手の中の戦争




コンバット・クリスマス



 私は、クリスマスに興味がない。


 基本的に季節のイベント事に対する意欲が希薄で、自分から率先して行動を起こしたりすることはない。 お正月もお年玉をもらえばそれで終わりで、初詣にも行くことは行くのだが、晴れ着を着たことなど一度もない。 バレンタインだって異性にプレゼントを渡したことなどないし、渡すような相手など、昔は一人もいなかった。 自分の誕生日にしてもそうで、夕食のメニューが少々派手になるぐらいで、パーティーなどしたことがない。
 だから、世の中が馬鹿みたいにはしゃぐクリスマスも、我が家では夕食にケーキとローストチキンが並ぶぐらいだ。 サンタクロースに対する幻想も幼稚園児の頃に失い、プレゼントの相場も弁えているため、夢は持っていない。 自衛隊に入り、特殊機動部隊の隊員となってからは、日々の忙しさでクリスマスに気を回す余裕などなくなった。
 よって。今年も、特に何もしないはずだったのだが。




 付けっぱなしにしているテレビからは、イルミネーションの街灯中継が流れていた。
 毎年のことながら、世間の浮かれぶりにはげんなりする。その裏では、私達は文字通り命を張った 戦闘に明け暮れていたのだから。国家に危機をもたらしかねない武装を持ったテロリスト達には、盆も正月も クリスマスもあるわけがない。テロリストが信仰する宗教によってはあるかもしれないが、一般的な、というか、 私達の相手はそんなに甘くはない。超過勤務の果てにむしり取った休暇の前日に大規模な作戦を展開したり、 旅行の当日に出動が掛かったり。そのおかげで戦闘意欲は増すのだが、単なる私憤に過ぎないので、 朱鷺田隊長からは窘められてしまう。私も、私情に駆られて冷静さを欠いて失敗したことは一度や二度ではない のだが、苛立つものは仕方ない。
 三杯目のブラックコーヒーを飲もうとしてマグカップを手に取ったが、底に僅かに残っているだけだった。

「ん」

 私は右側の机に座る北斗にマグカップを突き出すと、北斗はそれを受け取ったが不平を漏らした。

「礼子君、自分のことをお茶汲みOLか何かと間違えておらんかね?」

「フルメンテ終わってデータロードが終わって訓練も終わっているんだから、あんたは暇でしょうが」

 だから、と私は書類から目を離さずに返すと、北斗はぼやきながら給湯室に向かった。

「そう言われてしまえば自分には反論の余地はないのであるが、しかし、しかし、なぁ…」

「礼ちゃん、ブラックのまんまでばっかり飲むと胃ぃ荒れちゃうぜー?」

 真向かいの机でライダーカードコレクションを眺めていた南斗が顔を上げたが、私は目も向けなかった。

「苦くないと目が覚めないの。訓練上がりの昼食後って、五時間目よりもずっと辛いんだもん」

「Oh! イッソ sleep スレバ楽ニナルンジャネェノカ、礼子?」

 私の背後にキャタピラを鳴らしながらグラント・Gがやってきたので、私はボールペンを持った手を振った。

「一度寝たら起きられなさそうな気がして」

「せめて、仕事だけは終わらせてから寝ろ。後で面倒な目に遭うのはお前自身だからな」

 自分の仕事をとっとと終わらせている朱鷺田隊長は悠長に喫煙していたので、私は上官を一瞥した。

「そりゃまぁ、そのつもりですけどね」

 ブラックコーヒーを並々と注いだマグカップを持って戻ってきた北斗は、それを私の机に置いた。

「その時は、是非とも付き合ってやろうではないか。自分には、礼子君を助ける義務があるのだ」

 やけに得意げに北斗は笑った。そんなことを言うのなら、是非とも残業を手伝ってもらおうではないか。 ふと、先程から神田隊員が会話に混じっていないことに気付いた。南斗の隣の机に座っているのだが、 上の空だった。書類仕事はちゃんと終わらせているのだが、手が止まっている。考え事でもしているのだろうか。

「神田さん、どうかしましたか」

 私が声を掛けると、神田隊員は私に向いた。

「礼子ちゃん。あのさ、子供の頃、サンタクロースにプレゼントを頼んだことってあるかい?」

「幼稚園の行事で渋々書かされましたが、それぐらいです。内容は忘れましたけど」

 いきなり何を言い出すんだ。私が内心で戸惑うと、神田隊員は娘を自慢する父親の顔になった。

「翼、字が書けるようになってさ。それで、書かせてみたんだけど、その内容がさぁ…」

「その内容に、何か問題でもあるんですか」

「別に、問題はないんだよ。三歳児の願い事としては、至極真っ当な願い事でね。ついでに言えば、 今の俺の立場ならその願い事を叶えてやれないこともないんだ。だから、どうしようかって思ってさ」

