーツを身に付けた。
頭部を守るヘルメットを兼ねた全面モニターとインカムの内蔵されたものを被り、顎の下でベルトを留めた。
薄暗いトレーラーの中に横たわるのは、不格好な鋼の生き物。腹部装甲を開いて、空虚な空間を晒している。
ヘルメットの下で、すばるはすうっと息を吸い込んだ。防護スーツと同じ素材の、手袋を両手に填める。
三年前の爆発事件で、シュヴァルツ工業が手を回して掻き集めた様々な部品を繋ぎ合わせ、造った兵器だ。
爆発が起きた場所の周辺に転がっていた腕や足、或いは胴体などの接続部分には、いずれも互換性があった。
推定身長約六メートルであっても、推定身長約一メートル五十センチであっても、関節の規格は同じだった。
機体同士で、簡単に換装を行えるような設計にしたのだろう。いやにフレキシブルな戦闘ロボットである。
あの大量のロボットを設計した主がどのような意図で、換装を簡易化させたのかは、地球人には解らない。
日本政府に極秘に接触してきた、銀河警察と自称した異星生まれの有翼人は、作り手の名は明かしていない。
銀河の中で起きた戦争で使われていたロボット、としか説明せず、あの五色のロボットの説明も少なかった。
だが、客観的に見ても、日本全土に突如現れたロボットと、五色のロボットは関係があるとしか思えない。
彼らと同じ五色のカラーリングが施されていたのだ。綺麗に、赤、青、黄、紫、黒、であり、例外はない。
これもまた、どういった意図でカラーリングを分けたのかは解らない。機体性能は、割と近かったからだ。
赤い装甲のロボットは、大多数が巨大な戦車形態を取れる人型ロボットだが、黒にも同系統のものがいた。
それと同じく、青い装甲のロボットの大半が速度重視であり、また、紫の装甲のロボットも速度重視だ。
黄色の装甲のロボットは、いずれも、バッテリーと思しきものと用途不明のジェネレーターを装備していた。
系統が違うのは、黄色のロボットだけで、他は似たり寄ったりだ。違うのは、大きさと色ぐらいなものだ。
赤い装甲の戦車型ロボットが、全長五メートル大なのに対し、黒い装甲の戦車型ロボットは十メートル大だ。
そして、青い装甲のロボットと紫の装甲のロボットと黄の装甲のロボットは、大半が二メートル強だった。
データが揃っていれば、違いも把握出来るのだろうが、シュヴァルツ工業が回収したのはスクラップばかりだ。
辛うじて生きていたコンピューターも、重要なデータの大半が欠落していて、あまり役に立たなかった。
人員と金を注ぎ込んで研究に研究を重ねて、ようやくスクラップを繋ぎ合わせたロボットを造ることが出来た。
これらの研究データを元にして、新たな戦闘ロボットの開発を行っていることも、すばるは既に知っていた。
破損したロボットのコンピューターにあったデータの解析や、この不格好なロボットのプログラミングに関わった。
その関係で、何度か新規開発チームに接触したことがあり、Grant と呼ばれるプロトタイプも目にしていた。
だが、そのプロトタイプのプログラミングは三割も終わっておらず、ボディも依然として開発途中だった。
なので、今回の作戦で使うことは叶わず、貴重なサンプルの一つでもあるこの機体を使用することになった。
作戦で使用するに当たって付けられた機体名は、流星リュウシン。星空の彼方から飛来した者、という意味も入っている。
すばるは、流星の腕に手を触れた。地球上に存在する、どんな合金よりも強固な合金は、冷え切っている。

