非武装田園地帯




第十六話 ブラザー・アンド・ブラザー



 日曜日。サイボーグ同好会の面々は、鮎野駅に集合していた。
 一番最初にやってきたのは、駅に最も自宅が近い正弘で、次に透、最後に鋼太郎と百合子の順番だった。
鋼太郎の自転車の後部座席には、身を固くしている銀次郎が乗っていた。彼は、正弘の姿を見、萎縮した。
 駐輪場に自転車を止めて戻ってきた百合子は、銀次郎が緊張していることに気付くと、にこにこと笑った。

「銀ちゃん、大丈夫だよ。怖い人はいないから」

「うん」

 銀次郎は鋼太郎の背中から離れると、自力で自転車から降りた。鋼太郎は、自転車を駐輪場に向かわせる。
それを見送ってから、百合子は銀次郎を二人に向き直らせた。透は人見知りしているのか、顔を伏せる。

「えっと、あの、黒鉄君の弟さん、ですよね?」

「そうだよ。銀ちゃん!」

 百合子は銀次郎の背後に回り、銀次郎の背を押した。銀次郎は目線を彷徨わせていたが、二人に向けた。
固まってしまった透に代わり、正弘が先に名乗った。無用な威圧感を与えないように、少年と目線を合わせる。

「村田正弘だ。兄さんの上級生で、友達だ」

「えっと、山下透、です。一年です。ムラマサ先輩と同じで、黒鉄君の、友達です」

 透は銀次郎に、深々と頭を下げた。

「三年一組の黒鉄銀次郎です」

 銀次郎は、表情を強張らせていた。普段は元気の良いのだが、相手が年上なので気が引けてしまっている。
鋼太郎が戻ってきたので、正弘は片手を挙げた。鋼太郎は自転車の鍵を、上着のポケットに突っ込んだ。

「じゃ、行きますか」

「所要時間はどのくらいなんだ、鋼」

 正弘が尋ねると、そうっすね、と鋼太郎は返す。

「市民球場にはバスで行かなきゃなんすけど、距離はそんなでもないんで二十分ぐらいっすね。電車の時間と合わせたら四五十分、ってところっす。交通の便がマジ悪いっすから」

「あ、透君、着てきたんだね! 可愛いよ!」

 透の服装に気付いた百合子は、笑った。透は、先日の買い物で百合子の選んだ服を、一揃い着ていた。
胸元にギャザーの付いた白いカーディガンと淡いピンクのブラウスに、丈が短めのジーンズを着ている。
足元は動きやすさを優先してか、スニーカーだ。そして、やけに大きなトートバッグを左の肩に担いでいる。
頭には、今回もまたデトロイトタイガースのロゴが入った野球帽を被っている。透の頬が、すぐさま紅潮した。

「え、あ、でも、そうですか?」

「ね、鋼ちゃんもそう思うでしょ?」

 百合子に話を振られた鋼太郎は、間を置いてから答えた。

「あ、まぁな」

 一瞬、透に気を取られてしまった。今日は銀次郎に集中するべきだと思っているのに、視線が向いてしまった。
褒められたのが嬉しいのと恥ずかしいのとで、透は身を縮めている。細い右手を口元に添え、俯いている。
その仕草が頼りなく、また女らしかった。顔の部品そのものは小さいが、その一つ一つが綺麗に整っている。
 表情さえ豊富なら、態度さえ明るければ、笑顔さえ多ければ、透はそこそこのレベルの少女になるだろう。
クラスの中で一番可愛い女子、とまではいかなくても、三番目ぐらいに目に付く女子になれそうな気がする。
手足が長いので、体の凹凸がはっきりしてきたら見栄えがいいだろう。鋼太郎は、そんなことを考えていた。
 すると、不意に透の視線が鋼太郎を捉えた。鋼太郎が反応を返そうかと迷っていると、透は淡く微笑んだ。
 控えめながらも、愛らしい表情だった。




