非武装田園地帯




第十二話 青い経験



 じいじいじい。じりじりじり。
 窓を閉め切ってカーテンを引いても、町営住宅の裏手にある山の斜面から溢れたセミの声が入り込んでくる。
薄暗いリビングは、ガラステーブルを退かしてソファーも壁際に追いやってあり、その中心に二人がいた。
正座して向かい合って座っており、お互いのゴーグルが発するほのかな明かりがマスクフェイスを舐めている。
壁に掛けられている半透明のデジタルクロックが、音もなく点滅して秒を刻み、分の数字が8から9に変わる。
 かれこれ、五分近くはこうしている。鋼太郎はフローリングの床に置いた雑誌と、向かいの正弘を見比べる。

「…あの」

 正弘は反応せずに、両手を固く握り締めて膝の上に置いている。バッテリーでも切れたのでは、と心配になる。
鋼太郎は気まずい思いをしながら、視線を雑誌に戻した。昨日言っていた貰い物の本を、持ってきたのである。
 派手にデフォルメされたタイトルが踊り、きわどい恰好をしたスタイルの良い女性が表紙の中で微笑んでいる。
その名も、激萌え制服少女。題名に違わず、表紙の女性は胸元の大きく開いたセーラー服を身に付けている。
セーラー服は鮎野中学校のそれのような野暮ったいものではなく、ゲームに出てくるようなピンク色のものだ。
 鋼太郎は正弘に声を掛けようか悩んでいたが、黙っておくことにした。彼が反応してくれなくては、始まらない。
ぎち、と僅かにジョイントが軋む音がした。正弘はやけに慎重な動きで左手を挙げたが、すぐに下げてしまった。

「鋼」

「なんすか」

「お前は、こういうのが」

「違うっすよ! これを買ったのはオレじゃなくて、近所に住んでた大学生の兄ちゃんっすよ!」

 鋼太郎は、手を左右に振り回した。コスプレ系は割と好きだが、制服よりもメイドなどのあざとい方が好きだ。
その辺のことも力説しようかと思ったが、今後に影響しそうなので押し止めた。正弘は、鋼太郎を見つめる。

「本当のところは、お前が自転車をかっ飛ばして一ヶ谷の本屋まで行って入手してきたんじゃ」

「そっ、そういうのはないっすよ! ま、まぁ、これから先はやるかもしんないすけど!」

 鋼太郎は、弁解しつつも本音が出てしまった。正弘は正座を崩し、胡座を掻く。

「そうか。やるのか…」

「なんすか。その、しみじみした言い方は」

「鋼は男なんだなぁって思ってさ」

 正弘に微笑ましがられ、鋼太郎は少し妙な気分になった。

「エロ漫画に出てくる年上のお姉さんみたいなこと言うっすね」

「オレは、男としての要素が多少欠けているのかもしれない」

 正弘は、雑誌の表紙に視線を落とした。表紙の女性を取り囲むように、大量の煽り文句が並んでいる。

「これを見ても、なんとも思わないんだから」

「思わないんすか?」

「うん」

 鋼太郎の問い掛けに、正弘は素直に頷いた。鋼太郎は、思わず立ち上がる。

「そりゃ有り得ないっすよ! ていうかマジ変っすよ!」

「目の前にしたらその気になるんじゃないかと思ったが、さっぱりなんだ。慣れているせいかもしれないなぁ」

 正弘は困り気味に笑う。鋼太郎は、座り直してから尋ねた。

「慣れているって、何にっすか?」

「平たく言えば、半裸の女性だ」

「ぶはっ!」

 不意のことに驚き、鋼太郎は吹き出してしまった。正弘は、至って冷静に話す。

「この部屋にはオレの保護者も住んでいて、その人は二十六にもなる人なんんだが、これがまただらしない人で」

「なんか…オチが見えてきたっすよ。少年漫画でよくあるシチュじゃないっすか、それ」

「そうか? でも続けるぞ。だらしなくて不精でどうしようもない人だから、風呂上がりにろくに服も着ないでリビングをうろうろするのは当然だし、夏は下着同然の薄着で眠りこけているし、それをリビングでやられることもあるし…」