「ほな、うちと一緒に頑張ろな」

鋼の相棒は、答えなかった。スコープレンズの目は、虚ろな眼差しでトレーラーの天井を見つめているだけだ。
それは、仕方ないことだ。流星には、この系統のロボットの核と思しき重要な部品が、最初から欠けている。
丁度、人間で言えば心臓の位置に入れるらしいのだが、そこに何が入っていたのかは、未だに解らなかった。
だが、サポート用のサブコンピューターやそこに入力されていたプログラムからして、メインはそれらしかった。
シュヴァルツ工業内では、プログラムコア、と呼称されているが、すばるは別の名称があるのではと思った。
今回の作戦では、そのプログラムコアの奪取も目的の一つだ。あの五色のロボットには、内蔵されているはずだ。
あの五体は、感情を持っている。となれば、感情や人格という膨大なデータを処理するための回路があるのだ。
スクラップのロボット達に搭載されていたサブコンピューターも、処理能力が高かったが、人格までは無理だった。
新規開発チームが生み出した人工知能を処理させてみたが、半分も処理出来ないうちに、フリーズしてしまった。
だから、恐らく、彼らにはプログラムコアが内蔵されているはずだ。可能性に過ぎない、根拠もないことだが。
だが、それが本当だとしたら、尚更奪取は行わなければならない。ロボットは、シュヴァルツ工業の主力産業だ。
プログラムコアには、サブコンピューター内の情報など比べものにならないほど、情報が詰まっているだろう。
それさえあれば、シュヴァルツ工業のロボット産業は拡大し、戦闘ロボットの開発も容易に行えることだろう。

「よっしゃ」

すばるは拳を固めると、ぱしっと手のひらに叩き付けた。

「発信装置、設置完了しました。五分後に作動開始予定です」

トレーラーの中に駆け込んできたオペレーターが、すばるに伝えた。すばるは、流星を見下ろす。

「ほな、うちらも移動しまひょか。お客はんを呼び出すのに、出迎えへんのは失礼やからね」

よっ、とすばるは流星の腕を乗り越えると、開かれている腹部装甲の中に入り、横たわった。

「外からのサポート、頼みますわ。うちも気張るさかいにな」

すばるは小型モニターとその下にあるコンソールを、指先で操作した。腹部装甲が動き、視界を塞いでいく。
腹部装甲が完全に閉まると、外からの光が遮断されて真っ暗になった。だが、すばるには別の視界が見えた。
それは、流星の頭部に備え付けられたスコープアイが受け取っている映像で、先程よりも視界が高かった。
簡易ソナーや無線なども作動させると、全面モニターの隅に表示が現れた。どの機能も、ちゃんと動いている。
すばるは、体の全面にベルトを回して固定させてから、両足も固定した。こうしなければ、振り落とされる。
本当なら腕も固定した方が良いのだが、それではいざという時にコンピューターの操作が出来なくなってしまう。
これから、戦いに赴くのだ。この日のために訓練を重ねてきたんだ、戦えるはずだ。すばるは、目を閉じた。