 市民球場行きのバスに、五人は乗り込んだ。
 そして、早速透が酔った。車は平気らしいのだがバスには滅法弱いらしく、青い顔をして押し黙っている。
元から色が白いのだが、血の気が引いて青ざめている。気分の悪さを堪えるだけで、精一杯のようだった。
その隣に座る正弘が、心配そうにしている。時折、正弘が声を掛けてやるが、透は力なく頷くだけだった。
 百合子は、通院でバスには乗り慣れているので至って平気だ。正弘と透の後ろの席に銀次郎と座っていた。
鋼太郎は、正弘と透の前の席に座っている。乗客が多いので、鋼太郎だけは他の乗客と相席になっていた。
注意は透にも銀次郎にも向いていたが、意識的に銀次郎の方に強め、聴覚もそちらの音を優先して拾った。
但し、バスの走行音が激しいので、完全には拾えなかったが補助AIで補填すれば解らないこともなかった。
 弟と幼馴染みの会話を盗み聞きしているようで、あまり気分は良くなかったが、仕方ないことだと妥協した。
会話を掴んでおかなければ、弟と話す切っ掛けは得られない。真後ろの席に座る二人は、小声で話している。

「銀ちゃん、バス、平気?」

「へーき」

「私も結構平気。透君は、ちょっとしんどそうだね」

 大丈夫かなぁ、と百合子は透を心配していたが、銀次郎の相手に戻った。

「銀ちゃん、無理言っちゃってごめんね」

「いいよ。オレも暇だったし」

「うん。ありがとう」

「いいよ」

 銀次郎は、少々素っ気ない。百合子の口調と声が幼いので、傍から聞けばまるで小学生同士の会話だ。

「ね、銀ちゃん」

「何」

「ムラマサ先輩と透君、どう思う?」

 百合子の問いの後、少し間が空いた。銀次郎の視線が、鋼太郎の背にも感じられた。二人を見ているらしい。

「先輩って人は、ちょっと怖い。透さんは、なんか、頼りない」

「ムラマサ先輩はでっかいもんね、銀ちゃんが怖くなるのは仕方ないよね。透君は、そういう人だから」

「いつもああなの?」

「そうだよ。でもね、透君はね、凄く綺麗な絵を描くの。でね、ムラマサ先輩はおいしいカレーうどんを作れるの」

「あの人が?」

 銀次郎が訝しむ。百合子は頷いたようだった。

「ムラマサ先輩ってね、器用なんだ。紅茶だって、ちゃんと葉っぱから淹れられるんだよ」

「ふーん」

 銀次郎の気のない返事がした。鋼太郎は、正弘が几帳面な人間だとは察していたが、そこまでは知らなかった。
年上の女性、橘静香と同居しているのは知っている。二人の住む部屋にも、夏休みに一度行ったことがある。
リビングもキッチンも小綺麗で清潔だったが、正弘から聞いた静香の性格からすれば、家事をやりそうにない。
 なので、家事全般は正弘がやっているのだろうと想像を付けていたが、料理まできちんとこなしているとは。
彼の性格なら、自然なことだ。だが、なぜ百合子は、正弘が料理が得意だということを知っているのだろう。
百合子は、鋼太郎の知らぬ間に正弘の家に遊びに行ったのだろう。その時に、カレーうどんをご馳走になった。
 そう考えるのが、一番妥当だ。だが、百合子が正弘の家を一人で訪問する理由がこれといって見当たらない。
百合子は誰とでも分け隔て無く接する人間だが、体が虚弱なせいで出席日数が少ないため、友人は多くない。
クラスメイトも、百合子と会話は交わすがお互いの家に行き会うような相手は、鋼太郎が知る限りではいない。
一番仲が良いのは、今も昔も鋼太郎だ。だから、どこへ行くにも、何をするにも、鋼太郎は彼女と一緒だった。
 だから、百合子が正弘の家に一人で行ったことが信じられなかった。いつ行ったのかすら、全く解らない。
問い詰めてしまいたい衝動に駆られたが、百合子と正弘も友人同士なのだから、交流を持つのは当然のことだ。
それをとやかく言ってはいけない、と鋼太郎は自分を押し止めた。こんなことぐらいでいちいち戸惑うな、とも。
 いつのまにか、百合子が手中にあるような錯覚を持っていたらしい。兄弟同然の関係だが、兄弟ではないのだ。
百合子とは、ただの幼馴染みだ。たまたま、お互いが近所に住んでいたから、仲良くなっただけに過ぎない。
 それに、百合子は十四歳だ。いつまでも小さな子供のような外見をしているが、その中身は立派な中学生だ。
正弘の家に一人で遊びに行ったことも、そのことを鋼太郎に言わなかったのも、彼女が自立してきたからだ。
 そう、思うことにした。