「全宇宙の青少年の夢っすね」

「オレは、そうは思わない」

 正弘は、疲れた様子で肩を落とした。その同居人の女性のだらしなさに、相当うんざりしているのだろう。

「脱ぎ散らかした服やら下着やらを片付ける身にもなってみろ。あんなの、慣れればただの布きれなんだから」

「えーと、その辺のことがあるせいで、ムラマサ先輩は今までエロいことに興味がなかったんすね?」

 鋼太郎は、半ば強引に話を締めた。正弘は、再度雑誌の表紙に目を遣る。

「たぶん、そうだと思う」

「そうなんすか」

「橘さんに、その保護者になんだが、健全すぎるといっそ不健全だーみたいなことを言われたこともあるしな」

 だからだ、と正弘が半笑いになったので、鋼太郎は曖昧な声を出した。

「あ、はぁ…」

 話をすればするほど、正弘の生真面目さが身に染みて実感出来る。鋼太郎は、なんだかいづらくなってきた。
いっそのこと、自分がいない方が正弘のエロ本体験を邪魔しないで良いのでは、と思うがこの空気では帰れない。
鋼太郎は雑誌の端を指で押し、正弘へ押しやった。渡しに来たのだから、せめて受け取ってもらわなければ。

「んじゃ、これ」

「ああ、うん」

 正弘は雑誌を手に取ると、表紙を開こうとしたが止めた。

「袋とじとか、切ってあるのか?」

「いや、まだっすよ。ほとんど手ぇ付けてないの持ってきたっすから」

 と、鋼太郎は雑誌の中心あたりに挟み込まれている袋とじを指した。

「それじゃ、切ろう」

 正弘は雑誌を置いてから立ち上がり、自室に戻ると定規を持ってきた。改めて、鋼太郎の前に正座で座り直す。
袋とじの部分を出すためにページを開き、正弘は手を止めた。粒子の荒い印刷で、女性の局部が晒されている。
その写真のキャプションは、素人投稿、とある。正弘は十秒間ほど硬直していたが、顔を逸らしてしまった。

「ダメだっ!」

「何がっすか!?」

 いきなり叫んだ正弘に驚き、鋼太郎は仰け反った。正弘は上半身を倒し、床に突っ伏している。

「…正視出来ない」

「これくらいでなんすか?」

 鋼太郎は、倒れ伏した正弘と正弘が開いたページを見比べた。正弘は、後頭部を押さえて床に押し付ける。

「ダメだ、ダメなんだ」

「そうかなぁ…」

 鋼太郎は正弘の派手な反応を訝しく思いながら、ページを見下ろした。確かに局部は見えているが、少しだ。
下からの煽りで撮影した写真で、どちらかと言えば派手なピンクのパンツと白くむっちりした太股に目が行く。
 鋼太郎は、ぱらぱらとページをめくった。素人投稿の中には、いわゆるハメ撮りなどもありその方が過激だ。
これを正弘に見せたら、どれだけ大きな反応が返ってくるのだろうか。鋼太郎は、少しばかり邪心が湧いた。

