手の中の戦争




ラスト・フロンティア



 青い空、エメラルドグリーンの海、白い砂浜。
 打ち寄せる波は柔らかく、吹き付ける潮風は爽やかだ。肌を刺す日差しは鮮烈だが朝方なので厳しくなく、 少し汗ばむ程度だ。面積が恐ろしく小さい水着を着たグラビアアイドルが駆け回っているとか、砂浜で寝転んで いるとか、適当なプロモーションビデオの撮影にはもってこいの現場であったが、私が身に付けていたのは水着でも なんでもなく、紺色の戦闘服一式だった。高宮重工の社章が入った制帽を被り、重たい防弾ジャケットを着込み、 ジャングルブーツを履き、肩からは自動小銃を提げている。自衛官時代に使い慣れたH&KのMP5である。 ジャケットの胸元には、(株)高宮警備のタグが縫い付けられていて、その下には無愛想な顔写真が付いた 社員証を兼ねた認識票が下がっていた。あれから一週間が過ぎたが、まだあまり慣れていなかった。
 高宮重工宇宙開発事業部が存在しているのは、南太平洋の南洋諸島の一つである無人島である。 つまり、名実共に日本国内ではない。なので、私は胸を張って9ミリパラベラム弾を撒き散らせる。高宮重工の 宇宙開発事業は表立った活動ではなく、扱う技術もオーバーテクノロジーばかりなので、諸外国にもあまり 知られてはいけないので名もなき無人島を一括で買い取ったのだ。リゾートホテルでも建てれば似合いそうな 立地には巨大な作業場と研究施設と職員宿舎が建てられ、美しい砂浜は潰されて滑走路に変えられ、 小麦色の肌の水着ギャルはいないが良く日焼けした作業員達は忙しく働いている。人型兵器研究所で 見かけた顔触れもいたので、恐らくは鈴音さんが人型兵器研究所から引っ張ってきた技術者達だろう。 南斗と北斗を制作し、グラント・Gに改良を施し、K−9シリーズも無事完成させた彼らなら、今回もきっと 素晴らしい結果を出してくれるはずだ。
 
「泳ぎたい…」

 ああ、私の任務が歩哨でさえなければ。恨めしく思いながら海を見つめていると、上空に一機のジェット機が 飛んできた。方角は北東、つまりはアメリカ大陸側である。例によって高宮重工の社章を付けているジェット機は 滑らかにランディングし、軽くバウンドしながらタイヤを滑走路に擦り付けて減速した。

「ああ、そういえば」

 今日はNASAで訓練を終えたパイロットが到着する日だ。だが、私には関係ない。そう思いつつ、 私は見渡す限りの水平線を見つめた。この島で高宮重工が開発しているのは、これまでの兵器とは スケールも資金量も桁違いの代物、宇宙船である。事前に説明されたスペックだけでも、かなりのデカブツだった。 全長は100メートルもあり、スペースシャトルの二倍近くもあった。それなのに、発射に必要なのは五気筒の メインエンジンだけで、外部燃料タンクは不要だというのだから恐ろしい。地球人が重力から逸脱して真空の 無重力空間を旅するためには、二十一世紀の今でも大規模な施設と凄まじい量の燃料が必要なのだが、 エネルギー源が水、つまりは水素だというのだから、これまた恐ろしい。私の知る限りでは水素エンジンの 開発は発展途上だったはずなのだが、いつのまにか高宮重工が発展させた挙げ句に宇宙船を飛ばせるほどの 高出力なエンジンを完成させていたようだった。以前、南斗と北斗が装備した反重力装置との合わせ技には 違いないだろうが、それにしたってとんでもない。この調子で行けば、いずれ軌道エレベーターも造るのでは。

