手の中の戦争




シューティング・スター



更に、三ヶ月後。二体のロボットが起動する日が、やってきた。
人型兵器開発研究室の中心には、全身に銀色の装甲を纏ったロボットが並んでおり、ケーブルが繋がっている。
兄弟が入っている超強化ガラス製の保護ボックスの周辺では、研究員達が忙しなくキーボードを叩いている。
鈴音は、保護ボックスを撫でた。その奧で眠る二体のロボットを見つめていたが、振り返り、鋭く声を上げた。

「六号機、七号機、起動開始準備!」

了解、と研究員達から一斉に声が上がる。すばるは鈴音の真後ろから保護ボックスを見ていたが、作業に戻った。
懸命に組み立てた人格形成プログラムにエラーが起きていないか、入念に確かめながら、作動させていく。
思考回路、通電開始。思考プログラム、第一段階作動、第二段階作動、第三段階作動、第四段階作動、成功。
感情回路、通電開始。エモーショナルプログラム、第一段階作動、第二段階作動、第三、第四、作動、成功。
メインメモリー、サブメモリー、正常に稼働開始。視覚センサー、聴覚センサー、対人センサー、全て正常。

「十九時二十八分十七秒、六号機、起動しました」

研究員の一人が、鈴音に報告した。六号機、南斗のダークレッドのバイザーに光が宿り、ぎっ、と指先が動く。

「十九時二十八分三十二秒、七号機、起動しました」

間を置いて、更に報告があった。鈴音は研究員達に頷いてから、保護ボックスに顔を寄せ、二体に声を掛ける。

「おはよう、南斗。おはよう、北斗」

南斗のバイザーの光が強まり、北斗のダークブルーのゴーグルの光も輝く。二人の顔が、鈍い動作で上がった。
真正面に立つ鈴音を認識したのか、ぎゅいっとスコープが狭められる音がした。二体は、鈴音を凝視している。
ゆっくりと南斗の口が開き、動いた。言葉と上手く連動しておらず、ぎこちなかったが、彼は言葉を発した。

『自己認識回路、正常稼働。自己認識完了。対人センサー、正常稼働。スズネ・タカミヤ、認識。データ検索、データ照合開始、データ照合確認。確認完了』

『自己認識回路、正常稼働。自己認識完了。対人センサー、正常稼働。スズネ・タカミヤ、認識。データ検索、データ照合開始、データ照合確認。確認完了』

南斗に続き、北斗が全く同じ声色で言った。鈴音は、二人に向けて笑う。

「ええ、そう。私があなた達の作り手。目覚めはいかが?」

『…良好。不具合は見つかりません』

北斗が答えると、鈴音は首を横に振る。

「あなた達が考えた言葉で喋りなさい。命令よ」

『命令、認識』

南斗のバイザーが、一度点滅する。北斗のゴーグルも、同じく点滅する。

『命令、認識』

それから、しばらく間があった。数分間の沈黙の後、南斗が先に言った。

『おはようございます、所長。ずっと、会いたかったです』

北斗が、兄に続けた。

『あなたや他の方々の存在は、情報として認識していましたが、それだけでした。だから、私達は、とても嬉しい』

「ええ、私もよ」

鈴音はこの上なく嬉しげに笑み、二体を覗き込んだ。

「あなた達に会えて、とても嬉しいわ」

二人の銀色の口元が、僅かに上向いた。その途端、研究員達は飛び上がらんばかりに狂喜し、歓声を上げた。
口々に喜び合い、目を輝かせて大騒ぎしている。普段は落ち着いている研究員も、今ばかりははしゃいでいる。
人型兵器研究開発室は、物凄い騒ぎになった。中でも一番喜んでいるのが鈴音で、子供のように跳ねている。