『すばる』

不意に、無線が入った。その声の主は、先程の男だった。

「なんですの、お父はん?」

『お前の仕事は、敵の打破だ』

「それぐらい、ちゃあんと解うとります」

『あの連中は、人間は殺さないはずだ。そこに付け込め、すばる』

「承知しとります。敵をなるべく惹き付けてから、腹部装甲の前面を分離させるんやったよね?」

『そうだ』

「お父はん」

『なんだ』

「…ううん、なんでもあらへん」

すばるが言葉を切ると、男は無線を切った。閉じていた目を開くと、全面モニターの眩しい光が目を刺してきた。
息を大きく吐き出し、固定されていない腕で体を抱き締める。滑らかな防護スーツの上から、二の腕をさすった。
大丈夫、怖いことなんてあらへん。自分に何度も言い聞かせながら、すばるは勝手に生じる恐怖と戦っていた。
この作戦で最も重要な役割である、流星のパイロットを命じられたことは光栄だ。これは、とても喜ばしいことだ。
あらゆる面が不完全な流星を補助するのに必要なテクニックや、戦術の才を認められた、ということでもある。
それに、シュヴァルツ工業に貢献出来る。母や自分を支えてくれた企業に対しての、恩返しも出来るのだから。
この作戦が成功して、五色のロボットからプログラムコアを手に入れることが出来れば、未来は約束される。
自分の未来もそうだが、シュヴァルツ工業の未来もだ。新たな技術を手に入れれば、更に事業を拡大出来る。
シュヴァルツ工業には、色々と世話になっている。そして、ただ一人の肉親である父親にも、恩を感じている。
すばるは、母子家庭に生まれた。だが、生活は決して楽ではなく、母親は昼も夜も働き詰めの毎日だった。
いつかお父さんが帰ってくるから、と母親は弱々しく笑って言い、幼かったすばるはそれを素直に信じていた。
自分の父親がどんな男なのかは、すばるは知らない。すばるが生まれるより前に、日本を離れたのだと聞いた。
その時に父親は、いつか帰ってくる、と母親に言い残していたらしく、母親は愚直なまでにそれを信じていた。
だが、すばるが生まれようとも、高校生になろうとも、父親は帰ってこなかった。そのうち、母は体を壊した。
長年の無理が祟って、いくつもの病気を併発していた。それでも入院しようとせず、働いて更に無理を重ねた。
そして、これ以上動けば確実に死んでしまう、という段階になった頃、すばるの説得で母親はやっと入院した。
その時に初めて見た母親の預金通帳には、生活を切り詰めて貯めた多額の金があり、すばるは心底驚いた。
こんなにお金があるのにどうして、とすばるが叫ぶと母親は、あなたのお父さんに会いに行くために、と笑った。
母親の話によれば、父親はずっと遠いところにいるらしい。そして、会うためには何はなくとも金がいるらしい。
母親をそこまでさせるものは父親への愛情なのだと思ったが、同時に、連絡もしない父親への憎しみが募った。
すばるが生まれてから十六年間、手紙はおろか電話の一本も寄越さない。それでも信じる母親が、痛々しかった。
どうにかして父親を連れてきたい、と思う傍らで、会ったらただではすまさない、とすばるは決意を固くしていた。
そんなある日、母親の病室に身なりの良い男が訪れた。数人の人間に脇を固めさせていて、権力者らしかった。
母親はその男を見た途端に、泣き出した。やっと来てくれた、また会えた、と嬉しそうに声を震わせていた。
すばるは、その男が父親だと名乗っても、母親から父親だと紹介されても、すぐに信じることは出来なかった。
父親と名乗った男は、母親の治療費や今後の生活費を全て援助する、高校を中退して就職しろ、と言ってきた。
都合の良すぎる話に、すばるは男を疑った。だが、男が病室を訪れた翌日には、預金口座に金が振り込まれた。
それも、母親が貯め込んだ金よりも二桁も額の多い、とんでもない大金だった。男は、償いだ、とだけ言った。
すばるは、やっとの思いで入学した高校への心残りはあったのだが、ここまでされては逆らえない、と思った。
同時に、きっとこれが父親なりの誠意の形なのだと、今までは与えられなかった愛情なのだと、信じた。
そして、男に言われるがままにシュヴァルツ工業へ就職し、対人型戦闘兵器戦術課に籍を置くことになった。
シュヴァルツ工業は、子供でも名を知るほどの大企業だ。簡単にそこに就職出来たのは、嬉しい限りだった。
対人型戦闘兵器戦術課で何をするのか、最初は解っていなかったが、プログラミング技術などを教え込まれた。
そして、男や上司から説明された。この星を危機に陥れるであろう存在と戦うための、兵器を造る課なのだと。
多数のロボットと戦闘を行っていた謎の五色のロボットや、大破した巨大なロボットなども、その時に見せられた。
シュヴァルツ工業の監視カメラや諜報部員が捉えた戦闘の映像などを見ると、すばるは、純粋に恐怖を感じた。
五色のロボットの戦闘能力もさることながら、その破壊力が恐ろしかった。彼らは、拳だけで分厚い装甲を砕く。
一番体格の小さい、少女のような外見をした黒いロボットも、細い足や小さな拳で、黒い戦車を破壊していた。
それが、恐ろしくないわけがない。彼らは、一旦は姿を消したが、また最近になってどこからともなく現れた。
五色のロボットが最初に出現した三年半前と、全く同じだった。だから、また破壊活動が起きないとも限らない。
シュヴァルツ工業は、それを阻止するために対人型戦闘兵器戦術課や戦闘部隊などを組織し、有事に備えた。
そして、今夜。姿を現した五色のロボットに先制攻撃を仕掛け、撃破しようとしたが、全ての部隊が失敗した。
五色のロボットと行動を共にする人間を狙い、ロボットがその盾になるようにして、逃げられないようにした。
それでも、失敗してしまった。使用した武器が人間相手のものばかりだったので、傷も付けられなかった。
五色のロボットは全て逃亡してしまい、未だに行方を掴めずにいる。だが、襲撃は作戦の第一段階に過ぎない。
第一段階が失敗したなら、第二段階を始めるまでだ。五色のロボットには、通信網があるのが判明している。
電波が微弱なのと特殊な波長であるため、発信源や内容までは掴めないが、彼らは交信を取っているらしい。
研究の結果、その電波に似た電波を造り出すことに成功し、スクラップのロボットから緊急信号も見つけ出した。
それを発信すれば、五色のロボットはそれを捉える。そして、誘き寄せることが出来たなら、第二段階は成功だ。
流星を使うのは、作戦の第三段階だ。誘き寄せた五色のロボットを、一体でもいいから撃破するのが目的だ。

