手の中の戦争




ある人生に花束を




 定期点検を終えたことを確認し、再起動を掛ける。
 全てのプログラムが滑らかに走り、全ての回路が通電し、各感覚器官の機能が滞りなく復帰した。 北斗はベッドに似た点検用ドッグから身を起こし、充電も完了していることを確かめてから、下腹部の両脇に 刺さっている十六本のケーブルを一本ずつ抜いていった。同じように隣の点検用ドッグで定期点検を 行っていた南斗も再起動して起き上がると、北斗よりも怠惰な仕草で抜き始めた。

「あーあ、っとー」

 南斗は抜き終わったケーブルを放り投げてから、点検用ドッグの傍の計器に引っ掛けておいた 戦闘服の上着を取って袖を通すと、肩の凝りを解すかのようにぐるりと首を回した。

「今回も特に異常なーし。てか、今週は珍しく暇だったし?」

「プログラムのエラーも関節の摩耗も見受けられなかった。至って正常だ」

 北斗は枕元に折り畳んであった戦闘服を広げ、羽織った。

「研究所送りにならなくて良かったな。余計な経費も掛からないし、貴重な休日が無駄にならない」

 二人の定期点検を見守っていた伊原英介三等陸尉が、コンピューターから顔を上げた。

「俺らの? それともお前の?」

 南斗が腕を組むと、伊原は二機の稼働データを保存し、高宮重工当てに送信した。

「無論、僕のだ。君達が実家に帰っちゃうと、その分の穴埋めの機体を手配しなきゃならないからね。 SATから貸し出してもらうにしても書類だ何だと手間取るし、陸自からだとまた厄介だし」

 後片付けはしておいてよ、と言いつつ、伊原は椅子を引いて立ち上がると、メンテナンスルームから 出ていった。その後ろ姿に南斗は毒突いたが、以前ほど尖った物言いではなかった。伊原英介が特殊機動部隊に 入隊してから三年が経過し、色々な意味で馴染んでくれたおかげだった。南斗は面倒だとぼやきながらも、一応 言われた通りに点検用ドッグの台の下から伸びているケーブルの束をまとめ、中の銅線が痛まないように緩めに 巻いてから、点検用ドッグの上に並べた。こうしておかないと絡まってしまって、後で面倒なのだ。

「で、愚弟、これからどーすんの」

「聞くだけ無駄ではないか。一連の作業で自分とお前は情報を共有しているのだぞ」

 北斗はケーブルの束を片付けてから、戦闘服の前を締めるか否かを少し迷った挙げ句、締めなかった。

「でもよ、口頭だとなんか感覚が違うし? これから礼ちゃんちに行くんだろ?」

 南斗は点検用ドッグに腰を下ろし、足を組んだ。北斗はそうは思わなかったが、いざ口頭で表現すると なると妙な躊躇いが生じた。ケーブルを通じて伝えるのと音声に変換して伝えるのとでは伝達する情報の意味に 違いはない、はずなのだが。北斗はなぜか言い淀んでしまい、意味もなく襟を正した。法務省のビルのワンフロアを 占める規模のメンテナンスルームには、北斗達が破損した際にすぐに使用可能な予備機が常時で五機待機し、 目覚める時を待っていた。ほぼ同型の機体が収まっている箱は縦長で棺に似ていたが、下半身が戦車型の グラント・Gは違い、ほぼ正方形の箱もいくつも連なっていた。飾り気のない内装と機械類の保存に適した室温と 銀色の箱のおかげで、未来的な墓場のような印象の空間が出来上がっていた。ケーブルの類は内装工事の際に 壁に埋め込まれており、整然としているが、それ故に生臭い生命体を拒絶するような清潔感が漂っていた。
 
「そう、だな…」

 北斗は硬い指先でがりがりと自在金属の頬を引っ掻き、ダークブルーのゴーグルを瞬かせた。

「てか、お前ばっかりマジずるいし。どうせなら俺も誘えっての」

 南斗が不満げにジャングルブーツを履いたつま先を揺すると、北斗は怪訝な顔をした。

「南斗も礼子君のマンションの住所は知っているではないか。共に引っ越しの手伝いと監視カメラや 盗聴器の類が設置されていないかどうかを調べ、その後も所用のために何度か訪問もしておるではないか。 礼子君に申し出れば、快諾するのではないのか?」

