非武装田園地帯




第二話 鋼鉄の先輩




 白球、投げ合って。


 教室の正面の黒板には、消し損なった数式が残っていた。
 鋼太郎は、誰もいないのをいいことに机に両足を乗せていた。先程までの騒がしさが嘘のように、静かだ。
壁に掛けてある時計を見上げると、時刻は午後十二時三十一分。他の生徒は、給食を食べ始めている頃だろう。
だが、鋼太郎はそれを食べない。食べられないこともないのだが、あまり食べ過ぎてしまうと故障してしまう。
 一日に一食だけ、それもかなり軽い量だけしか食べてはいけないと、何度となく医者から言い聞かされている。
食べた物を消化するための消化液が入ったタンク容量は、体格に反比例して、それほど大きいものではない。
鋼太郎のボディは、軍事目的、すなわち過酷な戦闘に耐えるように造られたので食品の摂取は必要最小限だ。
 体を動かすための動力はバッテリーとエンジンなのだが、そこはやはり人間なので最低限の栄養が必要だ。
最後の生身の部分の、脳を生かしておかないと今度こそ本当に死んでしまうので、栄養は摂らなければならない。
 そのための栄養剤は医師から渡されているので、それを忘れずに飲んでおけば、栄養失調で死ぬことはない。
だが、錠剤ばかりというのはなんとも味気ない。食欲など失せたはずなのに、食べたい気持ちになってしまう。

「あー…」

 鋼太郎は食べたい欲求と食べられない不満が渦巻き、椅子にもたれて唸った。

「なんか喰いてぇ」

 サイボーグになって一番辛いのは、量を食べられないことだ。鋼太郎はそんな確信をしながら、体を起こした。
聴覚に意識を集中させて集音の範囲を広げると、同級生らが給食を摂っている食堂からの話し声が聞こえた。
ついこの間までは、あの中にいたと思うと寂しくなってしまう。鋼太郎は聴覚から意識を外し、音域を狭めた。
 寂しいのは、何もそれだけではない。この体になったせいで、以前は仲の良かった人間が距離を置いてきた。
鋼太郎の姿形の変わりように、誰しもが驚いて、怯えて、戸惑って、そして最後は遠巻きに眺めるようになる。
彼らの囁く陰口を聞きたくないと思っても、鋭利な聴覚が勝手に感じ取ってしまい、聞いてしまうこともある。
 教師達も、鋼太郎を疎んでいるようだ。突然フルサイボーグと化してしまった生徒の扱いに、困っているのだ。
外見はロボットそのものだが、中身は十四歳の少年というギャップに付いていけないらしく、何も言ってこない。
授業では指されないし、叱ることもない。下手に刺激して問題でも起こしたら大事だ、とでも思っているのだ。
 家族は、最初はぎこちなかったが今では以前のような関係に戻っていて、両親は鋼太郎をきっちり叱ってくる。
家の手伝いもさせられ、下の兄弟の世話も任され、勉強しろと小言を言われ、早く寝ろと急かしてくれる。
前は、それが口やかましいだけだったが今となっては嬉しい。オレをまだ子供だと思ってくれているのだ、と。
 下の兄弟の、小学一年生の妹の亜留美は割と早く慣れてくれたが、小学三年生の弟の銀次郎は違っていた。
生身であった頃は、銀次郎は鋼太郎を慕っていた。キャッチボールの相手になってくれたこともあった。
 だが、サイボーグになって帰ってくると、銀次郎は明らかに怯えた。お前は誰だ、兄ちゃんを返せ、と叫んだ。
鋼太郎が鋼太郎であると何度言っても、銀次郎はそれを一切信じようとせず、ついには泣き出してしまった。
それからずっと、銀次郎は鋼太郎から離れている。顔を合わせれば逃げて、近付こうとすれば避けてしまう。
 その度に、鋼太郎は悲しくなった。ここにいる自分は幽霊のようなものなのだ、と思ってしまうこともある。
死に損なっただけで、本当はあの時に死んでいたのだと。だから、銀次郎は自分を怖がってしまうのだ、と。
銀次郎の気持ちも解らないわけではない。だから、責めることは出来ない。だが、悲しいものは悲しい。
 蛍光灯が吊り下げられた薄汚れた天井を見上げ、鋼太郎は、胸の辺りが痛むような感覚を覚えていた。
だが、それは錯覚だ。生身だった頃のクセが脳に残っているから、ありもしないものが痛んでしまうのだ。
あまり考え込むと、この体が憎らしくなってくる。鋼太郎は机から足を下ろすと、教室の後ろに向かった。
 自分のものを詰め込んである棚から、ジャージの入ったスポーツバッグを引っ張り出し、その底を探った。
そこから、退院祝いに買ってもらった手に合った大きさのグローブを出し、スポーツバッグを棚に戻した。