「何何なーに、それどんな内容なわけ?」

 南斗がすかさず身を乗り出したので、神田隊員は仕方なく答えた。

「仮面ライダーに会いたい、って書いてあったんだ」

「神田。お前の言いたいことが読めたぞ」

 朱鷺田隊長は吸い終えたタバコを灰皿に押し付けると、新しいタバコを抜いて銜えた。

「大方、その仮面ライダー役を、鈴木に頼もうかどうしようかで迷っているんだろう。ああいう着ぐるみの類は 所長のお嬢さんにでも頼めば一発で調達出来るんだろうが、問題はその後だからな。お前自身がヒーローの皮を 被るって手もあるが、相手が自分の娘じゃ一発でばれる危険性がある。かといって、その中身を馬鹿ロボット共に 頼めるわけもないし、そういう下らない融通が利くような相手は同僚以外にいそうにない。外れているか?」

「違いありません」

「おいこらちょっと待てよカンダタ、そんなのなくなくね、マジ有り得なくね、つーかいけなくね!?」

 神田隊員が頷くと、南斗は椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。

「仮面ライダーっつったら、この俺様の出番じゃねーかよ! そりゃ礼ちゃんだって出来るかもしんないけど、 正義のヒーローでありながら影を背負った孤独な戦士を徹底的に演じられるような戦闘ロボットは、この全宇宙の 中じゃ俺しかいねーんだよ! だから考え直せよ、速攻で作戦変更しやがれ、戦闘配備も変更しろよカンダタァッ!」

 今にも掴み掛かってきそうな南斗を、神田隊員は冷静に押しやった。

「お前達が関わるとろくなことにならない。全部却下だ」

「えー、いいじゃんかよー、変身させてくれよぅー! 善良なお子様へのクリスマスプレゼントだと思ってさぁー!」

 変に甘えた声を作った南斗は神田隊員ににじり寄ったので、神田隊員は身を引いた。

「南斗、お前のどこが善良なんだ。というか、子供じゃないだろうが」

「いや、それには語弊があるぞカンダタ。自分達の精神年齢は成人だが、まだ十年しか稼働しておらんのだ!」

 北斗は自信満々に、厚い胸を張った。

「故にっ! 自分と南斗は戸籍上ではれっきとした十歳であり、すなわちバリバリの未成年なのだ!」

「十歳ならバリバリって言わない。どこのバブル世代だ。ていうか、あんたらに戸籍なんてないでしょ」

 私がその言い回しに突っ込むと、北斗はむっとする。

「重箱の隅を突き回した挙げ句に掘り返すようなことを言わないでくれたまえ、礼子君」

「Oh Yeah! North star ノ理屈デ行ケバ、俺モ 7 year old ノピチピチ Girl ダゼ!」

 グラント・Gは左腕のデストロイドリルを振り上げ、ぎゅるぎゅると回転させた。南斗は、手を横に振る。

「いやいやいや。それはちょーっと違うぜー、G子。七歳っつったら、つるぺたロリぷに幼女だぜ」

「Oh! 兄貴ノ言イタイコトハサッパリダガ、very イイ感ジダナ!」

 手を叩かんばかりに喜んだグラント・Gに、北斗は慌てた。

「そっ、それは違うぞグラント・Gよ! 南斗、偏った知識ばかりを教えるな! 道を誤ったらどうしてくれる!」

「ていうかピチピチには突っ込まないんだね」

 まぁ、別にどうでもいいのだが。私はロボット兄弟達の会話を聞き流しながら、神田隊員に向いた。

「それで、神田さん。仮面ライダーの中の人の役、私に頼むつもりなんですか?」

「いや、言ってみただけさ。ごめんね」

 そう言って、神田隊員は別の書類仕事を始めた。私は煮詰まり気味のブラックコーヒーを啜り、苦みと 酸味を味わった。やっぱり、安い豆だとおいしくない。ワゴンセールの割引シールに負けるんじゃなかった。 砂糖とミルクで誤魔化せば解らなくなるけど、今の私に必要なのは甘さではなく、鋭い苦みとカフェインだ。 北斗達の馬鹿馬鹿しいやり取りは、まだ続いている。南斗は、弟相手に妹キャラの何たるかを力説している。 グラント・Gは、兄達のオタク用語満載な会話の意味が解っていないようだったが、楽しそうではあった。
 私はボールペンを指の上でくるくると回していたが、テレビに目を向けた。話題は一向に変化がない。 格好のデートスポットであるイルミネーションの街灯中継から、売れ筋のクリスマスプレゼントになっている。 海外ブランドの新作バッグやジュエリー、新色の口紅やマニキュア、ホテルのディナーコースなんてのもある。 どれも実用性が薄いなぁ、と思ってしまった。どうせもらうなら、もっと実用的で現実的なものが良いと思いつつ、 私はちらりと北斗を見やった。南斗との話に興じていて、すっかり子供染みた弛緩した表情になっている。
 あいつには、欲しいものなんてあるんだろうか。




