非武装田園地帯




第十二話 青い経験



 それから数日後。鋼太郎は、再び正弘に呼び出された。
 待ち合わせた場所はやはり土手で、正弘が先に待っていた。前回同様、自転車を担いで河原まで下りていった。
日差しは眩しく、陽炎が起きるほど暑い。体内の冷却装置をフル稼働させていても、外装の表面は熱していた。
手のひらだけは温度が解るので、試しに顔に触れてみると、駐車場に長時間放置された車のような状態だった。
 待ち合わせた時間は前回よりも少し遅かったので、日がやや陰っていたが、空気はじっとりと重たかった。
草むらの至るところから虫の鳴き声が聞こえ、聴覚をざわめかせる。鋼太郎は自転車を置き、正弘の隣に座った。
正弘は、割と大きめなショルダーバッグを肩から提げている。鮎野川を見つめていたが、ぽつりと小さく呟いた。

「あのな、鋼」

「はい?」

 鋼太郎が彼に顔を向けると、正弘は項垂れた。

「二日で見つけられた」

「マジっすかぁ!」

 鋼太郎は驚いて声を裏返し、正弘に詰め寄った。

「でも、ちゃんと隠したんすよね?」

「机の裏側に突っ込んだんだが、引っ張り出されて机の上に置かれていたんだ。あれって、結構嫌な光景だな」

 正弘は、自嘲する。鋼太郎は、正弘と同じように項垂れる。

「なんで、解っちまうんすかねぇ」

「解らない。けど、橘さんに言わせれば女の勘だそうだ。理屈になっていないと思う」

「そうっすよ、なってないっすよ!」

「でも、見つかったのは事実なんだよなぁ…」

 それでな、と正弘はショルダーバッグを開いた。その中に手を突っ込み、中身を取り出した。

「橘さんからこんなものを渡された」

「どわあ!」

 正弘の差し出したものに再度驚き、鋼太郎は仰け反ってしまった。それは、アダルトもののDVDだった。
それも、一つや二つではなかった。正弘のショルダーバッグの中には、DVD以外のものも山ほど入っている。

「他にも、どぎついエロパロ漫画のアンソロジーとかエロアニメとかエロ画像集を焼いたCD−Rとかエロゲとか…」

「ムラマサ先輩の保護者の人、なんでそんなの持っているんすか!」

 鋼太郎が慌てると、正弘は複雑そうにする。

「こういうものが、割と好きなんだそうだ。でも、オレの情操教育に良くないってことで今まで隠していたらしい」

「女性にしちゃ珍しい趣味っすね…」

「きっと、橘さんの中身は男なんだ。あの人は女の皮を被っているんだ、間違いない」

 なんて人だ、と正弘は嘆いていたが、ショルダーバッグを外して鋼太郎に突き出した。

「やるよ」

「やるって、全部っすか!?」

「一つ二つならまだしも、こんなにあったら持て余すんだ。処分してくれてもいい」

「え、ええー…?」

 鋼太郎は正弘のショルダーバッグを受け取ったが、困惑した。

「こんなに持って帰れませんって。ていうか、マジ無理っすから、この量は」

「触手モノは面白かったぞ。ずるずるねちゃねちゃで」

「感想述べられても困るっすよ」

「売るのはなしだからな」

「まぁ…売ろうと思っても売れない、っつーか、売りに行くのはちょっと勿体ないっていうか…」

 躊躇いながらも、鋼太郎は沸き上がってくる喜びを隠せなかった。正弘は、苦笑いする。

「それでも、まだ半分ぐらいなんだぞ? 橘さんがオレに寄越したのは、その倍近くある。あのままじゃ部屋がエロに占領されてしまうから、お前にやるんだ、鋼。但し、オレからもらったなんて絶対に言うなよ、当たり前だけど。ああ、カバンは後で返してくれよ」

