元通りとは、いかなくても。 「考えてみたらさぁー」 唐突に、百合子が挙手した。 「私達って、サイボーグ同好会なのに、同好会っぽいことを一度もしてないよね?」 会話を遮られた三人は、一様に百合子を見下ろした。百合子は腰に両手を当て、平たい胸を張る。 「てーことで、日曜日に皆でどこかに行こう!」 「おい、ゆっこ。どこをどうやれば前のセリフと今のセリフが繋がるんだ、脈絡ってものがねぇだろ」 鋼太郎は身を屈め、百合子に迫った。二学期が始まったことによって、校舎裏のいつもの光景も復活していた。 九月に入っても夏の暑さは衰えず、景色が白むほど強烈な日差しが降り注ぎ、湿気はじっとりとまとわりつく。 日陰の場所と言えども、蒸している。さすがに透も暑いらしく、薄手のカーディガンを右半分だけ脱いでいた。 百合子は半袖のブラウス姿だが、腰にカーディガンを巻いている。いつでも着られるように持っているのだ。 正弘は、百合子の何の前振りもない発言にきょとんとしていたようだったが、百合子の言い分に納得した。 「それもそうだな」 「あ、そうですね、私も、そう思います」 透は体の前で、大きさの違う手を組んでいる。鋼太郎は二人を見比べてから、再度百合子を見下ろす。 「けどよ、サイ同つったって名前だけだろ? だから、別に活動しなくてもいいじゃねぇか」 「名前だけだから、やりたいようにやれるんじゃんかー」 根拠のない自信に漲っている百合子は、鋼太郎を指差す。 「てーことで、来週の日曜日、遊びに行こう!」 「だーから、脈絡がねぇんだよさっきから! 一人で勝手に自己完結しないで、途中の文章も口に出せ!」 不親切だ、と鋼太郎は百合子を指し返した。百合子はかかとを上げて、鋼太郎に寄る。 「だーからぁ、せっかく同好会になったんだから、それっぽいことしたいの。でも、同好会って何をするものなのかイマイチ解らないし、別にクラブでもなんでもないから、差し当たって思い付くのは皆で一緒に遊ぶことだけなんだもん。だから、皆でどこかに行こう! で、遊ぼう!」 「一応、筋は通っているな」 正弘が百合子の言葉に頷いたので、鋼太郎は上体を起こして正弘に向く。 「…そうっすか?」 透はメガネの下で目線を左右に動かしていたが、前に定めた。 「この間は、私のせいで、ダメに、しちゃいましたしね。だから、もう一度、やり直したいです」 「透君。大丈夫だよ、気にしてないから。ね?」 百合子は透に笑み、二人に同意を求めた。鋼太郎と正弘が揃って頷いたので、透は安堵で口元を緩ませた。 「じゃ、どこがいいかな! 近場でお金があんまり掛からなくて面白そうなところってあるかな!」 話が決まる前から、百合子は一人ではしゃいでいる。 「そこまで都合のいいものがあるわけねぇだろ」 鋼太郎はそう言ってから、いや待てよ、と首を捻った。 「外野席だったら安いよなぁ」 「ああ、そういえば。一ヶ谷の市営球場に来るらしいな、二軍の遠征が」 どことどこだったか、と正弘に尋ねられ、鋼太郎は答えた。 「確か、ファイターズとイーグルスだったと思うっす」 「トラは来ないの?」 百合子がちょっと残念がったので、鋼太郎は説明した。 「セパみたいに、二軍もイースタンとウエスタンに別れてんだよ。タイガースはウエスタンなんだよ。だから、こっちには来ねぇの。つーか、また死のロードで順位落としちまったしよー。仕方ねぇことかもしんねぇけど、なんで毎年そこで踏ん張れねぇんだよ! ここで順位を落とすと、後々響いちまうってのによ! 