「そーいうんじゃねーし。てか、あーもう、俺ってすっげぇ格好悪ぃ」

 南斗はジャングルブーツを上げ、弟の腕をどんと突いた。

「行くならマッハで行きやがれ! 伊原の整備がトロいせいで時間掛かっちまった分、礼ちゃんを 全力で可愛がってやれっての! お兄ちゃんの命令なんだからなこの野郎!」

「何か、愚兄らしくないのだが」

 蹴られた部分の泥を払いながら北斗が兄を見下ろすと、南斗は足を下げた。

「俺もいい加減に成長するし」

 よいせ、と南斗は点検用ドッグから下りると、超合金製の厚い胸を張った。

「お兄ちゃんとしてはだな、お前が礼ちゃんを独占するのはマジ気に食わねぇけど、お前とイッチャイチャ することで礼ちゃんが楽になるならそれでいいって思ってんだよ。それもまた愛だろ、愛?」

「随分と達観しおって」

 北斗が少し笑うと、南斗は北斗の後頭部を引っぱたいた。

「誰のせいだと思ってんだ! 年がら年中目の前でお前とイチャラブされちまったら、俺がいくら礼ちゃんを 好きでも賢者モードにならざるを得ないんだよ! いいからとっとと行ってこい、ラブウォリアー!」

 大股に歩き出した南斗は、メンテナンスルームを後にした。その重たい足音が遠ざかるのを聞きながら、 北斗は兄の精神面の成長振りが嬉しい反面、気が咎めた。南斗の礼子に対する思いは自分と同等か、場合に よってはそれ以上であるにも関わらず、礼子は北斗だけを選んでくれている。それはとてつもなく幸福なこと ではあるが、自分と南斗の立場が逆で南斗が礼子と愛し合っていたとしたら、北斗は兄のように思えるかどうかは 定かではなかった。同じプログラムを元にしてほとんど同じ環境で成長した疑似人格であろうとも、個体差は 立派に存在している。南斗の場合、その個体差が良い方向に進んでいったのだ。
 兄の心遣いに心から感謝しながら、北斗は空調の効いた廊下を通り抜け、ロッカールームで戦闘服から 全身を覆う黒のレザーのライダースーツに着替え、街に氾濫する量産型作業ロボットに似せたマスクで 顔の下半分を覆い隠した。ライダースーツの下にソーコムとナイフを装備していることを確かめてから、北斗は 自分のロッカーに電子ロックで施錠した。外出許可と専用軍用バイクの使用許可を得るために司令室に 向かうと、司令室では、輸送要員の神田葵三等陸尉と隊長の朱鷺田修一郎一等陸佐が待機していた。 特殊機動部隊専用営舎の事務室よりも一回りは容積が広い分、人数分のデスクだけでなくコンピューターも 詰め込まれていた。不用意な襲撃や諜報活動を防止するために窓はなく、機能一点張りの閉塞的な部屋だった。 その室内には朱鷺田が常用するタバコの渋い匂いと、戦闘員達が戦闘服に染み付かせる硝煙の残滓が漂っていた。

「北斗、入ります!」

 威勢良く挨拶してから北斗が入ると、朱鷺田はフィルターが歪んだタバコを外した。

「その格好だけで、用件は言わなくても解る」

「外出と黒王号の使用許可だろ?」

 神田はデスクの引き出しを開けて二枚の許可書を取り出すと、北斗に突き付けた。

「ほら、さっさと書け」

「カンダタに言われるまでもない」

 北斗は許可書を受け取ると、自分のデスクに置いて必要事項を記入していった。

「ロボットにも盛りが付くとは、つくづく高宮製品はおぞましいな」

 朱鷺田は新しいタバコに火を灯そうとしたが、ライターのオイルが切れていて火が付かず、舌打ちした。

「野良ネコじゃないんだから…」

 神田はもう一言二言は言いたげだったが、仕事が残っていたので視線をモニターに戻した。

「後の処理は任せた、カンダタ! 自分は礼子君の元に早急に向かわねばならんのでな!」

 北斗は書き終えた許可書を神田のデスクに叩き付けると、神田は二枚の許可書に目を通した。

「それはいいんだが、北斗」

「南斗ではあるまいに、自分の書く書類に不備など有り得ん!」

「その点については特に文句はないんだが、礼子ちゃんの部屋には上がるだけなのか?」

「目的がそれであるからして、それ以外の行動などあるまい」

「どうせなら、お土産でも買っていったらどうだ? それだけでも大分違うからな」

 神田は北斗の書いた許可書を眺め、確認したことを示す署名を書いてから、朱鷺田のデスクに移動した。

「俺がなかなか帰れない分、すばるは翼と明の世話で大変なんだよ。翼は小学校に上がったって 言ってもまだまだ手が掛かるし、明も幼稚園に上がるようになったら今まで以上に元気になっちゃったから、 すばるは休むに休めないんだよ。だから、せめて気持ちだけでもって思ってさ」