「やあ、礼子君!」

 島の面積の四割を占める巨大な作業場から出てきたのは、同じく警備員ルックの北斗だった。

「おーす」

 私がやる気なく自動小銃を振ると、北斗は砂を蹴散らしながら大股に歩み寄ってきた。

「異常はないか!」

「ないよ。あったとしても、すぐに見つけられるって」

 私は自動小銃を下ろし、その重みで強張った肩を回した。

「で、そっちはどう?」

「特に問題はない。南斗が見張っている西側もだ。内部でも不審な行動を取る作業員は見受けられない」

 北斗は並んで立つと、私にスポーツドリンクのペットボトルを差し出してきた。私はありがたくそれを受け取り、 良く冷えたドリンクを胃の中に流し込んだ。

「じゃ、事前の内部調査は完璧だったってことか」

「うむ。それが何よりではあるが、静かすぎるとも思わんでもないのだ」

 北斗は銀色の太い腕を組むが、迷彩服ではないので違和感があった。頭に被っているのも自衛隊で お馴染みのテッパチではなく、警察の機動隊が被るようなバイザー付きの紺色のヘルメットなので、ますます 変な感じがした。ちなみに、このヘルメットの側頭部にもちゃんと彼の名前が入っているので、南斗との見分けは 一目瞭然だ。

「隊長はどうしてる?」

 半分ほど飲んだボトルを下ろして北斗に尋ねると、北斗は口元を曲げた。

「宇宙船のパイロットを出迎えに出られたが、相変わらずであった」

「退屈だー、って?」

「うむ。不謹慎ではあるが、自分もそう思わんでもない。自分も南斗もグラント・Gも、歩哨の合間に自己鍛錬 としての訓練は欠かさずに行っているが、ただ突っ立っているだけではせっかくの技能が発揮出来んではないか」

「いいじゃないの、今までが忙しすぎたんだから。たまにはゆっくりしないと」

「しかしだな礼子君、自分としては」

「あんたと私のシフトが一緒に空いているのって、次、いつだっけ?」

 反論しようとした北斗に私が言葉を重ねると、北斗は即座に答えてくれた。

「四日後の午前だが」

「南の島に来たのに一度も泳がないのは勿体ないから、職員用のプライベートビーチでちょっと泳がせて もらおうよ。あんたは荷物番だけど」

「それはつまり、礼子君の麗しき水着姿を拝めるというわけであるなっ!」

 途端に北斗は元気になり、ぐっと拳を固めて意気込んだ。

「まあ…ね」

 私は急に恥ずかしくなり、顔を背けた。水着姿といっても、私の場合はスタイルがまるで幼いくせに 全体的に筋肉質というアンバランスな体なので、色っぽい水着を着たところで似合うわけがない。なので、 競泳用水着のような実用一点張りの水着でなければ、似合うどころか気色悪いのである。体力作りのために 泳ぎ込んだ時にも、ちょっとでも色気を出そうものなら自己嫌悪で死にそうな気分になるので、極力地味な 水着を選んだものだった。そんな女の水着姿を見て喜ぶのは、この宇宙では南北兄弟ぐらいなものだ。 喜んでくれて嬉しいと思いつつ、そんなんで喜ぶなよ、という相反する感情を抱いてしまった。

「そうか、水着姿か」

 北斗は感慨深げに頷いてから、だらしなくにやけた。

「変なこと考えないでよね。遊ぶだけなんだから」

 私は北斗に背を向けて作業場に向けて歩き出そうとすると、北斗は私の肩を掴んで止めた。

「承知しているとも」

 背を曲げて身を屈めた北斗は、私の顔を横向かせてキスをした。軽く触れるだけだったが、金属の冷たさが 心地良かった。北斗は満足げに笑ってから、持ち場に向かっていった。私はますます恥ずかしくなって、暑さとは 違った意味で赤面しながら職員宿舎が併設した作業場に向かって早足で歩き出した。
 変なことを考えているのは私の方だ。テロリストやその他諸々の戦いから解放されたから、北斗と 一緒にいられる時間が長くなった。だから、何も考えないわけがなかった。高宮重工でもあくまでも道具扱い なので、同じ部屋で暮らせるようなことはないが、専用営舎と格納庫よりは余程距離が近い。さすがに 夜這ったり夜這われたり、ということはなかったが、まあ、うん、ええと。恥ずかしさのあまりに多少目眩を 感じながら、私は宇宙船が建造されつつある作業場を通り抜け、個室をあてがわれている職員宿舎に戻った。
 頭を冷やすために、冷たいシャワーでも浴びなければ。




 シャワーを浴びて着替えた後、無性に炭酸飲料が飲みたくなった。
 北斗からもらったスポーツドリンクは既に飲み終えていたし、冷蔵庫は空っぽだったので、私は小銭を じゃらじゃら言わせながら職員宿舎のロビーに向かった。歩哨の勤務時間を終えたので、これから休みだという こともあり、私はノーブラでTシャツにジャージズボンを履いてサンダルを引っ掛けているだけという、心の底から 気の抜け切った格好で自室を後にした。

