非武装田園地帯




第一話 サイボーグ・ミーツ・ガール



 病室の窓から見える景色は、雪に包まれていた。
 三月の始め、鋼太郎は退院の日を迎えていた。投薬と通院はこれからも続くが、体の状態は安定している。
ボディは、自衛隊から買い上げたものを継続使用していた。民間会社のものもあるのだが、値段がかなり高い。
その点、自衛隊のものは国が費用の大半を負担してくれているので、自己負担は二割程度で済むのである。
といっても、やはり高いものは高いので、余計なカスタマイズなどは一切しない状態で退院することとなった。
 開け放った窓から雪の降りしきる空を見上げていたが、ぴしゃりと窓を閉め、私物の増えたベッド周辺を見た。
六ヶ月以上も生活していると、必然的に物が増える。着替えの類は少ないが、暇潰し用の漫画や本が特に多い。
大柄なサイボーグになったために、以前着ていた服が全て着られなくなったので、父親からの借り物ばかりだ。
 どれもこれもくたびれていて、病院の中で着る分にはいいのだが、これを着たまま外へ出る気にはなれない。
なんとかしねぇとな、と鋼太郎が思っていると、病室の扉がノックされた。その直後に、勢い良く開かれた。

「鋼ちゃん、退院おめでとー!」

 病室に入ってきた百合子は、自分のことのように嬉しそうだった。鋼太郎は、百合子に向く。

「おう」

 自分の退院を喜んでくれるのはありがたいのだが、そこまで喜ばなくてもいいじゃねぇか、と思ってしまった。
鋼太郎自身も嬉しいし、早く病院から出て家に帰りたかったのだが、先に喜ばれるとちょっとやりづらかった。
百合子は分厚いコートと毛糸のマフラーと帽子を片手に持っていて、足元はピンクと白の長靴を履いていた。
 診察後に中学校に遅刻して行くようで、制服を着ているが、足にはタイツを履き、中にも着込んでいる感じだ。
確かに、二人の住んでいる地域は豪雪地帯で冬場は寒いが、百合子の防寒装備はやりすぎではないかと思う。
だが、百合子の抵抗力の低さを考えれば、風邪を引かないためには仕方ない。少々、動きづらそうではあるが。
 百合子の長い黒髪には、溶けた雪の滴が付いている。駐車場からこの病室まで、一気にやってきたのだろう。

「お前の母さんは?」

 鋼太郎が言うと、百合子は下の階を指すつもりで足元を指した。

「受付してる。もうしばらくしたら、来ると思うよ。鋼ちゃんのお父さんとお母さんは?」

「午後に来るんだそうだ。だから、もう少し待ってなきゃならねぇ」

 鋼太郎は、窓の外を見やった。三月になっても、未だに季節は冬のままで、春の訪れはまだまだ遠かった。
遠くに見える山も病院の周囲に広がる田畑や住宅街も、柔らかな白に覆われ、景色はモノトーンになっている。
だが、視覚の光度を高めると明暗がはっきりして、細かい部分まで良く見える。すっかり、体の使い方も覚えた。
リハビリの時に医師や先にサイボーグとなった患者から教えられたりしたおかげで、動かし方の要領が掴めた。
 最初の頃は何も解っていなかったのでろくな機能が使えなかったのだが、今では大抵のことなら上手く出来る。
視覚と聴覚も、自由自在だ。鋼太郎の目は人工網膜式ではなく機械式なので、視界は今一つだが機能は抜群だ。
なので、一キロ半程度の距離ならばズームで見ることが出来る。音も、範囲は限られるが聞こえる音域は増えた。
ボディが金属製なので触覚と痛覚はないに等しいが、味覚はある。といっても、感じられる味の数は少ない。
 便利な部分もあるが、生身の頃とは使い勝手がかなり違う。だが、これからは、それに慣れるしかないのだ。

「三学期、そろそろ終わりだな」

 鋼太郎が呟くと、百合子は鋼太郎の近くにやってきた。

「期末テストはとっくに終わっちゃったよ。全部の教科がボロボロだったけどね! 平均は五十ぐらいだった!」

「そんなこと、笑いながら言うなよ」

 鋼太郎は、気楽な百合子に呆れてしまった。百合子は、にこにこしている。

「だって、どうせ私は馬鹿だもん。良い点なんて、取れるわけがないもん。一緒に頑張ろうね、鋼ちゃん」

「まぁ、そうだな。入院してる間、勉強なんてろくにしなかったからな」

 あーやりたくねぇ、と鋼太郎はぼやいた。百合子は、鋼太郎の背を軽く叩いた。

「私だってやりたくないよー、面倒なんだもん。でも、やらなきゃならないから、ちゃんとやるっきゃないよ」

「まぁ、なぁ…」

 鋼太郎は帰る気が失せてしまいそうだったが、気を取り直した。ちゃんとしなければ、後で苦しむのは自分だ。
百合子は、鋼太郎を見上げた。見慣れてくると、この姿もこれはこれでいいかもしれないな、と思うようになった。
外との気温差で、窓には結露が浮いている。百合子は手で窓を拭いて結露を消し、そこから外の景色を見た。