「そりゃ、まぁ、解ってるっすけど…」

 鋼太郎は、がりがりとマスクを引っ掻いた。こういうものが欲しいのは確かだが、ありすぎても困ってしまう。
大量のDVDとCD−Rと雑誌と漫画本がこれでもかと詰めてあるショルダーバッグは、ぱんぱんに膨れている。
どんなものがあるのだろう、と思いながら一冊の雑誌を取り出し、ぱらぱらとめくっていると、他が気になった。
足の上を見下ろすと、ショルダーバッグの中にはまだまだ沢山詰まっている。これなら、当分の間、持ちそうだ。
 これだけあれば、相当楽しめる。中を探っていくと、鋼太郎の好きなメイドものもいくつか入っているようだ。
最初は戸惑ったが、こんなに嬉しい貰い物はない。家に帰ったら、早速、隠すべきところにちゃんと隠しておこう。
 夏休みの宿題は、ますます先延ばしになってしまいそうだ。




 それから、更に数日後。鋼太郎の部屋には、百合子が入り浸っていた。
 一緒に宿題をする、という名目だったが、途中からどちらも集中力を失って鋼太郎の漫画本を読んでいた。
少し前に大人気だった少年漫画の単行本を積み上げて、相手の読み終えたものを交互に読み続けていた。
テーブルには二人の宿題であるプリントが広げてあるが、ほとんど記入されておらず、解答欄はいずれも空だ。
 鋼太郎は漫画から意識を外し、押し入れに視線を向けた。この間隠したばかりなので、気になってしまう。
壁にもたれていた百合子は、その視線を辿った。顔の前で広げていた漫画の単行本を下ろし、鋼太郎に向く。

「押し入れがどうかしたの、鋼ちゃん?」

「なんでもねぇよ」

 鋼太郎がはぐらかそうとすると、百合子は漫画をテーブルに伏せて、鋼太郎ににじり寄ってきた。

「あーれー? なーんかあるのかなぁー、押し入れの中にー?」

「るせぇな」

 鋼太郎は百合子との距離を空けたが、百合子は間を詰めてくる。

「んじゃあ、何があるか当ててみよっかぁ」

 百合子の得意げな言い草が、引っ掛かった。淡いピンクの半袖ブラウスと、膝丈の白いスカートを着ている。
前屈みになっているのでブラウスの襟元から首筋と下着の肩紐が見えているが、子供っぽいだけで色気はない。
 鋼太郎は百合子の態度を訝りながらも、話を変えるために漫画を置き、勉強道具の散らばるテーブルを指した。

「んなもん、どうでもいいだろ。宿題の続き、しねぇとだろうが」

「鋼ちゃんらしくないなー、そういうのは」

「らしくねぇのはお前の方だろうが。そんなにこだわるんじゃねぇよ。だから、何もないっつってんだろうが」

「へーぇ。何もないんだぁー」

 百合子は立ち上がると、押し入れに向かった。ふすまを一気に開けて全開にさせると、上の段によじ上った。
いきなりの行動に、鋼太郎も立ち上がらないわけにはいかなかった。だが、動いたところで間に合わなかった。
百合子は布団の上に乗り、押し入れの天井に空いた穴に手を突っ込んでいたが、そこから物を取り出した。
それは、正弘からもらった雑誌の中の一つだ。鋼太郎が呆気に取られていると、百合子は押し入れから下りた。

