手の中の戦争




ラスト・フロンティア




 私は、新境地を開拓するのは苦手だ。

 読む本のジャンルも作家も一定していて、気に入った作家の新刊は追い掛けるが、新進気鋭の作家の 本はどれだけ平積みされて評判が良くても、なかなか食指が伸びない。もしも自分の好みから盛大に外れて いたら、と思うと、どうしても手を出す気になれない。それは本に限った話ではなく、無茶なことには挑戦する 勇気もなければ度胸もない。年がら年中テロリストとドンパチしていても、人格の根底は変えようがないからだ。
 それでも、一歩を踏み出す勇気が必要な時はあるわけで。




「高宮重工の宇宙開発事業?」

 予想出来た事態に、私は驚きもしなかった。

「まあ、いつかはやると思っていましたけど、案外早かったですね」

 空になった弾倉からマガジンを引き抜いた私は、防護用ゴーグルを上げて朱鷺田隊長と向き合った。 同じく射撃訓練に興じていた朱鷺田隊長もゴーグルを上げ、銃口から硝煙を燻らせるガバメントを下げた。

「つまらん事業だが、自衛隊より見た目が派手で民間受けもいいから金にはなるんだろう」

「つまらないって…」

 あからさまに顔をしかめたのは、三ヶ月ほど前に特殊機動部隊に配属された元官僚候補、伊原英介 三等陸尉である。彼もまた射撃訓練を行っていたが、その腕前は今一つどころか三つ四つ五つな感じで、 弾痕は的から外れまくっていた。無駄弾を散らすとは、自衛官としては不届きな話である。

「なんだ、伊原、お前はあの無駄の極みに肩入れしているのか?」

 朱鷺田隊長は防音用のヘッドホンをずらし、伊原隊員に向いた。

「無駄って、そんなことないですよ。ねえ礼子さん」

 不満げな伊原隊員に話を振られたが、私は別にそうは思わなかったので実直な感想を述べた。

「無駄か否かの観点で言うと、まあ、非生産的ではあるよね。嫌いじゃないけど」

「僕は生きているうちに一度はケープカナベラルに行きますけどね。スペースシャトルの後継機である オライオンの発射だって控えているんですから、見ておかなきゃ損ですよ」

「じゃ、バイコヌールにも行くつもり?」

「当たり前ですよ。現時点では宇宙ステーションとの唯一の連絡手段ですし、冷戦時代から引き継がれた 優れた科学技術の結晶が宇宙目掛けて放たれるんですから。素晴らしいと思いませんか!」

 伊原隊員は熱っぽく力説してきたが、朱鷺田隊長の反応は私以上に冷ややかだった。

「だったら、お前は至近距離で核兵器の実験でも見てくるといい。あれこそ冷戦の象徴だ」

 朱鷺田隊長は自分が使った分の薬莢を拾い始め、伊原隊員に背を向けた。伊原隊員は話し足りなさ そうだったが、彼もまた薬莢を集め始めた。その残念そうな表情はテレビアニメのチャンネルを変えられた 小学生男子のようで、つくづく幼いなぁと思ってしまった。ソレガ伊原ノ魅力ダゼ、とグラント・Gなら全力で叫ぶ のだろうが、私にはとてもそうは思えない。本人は否定しているが、伊原隊員はかなりオタクの気があり、 たまに扱いづらい時がある。任務では、旧姓間宮すばる隊員に次ぐオペレート能力と情報分析能力によって 前線で戦う私達をサポートしてくれるのだが、それ以外が今一つ男らしくないので残念だ。外見も、程良い 男らしさと屈強さを併せ持つ神田隊員に比べれば体格も小さければ筋肉の付き方も薄いし、顔付きも 柔和で表情もなんだか女々しい。デスクワークばかりなので、あまり日に焼けていないせいもあるのだろうが。
 伊原英介三等陸尉が、我らが特殊機動部隊に配属された経緯は割と簡単である。特殊機動部隊の 関係者の中ではかなりクリーンな経歴と実戦で使えそうな頭脳を持ち合わせていたので、自衛隊から 高宮重工に引き抜かれてオペレーターとしての訓練を徹底的に施された後、自衛隊に改めて配属されたのだ。 そして、命運を同じくするようになったのだが、まだまだ日が浅いのでチームワークは形成されていない。 朱鷺田隊長もチームをまとめようとするタイプではないので尚更だが、それなりに上手くやれているのは、 私の努力の賜である。自画自賛ではない。

