非武装田園地帯




第三話 ガラスの転校生




 心に、勇気を。


 左腕が、重い。
 まだ年若い教師が、教科書を読み上げている。その内容は既に知っているので、あまり興味は湧かなかった。
 透は、メガネ越しに周囲の景色を眺めていた。雪は解け残っているが木々は芽吹き、小さな葉を広げつつある。
空を流れる雲は穏やかで、空気も柔らかかった。外へ出たら気持ち良さそうだが、風は相当冷たいのだろう。
内容を知っているといっても、授業を受けないのは良くない。教師によって、教えることが違うこともある。
 透は教師に注意を戻すと、右の肘で教科書を押さえ、その先に置いてあるノートにシャーペンを走らせた。
左手は、膝の上に置いたままだ。これを出す気になんてなるわけがない。授業にだけ、意識を集中させる。
近くの席の生徒の視線が、透に向いている。転校生だから、というのもあるが左腕のせいでもあった。
 左手には、セーラー服には不似合いな白い手袋を填めている。木綿で出来た一般的なものだが、異様だ。
黒板に書かれたものをノートに書き写しながら、透は左手を握り締めた。ぎちっ、と小さな軋みが聞こえた。
 機械の、音だった。




 給食を終えて、透は廊下を歩いていた。
 誰も透に話し掛けることはなく、それぞれの仲の良い人間で集まって、やかましく喋りながら通り過ぎていく。
皆よりもワンテンポ遅れた足取りで、歩いていた。左腕を隠してしまいたかったが、そうすれば余計に目立つ。
大抵の生徒がいなくなった頃、ようやく透は安堵した。ざわめきが遠ざかり、話し声もあまり聞こえなくなった。
廊下の窓際で足を止め、深く息を吐く。教室にいなくてもいい昼休みだけは、少しだけだが、気が楽になる。
 メガネを直してから、グラウンドに向いた。グラウンドの隅では、今日も二人のサイボーグが投げ合っている。
ぱぁん、という小気味良い音が響き、白球がグラブに収まる。いいな、と、二人を見ながら心の隅で思っていた。
二人ともマスクフェイスなので表情こそ解らないが、会話の雰囲気や二人の様子で、楽しそうなのは伝わる。
 すると、二階の方から声がした。この時間になるといつも聞こえてくる、あの、やけに明るい女生徒の声だ。

「こーちゃーん! せんぱーい!」

 透は、その声に苦笑した。そんなに叫ばなくても、二人はサイボーグなのだから良く聞こえると思うのに。

「私も、そっち、行くねー!」

 その声がした後、上でぱたぱたと軽い足音がした。それが移動してきて、食堂の前にある階段までやってきた。
階段を足早に降りる足音が近付いてきて、それが一階まで下りてきた。どうやら、いつもの声の主らしい。
 それは、やたらと小さな二年生の女子だった。白いヘアバンドで前髪を上げていて、広い額を晒している。
小学生に制服を着せたのでは、と思えるほどだったが、胸元のリボンはブルーなので二年生なのは確かだ。
彼女は身長が足りないせいで、普通よりも長めになっているスカートを持ち上げて、急いで降りてきた。
階段を下りきって廊下に付くと、立ち止まって深呼吸をした。それを何度か繰り返してから、また駆けた。
 透は、彼女の小さな背が遠ざかっていった廊下を見つめていた。走るのが遅いので、まだ出口まで届かない。
そして、ようやくグラウンドに通じる出口までやってくるとまた、こーちゃーん、と大きな声を上げている。
透は、グラウンドの隅にいる二人のサイボーグを見やった。右側に立っている方が、やる気なく手を挙げた。
どうやら、あちらがコウチャンらしい。左側にいるのがセンパイか。コウチャンとはどんな字を書くのだろう。
 彼女は上履きから外履きに履き替えるために、昇降口に向かった。今度は走らずに、ゆっくりと歩いている。
出口から昇降口までの距離は、大したことはない。それぐらいの距離なら走ればいいのに、と透は思った。
 彼女を目にしたのは、これが初めてだった。




 二度目は、そのコウチャンと一緒にいるところだった。
 四月も半ばを過ぎた頃、透はスケッチブックを抱えて校庭を歩いていた。校舎の中には、いたくなかった。
転校してきたため、話の合う友人など一人もいない。それに、自分から近付くような勇気も起きなかった。
 だから、学校の周辺の景色でもスケッチしようと思い外へ出た。そして、校舎の裏側へとやってきた。
陽の当たらない、薄暗くて肌寒い場所だった。そこに踏み入ろうとすると、あの明るい声が聞こえてきた。