「ありがとう、本当に、皆、ありがとう!」

鈴音は手近にいたすばるの手を取り、振り回した。目元には涙すら浮かんでいて、頬の色は紅潮している。
すばるも、嬉しいことは嬉しかった。だが、本当にここにいていいのか解らず、心からは喜べていなかった。
三ヶ月前。すばるは、シュヴァルツ工業に背を向けた。父親の意のままの存在であることに、疑問を持ったのだ。
それからはシュヴァルツ工業とは一切の接触を断ち、鈴音に全てを告白し、謝罪し、心情を吐き出した。
父親のこと、母親のこと、自分自身のこと。途中からは、訳も解らなくなるほど話し続け、ただ泣いていた。
シュヴァルツ工業のやり方には納得出来ないが、方針は間違っていないと思うことも、全てを鈴音に言った。
鈴音を殺せと言われたことも、何もかも。鈴音は、それをじっと聞いていた。すばるが落ち着くまで待っていた。
すばるが平静を取り戻してから、鈴音は言った。これからあなたはどうしたいの、間宮さん、とだけ一言。
てっきり、断罪されて責められるのだと思っていたすばるは、戸惑った。裏切った後のことは考えていなかった。
シュヴァルツ工業には戻れない。高宮重工にも居続けられないだろう。だが、どこへ行くべきか、解らない。
自分には、帰るべき場所も行くべき場所もない。父親との関係を断ち切ったのだから、もう、親子などではない。
高宮重工に対しては、罪を犯した。重大な機密情報を、何度も盗み出してしまった。申し訳なくて、たまらない。
でも。プログラマーの仕事は、好きだった。シュヴァルツ工業でしていた頃よりも、ずっと楽しくて仕方ない。
それを漏らしたら、鈴音は言ってくれた。私もあなたの有能さは知っている、このまま手放すのは惜しい、と。
そして、すばるは鈴音のおかげで第一研究所に、正式名称人型兵器研究所に在籍し続けることとなったのだ。
目の前の鈴音は、普段の冷静さなど窺えないほど歓喜している。感極まったのか、すばるを抱き締めてきた。
慣れない他人の感触に、すばるはぎょっとしそうになったが堪えた。動揺と混乱を感じて、目を彷徨わせる。
本当に、いいのだろうか。シュヴァルツ工業を裏切ったとはいえ、心の奥底には、父親への未練が残っている。
だから、鈴音の好意が心苦しかった。父親が再び近付いてきてくれたなら、高宮重工を裏切るかもしれない。
所詮、裏切り者は裏切り者なのだから。


自分の作業を終えたすばるは、仮眠室で眠っていたが、目を覚ました。
窓の外は真っ暗で、時計を見れば深夜だった。涙で潤んだ目を擦りながら、ぼんやりとベッドに座り込んでいた。
いつのまにか、涙が流れていたらしく、目元には痕が付いている。それを拭っていると、幼い頃を思い出す。
母親は早朝から深夜まで働いていたから、朝起きたら既に母親はおらず、夜寝る時も一人きりだったことを。
無性に、悲しくて、やるせなくて、情けなくて、どうしようもなくなった。精一杯声を抑えて、泣きじゃくった。
ひとしきり泣いて、ようやく涙が落ち着いた頃、窓の外に影が見えた。山中に有り得るはずのない、鮮烈な赤だ。
見覚えがある、とすばるが窓に近寄って中庭を見下ろすと、真紅の巨体が立っていて、こちらを見上げていた。

「よう」

思わず、すばるは窓の傍から飛び退いた。あの時の声だ。あの時のロボットだ。あの時、戦うはずだった相手だ。
いや、違う。今はもう、敵じゃない。すばるはそう思い直して、深呼吸を繰り返してから、恐る恐る外を見た。

「スズ姉さんからオレの息子共が目ぇ覚ましたっつう連絡があってよ、来ちまったんだ」

両肩に弾倉を載せた重量感溢れるマシンソルジャー、レッドフレイムリボルバーが親しげに笑った。

「あんたとは、二度目だな。オレぁよ、あんたとちぃと話がしてぇんだが」

「…うちと?」

すばるがか細く呟くと、リボルバーは頷いた。

「おう」

「そやけど、うち、昔、あんさんのこと…」

すばるが申し訳なさで泣きそうになると、リボルバーは自身の強靱な胸装甲を叩いた。

「あんなん、別にどうってことねぇよ。とりあえず、下に来てくれねぇか」

「そ、そやけど、ええの? うち、そんな、あんさんに会ってもええほど偉いっちゅうわけやないしぃ」

すばるが躊躇うと、リボルバーはさも可笑しげに笑い声を放った。

「だからどうだってんだよ! オレは高宮重工に技術提供はしてるが、社員でもなんでもねぇよ。オレはただ、愛するスズ姉さんのために身を捧げてるだけに過ぎねぇ。オレの分身みてぇなマシンソルジャーを造ってくれたあんたらには、むしろ、会って感謝してぇのさ。その辺もあるから、オレはあんたと話してぇんだよ」