「お母はん」

すばるは、防護スーツの胸元を押さえた。その下に提げているチェーンの先には、飾り気のない指輪があった。
母親は、治療の甲斐もなく、半年前に死んでしまった。この指輪は、母親の質素な持ち物の中にあったものだ。
どこにでも売っているような銀の指輪だったが、あまり身に付けていなかったのか、古そうなわりに綺麗だった。
きっと、これは父親が母親に贈ったものなのだ。母親が指輪を身に付けなかった理由を考えると、切なくなる。
汚れも傷も付けたくないから、大切に保管したのだ。父親と再会する時にでも、付けるつもりだったのだろう。
すばるは、防護スーツの上から指輪を握り締めた。大丈夫、母親も一緒だ。この戦いは、一人なんかじゃない。
だから、怖いことなんてない。




イレイザーは、はっとして顔を上げた。
無線を貫く信号は、現時点では有り得ないものだった。だが、これは間違いなく、部下が発する緊急信号だった。
電波の波長は少々違っているが、何度も何度もシグナルが繰り返され、緊急事態であることを知らせてくる。
発信源は、それほど遠くはない。直線距離にして、ここから三十五キロ先にある、岩石の採掘現場となっている。
だが、有り得るはずがない。このパターンの緊急信号を発するのは、量産型マシンソルジャーだけしかいない。
リボルバーを始めとした五体の兄弟機、カラーリングリーダーと呼称されるリーダー機の信号はこれではない。
量産機との区別を付けるために、周波数を違えてある。それに、兄弟は全て、メンテナンスドック内にいる。
一人も、危険な目に晒されていない。だから、この緊急信号を発するはずがない。だが、現に、感受している。
明らかに、これは罠だ。有り得ない状況で有り得ないものが発信されている場合の九割は、敵の策略なのだ。
大型モニターを見上げていたイレイザーの背後に、重たい足音が近付いてきた。長兄、リボルバーだった。

「んで、どうするよ、シャドウイレイザー。罠なのは間違いねぇが…」

イレイザーは側頭部に接続しているケーブルを外さぬまま、背後の長兄に横顔を向けた。

「拙者達の指揮官は、今も昔も赤の兄者でござる。最終的な判断は、赤の兄者にお任せいたそう」

二人の背後には、他の兄弟達もやってきた。クラッシャーは重力場を弱めて浮かび上がり、兄達を見下ろす。

「どうするの、リボルバー兄さん」

「ここは、お誘いに乗ってやるしかねぇだろう。オレ達の選択肢は、それしかねぇ」

リボルバーは、兄弟達をぐるりと見渡した。

「敵の思い通りに動くのは癪に障るが、そうでもしなきゃ、状況を動かせねぇんだよな」

ディフェンサーは両腕を組み、マリンブルーの瞳を吊り上げる。兄弟達の背後で、インパルサーが足を止める。

「敵の戦略は、非常によくあるパターンです。緊急信号で誘き寄せるなんて、古典の極みです」

「ああ。よくあるパターンだが、だからこそ引っ掛かる」

リボルバーは太い顎に手を添えて、指先でさすった。片目のオレンジのゴーグルの下で、目元を歪める。

「どうにも、すっきりしねぇんだ」

「青の兄者がスキャニングしてきた映像から、また新たな情報を得られたので、追加の報告でござる。拙者の分析によれば、あの機体には遠隔操作ユニットが装備されていることも確認出来たのでござる」