「これ、前にあったのとは違うねー? 拾ってきたの?」

「違ぇよ! そんなことするか! ガキじゃあるまいし!」

 鋼太郎は声を張り上げながら、百合子に詰め寄った。動揺しているせいで、語気が荒くなってしまった。

「つうかなんで知ってんだよ、お前!」

「そりゃ知ってるよお。エロ本の隠し場所なんてタカが知れてるし、鋼ちゃんの考えることなんて解るもん」

 けらけらと笑う百合子の手から、鋼太郎は雑誌を引ったくった。

「解るからって探すんじゃねぇ!」

「探したんじゃないよー、知ってたからそこから出しただけー」

 悪気のない百合子に、鋼太郎は内心で顔をしかめた。

「ゆっこ。知ってんなら、尚更出さないでくれねぇか?」

「それとね、エロ雑誌の隣に積み上げてあったすっごい漫画、全部読んじゃった。鋼ちゃんがいない間に」

「人の部屋に勝手に入るんじゃねぇよ」

「ごめーん。だって、ああいうのって面白いんだもん。すっごいよー、女の子の中にでっかいのが入るんだよ!」

「で」

 あまり聞きたくなかったが、聞かないわけにいかないので、鋼太郎は渋々尋ねた。

「隠し場所のこと、お前以外に知っている奴はいるのか?」

「いるよー。鋼ちゃんのお父さんとお母さんと銀ちゃん。亜留美ちゃんにはさすがに教えらんないけど」

「隠した意味ねぇー!」

 それでは、実質的に家族全員にばれているということではないか。鋼太郎が頭を抱えると、百合子は笑った。

「でも、鋼ちゃんのものだから捨てないでおいてくれるってさ。良かったね、鋼ちゃん!」

「良くねぇよ、そういう変な気遣いの方が傷付くんだよ!」

 あーもうどちくしょう、と苛立ちを露わにした鋼太郎を見上げ、百合子は首をかしげる。

「なんでそこで怒るの?」

「ゆっこには解んねぇよ」

 これは、男心の問題だ。拗ねてしまった鋼太郎に、百合子は彼の太い腕をぽんぽんと叩いた。

「それとね、ムラマサ先輩の保護者さんから、橘さんからメールが来ててね、鋼ちゃんに伝言だよ。ムラマサ先輩がせっかくエロ本をプレゼントしてくれたんだから、大事にしてくれってさ」

「そっちもばれてるのか!?」

 ぎょっとして、鋼太郎は百合子に迫った。

「うん。思いっ切り。橘さんがムラマサ先輩を軽ーく問い詰めたら、橘さんがムラマサ先輩にあげたエロっちいモノを鋼ちゃんに半分あげちゃったことを五秒ぐらいで白状したんだってさ。やっぱりムラマサ先輩も男の子なんだねぇ、なんか可愛いなぁー。鋼ちゃんもだけど」

 百合子は言葉とは裏腹に、邪気のない笑みを浮かべている。

「マジ有り得ねぇー…」

 鋼太郎はあまりのことに脱力してしまい、その場に座り込んだ。百合子も、その前に座る。

「元気出してね、鋼ちゃん。次に隠す時は、誰にも見つからないようにしようね」

「うーるせぇー」

 どっ、と鋼太郎は開け放したままのふすまにもたれかかった。ああいったものは、隠しているからこそなのだ。
それを見つけられてしまうと、あの独特の背徳感がなくなってしまうどころか、とにかく情けないだけになる。
 しかも、家族だけでなく百合子にまでばれているとは。鋼太郎は、このまま消えてしまいたい、と思っていた。
それほど、恥ずかしかった。ここに百合子がいなければ、恥ずかしさのあまりに悶え苦しんでいただろう。
目の前に座っている百合子は、押し入れの天井から引っ張り出してきた雑誌、人妻陵辱三昧を読んでいた。
 女がそんなもの読むんじゃねぇ、ていうかなんで平気なんだ、と鋼太郎は言いたかったが、言えなかった。
こんなことになるなら、一時の欲望になど負けてしまわないで、潔く捨ててしまうべきだったかもしれない。
だが、捨てたら絶対に後悔する。今の恥ずかしさと捨てた後の後悔を天秤に掛けてみたが、定まらなかった。
 じりじりじり。じいじいじい。網戸に張り付いている一匹のアブラセミが、耳障りな鳴き声を盛大に発している。
 夏は、まだ終わりそうにない。





 


06 11/19