今年こそプレーオフに辿り着いて、ストレートで優勝しねぇとダメなんだよ! ダメなトラは二十世紀で死んだはずなんだ、今のトラは強ぇんだ、投手陣も打撃陣も実力は充分なんだ、監督の采配もいいんだ、今のトラに足りないのは運なんだぁあっ!」 自分の話で次第にいきり立ってきたのか、鋼太郎は両腕を振り上げた。途中から、語気が荒くなっている。 「オレンジ色のウサギめ! 去年リーグ二位だったからって、調子に乗るんじゃねぇぞこの野郎!」 あの投手があのバッターが、と恨みがましく文句を並べる鋼太郎の後ろ姿に、正弘は苦笑しつつ呟いた。 「野球と宗教と政治の話題は人を狂わせるからなぁ…」 こんちくしょー、と鋼太郎はあらぬ方向に喚いている。甲子園が終わってから、タイガースが低迷しているからだ。 今年の高校野球自体は、面白かった。鋼太郎はもとい、百合子も見入ってしまうほど波乱に満ちた展開だった。 毎年常連の強豪校が思い掛けないところで敗退し、以前は一回戦負けで終わっていた高校が勝ち上がってきた。 予想外の展開が何度も続き、決勝戦は延長戦に持ち込まれた。両チームとも全力で戦い、激しく打ち合った。 きわどいところでエラーを免れたり、的確な守備で盗塁を阻止したり、観客席へホームランを何本も放った。 試合は十二回まで伸びたが、最後は投手戦となった。最後の最後まで展開が読めず、緊張感のある戦いだった。 それは、とても良かった。鋼太郎は面白い試合を何度も見たので機嫌が良く、百合子を捕まえて語るほどだった。 だが、高校野球が終わり夏の熱気が落ち着くと、その陰に隠れていたプロ野球が目に入るようになってきた。 高校野球の間、ホームグラウンドである甲子園を離れるタイガースは、大抵その期間でペースを乱してしまう。 俗に、死のロードと呼ばれているものだ。そしてタイガースは、今年も死のロードでつまづいてしまったのだ。 それまではリーグ順位も高く、選手達も乱れることはなかったのだが、一度負けた途端に連敗し始めてしまった。 それから、あれよあれよという間に八連敗を重ね、リーグ順位も落とし、九月に入っても抜け出せずにいる。 タイガースの不振が終わらない限り、鋼太郎の不機嫌も終わらない。百合子は、そんな彼を遠巻きに見ている。 いつものことだから、とでも言わんばかりに平然としている。透は、どうしたらいいのか解らないのか困っている。 正弘は、鋼太郎の愚痴を右から左へと聞き流しながら、百合子の話に結論を出していないことを思い出した。 だが、この分だと鋼太郎の愚痴が一段落したら百合子が押し切るに違いない。それが、いつものパターンだ。 鋼太郎の野球語りは、まだ終わりそうになかった。 授業を終えて帰宅した鋼太郎は、自室に籠もっていた。 昨日発売された週刊漫画雑誌をめくっていたが、背後からまくし立てられているせいで、全く集中出来なかった。 下校してすぐに鋼太郎の家にやってきた百合子は、強引に決定した四人での野球観戦の予定を話している。 楽しみで仕方ないらしく、顔が緩みっぱなしだ。一応、テーブルに宿題は広げてあるが、手は付けていない。 鋼太郎は半分も読んでいない漫画雑誌を机に放り、椅子を回した。百合子は極めて上機嫌で、浮かれている。 「ねぇねぇ鋼ちゃん、球場って広いの?」 「当たり前だ。狭いわけがねぇだろ」 鋼太郎は面倒に思いながらも、会話に付き合うことにした。 「ファイターズってどこの球団だっけ?」 「北の方だ」 「イーグルスって強かったっけ?」 「微妙だな」 「鋼ちゃん、やる気ないー」 不満げに、百合子は唇を曲げた。鋼太郎は足を組み、机に肘を載せる。 「お前がやる気ありすぎるんだよ。たかが市民球場だぜ、そんなに凄ぇもんじゃねぇよ。第一、結構小せぇし」 「さっき、広いって言ったじゃんよー。