手の中の戦争




エンドレス・デイズ



限りなき、愛しき日々よ。


書き終えた報告書から顔を上げ、神田は安堵のため息を零した。
これで、やっと帰れる。昨夜の任務は順調に進んだのだが、事後処理が早朝三時半まで掛かり、完徹だった。
任務内容は身分を偽って入国した武装グループの摘発という、いつものものだったが、敵も兵器を持っていた。
手狭な雑居ビルの奧に、センサー妨害用特殊加工シートを被せられて押し込められていたので、発見が遅れた。
そのシートの中に隠されていた、シュヴァルツ工業製人型戦闘兵器と交戦する羽目になり、任務が長引いた。
敵が自身と同型機だったため、グラント・Gがいつになく張り切って戦い、左腕のデストロイドリルを発射した。
その攻撃で、敵の機体は一撃で大破したのだが、エンジン部分と燃料タンクが破損し、大爆発を起こした。
戦闘自体は程なくして終了したのだが、グラント・Gが不用意に引き起こした大爆発のせいで騒ぎになった。
任務を行っていた場所は、繁華街に程近い雑居ビルだったので、消防や警察の車両が凄い勢いでやってきた。
なるべく目立たないように行動していたのに、全てが無駄になった。撤退しようにも、人が多すぎて無理だった。
仕方なく、ほとぼりが収まるまで、特殊機動部隊の隊員達はクワイエットエアプレーンの中で待機していた。
その間、グラント・Gは朱鷺田や礼子にこってり叱られていた。調子に乗るのも程々にしろ、と、きつく言われた。
グラント・Gは最初はしおらしくしていたが、次第に泣き声を漏らし始め、泣き叫んで二人の兄に縋り付いた。
その時に彼女が発していた、brother,brother 、という激しい叫び声が未だに頭に残っていて、がんがんしている。
さすがに、北斗も南斗もグラント・Gをフォローすることはしなかったが、泣き喚く妹を二人で宥めていた。
兄達と同じように、グラント・Gの人工知能が成長したのはいいことだが、感情の起伏が激しくなってしまった。
アメリカ育ちだからオーバーリアクションなのは仕方ないとしても、激しく泣くようになったのは少々困りものだ。
以前は、笑いはするが、それ以外の感情は表さなかった。というより、感情の起伏そのものが少なかった。
シュヴァルツ工業から買い取った際に、過去の記憶を全て失ったため、感情のパターンデータも大幅に減った。
それが、特殊機動部隊の隊員達と触れ合っているうちに新たに感情が形成され、ここ数年で補完された。
それ自体は素晴らしいことだが、彼女は感情表現の方法が過激すぎる。笑い声も大きいが、泣き声もまた大きい。
神田は、事務室の隅で拗ねるグラント・Gに目を向けた。左腕のドリルは、爆発の際に破損したので、今はない。
音声に変換していない電子音を漏らし、壁に向かって愚痴をこぼしている。人間ならば、膨れっ面なのだろう。