「鋼ちゃん。ムラマサ先輩、また屋上?」

 あの小さな体付きの二年生の女生徒がいた。校舎の壁に寄り掛かって、手には大きなグローブを填めている。

「いや、屋上の手前の階段。鍵も、もう閉めちまったってさ」

 彼女の隣で壁にもたれている、大柄なサイボーグが言った。コウチャンと呼ばれていた方の男子生徒だ。

「誰かが入ってきて落ちでもしたら、大変だからっつってたぜ。あそこ、囲いがねぇからな」

 透は足音を立てないようにしながら、後退した。二人から見えない位置まで下がったが、背を向けられない。
自分は何をやっているんだろう。スケッチブックとペンケースを握り締めながら、透は自己嫌悪に苛まれた。
 生身の人間と仲の良い、あのコウチャンが羨ましい。そして、体の小さな上級生の彼女にも興味があった。
近付きたいのは、山々だった。だが、足を進められない。透は息まで殺し、スケッチブックを抱き締める。
 二人の会話が、流れてくる。近付く勇気がないなら聞いてはいけない、と思いながらも注意は二人に向いた。

「へー。私だったら、自分だけは入れるようにしちゃうけどなぁ。だって、あそこ、すっごく景色が良いじゃん!」

 快活な彼女の言葉に、コウチャンが返す。

「ムラマサ先輩、真面目なんだろ。あの人、そういう感じがするしよ」

「うん。私もそう思う。体は鋼ちゃんみたいにごっついけど、中身はいい人だよ、絶対!」

「そうじゃなきゃ、オレの投球練習に付き合ってくれるわけがねぇもんな」

 コウチャンの声が、少しだけ楽しげになる。彼女は、茶化すように笑った。

「で、鋼ちゃんは変化球、投げられるようになった? ムラマサ先輩は投げられるみたいだけど?」

「…るっせぇな」

「あー、まだ投げられないんだー! 鋼ちゃんのノーコン、ぶきっちょー!」

 小学生のように、彼女はコウチャンをからかった。コウチャンは、むきになる。

「いちいちノーコンって言うな、終いにゃ怒るぞ!」

「だって、本当のことなんだもーん。怒られる筋合いなんてないもーんだ」

「あのなぁゆっこ。人間てのは、本当のことを言われると一番傷付くんだぜ?」

 コウチャンの口調が、やさぐれる。ゆっこと呼ばれた彼女は、少し間を置いてから返した。

「あー、まぁ、そうかもね。うん、そうだ。うん、ごめん」

「解ればいいんだ」

 コウチャンが腕を上げたのか、ぎっ、と機械の軋む音がした。

「ゆっこ、いい加減にオレのグローブ返せよ。いつまでも持ってるんじゃねぇ」

「えぇー」

「えー、じゃない。お前が持ってたってどうしようもねぇだろうが、さっさと返せ」

「なんか、やだぁ」

「なんでだよ」

 ゆっこの文句に、コウチャンが訝しむ。ゆっこは、むー、と子供っぽい声を漏らす。

「よく解らないけど、なんか、持っていたいんだもん」

「オレのボールやっただろ」

「あれはあれでいいんだけどぉ、なんか、もうちょっと欲しいなー、みたいな?」

 ゆっこは、甘えるように語尾を上げる。コウチャンは、呆れたらしかった。

「あのなぁ…」

「言ってみただけじゃんかぁ」

 ゆっこは、むっとした。コウチャンは、戸惑っている。

「ムラマサ先輩も言ってたけど、お前、どうしてそんなにオレに執着するんだよ? 訳解んねぇよ」

「えー、迷惑なのお?」

 ゆっこが拗ねると、コウチャンは言葉を濁した。

「そういうわけじゃねぇけどさ…」

「じゃ、いいじゃん。私は鋼ちゃんと一緒にいられればそれでいいんだもん」

 くふふふ、とゆっこの押し殺した笑いが漏れてきた。その声はとても幸せそうで、満ち足りているようだった。
コウチャンはますます訳が解らなくなったのか、ぎちっ、と関節を軋ませた。恐らく、首を捻ったのだろう。
 透は、手袋に包んだ左手をきつく握った。スケッチブックを掴む指に力が籠もり、厚紙の表紙に食い込む。
この二人なら、きっと。コウチャンの方は解らないけど、ゆっこの方なら、たぶん、大丈夫かもしれない。
透は、心臓が高鳴っていた。ここから一歩でも踏み出して姿を現せば、二人は気付いてくれることだろう。
 そう思って足を前に進めようとしても、力が入らなかった。それだけのことなのに、体が言うことを聞かない。
脳波を受け取って動く機械の左腕は、透の心境を読み取っていて、決意を固めさせるために勝手に力が強まる。
 でも、進めない。透は詰めていた息を飲み込み、唇を噛んだ。足を後ろに進めると、いやにすんなりと動いた。
逃げることなら出来るのに、肝心の進むことは出来ないなんて。無性に情けなくなりながら、後退っていった。
 校舎裏から離れた透は、昇降口に駆けていった。


 誰かの足音が、遠ざかっていくのを感じた。
 鋼太郎は聴覚が拾った音に気を向けて集中し、それがローファーで体重からして女子であると判断した。
この近くにいたようだが、走り去っていってしまった。その足音の主が、一体どこの誰なのかは解らない。
だが、珍しいと思った。この校舎裏は薄暗くて雰囲気が暗いせいで、鋼太郎と百合子ぐらいしか来ない。
 走り去った、ということはこの近くに立ち止まっていたと言うことになる。本当に、誰だったのだろう。
鋼太郎が足音の行く末を探っていると、百合子が首をかしげた。鋼太郎のグローブを、細い腕で抱いている。