それ、なんか矛盾してない?」 「そりゃ、普通の感覚じゃ広いかもしれねぇけど、一ヶ谷のはそんなにでかくねぇんだよ。両翼も短めだから、ホームランも出やすいっつーのは利点かもしんねぇけどな」 「両翼って何?」 「セーフゾーンの両端にあるラインのことだよ。野球観てんのに解らねぇのか?」 「うん。解らない!」 百合子は、元気良く頷いた。鋼太郎は、呆れ混じりに返す。 「じゃあ、なんで観てんだよ」 「だって、野球を観ないと鋼ちゃんの話に付いていけないんだもん。それに、勝ち負けぐらいは解るから」 「それじゃつまんねぇぞ。最低限のルールは把握しておかねぇと、試合はちゃんと楽しめねぇ。教えてやらぁ」 鋼太郎は椅子から下りると、百合子の前に胡座を掻いた。百合子は、苦笑する。 「えー、いいよお、別にぃ」 「良くない。いいわけがない! とりあえずそこんとこに正座しろ!」 鋼太郎は百合子の両肩を押さえ、座り直させた。百合子は仕方なしに、鋼太郎に従うことにした。 「はぁい」 「まず、お前はどこまで知ってるんだ?」 「どこまでって?」 「だから、どのぐらいなら解るんだっつってんだ」 「ホームランは解るけど、ヒットとの違いがイマイチ」 「なんだそりゃ。普通解るだろうが、それぐらい。ホームランはバックネットに入ったやつで、ヒットはセーフゾーン内に入ったやつだ。遠いか近いかで、簡単に区別が付けられるぞ」 鋼太郎は、彼女のあまりの疎さに毒気を抜かれそうになった。百合子は、あっけらかんとしている。 「解らないんだもん。それで、中継の時にテレビの端っこにある信号みたいなのって何?」 「ありゃカウントだ! 上からストライク、ボール、アウトだ! ちなみにメジャーだと順番が違う!」 ここまでダメだとは思っていなかったので、鋼太郎は呆れすぎて苛立ってきた。百合子は、目を瞬かせる。 「同じ球団なのに、どうしてたまにユニホームの柄が違うの?」 「ホームとアウェイの違いだ! それぐらい解るだろうが!」 「アウェイってどこ? 地名?」 「アウェイっつーのは、自球団のホームグラウンドじゃない球場のことだ!」 「カーブは解るけどフォークって何?」 「どっちも変化球だ! な、投げられねぇけど形だけなら見せてやれるぞ!」 「なんで打ってないのに塁に出るバッターがいるの?」 「そりゃきっと、押し出しのフォアボールだ!」 「投手戦って?」 「両軍のピッチャーが打線を封じ合って、ランナーをあんまり出塁させねぇ試合のことだ!」 「どうして野球って延長になるの?」 「試合展開が白熱すると、攻防が激しくなって一回ごとの時間が延びるからだ! つーか、それはルールとは関係ねぇだろ!」 「延長試合になると番組の時間がずれてちょっとやだよね」 「オレは別に平気だ! むしろその方が楽しい! 延長万歳だ!」 鋼太郎は、力みながら百合子の疑問に答えていった。あまりにも不甲斐なくて、逆にやる気が出てしまった。 そうこうしているうちに一時間が過ぎ、二時間以上も過ぎてしまい、窓の外はすっかり薄暗くなってしまった。 その間、鋼太郎は百合子に熱弁を振るった。もっとも、百合子はその内容の半分も理解していなかったのだが。 あまりにも勢い良く語られたので、口を挟む隙間がまるでなかった百合子は、珍しく相槌ばかりを打っていた。 高校野球やプロ野球の話題を語るだけ語って満足した鋼太郎が言葉を切った頃には、外は暗くなっていた。 ふと思い出して、百合子は壁の掛け時計を見上げた。いつのまにか、午後六時を過ぎてしまっている。 「宿題…」 「夜にやりゃいいだろ」 二人が宿題に取りかかれない原因が自分であったことは自覚していたが、鋼太郎は開き直っていた。 