すばるは渋っていたが、リボルバーともう一度接してみたいと思ってもいた。彼らが、助けてくれたのは確かだ。
スクラップで出来たロボット、流星リュウシンから脱出させてくれた。だが、あの時は動揺でインパルサーを撃ってしまった。
その申し訳なさが残っていたから、間近に接してはいけないような気がした。しかし、謝るべきだ、とも思う。
すばるは、意を決した。謝るぐらいなら、してもいいだろう。彼らの味方には、決して、なれることはないが。
そっちに行きます、とすばるはリボルバーに言ってから、窓を閉めて仮眠室を出て、急ぎ足で中庭へ向かった。
自分は、とても情けない人間だ。父親に怯えて、母親に縛り付けられて、それでも己の意思を押し殺していた。
高宮重工には感謝している。だが、今もまだ、信頼されていない。そんな人間を、彼は、助けてくれたのだ。
そして、生かしてくれた人だ。


中庭は、夜間照明で眩しく照らされていた。
青白いサーチライトの光が重なった中心に、レッドフレイムリボルバーが立っていた。滑らかな塗装が、光る。
左目を覆うオレンジ色のゴーグルに、表情を硬くしているすばるが映る。その奧で、ライムイエローの目が笑う。

「スバルさん、だったか」

「あ、はい。リボルバー…はんでよろしいでっか?」

すばるがおずおずと返すと、リボルバーはにいっと口元を広げた。

「別になんだっていいさ」

「あ、あのう」

すばるが声を掛けようとすると、リボルバーは太い親指を立てて夜空を示す。

「シュヴァルツん連中には感知されてねぇから、安心してくれ。あれからオレらも、オレらなりに改造を施したからな。だから、滅多なことじゃ見つからねぇだろうし、ここは自衛隊も守ってくれている。余計な心配はすんじゃねぇぞ」

「そや、なくて…」

すばるは上着の裾を握り締め、目線を落とした。小さく、言葉を絞り出す。

「その、昔は、ホンマに、ごめんなさい。うち、なんや、ダメな女で、言い訳するわけやないけど、お父はんとお母はんの言うこと聞くしか能がなくて、それで、シュヴァルツん中で気張ればお父はんがうちを認めてくれるんちゃうんかな、なんて思ってて、それで、流星なんか操縦して、ほんで、あんさんらに向かって攻撃なんてしてしもて…。後から考えたら、ホンマ、アホな話で、うちらがあんさんらに勝てるはずなんてないし、勝とうなんて思う方がおこがましいっちゅうか、その、えと、えらいすんまへんでした!」

言いたいことが上手くまとまらず、すばるは頭を下げた。また出てきた涙が、ぼたぼたとつま先の上に落ちた。

「顔、上げてくれや」

リボルバーに促され、すばるは上体を起こした。リボルバーは、悲しげに口元を歪めていた。

「本当に謝らなきゃならねぇのは、オレらだ。オレらさえいなきゃ、あんたはそんな目には遭わなかったんだからよ」

けどよ、とリボルバーは表情を和らげた。

「本当に、感謝してるんだせ。スズ姉さんに付いてきてくれてよ」

「感謝するんは、所長はんの方ですがな。うちは、ただ、拾われてもろただけで」

すばるが首を横に振ると、リボルバーは研究棟を仰ぎ見た。高宮重工のエンブレムが、一際目立っている。

「オレ達ぁよ、本当に、ろくでもねぇ連中だったのさ」

独り言のように、リボルバーは言った。

「銀河の反対側の宇宙で、大暴れしてたんだ。マシンやら宇宙船やらを壊しまくって、挙げ句の果てに、惑星もいくつか壊しちまった。そんなに大きかぁねぇ星だったけどな。思い出すだけで、うんざりする。戦いが終わったと思ったらまた次の戦いに放り込まれて、壊して、壊して、壊しまくってた。オレ達には、それしか生きる道がなかったからさ。親父、っつうか、マスターコマンダーっつうろくでもねぇサイボーグの野郎に縛り付けられていたから、逆らうに逆らえなくってよ。だが、そのマスターコマンダーも、今じゃ七百年の冷凍刑だ。オレ達は自由になった。だから、またこの星に戻ってきたんだ。スズ姉さんに会うためによ」