「あら、礼子ちゃん。仕事上がり?」

 そんな時に限って、フルメイクとブランドファッションに身を固めた宇宙開発事業部最高責任者、高宮鈴音 女史に出会った。私は物凄く気まずくなったが、上司だし親しい相手なので挨拶しないわけにもいかず、挨拶した。

「おはようございます、鈴音さん」

「ごめんなさいね、急な話で。私達も手を打ったんだけど」

 待遇が悪ければいつでも言ってね、と鈴音さんは申し訳なさそうな顔をしたが、本気ではなさそうだった。 むしろ、無事に私達を警備会社に引き抜けた安堵感が垣間見えていた。宇宙開発事業の護衛に相応しい 自衛隊と実戦で鍛え上げられた兵士を雇えたのだから、管理職としては至極当然な感情ではあるが、 ちょっと解せなかった。鈴音さんと私達の間には、管理職と下働きという大きな隔たりが出来上がっている。 それを踏まえて考えれば、雇い主の期待に見合った働きをしなければ、と思うべきなのだろうが、理不尽な 処遇を受けた当事者に対する感情がドライだなと感じてしまった。さゆりさんや涼平さんが私達に肩入れ しすぎていただけなのかもしれないが。

「で、そちらは」

 私が鈴音さんの隣に立つスーツ姿の青年を指すと、鈴音さんは意外そうな顔をした。

「あら、彼のこと、忘れたの?」

「えーと…」

 こんな知り合い、いたっけか。割と格好良いけど。私は記憶を総動員し、仕立ての良いグレーのスーツに 淡いブルーのワイシャツとパープルネイビーのネクタイを着こなし、均等に筋肉が付いた長身の体を隙のない 姿勢で立てている青年を見回したが、一向に思い出せずにいると、当の本人が痺れを切らした。

李太陽リ タイヤンだ、忘れたのかよ」

 ぶっきらぼうに名乗られ、ようやく私は思い出した。

「ああ、そういえばそうだ!」

「俺、そんなに顔が変わりましたかね?」

 不満げな太陽が鈴音さんに向くと、鈴音さんは笑った。

「顔もそうだけど、体も随分立派になったもの。礼子ちゃんが思い出せなくても無理ないわよ」

「もしかして、この中二病テロリストが宇宙船のパイロットだったりしちゃったりするんですか?」

 私が不安を剥き出しにして鈴音さんに詰め寄ると、鈴音さんはにんまりした。

「ご名答。礼子ちゃん達が、シュヴァルツ工業と一緒に中国マフィアの黒龍を潰してくれたじゃない?  その時のどさくさに紛れて、強制送還を喰らってからは黒龍に飼い殺しされていた太陽君をこちら側に 取り込んだってわけ。色々と調べてみたら、太陽君はただの社員で終わらせるには勿体ない体と能力の 持ち主だったから、せっかくだからってことでパイロットに任命したってわけよ」

「はあ…」

 また無茶な人選を、と私は鈴音さんに呆れかけたが、すばるさんの前例は成功しているので、一概に 無茶だとは言い切れないかもしれない。だが、あの太陽だぞ。私の制服を破いて半裸にして顔と腹を蹴って、 中学校の体育館のステージ上で私が拳銃を所持していて暴れたと嘘を吐いた男だぞ。そんな輩を信用して いいものか、と私が全力で渋い顔をしていると、鈴音さんは太陽にカードキーを手渡した。

「じゃ、太陽君の部屋のキーはこれだから。午後三時に会議室ね、忘れないでよね」

「了解です」

 太陽が素直に答えると、鈴音さんは艶やかなロングヘアを広げながら身を翻した。

「それじゃ、私はこれからミーティングがあるから。若い二人でごゆっくりどうぞー」

「お疲れ様でーす」

 私が鈴音さんの背中に声を掛けると、鈴音さんは後ろ手に手を振り返しながらエレベーターに乗っていった。 私は本来の目的を果たすべく、手近な自動販売機に小銭を流し込んでからコーラのボタンを押した。