「それもそうだね」 百合子は鋼太郎との時間と宿題を天秤に掛け、鋼太郎が重いと思った。形はどうあれ、相手をしてもらえた。 宿題なんて、鋼太郎と一緒にやると捗らないのが目に見えているから、一人でやった方が効率は遥かに良い。 ただ、鋼太郎と同じ空間にいたかっただけだ。それだけで充分、満足なんだ、と百合子は自分に言い聞かせた。 階下からは、鋼太郎の下の兄弟が番組を観ているのか、ホロビジョンテレビと思しき音声が流れてきている。 「ね、鋼ちゃん」 百合子は、身を乗り出した。 「銀ちゃんと亜留美ちゃんも、一緒に行けないかな?」 「あっこは来るだろうけど、銀は…」 鋼太郎は、言い渋った。妹の亜留美は鋼太郎の体のことをなんとも思っていないから、傍にいても問題はない。 サイボーグ化して大分時間が経ったので、今ではかなり慣れていて、躊躇うことなく鋼太郎の体に触れてくる。 前は、亜留美も多少なりとも遠慮していて、鋼太郎から近付かない限り機械の体に触れてくることはなかった。 しかし、時間と共に妹の中のわだかまりが消えたらしく、亜留美は事ある事に鋼太郎にまとわりついてくる。 だが、銀次郎は変わらない。サイボーグ化してからというもの、弟との関係は冷え切って溝が空いたままだ。 鋼太郎が次の言葉を口に出せずにいると、百合子は立ち上がった。その勢いで、短いスカートの裾が翻った。 「じゃ、話付けてくる!」 ちょっと待っててね、と百合子は鋼太郎の部屋を出て階段を下りていった。鋼太郎が引き留めるよりも早かった。 中途半端に伸ばした手を下ろし、鋼太郎は頭を押さえた。銀次郎に話を付けるといっても、どうするというのだ。 だが、本当に銀次郎と一緒に出掛けられるなら、嬉しいことだ。弟と接することが出来ないのは、やはり寂しい。 百合子の話術に淡い期待を抱きながら、鋼太郎は聴覚を研ぎ澄ませて、階下の会話を掴んで様子を窺ってみた。 やたらとテンションの高い百合子の声と、その合間に挟まる亜留美の幼い声と、そして、銀次郎の嫌そうな声。 そのうち、銀次郎は百合子に言い負かされてしまったらしく、次第に態度が柔らかくなってきたのが解った。 最後には、どうせ暇だから行ってやってもいいよ、と銀次郎が細々と呟いた。そして、少女達の声が弾けた。 間もなく、百合子が階段を昇ってきた。すぱーんっ、と鋼太郎の部屋のふすまを力一杯開け放ち、声を上げた。 「銀ちゃん、一緒に来るって!」 「みてぇだな」 鋼太郎は百合子の気合いの入り振りに、少々押されてしまった。百合子は部屋に入り、ふすまを閉める。 「亜留美ちゃんも来たがってたけど、亜留美ちゃんは水泳教室があるからダメだってさ」 「で、本当に来るのか?」 鋼太郎が念を押すと、百合子は不服そうにする。 「本当だよお」 「だよな」 階下の会話も聞いているのだから、鋼太郎が不安になる理由はない。鋼太郎はほっと安堵して、肩を落とした。 百合子がどうやって銀次郎を言いくるめたのかも気になったが、それより今は銀次郎との関係修復が優先だ。 銀次郎も一緒に来るというのなら、接する時間も増える。となれば、会話も増えて、仲直りの切っ掛けを作れる。 以前は、どれだけケンカをしても自然と仲直りしていたので、銀次郎と向かい合って仲直りに励んだことはない。 しかし、ケンカとは訳が違う。兄がサイボーグ化したことで、弟の心に少なからず傷が出来たのは間違いない。 その傷の大きさがどれほどのものか、鋼太郎には把握出来ないが、それでも近付かなければ何も変わらない。 少しでもいい。溝を、埋めたかった。 06 12/11 |