「先輩、先輩! ほらほら凄いっすよ!」

 ハメ撮りのページを広げ、鋼太郎は正弘に声を掛けた。振り向いた正弘は、途端に身を引いた。

「だっ、ダメだろうそれも! ていうか無理だ、見ちゃいけないと思う! せめて高校生、十八歳にならないと!」

「見ちゃいけないから見るんじゃないっすかー」

 ほれ、と鋼太郎が一枚ページをめくると、正弘は更にずり下がる。

「だから、いちいち見せるなぁ!」

「見たいんじゃなかったんすかー、慣れているんじゃなかったんすかー?」

 鋼太郎がにやにやすると、正弘は腰を捻って上半身を反らし、必死に雑誌との距離を開けようとしている。

「そりゃ多少は耐性があったが、そういうストレートなものはああやっぱりダメだぁっ!」

「何がそんなにダメなんすか」

 雑誌を床に置き、鋼太郎は座り直した。正弘は肩を上下させていたが、小さく漏らした。

「解らない…。けど、やっぱり、ダメなんだ」

 だが、と正弘は姿勢を戻すと雑誌を取り上げ、定規を構えた。

「慣れなきゃいけないんだ、こういうことには! 将来のためにも!」

「勇気が足りなきゃガッツで補うんすよ、先輩!」

 よく解らないがテンションが上がってきた鋼太郎は、正弘を煽った。正弘は、定規を袋とじに差し込み、引いた。

「オレも男だぁっ!」

 鋼太郎に釣られてテンションの上がった正弘は、力を込めて袋とじを破り、ステンレス製の定規を振り抜いた。
定規を持った手を妙に誇らしげに掲げている正弘に、鋼太郎は歓声を上げながら拍手した。理由は特にない。
 袋とじは少々乱暴に破られたせいで、ページの端が不揃いに千切れていたが、中身のページには問題はない。
定規と同じく振り抜かれた雑誌は、正弘が強く握りすぎているためにページの中央部分に、シワが寄っていた。
 外から聞こえてくる絶え間ないセミの声の合間に、町営住宅の傍にある鮎野駅にやってくる電車の音がする。
同時に、駅員のアナウンスも聞こえてくる。正弘を見上げながら、鋼太郎は内心のにやけが止まらなかった。
 なんて、楽しい時間なんだろうか。


 それから、二時間後。
 リビングの中心で、正弘と鋼太郎は揃って雑誌を見下ろしていた。開いているのは、特にきわどいグラビアだ。
正弘は、最初は気恥ずかしさや微妙な嫌悪感や戸惑いで躊躇っていたが、いざ慣れてしまうと率先して楽しんだ。
 始めは鋼太郎にページめくりを任せていたが、そのうち正弘もやるようになり、最終的に交互にめくっていた。
どちらかが気に入ったページになると、そのページがしばらく開かれている。今は、正弘の気に入ったものだ。
学校机の上に座ったモデルの女性が、かなり短い赤のチェックのプリーツスカートを持ち上げ、足を広げている。
スカートと揃いのネクタイを付けたブラウスはびしょびしょに濡れていて、艶めかしく素肌に張り付いている。
その透け具合が良い、と正弘は何度となく力説した。鋼太郎も、正弘のその気持ちは解らないでもなかった。
 鋼太郎は薄っぺらいページをめくって送り、別のグラビアを出した。今度は、鋼太郎が気に入っているものだ。
派手で極端なデザインのセーラー服を着ているモデルの女性が、赤いスカーフで猿ぐつわを噛まされている。
両手は縛られていて、足は強引に広げられている。当然ながら、ミニスカートの下には何も身に付けていない。

「なぁ、鋼」

 正弘に話し掛けられ、鋼太郎はページから目を離さずに返事をした。

「なんすか?」

「お前はこういうの、どの辺に隠しているんだ?」

「あー、それは後で教えるっすよ」

「頼む」

 それだけのやり取りをしてから、二人は再び黙った。しばらく間を置いてから、正弘は言った。

「しかしいいな、こういうのって」

「いいんすよ」

「いいなぁ」

 正弘の満足げな様子に、鋼太郎はにやけ笑いがまた起きてきた。やはり、正弘もれっきとした中学生男子だ。
今まで、正弘の性格の真面目さ故に口に出せなかった話題だが、これからはこの手の話が出来るようになる。
 猥談は楽しい。特に同性同士は。生身の頃は友人達と多少していたが、サイボーグ化してからはしていない。
だが、これからは正弘がその相手になってくれるだろう。鋼太郎はやたらと嬉しくなりながら、視線を下げた。
 紙上では、ほぼ全裸の女性が悩ましいポーズを取っていた。





 


06 11/19