「なあ、鈴木」

 太陽が発した声は私の記憶の中のものよりも大分低く、年相応の男らしさがあった。

「何」

 私はコーラのプルタブを開けて甘い炭酸を飲みつつ、気のない返事をすると、太陽はNASAのステッカーを 貼ったボストンバッグを窓際に置かれたベンチに放り投げてから、その傍に座った。

「俺に対してもうちょっと反応ってものがないのかよ?」

 不服極まりない太陽に、私は彼の座ったベンチの隣のベンチに座った。

「んー、別に。ぶっちゃけ、あんたのことは今でも苛つくけど、殺したいほどでもないし。もしかして、脅して 蹴って脱がして殺し合った女とフラグでも立ったとか思っていたわけ?」

「そんなわけがあるか」

 太陽は真顔で否定してから、一度立ち上がって缶コーヒーを買ってから、またベンチに戻ってきた。

「恋愛感情はないにしても、俺はお前のことを忘れられなかった」

「そりゃどうも」

 興味はないが、退屈凌ぎに聞いてやる。私はコーラを味わいつつ、太陽の話に耳を傾けた。

「組織に飼い殺しにされている間も、鈴音さんに姉貴と同じように引っこ抜かれた時も、NASAやら何やらで しごかれている間も、ずっとだ。念のためにもう一度言うが、好きだとかそういうんじゃない。なんていうか、同情だな。 経緯と状況は違うが、鈴木も俺と似たような環境だったんだなって思うと、今更ながらひどいことしたなぁって 思っちまったんだ。訳も解らずに自衛隊の訓練に巻き込まれて、企業同士の抗争に挟まれて、挙げ句の果てには 中学校を潰すほどの派手な戦いに加わって、行き着いた先はなまじ強すぎるもんだから扱いが難しい戦闘部隊の ポイントマンと来たもんだ」

 顎を上げた太陽は、喉仏を動かしながら缶コーヒーを飲み干した。

「だから、最近思うんだよ。俺もお前も中学校を出てから、戦いをおっ始めるんだったなって」

「修学旅行、行きたかった?」

 結露の浮いたコーラの缶を膝の間に置いた私が呟くと、太陽は長い足を組んだ。

「…ああ」

 短い言葉の中には、太陽の様々な思いが詰め込まれていた。寂しげであり、悲しげでありながらも、戻らない 過去を懐かしむ暖かさも含まれていた。私も同じようなものだった。班決めをしただけで結局行けず終いだった 修学旅行のことは、忘れるに忘れられない。戻れるものなら中学校が襲われる前日に戻り、沢口陽介こと李太陽を 叩きのめして黒龍の計画を頓挫させ、無事に修学旅行に行きたかった。ちょっと面倒だけどテストだって受けたかった、 受験だってしたかった、高校だって大学だって行きたかった。そして、そして。

「悪かった」

 太陽は窓の外に広がるエメラルドグリーンの海を見つめ、重たく呟いた。

「許してもらおうなんていう腹はねぇし、遅すぎるかもしれないが、それだけは言わせてくれ」

「…うん」

 私はそれ以外に何も言えず、足元を見つめた。

「なあ、鈴木」

 太陽は空き缶を骨張った指の間に挟みながら、半笑いになった。

「もしもだぞ、もしも。俺の生まれが中国マフィアのボスの隠し子なんかじゃなくて、お前の近所の家で 生まれた何の変哲もないガキだったら」

「たぶん、友達になれるよ」

 私は自分の足元から目を上げ、太陽の横顔を見上げた。澄んだ黒い瞳に引き締まった顔付きが凛々しい。

「で、もしかしたら、どっちも生まれて初めて付き合う相手だったかもしれない。図書室でよくよく一緒に なるから気になりだして、卒業手前でどっちかが告白してきて、OKし合って、浮ついた気持ちで付き合い 始めるんだけど、すぐに高校が始まるの。通っている高校は別々なんだけど、学区が近いから通学の電車で 毎日顔を合わせたりするの」

「土日にデートする時には、お互いのクラスメイトに会わないようにわざわざ遠いところを選んで 出掛けたりするんだ。でも、必ずどっちかのクラスメイトに見つかって、冷やかされたもんだから、次からは 近所で済ませようってことになって、最終的には出掛ける先もなくなってどっちかの家に入り浸りになって」