「伊原ぁああああっ!」

 射撃訓練場から出た途端、ソーコムを振り回した北斗が伊原隊員に突っ込んできた。

「今日も今日とて礼子君に近付きおってからに!」

「はい、ご苦労さん」

 私はすかさず伊原隊員と北斗の間に入り、ぽんぽんと北斗の胸の辺りを叩いた。

「うむ」

 北斗はすぐさま大人しくなって身を引き、ソーコムを下げて伊原に向き直った。

「しかし、相も変わらず貴様の射撃は最悪であるな。弾の無駄遣いにも程がある。弾丸と言えども立派な 国民からの恩寵品なのであるからして、一発一発に魂を込めて大事に撃たぬか」

「…慣れないなぁ」

 伊原は北斗に圧倒されてずり下がり、半笑いになった。

「それはお前だけだ」

「そうそう、伊原さんだけ」

 朱鷺田隊長の言葉に私が頷くと、伊原隊員はやりにくそうに眉を下げた。

「そりゃ、お二方は慣れているでしょうけど」

「おらおらホールドアップだぜぇいこんにゃろぉーっ!」

 北斗を押し退けて突っ込んできた南斗は、伊原隊員の襟首を掴み、荒っぽく壁に押し付けた。

「今日という今日はマジ許してやんねーし? ん?」

「はい、ご苦労さん」

 私が南斗の肩を叩くと、南斗はあっさりと伊原隊員を解放して私に向き直った。

「おうよ! 礼ちゃんの射撃は今日もマジイケてるぜ!」

「…だから、慣れない」

 伊原隊員は辟易しながら、戦闘服の乱れた襟元を直した。だけど、慣れなければどうにもならない のがこの部隊なのだ。南北兄弟は妹であるグラント・Gに好かれて止まない伊原隊員が気に食わないし、 ついでに言えば仕事の上でも私が近付くのが面白くないので、いつもいつもこんな行動を取る。けれど、二人とも 多少は精神面が成長したのでエスカレートすることはなく、今となっては乱暴な挨拶に過ぎない。だから、 私や他の皆はすっかり慣れ切っているのだが、当人はまだまだらしい。気持ちは解らないでもないが。
 射撃訓練場を後にした我々は、特殊機動部隊専用営舎に引き上げた。伊原隊員は北斗と南斗から距離を 置き、北斗と南斗は私にじゃれつき、朱鷺田隊長はタバコを蒸かせないので手持ち無沙汰そうだった。駐屯地内の 広大な敷地を延々と歩き、離れた位置にぽつんと建っている専用営舎に戻ると、二人の客人がいた。

「こんにちは」

 礼儀正しく一礼したのは、長い黒髪を結んだスーツ姿の女性、神田さゆりだった。

「どうもっす」

 そして、その隣に立っていたのは、こちらもスーツ姿の男性、美空涼平だった。

「珍しいな、おい。所長のお嬢さんじゃないのか」

 朱鷺田隊長が二人に近寄ると、涼平さんはちょっと臆しながら答えた。

「ええ、まあ。今日は鈴音さん、というか、所長の代行でして」

「南ちゃん、北ちゃん、お久し振り。礼子ちゃんも元気だった?」

 さゆりさんは朗らかな笑顔を見せたので、私は笑みを返した。

「今のところ、順調ですよ。こいつらもエラーらしいエラーは出しませんし。人格はエラーまみれですけど」

「で、えっと…」

 涼平さんが伊原隊員の名を思い出しかねていると、さゆりさんが説明した。

「ほら、涼ちゃん。北ちゃんのボディで礼子ちゃんと訓練して、メタクソにやられちゃった人だよ」

「ああ、あれか!」

 涼平さんが大いに納得して手を打つと、伊原隊員は愛想笑いを浮かべた。

「思い出して頂けて何よりです」

「立ち話ってのもなんですので、中に入りましょうか」

 私は営舎の自動ドアのロックを外し、二人を促した。ぞろぞろと連れ立って中に入り、しんがりの南斗が 自動ドアのロックを掛けてから、客人二人を応接セットが置かれた事務室に送ってから、併設した給湯室の 電気ポットの中で沸き直す途中だったお湯を使ってお茶を淹れた。ちなみに、神田隊員は今日は別の用事が あるとかで高宮重工の本社に呼び出されている。忙しい人である。
 二人にお茶を出し、ついでに私達の分のお茶も淹れてから、私はくたびれたソファーに座った。涼平さんと さゆりさんの正面に座っている朱鷺田隊長は、私の淹れたお茶に、苦い、と文句を言ってから二人に尋ねた。