イレイザーは、無線の発信源を映し出している映像を、先程のスキャニング映像に切り替えた。

「若干のタイムラグは生じるかもしれぬが、十二分にマシンソルジャーを操れる出力を備えた無線機が内蔵されているのでござる。その上で、内部にパイロットを収めるというのは、非効率的極まりないのでござる」

「パイロットシート内の操作ユニットは?」

リボルバーが尋ねると、イレイザーは少し唸る。

「それが…。拙者の解析が不充分なのかもしれぬが、なにやら配線が不完全のように思えるのでござる」

インパルサーは、再び寝入った由佳に振り返る。

「由佳さんの心配が、当たっていなければいいのですが」

「だが、由佳の言ったことが当たってたとしたら? 中身の人間が、パイロットじゃなくて人身御供だとしたら?」

ディフェンサーが、兄弟達を見上げた。

「そうだとしたら、非殺傷プログラムのプロテクトに引っ掛かっちまって、緊急停止モードに入っちまうかもしれねぇ。そうなっちまったら、動作に少しだがタイムラグが起きちまう。隙が出来ちまうってことだから、下手をしたら追い込まれちまう可能性だってないわけじゃねぇ。リボルバーの兄貴、プロテクトのレベル、下げておいた方が良くねぇか?」

「いや、下げねぇ。それだけは、何がなんでもやっちゃあならねぇ」

リボルバーは、首を横に振った。クラッシャーは小さな拳を固め、頷く。

「そうだよ! 私達は、人殺しの道具なんかじゃないもん!」

「ええ。非殺傷プログラムのプロテクトを弱めた状態で、リミットブレイクしてしまったら、それこそ大事です」

インパルサーは、己の手を見つめる。

「この手で人を殺すことだけは、絶対に避けなくてはなりません」

「言ってみただけさ。オレだって、下衆野郎の血に汚れたくなんてねぇ。律子が、怒るからな」

ディフェンサーは、壁際で眠っている律子に目線を向けた。リボルバーは、にやりと口元を上向ける。

「んじゃ、決まりだな。プロテクトのレベルは現状維持、エモーショナルリミッターのレベルも最大で行こうぜ」

「フォーメーションはどうします、シャドウイレイザー?」

インパルサーは、大型モニターを背にしたイレイザーにゴーグルを向ける。四男は、組んでいた腕を解く。

「いつものやり方で充分でござろう。だが、相当な手加減は必要でござるよ。戦闘が避けられれば一番良いのでござるが、先程の様子からすれば、それはまず無理でござろう。だが、それでも、拙者達の方からは敵意を示さぬようにせねばならん。双方が歩み寄って話し合いの場を持つことが出来れば、これ以上の無用な戦闘は避けられるやもしれぬのでござるからな。といっても、そうなる可能性は、00.1よりも低いでござるが、可能性は捨てられぬ。もしも、という場合も考慮しておくのが、拙者の役割でござる」

「じゃ、さっさと行こうぜ。夜が明ける前にカタを付けねぇと、律子が帰れなくなっちまうからな」

連休だからこっちに戻ってきただけなんだよ、とディフェンサーは物悲しげにした。せめて、別の日であったなら。
だが、悔やんでも始まらない。彼らは出撃するべく、メンテナンスドックの出入り口のエレベーターに向かった。
その姿を、神田は眺めていた。一睡も出来ないまま、今は動くことの出来ない相棒、ナイトレイヴンの傍にいた。
三年前の戦いでは、戦うことが出来た。今にして思えば無謀極まりない行動だったが、それでも結果は良かった。
しかし、今回はそうはいかない。相手がれっきとした人間で、この星の存在である以上、下手なことは出来ない。
戦った後の結果を考えてしまう自分も、躊躇いを持つ自分も、肝心な時に役に立てない自分も、腹立たしかった。
だが、どうにも、出来なかった。





 


06 9/20