きつい印象のあるライムイエローの目が、細められる。

「その挙げ句が、この様だ。何度後悔したか、解らねぇ。けどよ、姉さんは、そんなオレらを肯定してくれたんだ」

リボルバーは、分厚い胸装甲に黒い装甲を持った大きな手を乗せた。

「オレらの持ってきた技術を使って、この星の役に立つマシンソルジャーを二体も造ってくれたんだ。傍から見りゃ、ただの我が侭なお嬢さんにしか見えねぇだろうし、オレもちったぁそう思う。けど、その我が侭に付き合ってくれて、本当にありがとな。オレは、嬉しくって仕方ねぇ。スズ姉さんの気持ちも、あんたらの心意気も、何もかもが」

「そやけど、うち、高宮ん情報とあんさんらの情報、シュヴァルツに流してしもて…」

感謝されるはずない、とすばるが顔を背けると、リボルバーはすばるの前に近付いてきた。

「それがどうしたってんだ。それとこれとは関係がねぇさ。確かに、あんたのやっちまったことは良くねぇかもしれねぇが、あんたはスズ姉さんの下で立派に働いてくれた。南斗と北斗を目覚めさせてくれた。感謝しねぇわけがねぇ」

「でも」

「マシンソルジャーは、もう二度と戦わねぇ」

強い口調で、リボルバーは言い切った。

「南斗と北斗は、もうオレらの手から離れた。あんたらが育てていく、あんたらの子供みてぇなマシンソルジャーだ。どうか、根性の据わった強ぇ戦士にしてやってくれ。だから、そのためにも研究して、オレらの持ってきた技術をこの星を良くするために使ってやってくれ」

すばるが上目にリボルバーを見上げると、その面差しは穏やかなものとなっていた。

「安心してくれや。オレらは、もう誰とも戦わねぇ。オレ達の手からは、危険は生み出さねぇよ」

これは、嘘などではない。人間よりも人間らしい態度のリボルバーの言葉からは、誠実な思いが、滲み出ていた。
戦闘兵器とは思えないほど、彼は優しい表情をしていた。鈴音への愛情と、強固な覚悟から生まれたものだった。
すばるは素直に、鈴音が羨ましいと思った。たとえロボットでも、ここまで思ってくれている相手がいるのだから。
ん、とリボルバーが研究棟の裏口に向いた。裏口の扉を開いたのは、ワンピースに白衣を羽織った鈴音だった。

「ボルの助。あの子達、順調よ。今のところ、問題はないわ」

鈴音が屈託なく笑うと、リボルバーは満足げにした。

「そりゃあ良かったぜ。あいつらがどんなマシンソルジャーになってくれるか、楽しみだな」

「ほんなら、うちはこれで」

すばるは二人に頭を下げて、立ち去ろうとした。それを、鈴音が引き留める。

「待って、間宮さん」

「あ、はい…」

仕方なく、すばるは足を止めた。鈴音は足早に近寄ってくると、すばるの前に立つ。

「あなた、自衛隊に行く気、ない?」

「はい?」

あまりにも唐突な言葉に、すばるはきょとんと目を丸くした。鈴音は、少し切なげに細い眉を下げた。

「南斗と北斗は二ヶ月後に陸自に引き渡さなきゃならないんだけど、ロボットを造るなんてこと私達も初めてだから、現場で何が起こるかなんて全く予測が付かないのよ。だから、現場でも働いてくれる人がいないと困るのよ」

「せやけど、所長はん。そういう大事な役目やったら、うちみたいな裏切り者は使わん方がええですよ」

すばるが目線を逸らすと、鈴音はすばるを向き直らせた。すばるは、鈴音を正視出来なかった。

「うち、ホンマはまだ、お父はんに気持ちが残っとって…。所長はんに優しゅうされて、ホンマにありがたいって、高宮に付いていくべきやって思うとるんやけど、それでもどこかにお父はんが残っとって。シュヴァルツんやっとることは間違いだらけやけど、マシンソルジャーが恐ろしいって思うたのは本当で、シュヴァルツが言うとることの根の部分は正しいなぁって思うてて、でも、高宮ん方が好きかもしれへんって…。すんまへん、なんや、もう、ダメや」

