悪魔の囁きだった。 亘は、右腕に押し当てられている透の頼りない胸の膨らみを感じてしまい、劣情が跳ね上がってしまった。 透は何も解っていない。だから、そんなことを言えるのだ。無垢というか、それがまた可愛らしいというか。 亘は透に背を向けてしまいたかったが、透が離れないので出来ない。透は亘の腕に縋り、見上げてきた。 「ダメ?」 ダメに決まっている。亘の自制が決壊する。そう言いたかったが、透の切なげな目に見られては言えなかった。 透にしては大胆すぎる気がしないでもないが、それは透が亘に欲情しているからだ、と思うと嬉しくなってくる。 亘は、呼吸を整えてから透に目をやった。透は自信のなさげな笑みを見せながら、亘の腕に更に体を寄せた。 そのおかげで、隙間が完全になくなった。掠る程度でしかなかった胸がぴったりと貼り付き、形まで解りそうだ。 既に、下の方は暴発寸前だ。痛みまで生じている。下半身のあまりの素直さに、我ながら情けなくなってしまう。 亘は体を横にして、透に向き直った。それだけはしてはいけない、と言うつもりだったが、飲み込んでしまった。 顔立ちこそ、十四歳にしては大人びているが表情は年相応だ。幼い頃と変わらない眼差しで、見つめてくる。 透は、すぐ傍にいる。手を出してはいけないと思っていたものが、手の届く場所にあり、そして手の中にある。 そう感じてしまえば、限界など簡単に突破してしまった。亘は自分の唇を拭ってから、透の目を見据えた。 「言ってきたのは、透の方だからな」 責任転嫁も良いところだが、そうでもしなければ罪悪感に飲まれそうだ。亘は手を伸ばし、透の頬を包み込んだ。 表面こそ、気温のせいで冷えていたが内側はとても熱かった。熱があるのでは、と心配になってしまうくらいに。 亘は、誰かとそういったことはしたことはない。知識として知っているだけで、実際に体験したことはなかった。 妹の肌は、滑らかで柔らかい。自分と同じ生き物であるはずなのに、まるで別物だ。非常に繊細なガラス細工だ。 乱暴にしたら、壊れてしまう。亘はやれる限り気を遣って、透を引き寄せた。妹は、躊躇いがちに薄い瞼を閉じる。 唇を重ね合わせると、間近から甘い匂いが感じられた。亘は透の体に腕を回して、強引に抱き竦めて貪った。 「んっ」 驚いた透が、喘いだ。亘は本能に流されるまま、透の口中に舌を差し込み、舌を絡め合わせて唇を甘く噛む。 最初のうちは、透も少し抵抗してしまった。まさか、ここまで強くやられるなど予想もしていなかったからだ。 けれど、慣れてくると心地良くなった。息苦しさで喘いでいるのはどちらも同じで、求めているのも同じだった。 何度も何度も口付けて、やっと亘は解放してくれた。透は唇の端に付いてしまった唾液を拭い、呼吸を整える。 右手の指で唇を押さえている透は、瞳が潤んで頬も赤らみ、ショートカットの襟足が細い首筋に掛かっている。 それが、扇情的だった。亘は解放したばかりの透を再び引き寄せると、妹の短い髪を乱しながら深く口付けた。 透も、もう抵抗しなかった。おずおずと亘の肩に手を掛け、身を寄せてくる。目を開けると、妹の睫毛が見える。 唇を離し、妹の首筋に顔を埋める。あっ、と透は少し身動いだが、その両腕には亘をはね除けるほどの力はない。 それを承諾だと認識した亘は、透の華奢な首筋に口付けた。薄い肌に印を付けるように、強く、強く、吸ってやる。 「お兄ちゃあん…」 妹の甘い声には、混乱と高揚と欲情が混在している。いつもと同じ呼び名が、背徳感を増させ、欲望を高める。 「痛くしないから」 保証は出来なかったが、そう言うしかない。透は、僅かだが頷いてみせた。亘は、透のパジャマに手を掛ける。 ボタンを上から順番に外していくと、暗がりの中でも解るほどはっきりとした手術痕が付いた肌が露わになる。 左肩から胸部にかけての、抜糸の後。薄い肌に食い込んでいる、機械の部分。サイボーグである証拠だ。 事故の際、折れた肋骨が突き刺さった部分の肺も切除している。だから、肋骨の下にも手術痕があった。 透は、身を固くしている。