「で、話はなんだ。簡潔に頼む」

「実は、その」

 涼平さんは緑茶を啜り、啜り、啜り、長い間を置いてからやっと口を開いた。

「高宮重工と政府が合意して、特殊機動部隊を解散することが決定されたんです」

「え?」

 なんだ、その超展開。私は自分のマグカップに口を付けたが飲むに飲めず、涼平さんを凝視した。

「ですから、部隊の皆も自衛隊から除隊されて、高宮重工の宇宙開発事業部を警備する子会社の 警備会社に採用される、ってことで…」

 さゆりさんは気まずげに、曖昧な笑顔を作った。

「そんなこと、上からは一言も聞いちゃいないが」

 朱鷺田隊長が眉根を顰めると、涼平さんは言った。

「それは上が情報を遮断していたからです。そちらには重要な任務もあるわけですし、雑念があっては 支障を来すんじゃないか、って判断で…」

「現場の判断も聞かずにですか?」

 伊原隊員は宇宙と聞いてもときめくどころか呆気に取られたらしく、目を丸めた。

「もしかしてあれですか、ちょっと前にあった政権交代の余波ですか?」

 私は気を取り直すために緑茶を啜ったが、予想以上に苦くて眉を寄せた。隊長の感想は正しかった。

「それもそうなんですけど、アメリカがシャトルの開発を中断したじゃないですか。だから、今のうちに アメリカだけでなく中国とロシアの宇宙開発事業にも差を付けておいて、国際社会で優位に立つために、 っていう腹積もりのようなんです。だからって、何も水際でテロを防いでいる戦闘部隊を解散させなくても…」

 最後のは私見ですけど、と渋面の涼平さんが付け加えると、北斗が挙手した。

「では、自分達はどうなるのだ? まさか、全武装を解除して作業用ロボットに人工知能を積み替える というわけではあるまい?」

「そうだよそうだよ、そんなことになっちまったら俺らの存在ってマジ無駄だし?」

 口元をひん曲げた南斗が二人に詰め寄ると、さゆりさんがちょっと身を引いた。

「それについては、鈴音さんがきちんと考えているから。二人もグラントちゃんは、無駄にはならないよ」

「とすると、K−9の方はどうなるんです?」

 伊原隊員が発言すると、涼平さんが説明した。

「K−9シリーズは管轄が違うので、現状を継続することが決定されています。ですので、彼らは今後も SATで充分な教育を受けた後に実戦配備されます」

「呆れすぎて腹も立たん」

 朱鷺田隊長は苛立ち紛れにタバコを蒸かし、セブンスターのきつい煙を吐いた。

「俺達がいなくなったら、誰が国境を侵してくる連中を叩く? 密入国した挙げ句にテロを働こうとする連中を 事前に潰す? 軍隊並みに重武装したマフィアの相手を出来る? 政治絡みの面倒な暗殺を請け負えるって いうんだよ。そりゃ確かに、俺らは金遣いも荒ければ行動も荒っぽいが、そこまでしなきゃならんほど緩い国家に したのは上の連中じゃないか。汚れ仕事を引き受けすぎた俺達を危険視して追い出すのは上の勝手だが、後で 泣き付かれても俺は相手をせんぞ。せいぜい国を潰されてしまえ」

「全くです」

 朱鷺田隊長の発言は過激すぎたが、私は素直に同意した。伊原隊員は私達を見比べ、意見を述べた。

「水際作戦はきわどいですけど、有効ではありますからね。特殊機動部隊は外から見ても内から見ても 厄介な部署ではありますが、なくなってしまえば一番困るのは政府そのものじゃないですか。それなのに、 解散だなんて本当にどうかしていますよ」

「で、俺達の処遇はどうなる」

 朱鷺田隊長が威圧的に涼平さんを見据えると、涼平さんはやや身を引いて答えた。

「人型兵器も含め、隊員全員は高宮重工の子会社である警備会社の社員になって頂きます。つまり、傭兵です」

「妥当な線だが、これまでの装備と銃は使えるのか? でないと話にならん」

「それはもちろん。高宮重工の子会社の警備会社は日本じゃなくてアメリカにありますし、社長もそっちの人間なので、 中東の警備会社と同じだと思って下さい」

「処遇は?」

「それについてはこれからお話ししますけど、この営舎も引き払うことになっているんです。今日中に」

 涼平さんは心底ばつが悪そうに、肩を縮めた。彼が悪いわけではないのだが、気持ちは解らないでもない。

「私達も、出来る限りお手伝いしますから。引っ越しに必要なトレーラーは駐屯地の外に待機させてありますし、 宇宙開発事業部まで荷物も皆さんも責任を持ってお運びしますので」