「間宮さん」

鈴音は、すばるを真正面から見下ろした。

「私は、あなたの実力を買ったからこそ自衛隊に行ってもらいたいの。どうしても行きたくないって言うのなら、無理強いはしないわ。間宮さんの意思で決めて。だって、間宮さんの人生なんだから」

「うちの?」

「行けるものなら、私が行きたいくらいよ。あの子達がどんなふうに活躍するのか、傍から見ていたい」

でもね、と鈴音は一度リボルバーを見上げ、再びすばるに目線を戻した。

「私達の研究はまだ始まったばかりだから、私はここから離れられないの。だから、間宮さんにお願いするのよ」

すばるが黙っていると、鈴音は腰を屈めてすばると視線を合わせる。

「色々と考えたいこともあるだろうから、一度、ここから離れた方が整理が付けやすいと思うの。それに、自衛隊の駐屯地にいた方が、ここにいるよりもずっと安全だわ。だって、あっちは国家権力が守っているんだから」

答えようにも、定まらなかった。困惑して俯いていると、鈴音はすばるから離れ、笑んだ。

「すぐに決めなくてもいいわ。どうするか決めたら、言ってちょうだいね」

「おう。自分のことは、自分で決めねぇとどうしようもねぇからな。姉さん、オレはあいつらのツラぁ拝んでくるぜ」

リボルバーはすばるに言い残してから、研究棟に向かって歩き出した。鈴音は、001と書かれた背を追う。

「あんまり変なこと教えたりしないでよね? 南斗も北斗も、メモリーが真っ新の赤ん坊なんだから」

んなこたぁ解ってるさ、と心外そうにリボルバーはむくれている。鈴音はリボルバーに、しきりに喋っている。
文句も混じっていたが、彼女の横顔はいやに嬉しそうだった。久々に恋人に会ったような、そんな雰囲気だ。
どうやら、思いを寄せているのはリボルバーだけではないらしい。ますます、すばるは鈴音が羨ましくなった。
自分の人生。今まで、そんなものはあるようでなかった。ただ、振り回されて、いいように扱われていただけだ。
シュヴァルツ工業に関わってから、自分の意思で物事を決めたことなんてあっただろうか。一度も、なかった。
というより、自分の意思なんて通らないのだから、と諦め切っていたから、意思を最初からないものとしていた。
だが、意思はある。人形ではないから、父親に背いてシュヴァルツ工業を裏切り、母親の願いを否定している。
ならば、これから先は、自分で決めていいのだ。だったら、手始めに、これからの仕事を選んでもいいだろう。

「所長はん!」

すばるが呼び掛けると、鈴音とリボルバーは揃って振り向く。すばるは、思い切り声を上げた。

「うち、自衛隊に行かしてもろてもええですか!」

「ええ、もちろん」

振り返りながら、鈴音は頷いた。すばるは得も言われぬ感覚を味わっていたが、深々と頭を下げた。

「ほな、おやすみなさい!」

あまりに急いで二人に背を向けたので、転びそうになりながらも、すばるは感情の高ぶるまま駆け出していった。
ただ、自分の意思を言って受け入れてもらえただけなのに、独りでに笑みが零れてしまうほど嬉しくてならない。
中庭から出たが、仮眠室にも宿舎にも戻る気にはなれなかった。こんなに気分が良いことは、初めてだった。
すばるは息を弾ませて立ち止まり、夜空を見上げた。今まで下ばかりを向いていたから、見たことはなかった。
闇の深さと星の多さに、圧倒された。この研究所に長くいるのにまともに見ていなかったのが、悔やまれた。
星空は、無限大に広く、底がない。こんなにも広い場所にいたのに、あんなにも狭い中に閉じ籠もっていた。
これからは、もっと広い場所に出られる。自分自身の意思を固く据えて、己の信じた道を、ひたすらに進もう。
もう、迷いはしない。


星は、天を往く。







06 10/2