 十二月二十三日。天皇誕生日。
 私は筋肉痛が残る体を引き摺り、自宅に帰還した。むしり取った休暇はたった三日だが、休みは休みだ。 だが、クリスマス休暇を取ってしまったのだから、正月休みはないと思っていいだろう。妥協するしかない。 玄関のドアには、お母さんのお手製と思しき、可愛いリースが下げられていた。手先が器用な人だからなぁ。 帰ってきたのが真っ昼間だったので、当然ながらお父さんはおらず、お母さんもパートに出ていていなかった。 その代わり、弟の健吾がいた。祝日なので高校が休みだから、なのだが、弟はリビングで緩み切っていた。
 私がリビングに入ってきてもすぐに気付かないほど呆けていて、気の抜けた顔でテレビゲームに興じていた。 気付かせてやろう、と私はリビングのドアを鋭く叩いた。途端に、健吾は驚いた様子で振り返った。

「引きこもりまっしぐらって感じ?」

「開口一番それかよ」

 健吾は私を見上げてきたが、ゲーム機のコントローラーから手を離そうとしなかった。

「ていうか、姉ちゃん、いつ帰ってきたの。足音しなかったんだけど」

「ついさっき。休暇出た、って連絡しておいたはずだけど、あんた知らなかったの?」

 私は荷物を詰めたショルダーバッグをソファーの前に置き、ハーフコートも脱いだ。家の中では暑い。

「あー、そういやお母さんがそんなこと言ってたかもしんねー。とりあえず、おかえり、姉ちゃん」

 モンスターの大群との戦闘を終えてコントローラーを置き、健吾は立ち上がった。私は、ソファーに腰を下ろす。

「うん、ただいま。で、あんた、イブイブだってのに一人でゲーム? 侘びしいねー」

「うっせぇ」

 健吾は唇を曲げ、顔を背けた。私は、体格だけは立派になった弟を見上げる。

「何、告ってフラれでもしたの?」

「告る前に終わったんだよ!」

「うわー、ありがちー。青春の一ページってやつ?」

「別にどうでもいいだろ、姉ちゃんには関係ないんだから」

 と、健吾は私に背を向けてしまった。私は、弟の背に問い掛けた。時節柄、クリスマスプレゼントのことだ。

「健吾。あんた、今欲しいものってある?」

「彼女」

 即答だ。どれだけ女に飢えているんだ、我が愚弟は。私は馬鹿馬鹿しくなるのと同時に、可笑しくなってきた。

「それじゃ、空気入れれば女の子になるやつでも買ってあげる。もしくは、穴の開いた粘液入りの筒とか」

「いらねーよ! つーかマジ余計なお世話だよ! 俺が欲しいのは生身に決まってんだろ!」

「だったら良かった」

「何がだよ」

「二次元に逃避するー、とか言うんじゃないかと危惧したんだよ」

「姉ちゃんさぁ、前よりも口悪くなってねーか?」

「自分でもそう思う」

「それ、余計にタチ悪ぃよ」

 健吾は苦虫を噛み潰したような顔になり、はあ、と盛大なため息を零した。

「クリスマスだから姉ちゃんになんか買ってやろうかと思ってたけど、もうやめた。買ってやんねー」

 これは意外だ。健吾にも姉を思う心があったとは思ってもみなかった。だが、何を買うつもりだったのだろう。 そこまで聞いてみたい気もしたが、それは野暮というものだ。健吾の欲しいものは、解らず終いになりそうだ。 まぁ、適当なものでも買ってやろう。高校一年生男子の欲しいものの値段なんて、タカが知れているのだから。
 コートとショルダーバッグを抱えて二階の自室に戻り、暖房を付け、ホルスターを外して武装を解いた。 家の中にいるのだから、少しぐらい気を緩めてもいいだろう。私は、ショルダーバッグの中から荷物を取り出した。 休暇と言ってもたったの二泊三日なので、荷物は少ない。その大部分を占めている紙袋を引っ張り出し、 紙袋の中をちょっと覗いてから、私は無性に恥ずかしくなった。何をやっているんだろう、と何度後悔したことか。 だが、一度始めてしまったのだから、最後までやるべきだ。私は紙袋の中から、グレーの毛糸の固まりを出した。 二本の編み棒に巻き付けてある、編みかけのマフラーの先端からは毛糸が伸びていて、毛糸玉に繋がっている。 もう少しで仕上がるから、今日中に終わらせてしまおう。作ったら自分で使ったっていいんだ、うん、そうだ。
 私はベッドに座って壁にもたれながら、黙々とマフラーを編んだ。読書をした方が余程有意義な気がする。 でも、始めてしまったものは仕方ない。帰ってくる途中で買ってきた好きな作家の新刊は、夜に読むことにしよう。 ふにゃふにゃした毛糸の手触りは、拳銃やナイフなどと違って手応えがなく、なんとも頼りない。
 そして私は、しばし編み物に没頭した。小一時間後、完成間際だったマフラーは仕上げるだけになった。 ごく普通の棒編みで、編み込みなどの面倒なことは一切せず、ただただ真っ平らに編んだだけなので簡単だ。 後は、鍵編み針で両端に飾りの房を付けてしまえば、体裁が整う。始めてから、まだ一週間も経っていない。 ひたすら簡単な方法を選んだから、それだけの時間で済んだようだ。首を曲げて関節を鳴らし、凝った肩を回す。 壁掛け時計を見てみると、思ったよりも時間が過ぎていないことに訳もなく切なくなった。
 ああ、今の私は一人なのだ。







06 12/1