「言い過ぎたのかな」

神田の斜め前の机で報告書を書いていた礼子が、グラント・Gに目をやった。その隣で、北斗が苦笑いする。

「自分も、あれはグラント・Gが悪いと思うのであるぞ」

「グラントシリーズの機体だったら、普通、頭部から破壊しね? それを、土手っ腹突き破っちまうなんてさぁ」

神田の隣の机に座っている南斗も、マジ有り得ねー、と引きつった笑みを浮かべている。神田は頷く。

「グラントはデストロイドリルをミサイルと勘違いしている節があるよなぁ」

「あれは単なる推進機能が付属したドリルに過ぎないのであるからして、ミサイルなどではないのだ」

うむ、と北斗が深く頷くと、礼子は頬杖を付き、ボールペンをくるくると回した。

「ドリルは、あくまでもドリルなんだよね」

朝方の弱い日差しを浴びる礼子は、夜通しの任務と大騒ぎで疲れているらしく、少々不機嫌そうだった。
神田の真正面、すなわち礼子の背後にある窓から見える駐屯地内はひっそりとしていて、自衛官の姿はない。
これで、あと二三時間もすれば、基礎訓練を行う自衛官の掛け声で満たされるが、今ばかりは静かだった。
あふ、と礼子は欠伸を噛み殺した。眠たげな目をしているが、普段もそんな感じなのであまり変わらない。
神田は報告書をまとめて、とん、と揃えた。礼子は報告書の書面を睨み付けて、ボールペンを走らせている。
この姿だけを見れば、彼女が主要戦力だとは思えないだろう。小柄で童顔なので、二十歳には見えない。
だが、彼女は確かな実力を持っている。鍛えれば鍛えるほど力を付け、向上心も忘れない、優秀な兵士だ。
礼子は、体格も小さければ骨格も細いが、それを補うために筋力を上げて、それなりに体重も増やした。
パワードアーマーを身に付けて戦うことは、決して容易いことではない。だが、礼子は、身軽に戦っている。
そこに至るまでの苦労を、神田はよく知っている。最初に造られたパワードアーマーは、かなり重かった。
装甲の厚みで防御力はあるが、身に付けたら動けなくなってしまうほど重く、ただの鉄塊に過ぎなかった。
最初にパワードアーマーを着て行った訓練では、礼子は五分と持たなかった。重量と、通気性の悪さのせいだ。
高宮重工が改良型を造るまでの間、礼子はその重たいだけのパワードアーマーで、黙々と訓練を続けていた。
持久力も筋力も付くかもしれないが、装甲自体が重たすぎるので、体を動かすと自然と装甲が当たってしまう。
そのせいで、礼子の手足には痣が絶えず、痛々しかった。それでも、礼子は訓練を続けた。ただ強くなるために。
朱鷺田や神田は、そこまでしなくてもいい、と言ったのだが礼子は譲らず、私の仕事ですから、と言った。
しかし、やはり辛いものは辛いらしく、礼子が声を殺して泣いている様を見たのは一度や二度ではなかった。
それでも、礼子は踏ん張った。そして、改良されたパワードアーマーを付けて行った訓練では、成果を上げた。
改良型は以前のものより、数倍軽かった。礼子は武装を付けていない時のような動きで、身軽に戦っていた。
敢えて重たいパワードアーマーで訓練を行っていたのは、装甲を付けた状態と重みに慣れるためだったのだ。
無論、彼女の努力はそれだけではない。様々な努力を重ねた結果、北斗と南斗と共に戦えるほどになった。
礼子は、元から戦闘の才能があったわけではない。ひたすらに努力し、鍛え、そして得たのがあの強さだ。
神田は近頃、彼女と戦ったら負けるだろう、と確信している。実力の差もそうだが、位置付けが変わったからだ。
特殊機動部隊のオペレーターであったすばるが、結婚して前線から退いたため、その穴埋めが必要だった。
だが、すばるの穴埋めに相応しい人材は、見つからなかった。その間にも、部隊には任務が下されていた。
オペレーター不在では任務が行えない、かといって新しい人材もいない、ということで、神田が指名された。
最初は、ただの繋ぎでしかなかったはずなのだが、未だに新しいオペレーターは見つかっていなかった。
礼子が主要戦力と成り得る兵士へと成長したことも重なり、そのまま、神田はずるずると後方支援を続けた。
これでいいのかと迷う時もあったが、今ではいいだろうと感じている。どちらも、重要な位置付けだ。
最前線で銃を持って戦うことだけが、戦闘ではない。戦闘員達へ的確に指示を送るのも、立派な任務だ。
だが、仕事はオペレートだけではなく、隠密行動用静音飛行機、クワイエットエアプレーンの操縦もある。
なので、この頃は専らクワイエットエアプレーンの操縦訓練ばかりをしていて、戦闘訓練が減ってしまった。
一般の自衛官とは遜色はないが、特殊機動部隊内で考えれば訓練不足だ。だが、それは、仕方ないことだ。
最前線を担う、北斗ら三機の戦闘兵器と礼子をしっかりと援護してやらなければ、肝心な時にやられてしまう。
不意に、甲高く耳障りな電子音が止まった。壁に向かっていたグラント・Gはキャタピラを動かし、後退した。

I was correct!オレは正しかったんだ

愚痴をこぼすのを止めたグラント・Gは、事務室内を見渡した。

「オレハタダ、Duty ヲ Quick 終ワラセタカッタダケナンダヨ! アレハタダノ Mistake ダ!」

「派手すぎるミスだがな。グラント、お前も始末書を書け。但し、印刷じゃなくて筆記だ。後で処分も言い渡す」

朱鷺田は引き出しを開け、その中から始末書を一枚出して、彼女に向けた。グラント・Gは、大袈裟に仰け反る。

「Oh my god! ソレダケハ勘弁シテクレヨ、オレハ Writing ダケハ very very very Unskillfulness ナンダ!」

「練習になる。書け、命令だ」

朱鷺田がグラント・Gを見据えると、グラント・Gは仕方なく朱鷺田に近付いた。

Yes,captain了解、隊長........」

「そうだぞーG子、字はちゃんと書けないとダメなんだぞー」

南斗がにやけたのを見て、北斗が頷いた。

「うむ。お前の手ではやりづらいかもしれぬが、自分達は学習して経験を得ることによって自己進化を行う人工知能だ。慣れれば、お前の手でも上手く字が書けるようになるはずだ」