 太陽が話を合わせてきたので、私はちょっと面白くなった。

「親が帰ってこない日に部屋でうっかり手を握り合って見つめ合っちゃったりして?」

「初体験だろうな」

 太陽は声を上げて笑い出したので、私も釣られて笑った。

「でも、成功しないだろうねー。私と沢口君じゃ」

「ああ、ダメだダメだ。俺が演じてたあいつじゃ、お前と二人きりになった時点でまずダメだな。どうこうする前に 発射しちまうタイプだろ、あいつは」

「じゃ、あんたはどうなの? エロ本で予習しすぎていざ本番って時に空回りするタイプ?」

「馬鹿にしてんじゃねぇよ。ていうか、お前とヤるなんて想像しただけで可笑しいな」

 太陽は肩を揺らして笑っていたが、ふと、その笑いを収めた。

「でも、やりようによっては、そういう人生もあったってことだよな」

「まあ、間違っても結婚相手にはしないけどね。出したら出しっぱなし、って感じだし?」

「ちったぁ浸らせろよ」

「童貞の妄想に?」

 私が切り返すと、太陽は毒突いた。

「お前こそ処女だろうが」

「そう見える? 四六時中ガンをいじり倒しているような女が清らかなわけないじゃん」

「まさか、お前、アレと続いてんのか?」

 アレと、と太陽が西側の海岸を見張る北斗を指すと、私は残りのコーラを呷った。

「現時点では、兵器と人間の恋愛を禁止する法律も条令もないからね。至ってフリーダムだよ」

「てぇことは何だ、アレのガンをどうこうしてんのか?」

「スカッドミサイル並みだね」

「…マジ?」

 太陽は頬を引きつらせたが、私はそれ以上は言わなかった。想像にお任せしようではないか。

「そういうあんたは何、デリンジャー?」

「馬鹿言え」

 太陽は変な笑いを浮かべながら立ち上がり、空き缶を捨ててからボストンバッグを担いだ。

「俺は無駄弾は散らさない主義なんだよ。一撃必殺だ」

「せいぜいジャムらないようにね」

 私が太陽の背に向けて言うと、太陽は、もうちょっと話題を選べよな、と言いながらも顔は笑っていた。 彼が割り当てられた自室に入ったのを見届けてから、私はロビーに設置されているテレビを付けた。もちろん、 自室にもテレビはあるのだが、だだっ広いロビーに一人でいては寂しいからだ。チャンネルは全て日本のもので、 衛星中継されている。おかげで、ここが日本から遠く離れた南洋諸島の一角だということを忘れる瞬間がある。 歩哨として西側を見張っている北斗を見やると、ちかりと光が跳ねた。こっちにゴーグルが向いていたのだろうか。 やましいことは何もないのだが、少しだけ気まずくなってしまった私は、太陽と会話していたことを誤魔化すかの チャンネルを回した。
 キー局の女性アナウンサーが緊張感溢れる口調で伝えてきたのは、連日話題になっているハッカーの ニュースだった。大企業のウェブサイトに新種のウィルスを植え付けて一般ユーザーにばらまくだけでなく、 各国政府の機密情報を改竄しているとのことだった。当然、私達の元にもその情報は届いていたが、高宮重工の ネットワークは各セクションごとに完全独立しているし、マシンソルジャーの中でも情報戦に長けている パープルシャドウイレイザーの指導によって頑強なセキュリティに守られている。だからといって油断するのは 禁物だが、この手の企業がその手のことに疎いわけがない。それに、どこぞの天才ハッカーの目的は世界中を 引っかき回して楽しむことにあるように思えるので、高宮重工には関係ない。増して、その下働きである 警備員では尚のことだ。私は飲み干したコーラの缶をゴミ箱に捨てるべく腰を上げると、その足で購買部に 向かおうとして、止めた。水着を選ぶにしても、さすがに生乳を曝したままでは良くないような気がする。 私は一旦自室に戻り、薄い胸を覆うブラジャーを着けて、ジャージからジーンズに着替え、サンダルから 割と綺麗なスニーカーに履き替え、せめてもの慰めにと少しばかりの化粧をしてから、ろくに本国に戻れない 職員のためにやたらに品揃えが良い購買部に向かった。
 たまには、左遷されるのも悪くない。





 


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