非武装田園地帯




第十七話 初恋



 休み時間になったので、透は教室から廊下に出た。
 今のうちにトイレにでも行っておこう、と歩き出したが、二階に繋がる階段に大柄な姿を見つけて足を止めた。
一目で、それが誰か解った。階段の手すりに寄り掛かっていた鋼太郎は透を見つけると、右手を挙げてみせた。
透の周囲の生徒は、物珍しげに鋼太郎をちらちら見ているが、近寄りたくないのか足早に去っていってしまう。
中には、透と鋼太郎を見比べてあからさまに嫌そうな顔をしている生徒もいたが、それを無視して彼に近付いた。
百合子が一階にやってくることはあるが、鋼太郎は滅多にない。透は不思議に思いながら、鋼太郎の前に立った。

「あの、何か、用ですか、黒鉄君」

「ゆっこがな、保健室に行っちまったんだよ」

 で、と鋼太郎は肩に担いだ百合子の通学カバンを指した。

「四時間目が始まる前に帰るっつってるから、持っていこうと思ってよ。そのついでに」

「あ、そうなんですか。それは、寂しいですね」

 透は、階段を下りて歩き出した鋼太郎に続いた。

「いつものことだよ。朝からなんか様子が変だったから、たぶん帰るんじゃねぇかなーって思ってたし」

「そうだったんですか」

 透は、歩調を早めて鋼太郎の後を歩いた。鋼太郎は何もしなくても威圧感があるので、独りでに道が空く。
その後ろを進む透は、少し肩身が狭かった。鋼太郎を盾にしているような気がして、情けなくなってしまった。
気にしてはいけない、とは思うが気になってしまう。鋼太郎を見上げると、彼も振り向いたので目が合った。
途端に、鋼太郎は目を逸らしてしまった。透も反射的に顔を背けてしまったが、慎重にまた鋼太郎を見上げた。
壁のように大きな背と広い肩、頑強な腕。透はその背を見上げていたが肩を落とし、かすかなため息を零した。
 そして、保健室に到着し、鋼太郎が扉を開けた。だが、養護教諭はおらず、代わりに見慣れた人物がいた。
ワイシャツを脱いで銀色の素肌を曝している正弘が椅子に腰掛けていて、腹部の脇からケーブルを伸ばしていた。

「よう。鋼、透」

 正弘は、鋼太郎と透に片手を挙げた。鋼太郎は透と一緒に保健室に入り、扉を閉めた。

「ムラマサ先輩、バッテリー切れっすか?」

「そんなところだ」

 正弘は、コンセントに差し込んでいる充電用ケーブルを持ち上げてみせた。その体格は、中学生ではない。
軍用サイボーグなので、汎用型よりも大分屈強に造られている。筋骨隆々、と表現するのが相応しい体だ。
上腕も太く、生身の人間の筋肉を模している外部装甲が分厚い。本当に、戦闘用として作られたボディなのだ。
 百合子の通学カバンを肩から下ろして床に置いてから正弘に近付いた鋼太郎は、彼の裸の上半身を指した。

「なんで脱いでるんすか?」

「ちょっとな」

 正弘は、軽く笑った。透は鋼太郎の陰に隠れ、視線を彷徨わせている。目のやり場に困っているのだ。

「あ、あの、でも、せめて、着ていた方が」

「充電が終わったら着るさ」

 正弘は鋼太郎が持っている通学カバンに気付くと、カーテンに囲まれているベッドを指した。

「ゆっこはまだ起きてない。だから、カバンはそこら辺にでも置いておいてくれ」

「小夜子先生は?」

 鋼太郎が問うと、正弘は職員室の方向を顎で示した。

「職員室だ。何か用でもあったのか?」

「いや、別にないっすけど、いないからどこにいるのかなって。でも、ゆっこ、大丈夫なんすか?」

「大丈夫じゃないとしたら、その原因は鋼が一番解っているだろう」

 急に、正弘の態度が冷えた。鋼太郎は一瞬言葉に詰まったが、曖昧に答えた。

「そりゃあ…まあ…」

 透は、正弘と鋼太郎を見比べた。表情こそ掴めないが、正弘の鋼太郎に対する態度はかなり険悪だった。
対する鋼太郎は、心当たりがあるのか顔を伏せている。透が何か言わなければと思っていると、正弘が言った。

「だから、鋼も透も、そっとしておいてやれ」

 な、と言い含められ、鋼太郎は頷いた。

「なら、ムラマサ先輩、よろしくお願いします」

「えっと、でも」

 透は不安げに眉を下げ、百合子のいるベッドを見つめた。鋼太郎は体を反転させて戻り、扉を開けた。

「ムラマサ先輩がいるんだ、心配ねぇよ」

「じゃ、また、昼休みに」

 透は正弘に頭を下げ、鋼太郎に続いて出ていった。その足音が遠ざかってから、正弘はカーテンの中を覗いた。
ベッドの上に座っている百合子は、正弘に濡らしてきてもらった自分のハンカチで、頬や目元を拭っている。
正弘は、ベッドのフレームに引っ掛けてある自分のワイシャツを見たが、無性に気恥ずかしくなってしまった。
腕と手のひらには、ありありと百合子の感触が残っている。ワイシャツにも、彼女の涙の染みが付いている。
それを他人に見られたくなくて、脱いでしまった。やりすぎた、とも思わないでもないが羞恥の方が強かった。