「カーブ、練習してる?」

「出来るわけねぇだろ、この天気じゃ」

 鋼太郎が返すと、百合子はにんまりしながら振り向いた。

「それじゃ、まだ出来ないんだぁ」

「…るせぇな」

 鋼太郎は、百合子に背を向けた。

「努力はしたんだよ、努力は」

「うん。それは解るよ」

 百合子は、ベッドにある野球ボールを見やった。新しく買ってもらったようだが、既に大分使い込まれていた。
カーブの握りの際に指が当たる部分には、へこみも出来ていた。余程力を込めて握って、投げていたのだろう。
縫い目も少し破れていて、中のコルクが覗いている。そのコルクにも、僅かながら、ヒビが入っているようだ。
 練習を見たかったな、と百合子は思った。鋼太郎が必死になって練習している姿を見るのは、昔から好きだった。
百合子は体力がないから、体力のある鋼太郎が羨ましいのもあるが、鋼太郎自身が好きだからと言うのもある。
鋼太郎は、羨ましげな目で野球ボールを見つめる百合子を見下ろした。その頭の上に、手を翳してみる。

「ゆっこ。背、ちょっと伸びたか?」

「あ、解る!?」

 百合子は表情を明るくし、得意げに胸を張る。

「今までは百三十九だったけど、この間の身体測定で計ったら百四十だったんだよ! 凄いね、よく解るね!」

「勘だよ、そんなもん。んで、体重も増えたんじゃねぇの?」

「そういうことは聞かないでよお。そりゃ、ちょっとは増えたかもしんないけどさ」

 少し拗ねてしまい、百合子は頬を膨らませた。病室内の暖房が強いせいで、色白の頬は朱に染まっている。
鋼太郎は、機嫌を損ねた百合子を眺めた。顔立ちは割と可愛いのだが、表情が子供っぽいので台無しだった。
入院していた六ヶ月間、百合子は毎週のようにやってきた。たまに、二回も三回もやってくることもあった。
 最初は、ひどく気が滅入っていたこともあるし、百合子が鬱陶しく思えたので話もしないことが多かった。
だが、気持ちが持ち直してくると、何はなくとも元気の良い百合子に引き摺られる形で笑えるようになった。
立ち直る切っ掛けをもたらしてくれたのは百合子だ。何かを返してやるべきだ、と思い、鋼太郎は言った。

「ゆっこ。ありがとな、色々と」

「いいよ、別に。私は、鋼ちゃんが元気ならそれでいいんだもん」

 百合子は気恥ずかしげに、頬を緩めた。鋼太郎は、その笑顔から目線を外す。

「それで、だな。なんか、いるか?」

「なんかって何?」

 首をかしげた百合子に、鋼太郎は照れくささを押さえながら目線を戻した。

「だから、さ。なんつーか、その」

「いいよ、なんにもいらない」

 鋼太郎の言いたいことを察し、百合子は首を横に振った。鋼太郎に近寄り、かかとを上げて背伸びをする。

「でも、してほしいことならあるかも」

「なんだよ」

 あまりの距離のなさに鋼太郎が一歩ずり下がると、百合子はにぃっと笑った。

「学校、一緒に行こ?」

「…それだけか?」

 他愛もない頼みに、鋼太郎はきょとんとした。百合子は頷く。

「うん。それだけ。あ、でも、鋼ちゃんがどうしても嫌だーって言うんなら諦めるけどさ」

 鋼太郎は、真正面にいる百合子を見下ろした。目一杯かかとを上げているが、距離は少ししか狭まっていない。
百合子と一緒に登校することがなくなって、久しい。中学校に入ってからは、一度も揃って登校したことはない。
一緒に登校するのは、やはり気恥ずかしい。だが、大したことではない。そんなことだけで、いいのだろうか。
 鋼太郎はしばらく悩んだが、妥協した。百合子の足の遅さに合わせて、登校時間を前倒しすればいいだけだ。