「一姫二太郎でも楽じゃないとはな。それで、三人目は仕込まんのか」

 神田を経て回ってきた北斗の許可書を確認した朱鷺田は、印鑑を押した。

「そんな余裕、あると思います? 俺の稼ぎとすばるの貯金で経済的には充分なんですけど、すばるの 大変さを見ているとそんなこと出来ませんって」

 神田が苦笑すると、朱鷺田は鍵の付いた引き出しを開けて軍用バイク・黒王号のキーを取り出した。

「政府は少子化だなんだとやかましいんだ、ちったぁ協力してやれ」

「するにしても、限界がありますよ」

 俺もすばるも、と言いつつ、神田は朱鷺田から受け取ったイグニッションキーを北斗に渡した。

「ほら、行ってこい。但し、外出許可時間は」

「最大で三十六時間であります。案ぜずとも、自分の記憶容量には刻み付けられております」

 北斗はイグニッションキーを握り締めると、頷いた。朱鷺田と神田にぞんざいに見送られながら、北斗は 司令室を後にして通常業務を行うフロアに繋がるエレベーターに急いだ。エレベーターホールでは、超強化ミラー ガラスの窓にグラント・Gがへばりついていた。末の妹は北斗に気付き、oh、と左腕のドリルを振った。

「North star! 礼子ノ部屋ニ Go out カ?」

「うむ。して、お前は何を見ておったのだ」

 北斗が腰を曲げてグラント・Gと同じ目線になり、下界を見下ろすと、妹はドリルの先端で高所作業用 ロボットを指した。グラント・Gとほぼ同型ではあるが窓拭き用に設計されたロボットで、民間企業の社名が入った 機体が特殊設計のキャタピラを壁に貼り付かせ、四本のアームで窓を拭いては上下していた。

「My sisters ノ仕事振リダ! it Excellent!」

「そうだな。お前の妹達は、皆、素晴らしい働きを行っておるな」

 嬉しそうなグラント・Gに、北斗は笑みを返した。NASAとJAXAと共に宇宙開発事業に参入した 高宮重工は、その後、飛躍的に成長した。マシンソルジャー達の労力によって短期間の工事期間だけで 月面基地が無事完成すると、火星探査と開発にも着手した。それまでは高宮重工の技術力をもってしても 頭打ちだったロボット産業が目に見えた成果が出たおかげで急速に拡大し、今となってはロボットなくして 人間の生活は成り立たなくなった。人型自律実戦兵器を元にして設計された人型重機や人型作業機は 大いに普及し、危険な仕事のほとんどはロボットに任せられた。その分、人間の雇用が減るのではと 危惧されもしたが、ロボット産業が拡大するとそれに派生した産業が生まれたので、雇用数はあまり 変わらなかった。街を行き交う人々の間には多種多様なロボットが入り混じり、それぞれの意志と 人格を持っている彼らは人々と触れ合い、人権には程遠いがそれなりに立場が認められつつある。
 眼下に見える通りには、与えられた仕事をこなすロボット達が目に付いた。グラント・Gが原型である ロボット達は郵便物などを運んで回り、北斗らが原型のロボット達は、今の北斗とほとんど同じマスクフェイスを 微動だにせずに黙々と道路工事をこなしていた。既製品である彼らは規格が全く同じなので、遠目に見れば 同じ自分が大量にいるように見える。最初の頃は多少の違和感があったが、すぐに慣れた。というよりも、 それが当然なのだと根底の部分で認識していた。同型の南斗やK−9シリーズが既に存在しているのだから、 兄弟が一気に増えたと思えばいいだけだ。これが人間であれば、生理的な不快感が生じるのだろうが。

「それはそれとして、我が妹よ」

 北斗はいかつい妹をごりごりと撫でながら、尋ねた。

「カンダタから礼子君に手土産でも持っていてやれと言われたのだが、何か妙案はないかね?」

「well......」

 グラント・Gはドリルの先端で顎の辺りをこつこつと叩いてから、明るく答えた。

「Flower!」

「花? しかし、礼子君がそのようなものを愛好しているという記憶はないのだが」

「NonNonNon!」

 グラント・Gはドリルの先を振りながら、大袈裟に首を横に振ってみせた。

「礼子ダッテレッキトシタ Lady ダ! モチロン俺モナ! So, no flower can not hate her だから、彼女も花を嫌いなわけがない!」

「しかし、花にしてもどんなものであれば礼子君が喜んでくれるのだ?」

「Hahahahahahahahaha! ソレハ自分ノ Intelligent Circuit ヲ走ラセヤガレ!」

「うむ…」 

 それは確かにそうなのだが、情報が足りなさすぎる。北斗は判断を付けかねていると、グラント・Gはいきなり 歓声を上げてキャタピラを回転させて突っ走った。北斗が妹の進行方向を見やると、データをまとめたディスクを数枚 手にした伊原が倉庫から出てきたところだった。前触れもなくグラント・Gの巨体が迫ったため、伊原は当然驚いて ディスクを落としかけたが、踏み止まった。バックアップは残っているが、割ってしまえば始末書ものだからだ。