 さゆりさんも涼平さんと同じかそれ以上にばつが悪そうに、膝の上の手をきつく組んだ。

「面倒だが、仕方ねぇ。営舎の部屋を片付けてくるとするよ」

 朱鷺田隊長は吸いかけのタバコを灰皿で揉み潰してから、腰を上げた。

「あら、意外と素直っすね?」

 南斗がきょとんとすると、朱鷺田隊長は短く刈り込んだ髪を乱した。

「高宮も政府も気に食わんが、下手に逆らって食い扶持をなくしてみろ、路頭に迷ってヤクザに拾われるのが オチだ。そうなるぐらいなら、宇宙開発だろうが何だろうが手を貸すしかないだろう」

「さすがは隊長、素晴らしい状況判断能力です」

 私も苦い緑茶を飲み干してから、腰を上げた。

「短い部隊生活でしたが、天下り先があるなら何よりです」

 伊原隊員も不本意そうだったが、自分のマグカップを持って起立した。

「お兄ちゃん、じゃなくて、神田一曹も自衛隊から警備会社に配置換えされますが、すばるさんのお腹には 赤ちゃんがいるし、翼ちゃんも小さいので、皆さんとは違って本土勤務になります」

 さゆりさんは複雑なのか、横目に神田隊員のデスクを窺った。

「こんなこと、良くないのは私にも解っています。鈴音さんだって最後まで反対していましたし、現社長や 会長も難色を示していたんですが、マシンソルジャー達を日本国有の宇宙開発汎用機として認定するために 必要な法案を盾にされてしまって、押し通されてしまったんです。形はどうあれ、いっちゃんや皆が危険な兵器 じゃなくて平和のために働けるマシンだってことを理解してもらえるのは嬉しいし、もしかしたら昔みたいに 一緒に住めるようになるかもしれないから、私も法案には賛成でした。だけど、こんなのって…」

 さゆりさんが切なげに俯くと、涼平さんは彼女の肩を支えた。

「悪いようにならないことを信じるしかないさ。俺達には、それ以外に出来ることはない」

「それは俺達も変わらんよ。ついでに言えば、オーバーテクノロジーの結晶を一国家で独占する影響を 考慮せずに忠実な下働きを解雇しちまう神経がまるで解らん。その辺のを踏まえて行動して欲しいね、 政治家の先生方には」

 朱鷺田隊長は中身がほとんど減ったセブンスターの箱を、戦闘服のポケットに押し込めた。

「選挙が近いからでしょう」

 いつものことですけど、と伊原隊員は事も無げに言って、自分のデスクを片付け始めた。意外と状況適応 能力が高いのかもしれない。私も二人の意見には賛成だったので特に反論もせず、自分のデスクに取り掛かった。 さゆりさんは余程居たたまれないらしく、唇を噛んでいた。そんな彼女を慰めている涼平さんは、傍目から見れば お似合いの恋人同士のようだが、二人とも心に決めた相手がいるので無粋な感想だった。

「しっかし、俺らってそんなにヤバすぎんのかね? てか、そんな実感まるでねーし? ヤバいのは俺らに 回される仕事の内容であって、俺ら自身は命令されなきゃ何もしねーじゃん。なんか勘違いしてね?」

 自分のデスクを片付けながら南斗がぼやくと、やはり自分のデスクを片付けながら北斗が首を横に振った。

「かといって、自分達にはそれを正す術もなければ異議申し立てをする機会も与えられん。礼子君や皆の ような人間であってもそうなのだから、兵器である自分達では尚更だ。自分の両腕は礼子君を、引いては国家を 守るためのものであり、宇宙進出を手助けするための作業用アームではないのだ。誰かが銃を握らねばならぬ から、自分達は開発されたのだ。その銃を奪われては、自分達は稼働する意味がないではないか」

 北斗は悔しげに口元を歪め、段ボール箱の中に私物を押し込んでいった。その気持ちは私にも 痛いほど解るが、今は逆らうべきではない。南斗は弟の言葉に軽口も叩かず、黙々と自分の荷物を 片付けていた。責任感が重すぎて潰れそうになる任務も多々あったが、いきなり解任されると宙ぶらりんだ。
 我々がいなくなれば、誰が国を守る盾となり、刃となるのだろうか。そもそも、我々の他に汚れ仕事を 一手に引き受けてくれる人間や兵器がいるのだろうか。私は考え込みそうになったが、下働きの戦闘員が 上の決定をひっくり返すことはまず不可能なので、余計なことを考えないために片付けに没頭した。
 唯一の救いは、北斗や南斗と離れずに済むことだ。







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