「カーブでも練習すっかな」

 鋼太郎は、左手に填めたグローブにボールを投げ込むような気持ちで、軽く握った右手を叩き付けた。
野球ボールは、グラウンドにある体育準備倉庫から失敬すればいい。投げられれば、なんでもいい。
投球練習に専念すれば、余計なことを忘れられる。そう思いながら、鋼太郎は誰もいない廊下を歩いた。
 窓の外には、雪の残る田んぼが見えていた。




 その頃。百合子は、量の多い給食を睨んでいた。
 体の小ささに比例して胃の小さい百合子にとって、中学校で出される給食は、普段の数倍の量があった。
プラスチック製の大きな茶碗には山盛りのご飯が、これまた大きな汁椀には、味噌汁が並々と注がれていた。
真ん中を区切られたおかずの皿には、キュウリともやしの酢の物と、魚の切り身のフライが載っている。
更には牛乳とデザートのヨーグルトが付いていて、百合子は見ているだけでお腹一杯になってしまった。
 だが、食べられる分だけでも食べるしかない。百合子はげんなりしながらも、大根の味噌汁に手を付けた。

「ねぇ、ゆっこ」

 百合子の隣に座るクラスメイトの渡辺早紀が、百合子に声を掛けてきた。百合子は、汁椀を置く。

「何?」

「ゆっこってさ、黒鉄君と仲良いの?」

 早紀は、からかい半分興味半分といった口調だった。百合子は、首をかしげる。

「まぁ、普通だと思うけど。でも、早紀ちゃん、なんでそんなこと聞いてくるの?」

「だって、黒鉄君って、あれ、どう見たってねぇ…」

 早紀は牛乳を啜ってから、苦笑いした。百合子の向かいに座っている、小原健一が早紀の言葉に頷いた。

「だよなぁ。オレ、あれが鋼だなんて今も信じらんねーよ」

「でしょー? 声も違うし、壁みたいにでっかいし、どこからどう見てもロボットだしさぁ」

 早紀は、百合子を見下ろしてくる。

「ゆっこぐらいならまだ許せるんだけど、あれはちょっとねぇ」

「しかもあの体、軍用だって話だろ? おー怖ー」

 銃とか付いてんじゃねーの、と健一があからさまに嫌そうにした。百合子はむっとする。

「付いてないよ、そんなもの。鋼ちゃんは鋼ちゃんなんだから。サイボーグって言ったって、全部が全部戦闘用ってわけじゃないもん。銃器の装備が許可されるのは、警察か自衛隊に正式に参入した場合だけで、それ以外で銃とか武器とかを装備すると違法改造になっちゃって、サイボーグボディが剥奪されちゃうんだよ。それに、鋼ちゃんは体の改造なんて、ほとんどしてないもん。したのは、パワーセーブ用のリミッター回路をセーブ力の強いやつに交換したぐらいで、それ以外は普通のサイボーグなんだから」

「ゆっこ、よく知ってるねぇ」

 能弁な百合子に、早紀は少々引いた。百合子は、口に入れたご飯を飲み込んだ。

「サイボーグ規定書ってのがあって、サイボーグになると読まされるの。それは、セミサイボーグでもフルサイボーグでも同じことなの。手術するたびに読まされてたから、もう覚えちゃった」

「でも、パワーセーブ用の回路って、それ、意味あんのか?」

 健一に訝しまれたので、百合子は彼に目を向けた。

「あるよ。鋼ちゃんのボディは、デフォルトで戦闘用だったからパワーが強かったの。パワーを減らすためには、エンジンから各部分に駆動を伝えるパワーシステムを根本からいじるのが一番良いんだけど、そこまでやると改造費が馬鹿にならないから、普通はリミッター回路の交換だけをするの。回路の交換だけでも、効果は充分だから。んで、なんで交換するのかって言うとね、日常生活を送りやすくするためなの」

「でも、パワーなんてセーブしない方がいいんじゃねーの? あいつ、ピッチャーになりたいんだろ? 公式試合には出られないかもしれねーけど、ピッチャーだったらパワーがあった方がいいんじゃねー?」

 健一が言うと、百合子は魚の切り身のフライを箸で切り、食べた。

「だから、戦闘用だったからパワーがありすぎたの。リミッター回路を変えないままの鋼ちゃんが思い切り投げると、時速二百五十キロぐらいは簡単に出せちゃうんだ」

「二百五十!? そんなん、誰も打てないじゃん!」

 早紀が目を見開き、声を裏返した。百合子は頷く。

「うん。そうなの。そのままだと凄く危険だから、パワーをセーブしたの」

「うっへー…。超怖ぇー」

 健一は、顔を引きつらせる。百合子は箸を置き、息を吐く。

「でも、変化球は一つも投げられないんだ。鋼ちゃんだから」

「聞けば聞くほどやばすぎじゃん、黒鉄君って。ゆっこ、よくあんなのと一緒にいられるよねぇ」

 早紀は、信じられないと言いたげだ。百合子は、牛乳パックにストローを刺す。

「ていうか、そんなに怖いかなぁ、サイボーグって。私は平気だけど」

「そりゃ、白金は平気だろうよ。自分もサイボーグだから。でも、オレらは普通じゃん? だから、なんかなぁ…」

 言葉を濁した健一を、百合子は見上げた。

「だから、何なの?」

「なんつーか、さぁ」

 健一は、軽い口調で言葉のきつさを誤魔化した。

「薄気味悪い、っつーの? 脳みそだけで機械の体を動かすー、なんて、漫画とかの中で見るならいいけど、現実に見るとやっぱし不気味なんだよなぁ。ていうか、脳みそだけなんてさぁ、あれってもう人間じゃなくねー?」