「どしたの、鋼ちゃん?」

「足音が」

 鋼太郎の言葉に、百合子は辺りを見回した。

「え? 誰かいたの?」

「いたみてぇだけど、いなくなっちまったな。まぁ、別に気にすることもねぇだろうけど」

 鋼太郎は聴覚に向けていた意識を緩め、元に戻した。百合子は、鋼太郎にグローブを返してきた。

「あ、そういえばね、一年生の子にサイボーグがいたよ」

「そうなのか?」

 そんなこと、気付きもしなかった。鋼太郎が意外に思うと、百合子は返す。

「左手だけ手袋をしてる、メガネを掛けた髪の短い子だったよ。きっと、セミサイボーグだね」

「一年にいたっけか?」

 鋼太郎は訝しんだが、すぐに思い出した。そういえば始業式の時に、転校生が来たと教師が話していた。

「あ、するってーと、あの転校生のことか?」

「たぶん、そうじゃないかな。左手をそんなに動かしてなかったし」

「ゆっこ、よく解るな」

 グローブを左手に填めながら鋼太郎が感心すると、百合子は笑った。

「解るよお、それぐらいは。私、特殊外科に何回も入院してたんだよ? 色んな患者さんを、一杯見てきたんだもん。セミサイボーグになった人ってね、大抵はその部分を使いたがらないの。私みたいなのとか、足の人は使わざるを得ないんだけど、腕をサイボーグにした人ってその腕をあんまり動かしたがらないんだぁ」

「なんでだ?」

「コンプレックスだから、なんじゃないかな。外に見えているから、やっぱり気にしちゃうんだよ」

「ふうん」

 鋼太郎は、足音が遠ざかった方に顔を向けた。百合子はかかとを上げて、鋼太郎との距離を狭める。

「ね、鋼ちゃん! ムラマサ先輩だけじゃなくて、その子とも仲良くなりたいね!」

「…お節介じゃねぇの?」

 鋼太郎の呟きに、百合子は丸い頬を張る。

「なんでそう思うの? 仲良くなれたら素敵じゃんかー!」

「あのなぁ、ゆっこ。ムラマサ先輩は、あっちから近付いてきてくれたから、仲良くなれたんだぜ?」

 背を曲げて身を屈めた鋼太郎は、百合子を真上から見下ろした。

「誰も彼も、ゆっこみてぇな能天気じゃねぇんだよ。仲良くなりたいなんて、思っているとは限らねぇんだよ。それに、お前、さっき言っただろう? サイボーグの左腕が、コンプレックスになってるのかもしれねぇって。そうだとしたら、下手にオレ達みてぇなのが近付かない方がいいかもしれねぇってことだよ」

「どーして?」

「どうしてってそりゃ、お前はセミサイボーグだがオレはフルサイボーグだ。嫌悪されても、おかしくねぇ」

 鋼太郎は、サイボーグ手術を受けて意識を取り戻したばかりの頃のことを思い出した。あの頃は、荒れていた。
生身の体を失ったことへの恐怖と絶望、新しい機械の体への嫌悪と憎悪。今も、完全に失せたわけではない。
百合子や家族のおかげで大分まともになっているが、鋼太郎のように切り替えの出来る人間ばかりではない。
 さっきの一年生は、そうなのかもしれない。だから、鋼太郎がいる場所から離れてしまおうと立ち去ったのだ。
充分有り得る話だ。だが、百合子はそうは思っていないらしく、やけに真剣な眼差しで鋼太郎を見上げている。

「でも、あの子、さっき鋼ちゃんとムラマサ先輩のキャッチボールを見ていたよ」

「だから、それがどうしたってんだよ」

 鋼太郎は、この話題を止めようとぞんざいに返した。百合子は、食い下がる。

「他の誰も見てないのに、見てたんだよ」

「それぐらいのことで、他人を判断するんじゃねぇ。お前の勝手な主観を押し付けたって、迷惑なだけだろ」

「でも…」

 百合子は目線を落とし、つま先で地面を蹴った。

「仲良くなれたら、素敵だって思うんだけどなぁ」

 鋼太郎も、そう思わないわけはない。だがそれでは、サイボーグ同士で傷を舐め合うようだとも感じていた。
同じ傷を共有する者同士で馴れ合っても、一歩間違えばその傷を深め合ったり、より狭い世界に埋没していく。
 鋼太郎は、それが嫌だった。正弘と仲良くなれて、キャッチボールの相手が出来たことは素直に嬉しいと思う。
だが、あれは運が良かったのだ。まだ付き合い始めて二週間程度だが、正弘は、二人と割と気が合っている。
三年生と二年生だが、野球という共通の話題もあるし、態度は硬いが穏やかな正弘との会話はなかなか楽しい。
 でも、それはそれなのだ。転校生の一年生にも当て嵌まるとは限らず、そうでない可能性も充分にある。
鋼太郎は少し心配になりながら、俯いている百合子の横顔を見下ろし、グローブの中に右手の拳を叩き込んだ。
 グラウンドからは、生徒達の歓声が聞こえてきた。





 


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