「別に、嫌ってわけじゃねぇけど。それぐらいなら、まぁ、いいけどよ」

「じゃあ、明日っからね!」

 うわぁい、とはしゃぐ百合子に鋼太郎は戸惑った。

「あ、明日って、明日っからかよ、おい! ていうか、普通、次の一学期からじゃねぇのかよ!」

「だって、授業もまだあるし、終業式だって残ってるじゃんかー。鋼ちゃん、嫌じゃないんじゃなかったのー?」

 したり顔の百合子に、鋼太郎は言葉に詰まった。

「そりゃ、そうだけど…」

 確かに、嫌というわけではない。だが、登校すること自体が久々で、増して百合子と一緒なのはかなり久々だ。
そのことに対する気恥ずかしさや、様々なことに対する不安があり、鋼太郎は複雑な心境になってしまった。
百合子は鋼太郎の不安を知ってか知らずか、嬉しがっている。何がそんなに嬉しいのか、鋼太郎には解らない。
 診察の受付を終えた母親が呼びに来ても、百合子はずっとにこにこしていた。本当に、嬉しくてたまらないのだ。
そんな百合子を見送ってから、鋼太郎は窓の外を見やった。まだ午前中なので、家の車は向かえに来ていない。
 不安も、心配も、恐怖も、まだまだ残っている。そのどれもが些細ではあるが、鋼太郎にとっては大きかった。
それらを、一つ一つ乗り越えていかなければならない。サイボーグとなっても、自分はやはり自分なのだから。
 ロボットじみた自分の顔が、結露の浮いた窓に映っていた。




 そして、現在。二人は進級し、中学二年生になった。
 最大で二メートル近くも降り積もった雪も春の訪れと共に溶けてきたが、まだ至るところに溶け残っていた。
四月になっても、この地方は寒い。本格的な春がやってくるのは、雪が完全に溶けた、四月の後半頃からだ。
長い土手に沿った、平坦な土地に作られた広大な田園は、畦道だけが露わになっていて田んぼの中はまだ白い。
 あの日、鋼太郎が向かおうとした橋と鋼太郎が撥ねられた坂の上から下りて、大きく曲がった歩道を歩く。
立派な体格に似合わない黒の学ランを着込み、通学カバンを背負った鋼太郎の傍を、百合子が並んでいた。
鋼太郎の歩調はやたらと遅いが、百合子は急ぎ気味に歩いていた。そうしないと、すぐに間隔が空いてしまう。
 二人の通う町立鮎野中学校は、田舎らしく制服は地味極まりない。男子は学ランで、女子は紺のセーラーだ。
男子の方は三年間通して制服は何も変わらないが、女子だけは学年ごとにリボンの色が分けられている。
一年生はグリーン、二年生はブルー、三年生はワインレッド、というように。制服と同じく、色は地味だが。
ジャージも、それと同じ色だがこちらは男女共通だ。上も下も脇にラインが一本入った、野暮ったいデザインだ。
 そのジャージの入ったスポーツバッグと新しい教科書が詰まった通学カバンを担ぎ、鋼太郎は百合子を見た。
去年より量の増えた教科書が重たいので、辛そうだ。鋼太郎にはなんでもない重さだが、百合子にはきつい。

「鋼ちゃあん」

 百合子は小さな手で通学カバンの肩掛けベルトを掴むと、鋼太郎を見上げて懇願した。

「カバン持ってぇー」

「嫌だ。オレのも同じ重さなんだ、ゆっこのを持ったら二倍になるから、バッテリーを喰っちまう」

 鋼太郎は、正面を見たままだった。その態度に、百合子はむっとする。

「この冷血サイボーグぅ」

「なんとでも言え」

 百合子の文句に、鋼太郎は素っ気なく返した。百合子は鋼太郎を睨んでいたが、正面に向いた。

「けちー」

 鋼太郎は顔は動かさずに、視覚の焦点を動かして百合子を見下ろした。百合子は、ぷいっと顔を背けた。
意地悪、だの、馬鹿、だのと言っているが、決して本気ではない。その証拠に、彼女の横顔は笑っている。
これぐらいのことで、何がそんなに嬉しいのだろうか。鋼太郎は、退院の日にも感じた疑問を、口に出した。

「なぁ、ゆっこ」

「ん?」

 振り向いた百合子に、鋼太郎は尋ねた。

「お前、なんでオレなんかと一緒にいたがるんだよ?」

「んー、べぇっつにー。なんだっていいじゃんよー」

 百合子は照れくさそうに笑みを浮かべ、小さな肩を竦めた。ますます不可解になり、鋼太郎は首をかしげた。
別に、理由がなくてもいいのだ。鋼太郎にはそれが解らないのかと思うと、百合子は少しだけ、優越感を感じた。
どんな姿であれ、なんであれ、彼が元気ならそれでいい。登校時間だけでも、一緒にいられるなら尚のこと。
 百合子は、幼い頃に何度か死にそうな目に遭った。だから、こうして学校に通えるだけでも素晴らしいと思う。
その上、大好きな鋼太郎が傍にいるなら、この上なく素敵なのである。だから、思わず浮かれてしまうのだ。
幼い頃とは少しだけ見た目は変わったかもしれないけど、根本的な部分は何一つとして変わっていない。
 鋼太郎は相変わらず不器用でカーブは投げられないし、百合子はすぐに笑ってすぐに泣いてすぐに怒っている。
目に見える風景は電子情報で、道を踏む足のサイズは四十センチで、ストレートなら剛速球が投げられるけど。


 それ以外は、どうってことない。そんな、日常だ。





 


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