亘は、大丈夫だから、と透を落ち着かせてやってからボタンを全て外していった。 肌着にしているキャミソールの肩紐が落ちていて、まだ成長途中の胸が覗いていた。眩しいほど、白かった。 透の体温が染み付いたキャミソールに手を掛け、捲り上げた。手術痕のせいで、左右で形の違う乳房が現れた。 右側は、膨らみかけながらも綺麗な形をしていた。左側は肋骨の下と肩の傷口に引きつられ、歪んでいる。 「やだ、よう」 透は肩を縮め、両手で顔を覆った。 「そんなの、見ちゃ、ダメぇ」 「透は、充分綺麗だ」 亘は掛け布団を払い、透の上に覆い被さる。透はひゅっと息を飲み、急に体を丸めた。 「嫌、嫌あ」 指の間から見える目から、理性の輝きが失せた。瞳孔が収縮し、虚空を凝視する。 「や、やだ、やだ、やだ、やだ、やだぁああああっ!」 「透」 亘が声を掛けると、透はがちがちと顎を鳴らしながら両腕を掻き抱いた。 「こわいよ、こわいよ、こわいよ! やだ、くるな、くるなくるなくるな、さわるな、さわるな、さわるな!」 亘の体の下で、透は苦しげに息を上げている。だくだくと涙を流しながら、シーツが千切れるほど握り締めた。 「許してぇ、お母さあんっ!」 透の悲痛な絶叫に、亘は一気に熱が引いた。透を抱き起こして腕に収めても、透の震えは収まらなかった。 「痛いの、痛いの、嫌なの、痛い、痛いんだぁ!」 「ごめんな、透」 亘は、猛烈な自己嫌悪に襲われた。透は亘に縋り付き、泣き喚く。 「痛いよう、痛いよお、なんでそんなことするんだあ! 助けて、助けて、助けてぇ、助けてえお兄ちゃあん!」 「本当に、ごめんな」 亘の言葉が聞こえないのか、透は叫び続ける。 「嫌だああっ! お母さんも、お前も、嫌いだあっ! 皆、皆、みんな、死んじゃえばいいんだぁっ!」 「大丈夫だ。大丈夫だから」 「死ね、死ね、死んでしまえっ! 殺してやる、全部全部殺してやるっ! 死ね、死ね、死ねえええ!」 「本当にごめんな、透。オレが、悪かったんだ」 「うわぁああああっ」 透は亘の胸に顔を埋め、喉が裂けそうなほどの叫びを上げた。亘は透が苦しくないように、背中をさすった。 亘は透を抱き締めながら、涙が止まらなかった。透のことは好きだ。妹として、そして、女として好いている。 けれど、まだ女として見るべきではなかったのだ。透の内には、亘がまだ知らないような傷が残っていたのだ。 ゆっくり、癒していくしかない。亘はやるせなくなりながら、激しく喘ぎながら泣き喚く透を必死に宥めてやった。 今、出来ることはそれしかない。 怖い夢を見た。 幼い日の記憶。見知らぬ男。母親。着たくもないスカート。逃げ出そうとしたら転ばされて、引き摺られた。 組み敷かれた。殴られた。髪を引っ張られた。服を剥がされた。そこから先は、思い出したくないが、覚えている。 兄の匂い。兄の体温。兄の味。怖い夢の中でもそれだけは明確で、全身に満ちている恐怖を和らげてくれた。 いつでも傍にいてくれて、優しくしてくれるから、自分を好いてくれるから、そして、必要だと言ってくれるから。 だから、大好き。 目が覚めたのは、登校時間をとっくに過ぎた後だった。 透は涙の筋が残る頬を拭って、目を擦り、瞬きした。体の前に手を当てると、外されたボタンは元に戻してある。 枕からは、兄の匂いがする。天井を見上げ、目を動かして、この部屋が亘の部屋であったことを思い出した。 昨夜のことは、覚えている。亘から好きだと言われた。亘に好きだと言った。そして、亘と初めてのキスをした。 パジャマを脱がされそうになったところまでは、良かった。透も、恥ずかしくはあったが淡い期待を抱いていた。 けれどそこで、過去の記憶が蘇ってきて錯乱してしまい、亘を拒絶した。透が目を伏せていると、扉が開いた。 「透、起きたか?」 顔を上げると、亘が入ってきた。制服ではなく、普段着を着ている。 「あ…」 透は起き上がり、枕元からメガネを取って掛け、壁の掛け時計を見上げた。時刻は、八時十五分を過ぎている。 「学校、行かなきゃ…」 「風邪ってことにして休ませてもらったよ。