「すまん」

 これでもう、十回目の謝罪だった。正弘が大きな肩を縮めていると、百合子の掠れた声が掛けられた。

「いいですよ、私の方からくっついちゃったみたいなもんですから」

「いや、だが、あれは、オレが…」

「フルサイボーグってもっと冷たいのかなぁって思ってましたけど、結構あったかいんですね」

「充電中だから、バッテリーが加熱していたせいだと思う。普段はそうでもないぞ、廃熱処理は徹底しているから」

「鋼ちゃん、透君と一緒だったんですね」

「ああ、そうだ」

 正弘が苦い思いで返すと、百合子は達観したような大人びた微笑みを浮かべた。

「鋼ちゃん、上手くやるといいんだけど。でも、鋼ちゃんだからな」

 目は充血して声は泣き喚いたせいで掠れ、髪は乱れたままだったが、彼女は子供でも少女でもなくなっていた。
だが、女というには弱すぎる。その微妙な雰囲気を感じ取りながら、正弘は鋼太郎が去った方向に向いた。
鋼太郎が百合子のこういった面を見れば、状況も変わっていたのだろうが、百合子が見せないのだから仕方ない。
鋼太郎が来ても適当にあしらってくれ、と言ったのは百合子だ。正弘はそれに従って、二人を退けたのだ。
泣き腫らした顔を見せたくなかったのか、或いは鋼太郎の顔も見たくなかったのか。その両方かもしれない。
 百合子は見た目こそ子供かもしれないが、言動こそ幼いが、その中身は思っているよりもずっと大人だ。
だが、危うい。ちゃんと守ってやらなければ、しっかり支えてやらなければ、先程のように容易く折れてしまう。
正弘は、百合子の疲れの滲んだ横顔を見つめていた。乾いた唇が動き、声にならない声で彼の名を呼んだ。
 その名が自分の名でないことが、ひどく悔しかった。




 保健室を出た透は、鋼太郎の背を追った。
 休み時間といっても十五分休みなので、すぐに時間は終わってしまう。なので、校舎から出るつもりはなかった。
どこに行く気もなかったので、透はなんとなく鋼太郎に続いていった。この行動に、深い意味などなかった。
鋼太郎が足を止めたのは、食堂の手前の階段の、一階と二階の中間の踊り場だった。今の時間は、人気がない。
一階と二階の廊下を通して、生徒達の喧噪が聞こえる。教室棟から離れているせいもあり、ひっそりとしていた。
透は百合子のことが気掛かりだったが、正弘がああ言うのだから百合子は大丈夫なのだろう、と思い直した。
 踊り場に設置されている大鏡には、鋼太郎と透が映っている。鋼太郎は、鏡から離れた壁に背を預けている。
保健室を出てからというもの、鋼太郎はずっと黙っていた。一言も喋らないので、透も喋ることが出来ずにいた。
たまに視線を向けたと思っても、透が目を向ける頃には逸らしてしまう。どちらも動かず、ただ時間だけが進む。
聞こえるのは、自分の心臓の音だけだった。透が顔を伏せていると、鋼太郎の重たい体が動く軋みが聞こえた。
視界に、鋼太郎の履いている内履きが入ってきた。透がおずおずと顔を上げると、鋼太郎はすぐ前に立っていた。

「透」

 鋼太郎の声は、いつになく強張っていた。ブルーのゴーグルに、気弱な表情の透が映り込む。

「あの、さ」

「はい」

「別に、いいぜ」

「何が、ですか?」

「だから、あれだよ、あれ」

「あれって、なんですか?」

「だから、なんつーか」

 鋼太郎はまた視線を逸らしたが、透に戻した。

「別に、いいんだぜ。鋼ちゃんでも」

 透はきょとんとした。一瞬、訳が解らなかったからだ。間を置いてから理解した透は、手を横に振る。

「えっ、でも、あの、そんな、あれは、ただ」

「つーか、そっちの方がいいんだよ」

 鋼太郎は、照れの混じった口調で言い捨てた。透が反応に困っていると、鋼太郎はくるっと背を向けてしまった。
そのまま階段を昇り、二階の廊下を駆けていった。独特の重々しい足音が、教室棟に向かって去っていった。

「でも…」

 透は、躊躇した。

「あれは、そんな…」

 鋼ちゃん。声には出さないで、呼んでみた。名字の、黒鉄君、よりも親しみがあり透はこちらの方が好きだ。
好きだが、だからといって、鋼太郎のことをそう呼びたいわけではない。あれは、気分が高揚していたからだ。
鋼太郎らが友達になってくれたのが嬉しくて、スケッチに付き合ってくれたことが嬉しくて、楽しかったのだ。
だから、その高揚に任せて言ってしまっただけだ。それ以後も、似たような理由で呼んでしまっただけなのだ。
 だが、鋼太郎はそうは思っていないのかもしれない。透は頭に浮かんできたある考えを、払拭しようとした。
まさか、そんなわけがない、とは思うが鋼太郎の態度はおかしい。浮き足立っていて、落ち着きがなかった。
それに、鋼太郎は百合子の具合が心配ではないだろうか。このこともまた、透の心の中に引っ掛かっていた。
体の弱い百合子が体調を崩すのは、いつものことかもしれない。鋼太郎は、慣れっこなのだろうと思う。
幼馴染みである以前に友人なのだから、多少なりとも心配するのが普通だ。それが、微塵も感じられなかった。
 正弘に言われたからというだけで引き下がったのは、あっさりしすぎている気がする。色々と、妙な感じがする。
不可解さを抱えながらも、透は教室に戻るべく歩き出した。足を前に進めるに連れて、違和感が不安に変化した。
 どこかが、歪んでいる。





 


06 12/17