「ジャア、兄貴共ノ筆記プログラムヲ Download サセロヨ! ソノ方ガ It is quick ダゼ!」

グラント・Gは、朱鷺田から受け取った始末書をびらびらと振り回した。南斗は、首を横に振る。

「ダメダメダーメー。そんなの、ただのずるっこだぜ。オレ達は自分でなんとかしなきゃいけないの」

「訓練や実戦での経験を積み重ねてこそ、自分達は真価を発揮出来るのだ。どんなに些細なことであろうとも、己の力で己を向上させるための努力を怠ってはいかんのだ!」

やけに偉そうに、北斗は胸を張った。礼子は、北斗を横目にちらりと見る。

「へぇ。だったら、この間、私にドラクエのセーブデータを貸せって言ってきたのはどうしてなの?」

「あっ、あれは、北斗の馬鹿が変なところで詰まっちゃったからで! マジどうしようもなくなっちまったから、礼ちゃんのセーブデータを参考にしようって思って、それだけなんだぜ礼ちゃん!」

変に慌てた様子で、南斗が身を乗り出して礼子に寄った。北斗も、礼子に詰め寄る。

「そ、そうなのだ! 決して、落雷による停電でセーブデータがリセットされてしまったのでそれを一からやり直すのが面倒というわけではなく、倉庫の中から攻略本を探し出すのが億劫だというわけでもない! 信じてくれたまえ、礼子君! 本当なのであるからして!」

「エスタークは無限に出てくるからそれだけはやってもいいけど、それ以外はダメだからね」

嫁はビアンカが良いの、と礼子は付け加え、再び報告書を書く作業に戻った。北斗は、少し不満げにする。

「う、うむ…」

「小学生かよ」

一連のやり取りを見ていた朱鷺田が、項垂れて額を押さえた。

「お前らの実年齢は小学生だが、人工知能の設定は成人のはずだろうが。何がどうなって、そうなるんだか」

「そりゃオレらの方が知りたいっすよー。マジで訳解んねーんだもん」

南斗は、自分の席に座り直した。子供そのものの言い方に、神田はつい笑ってしまった。

「これなら、うちの子の方がお前達よりも成長が早そうだ」

神田は、机の隅に飾ってある写真立てに目線を落とした。その中には、小さな娘を抱いた妻の写真が入っている。
神田とすばるの間に生まれた娘、翼が二歳頃に家族で遠出した時に撮影したもので、背景はコスモスの花畑だ。
すばるはこちらを向いて笑っているが、翼は他のものに興味を示しており、カメラの方に向いていなかった。
翼はどちらかと言えば父親似だが、目鼻立ちはすばるに近いものがある。最近では、良く喋るようになった。
住んでいる場所は東京でも、母親のすばるが常に関西弁で喋っているので、翼も怪しい関西弁を使っている。
その辿々しい言葉が可愛らしく、また、愛おしかった。出来ることなら、もっと長い時間、妻子の傍にいたい。
だが、任務がある以上、それは無理だ。去年の翼の二歳の誕生日は、数日間に渡る任務のせいで帰れなかった。
なので、今年の誕生日は、本人以上に楽しみにしていた。子供が生まれてから、自分でもかなり変わったと思う。
結婚した当初は、別に子供はいなくても良いのでは、と思っていた。神田もそうだが、すばるも忙しい人間だ。
特殊機動部隊は他の部隊とは役割が違う上に、人員がかなり少ないので、長期間の休みは絶対に取れない。
神田はそんな部隊の隊員で戦闘員でもあり、すばるは高宮重工の人型兵器研究所に所属するプログラマーだ。
どちらも、お互いの忙しさは良く知っている。だから、結婚もしないでおこうか、という相談もしたことがある。
だが、結局はすばるが押し切る形で結婚し、結婚一年目には翼をもうけ、着実に幸せな家庭が築かれている。
昔は、子供は嫌いではなかったが、率先して接したいとは思っていなかった。だが今は、かなり好きになっていた。