透も、オレも」 亘は、透の前に座った。透は昨夜のことを思い出し、声を詰まらせた。 「ごめんなさい、お兄ちゃん」 「悪いのは、オレの方だ。本当にごめんな、透。やっぱり、あんなことはしちゃいけなかったんだな」 「ごめんなさい」 「どうして謝るんだよ」 「だって、せっかく、お兄ちゃんが、私の、こと」 透は、過去に振り回されてしまった情けなさと過去を振り切れない悔しさと、兄への申し訳なさで項垂れた。 「綺麗だ、って言って、くれたのに」 項垂れた妹の首筋には、亘が刻み付けた欲望の名残が赤く残っていた。亘は、昨夜の罪悪感が蘇ってきた。 透の取り乱した姿が、忘れられない。透の心中に燻っていた負の記憶を呼び覚ましたのは、間違いなく自分だ。 あの様子からして、何があったのかは大体の想像が付くが、口には出さなかった。透が、可哀想だからだ。 妹に比べれば、亘の傷など少ない方だ。母親の顔を知らない、と言う負い目はあるが、それぐらいしかない。 香苗は亘に興味を持たなかったので、これといった危害は加えられなかったが、透はずっと虐げられていた。 そして、最も卑劣なことも行われていたようだ。亘は項垂れている透の肩に手を添えると、透の肩が跳ねた。 明らかに、妹は怯えている。亘は何度となく、何もしないから、と透に言い聞かせながら抱き締めてやった。 「透は綺麗だよ。ついでに、いい子だ」 「…本当に?」 「本当だ」 全身を強張らせている妹に、亘は語り掛けた。少しでも、その傷を癒してやりたかった。 「透がいい子だから、友達だって三人も出来たし、オレも透が好きになったんだ。透は綺麗だから、あんなに綺麗な絵を描けるんだ。透。好きだ。何度だって、言ってやるよ」 「うん。私も、お兄ちゃんが、好き。大好き」 透は怖々と、亘の背に手を回してきた。亘は、透の髪を撫で付けてやる。 「まだ、オレはお兄ちゃんでいるよ。透がもっと元気になって、本当に大丈夫になってから、名前で呼んでくれ」 「ごめんなさい」 「だから、謝るなって」 亘が笑うと、透は安堵したのか体の力を抜いた。 「うん」 「そろそろ、下に降りてご飯にしないとな。午後になれば父さんも帰ってくるから、それまでに元気にならないと」 「うん。そうだね、お兄ちゃん」 透は亘から離れたが、名残惜しそうだった。亘が透の頬に手を添えると、透は照れくさそうに目を閉じた。 昨夜のそれとは違った、軽く触れるだけのキスをした。亘が離れて出ていこうとすると、透は身を乗り出した。 「えっと、あの」 「なんだ?」 亘も気恥ずかしかったが、振り返った。真っ赤な顔をした透は、消え入りそうな声で言った。 「また、一緒に、寝てもいい?」 「いいよ」 亘は、妹に笑い返した。 「オレも、透ともっと一緒にいたい」 じゃあ下にいるから、と亘は部屋を出た。底冷えする廊下を歩いて階段を下りながら、照れくささに苛まれた。 自分の真意なのは確かだが、言い回しが気障すぎた。この分だと、昨日とは違った意味で透を意識してしまう。 まだお兄ちゃんでいる、と言った手前、そういう態度はいけない。透が下りてくるまでに、態度を取り繕わないと。 その前に、朝食の準備はしておこう。亘も料理は出来るが透ほど器用ではないので、大したものは作れないが。 透は、兄と自分の匂いが入り混じっている布団に倒れ込んだ。枕には、透の流した涙の跡が乾いて残っている。 兄の唇と重ねた唇に、指先を這わせる。いけないことだと解っている。してはいけないことだと認識している。 けれど、兄と触れ合った場所から、兄と通わせた部分から、温かな温度が広がって凍えていたものが溶けていく。 昨夜のように激しく取り乱した後の寝覚めは、頭が痛くて気分が悪いのが常だったが、今日はとても気分が良い。 それも全て、亘が傍にいてくれたからだ。抱き締めてくれて、語り掛けてくれて、そして、好いてくれている。 愛されるとは、こういうことなんだ。透は、温かなものに全身を包まれているような気分になり、自然と頬が緩んだ。 雪は止み、窓からは鮮烈な朝日が降り注いでいた。 07 1/20 |