「や、やあ、グラント」

 伊原が引きつり気味に挨拶すると、グラント・Gはぎしりと腰関節を捻って身を捩った。

「伊原。You ハ俺ニ何カ Present シタリシナイノカ?」

「北斗、彼女に変なことでも吹き込んだのか?」

 伊原が困り切った顔を北斗に向けてきたので、北斗は事実だけを述べた。

「自分はグラント・Gに助力を求めただけに過ぎん。その結果についてはなんら関与しておらん」

「伊原! You ハ俺ノコト嫌イジャネェッテ言ッテクレタジャネェカー!」

 グラント・Gはいかつい右腕で伊原の足を掴み、ゆさゆさと揺さぶると、伊原は辟易した。

「あ、あれはだね、任務の都合上、君の感情回路と連動した動力機関が高揚している必要があったからで…」

「ソンナノハ Disbelieve! 一度ソウダト言ッタラソウナンダッテ South Star ガ!」

 言エ、好キダト言エ、とグラント・Gは伊原を激しく揺さぶるが、伊原は心底困り果てた。

「どうしてこう、どうでもいいところだけ融通が利かないかな。それ以外は本当に優秀なんだけど」

「But what good! 乙女ノ純情ヲ Do not fool!」

 伊原ァアアア、とグラント・Gは下半身を人型に変形させて伊原に突っ込んでいったが、伊原はすぐに 逃げ出した。グラント・Gから一方的に好かれるようになってからは、本当に下らない理由でヒートアップする 彼女が突っ込んでくることは一度や二度ではないからだ。おかげで、非戦闘員として配属されたはずなのに、 伊原にはすっかり対処能力が身に付いてしまった。伊原は今し方出てきた倉庫に逃げ込んでドアを固く閉ざすと、 グラント・Gはそれ以上の突撃は出来なくなった。常に装備している重機関銃は基地内ではマガジンを 抜かれているし、重要機密が満載の倉庫のドアはデストロイドリル程度では破れないし、下手に破壊しては 大事になってしまう。グラント・Gは倉庫のドアの前で悔しげに四文字言葉で文句を吐いていたが、伊原が 頑として出てこないと解ると、早々に諦めて別の場所に移動した。伊原の安全が確保されたことを確認してから、 北斗は地下駐車場に向かうため、エレベーターに乗った。
 四角い箱に収まって下降する間、北斗は思考回路を働かせた。そのついでにネットワークに接続して 情報収集に努めた。礼子に花を贈ろうにも、前例がないから情報が足りなさすぎる。作戦の都合上、礼子が 花束を携えてパーティ会場に潜入したことはあったが、その時に持っていたのは武器を隠しやすく加工 された花束であって、中身は礼子の趣味とは程遠かったらしい。らしい、というのは、作戦終了後に件の 花束が台無しになっている様を目にした神田が礼子に対し、勿体ないな、と言ったが、礼子の反応は冷淡で、 そうでもないですよ、と言っただけだった。礼子の反応がクールなのは今に始まったことではないが、それに しては冷たすぎる気がしないでもない。ロボットである北斗がそう思うのだから、神田は尚更だっただろう。
 参考にはなるだろう、と北斗は判断し、その時の花束の内容を記憶容量から再生した。政財界のパーティを 隠れ蓑にした武器売買現場への潜入作戦を行った時は夏場だったので、ヒマワリがメインの明るい色合いの 花束だった。だが、それだけでは礼子の好みを正確に割り出すための情報には成り得ない。北斗は他の 情報がなかったかと考え込んでいると、エレベーターが通常業務を行うフロアに到着した。地下に繋がる エレベーターを乗り継いだ後も考えたが、明確な答えは算出出来なかった。外れがないように礼子に直接 聞いてみるか、とも思ったが、それではプレゼントする意味がないのでは。神田の口ぶりから察するに、 プレゼントとはいきなり贈呈して相手を驚かせつつ喜ばせるための手段であり戦法のようだ。となれば、 礼子に手の内を明かすのは以ての外だ。
 地下駐車場の片隅でひっそりと眠りに付いていた黒王号に跨り、イグニッションキーを回してエンジンを 暖機させながら、北斗は礼子が住まうマンションへの道順を収めたファイルを展開した。事前に人工衛星から 得た道路交通情報と照らし合わせ、出来るだけ短い所要時間で到着出来るルートを選んだ後、北斗は黒王号の ハンドルを回してエンジンを高鳴らせてから発進した。
 何はなくとも、礼子に喜んでもらいたい。







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