 一ヶ谷市民球場に到着したが、試合開始までは時間があった。
 現在時刻は午前九時三十分過ぎだが、プレイボールは午前十時だ。それまで、五人は少し休むことにした。
透の車酔いを落ち着かせるため、というのがもっとも大きな目的だ。透は、まだ青い顔をして黙り込んでいる。
ベンチに座って、百合子の買ってきたスポーツドリンクをほんの少しずつ飲んでいるが、顔色はまだ良くない。
それでも、青ざめていた頬に血色が戻りつつあるので、バスを降りた直後よりはまともになってきたようだ。
透の隣にいる百合子は、時折、透の頬に触れたりしている。顔色が戻ってきたよ、と明るく励ましている。
銀次郎は、百合子の隣に座っていた。誰と話をするでもなく、百合子が買ってくれたジュースを飲んでいる。
 鋼太郎は、正弘と共に券売所で外野席券を人数分買っていた。そのためのお金は、先に全員から徴収済みだ。
学生四枚子供一枚の観覧券を手にし、鋼太郎は正弘と顔を見合わせた。正弘は、鋼太郎の視線に軽く笑った。

「どうした」

 バスの中で百合子が話していたことを、正弘本人に問い質そうか問い質すまいか、一瞬迷ってしまった。

「あの」

 だが、聞かない理由もない、と鋼太郎は思い直した。

「ゆっこって、ムラマサ先輩んちに行ったんすか?」

 正弘の動きが、僅かに止まった。ほんの一瞬の出来事だったが、鋼太郎の高感度スコープアイは捉えていた。

「大分前にな。でも、大したことじゃない」

 正弘の口調はいつも通りだったが、言葉のニュアンスが違っていた。何か、取り繕うような雰囲気があった。
六月の上旬に、身内の墓参りに行ったことを報告した時と同じだ。在り来たりな語句で、誤魔化している。
 正弘は、何かを隠している。無論、鋼太郎にそうだと言い切れる根拠はないが、そう思えてならなかった。
一度でもそう感じてしまうと、拭い去ることが出来ない。正弘への引っ掛かりが、明確な疑いへと変わった。

「本当に、そうなんすか?」

 これ以上問い詰めても良い方向には進まない、と解っている。はずなのに、口から勝手に言葉が滑り出た。

「ああ」

 正弘の態度は、変わらない。

「気にするほどのことじゃないさ、鋼」

 本当は、気に掛けるほどのことを隠している。正弘の態度が曖昧なのは、鋼太郎を煙に巻くつもりだからだ。
疑念は消えず、鋼太郎の思考をねじ曲げた。百合子にも正弘にも、触れられたくない部分はあるはずだ。
だから、無用な詮索はやめるべきだ。誰にだって、隠し事は一つ二つある。それを、無理に探る意味はない。
 下手をすれば、正弘も百合子も傷付けてしまう。この心地良くも楽しい友人関係を、壊してしまいたくない。
鋼太郎は、内側で好奇心と自制心を鬩ぎ合わせていたが自制した。下らないことは、考えるものじゃない。

「そうっすよね」

 鋼太郎が納得したと判断したらしい正弘は、軽く頷いてから三人の元に向かった。大きな背が、遠ざかる。
これでいいんだ。鋼太郎も自分自身を納得させようとしたが、胸の中心に、形の定まらないわだかまりが出来た。
 百合子は、透の血色が戻ってきた頬に手のひらを触れている。透は驚いているらしく、目線を彷徨わせる。
もう大丈夫だね、と百合子は透に向けて笑いかけている。透は百合子に触れられるまま、何度も頷いている。
正弘も、透の額に手のひらを当てた。途端に透は、ひゃう、と空気の抜けるような悲鳴を上げて仰け反った。
本気で驚いた透の姿に、正弘は平謝りしている。透はむっとしているのか、少しばかり眉を吊り上げている。
言い返したいけど言葉が出てこないのか、目を伏せてしまう。銀次郎は、そんな三人の様子を横目に見ている。
 百合子は笑っている。鋼太郎の良く知っている、だが、去年に比べれば子供っぽさが消えつつある顔立ちで。
 彼女は、成長している。





 


06 12/12