「…カンダタ」

北斗の呟きに、神田が顔を上げると、北斗は面白くなさそうな顔をしていた。

「近頃のお前ときたら、弛緩しきっているではないか。張り合いがないお前など、面白みの欠片もないぞ」

「そうそうそう。マジ情けないっつーか、超ユルユルっつーか、親馬鹿街道まっしぐらって感じ?」

マジつまんなくねー、と南斗がむくれる。礼子は報告書から目を上げて、にやりとした。

「この分だと、翼ちゃんに弟か妹が出来るのも時間の問題ですね、神田さん」

「だが、限度だけは弁えておけよ。養える程度だけ、作れ」

至極真面目に、朱鷺田が言った。神田は彼らの視線に戸惑いながらも、顔を伏せて苦笑いした。

「あ、はい…」

「Hahahahahahahahahaha! カンダタ、オ前ノ Daughter ニ会エル日ガ very very 楽シミダゼ!」

グラント・Gはキャタピラを軋ませながら前進し、神田の傍までやってくると、逞しい右腕を振り上げる。

「Child ノ頃カラ鍛エ上ゲテ、礼子ミテェナ立派ナ Soldier ニシテヤロウジャネェカ!」

「そんな光源氏計画は嫌すぎるからやめてくれ」

神田が一蹴すると、グラント・Gは厚い装甲を乗せた肩を竦め、礼子に向いた。

「ヒカルゲンジッテナンダ、礼子?」

「ローラースケートを履いてステージ上を踊り回る、ジャニーズのアイドルグループの名前だよ。パラダイス銀河の」

礼子の答えを、北斗は勢い良く訂正した。

「いっ、いやいやいやいや! それは光GENJI違いであるぞ、礼子君! 絶対にわざとだな、これは!」

「G子、今の答えは記憶するな! したらダメだぞ、お兄ちゃんの命令だぞ!」

解ったな、と南斗に念を押され、グラント・Gはこくんと頷いた。

「Oh yes。ダガ、Paradise Galaxy ッテナンダ?」

「それは今度、お兄ちゃん達が歌ってやるから。研究所の通信カラオケで」

な、と南斗に振られ、北斗はぎょっとして身を引いた。

「達って、自分もか!? 自分もローラースケートを履かねばならぬというのか!?」

「可愛い妹に正しい知識を教えてやるためなんだ、やってやろうぜぇ、愚弟ー」

自分の机から離れた南斗は、にたにたしながら北斗に歩み寄ってきた。北斗は首を振り、喚く。

「嫌だぁあああ! ローラースケートだけはやめてくれ、あのような旧世界の遺物を装備するのはごめんだー!」

「北斗。案外似合うかもよ、ローラースケート」

礼子は肩を震わせ、笑いを噛み殺している。嫌だ、と逃げる北斗と南斗が追いかけ、その様を妹が眺めている。
兄達の会話内容も、北斗が南斗から逃げている理由も解らないのか、首を右に傾げたり左に傾げたりしている。
二人の言い争う声が、事務室どころか営舎全体に響いている。こんな状況では、集中など出来るわけがない。
朱鷺田は、深く深くため息を吐いた。苛立ち紛れに新しいタバコを銜えると、忌々しげに、礼子を睨み付けた。

「鈴木。お前がけしかけたんだろう、お前がなんとかしろ」

「発端を作ったのは神田さんです」

と、礼子がボールペンで神田を指したので、神田は手を横に振る。

「いや、原因は間違いなく礼子ちゃんだと思うよ」

「どいつもこいつも、どうしようもねぇな」

朱鷺田は報告書を書く作業を続けようとしたが、北斗と南斗の言い合いが嫌でも聞こえてきて、気が逸れてしまう。
任務明けの重たい疲労と徹夜明けの眠たさもあるので、書くことも考えることも諦め、タバコの味に気を向けた。
ほとぼりが冷めた頃に、二人を事務室の外に叩き出してやろう。そうすれば、二人の騒ぎはとりあえず落ち着く。
礼子といえば、北斗と南斗の騒ぎをぼんやりしながら眺めている。けしかけておきながら、至って平然としている。
彼女は、二人の子供っぽさを馬鹿にしながらも、それを手玉に取って遊ぶことが多い。なかなか、困った性分だ。
神田は、普段通りに騒ぐ二人を眺めた。楽しいと言えば楽しいかもしれないが、面倒な時は面倒でたまらない。
これで体力と気力に余裕があれば、北斗と南斗を窘めるか叱るかしているのだろうが、今はどちらも尽きている。
報告書を仕上げたのだから、仮眠を取って、早く自宅に帰らなければ。神田は目元を押さえ、上半身を反らした。
この仕事は、やりがいはある。だが、疲れる。肉体的にも精神的にも、通常の自衛官の仕事に比べるときつい。
だが、やめるわけにはいかない。後方支援と言えど、国防の最前線を担っていることには変わりないからだ。
国を守ることは、ひいては家族を守ることに繋がる。そう思えば、どんなに辛いことでも、乗り越えられる。
だが、この状況には、さすがにうんざりした。







06 10/5