「じゃあ、自分がそうなってもそんなこと思うの?」

 百合子は、健一を見据えた。健一は一瞬ぎょっとしたが、曖昧に笑った。

「オレ? オレがあんなふうになるわけねーじゃん、何、馬鹿なこと言ってんだよ」

「そんなこと、誰にも解らないよ。急にひどい病気になっちゃうかもしれないし、事故っちゃうかもしれないんだから」

 百合子は必死に怒りを押さえながら、続けた。言っていいことと悪いことがある。

「鋼ちゃんだってね、自分が怖いんだよ。今は普通にしているけど、怖いものは怖いんだよ。体は変わったかもしれないけど、中身は普通の人間だからそう思っているんだよ。なのに、なんで、それが解らないの?」

「だって…なぁ?」

 健一は、早紀と顔を見合わせた。二人の近くに座っているクラスメイト達も、怪訝そうに百合子を見つめている。
あちらからしてみれば、なんでそこまで人間だと思うんだ、とでも言いたげだが、鋼太郎はただの人間だ。
 百合子は、次第に悔しくなってきた。鋼太郎は何も悪くないのに、なぜここまで言われなければならないのだ。
手の中の牛乳を握り締めてしまいそうだったので、食器の載っている盆に戻してから、百合子はふて腐れた。
誰も彼も、想像力に欠けている。体が機械なら中身も機械、なんて理屈はサイボーグには通用しないのに。
 百合子は、誰とも目を合わせたくなくて窓を見据えた。すると、視界の隅に、大柄な影がいるのが入ってきた。
二年生の食堂は二階にあるのだが、その下にある木の傍にいた。最初は鋼太郎かと思ったが、雰囲気が違う。
百合子は、それが誰なのか思い当たった。鮎野中学校にいるサイボーグは、何も鋼太郎一人だけではない。

「あれって」

「ああ。村田でしょ」

 早紀はそのサイボーグの名を口にしたが、非常に冷淡だった。その呼び方に、百合子は呆気に取られた。

「あの人、確か三年生でしょ? 呼び捨てちゃっていいの?」

「あれを先輩扱いするような人間なんて、誰もいねーよ」

 健一は、人間、をやけに強調した。早紀は、百合子に顔を向ける。

「そっか、ゆっこは入院してばっかりだから、村田のことはよく知らないもんね」

「あ、うん」

 百合子が反射的に頷くと、早紀は言った。

「そうだよね、考えてみたら、黒鉄君はまだタチがいいよね。村田はもっとタチが悪いもん」

「タチが悪いって、どんな?」

 あまり聞くべきではないと思ったが、百合子は好奇心に負けて尋ねた。早紀は、表情を硬くした。



「村田は、イッカザンサツのイキノコリなんだよ」



 一家惨殺。生き残り。


 どちらも、日常生活では到底使わない言葉だ。クラスメイトが、給食の時間のお喋りで使うような言葉ではない。
百合子は先程の怒りと同時に、その言葉に戸惑ってしまい、どこがどうタチが悪いのかまでは考え付かなかった。
鋼太郎もそうだが、サイボーグになる人間は、生前の肉体が手術不可能なほど損傷してしまった場合が多い。
 となれば、村田という三年生は余程酷い目に遭ったということだ。どれだけおぞましいかなど想像も付かない。
小学校の頃から、体を交換しながら学校に通っている彼の存在は知っていたがそれだけで、過去までは知らない。
きっと重い病気でもしたのだろう、と思っていたがそうではなかった。百合子は、小学校時代の彼を思い出した。
 ボディがボディだけに目に付くが、いつも静かで何も言わず、クラスの子達からも離れた場所に立っていた。
小学校の頃は、百合子は休みがちで学校に行くことは少なかったので、必然的に彼と関わり合いにならなかった。
だから、今の今までその名すらも知らなかった。でも、サイボーグだ。鋼太郎と同じく全身が機械の少年だ。
 彼がどんな人かは解らないけど、近付いてみたくなった。きっと、鋼太郎と似たような思いをしているはずだ。
百合子は窓の下にいる村田という名の先輩を見下ろしていたが、なんとなく、その視線の先を辿ってみた。
 彼は、グラウンドの隅でネットを相手に投げ込んでいる鋼太郎を見ていた。





 


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