翌日の昼休み。鋼太郎と百合子は校舎裏ではなく、屋上の入り口の前にいた。 そこには、先客の正弘がいた。階段の一番上の段に腰掛けて相槌を打ちながら、二人の話を聞いていた。 百合子と鋼太郎は、正弘の隣に座っていた。昨日、二人が話した話題を聞き終えた正弘は、顎に手を添えた。 しばらくそうしていたが、顔を上げた。鋼太郎と百合子を見下ろしていたが、手前の鋼太郎に視線を向けた。 「それは、鋼が正しい」 「えぇー。ムラマサ先輩も、一年のサイボーグの子とは仲良くならない方がいいって思うんですかぁー」 百合子がむくれると、正弘は黒のスラックスに包まれた太い足を組んだ。 「オレは、まぁ、気の迷いで鋼に近付いたんだが、その子は違うだろう? オレにも、鋼にも接してこない。となれば、サイボーグに接したくないどころか近付きたくもないんだろう。そんな相手にオレ達みたいなのが近付いたら、その左腕で殴られるに決まっている」 「でも、あの子、大人しそうだったから殴りはしないと思いますよ?」 百合子が心外そうにすると、正弘は大きな手を振った。 「言葉の綾だ。殴りたくなるぐらい、嫌われてもおかしくないってことさ」 「でもお」 百合子が、不満げに眉を下げる。鋼太郎は、小さな唇を尖らせている百合子に向いた。 「ゆっこ、お前、どうしてそんなに他人を気にするんだよ。一年坊主なんて、別にどうでもいいじゃねぇか」 「いけない?」 不服そうな百合子に、鋼太郎はがりがりとマスクを引っ掻いた。 「いけないっつーか…。余計なことしちまったら、痛い目を見るのは、誰でもないお前なんだぞ?」 「そうだ。サイボーグになった人間は、ただでさえ堪えてるんだ。その上で、変なことはしない方がいい」 正弘は、ゆっくりと首を横に振る。百合子は、白のハイソックスを履いた足を投げ出した。 「そりゃあ、私だって、鋼ちゃんとムラマサ先輩の言っていることが解らないわけじゃないよ? サイボーグだってことを隠したい人が、サイボーグだってことを知られちゃうのは嫌だと思う。でも、あの子、一人だったんだ。ちょっと前のムラマサ先輩みたいに、他の人から離れた場所にいたんだ。だから、そのままだと、悲しいと思うんだ」 正弘は、なんとなくやりづらくなって百合子から顔を逸らした。確かに、この間までは正弘は一人きりでいた。 他人から敬遠されていたし、馴れ合おうとも思わなかったのでそうしていたのだが、鋼太郎が気になって近付いた。 その延長で百合子とも接し、何度も会ったり話すうちに交流を持つようになり、二人とは普通の友人関係になった。 正弘は、少し前の自分がやけに恥ずかしくなった。斜に構えていたこともそうだが、無用な意地を張っていた。 自分では確固たる信念を持っているつもりだったが、なんだかんだ言って、結局はただ捻くれていただけだった。 そして、いざ素直になってみるとやはりそちらの方が楽だった。毎日のように気を張っていると、疲れてしまう。 鋼太郎と百合子に、完全に心を許したというわけではないが、それでもある程度は心を開けるようになっていた。 「それに、あの子は転校生でしょ? だから、余計に仲良くしておくべきだと思うんだ!」 百合子は、にこにこしている。鋼太郎は、肩を竦める。 「田舎モンだって馬鹿にされねぇか? 確か、その転校生、関東の方から来たんだろ?」 「誰とも接しないのは、距離を置いているからじゃなくて、お高くとまっているからってことかもしれないな」 正弘が言うと、鋼太郎は百合子に向いた。 「だとさ。そうだったら、どうするんだ、ゆっこ」 「うぅ…」 百合子はしばらく悩んでいたが、顔を上げて表情を引き締めた。 「頑張る! それだけ!」 「具体的には?」 正弘が問うと、百合子は首を曲げた。 「何をどうしよう…?」 「頼りねぇなぁ、もう」 額に手を当て、鋼太郎は首を横に振る。百合子は、小さな背を丸めて頬杖を付く。 「だってぇ、友達になるにはどうしたらいいかなんてよく知らないんだもん。鋼ちゃんとは昔から友達だしぃ」 「とりあえず、話し掛けるのが一番妥当で安易な作戦じゃないか。接点を持たないことには、何も始まらない」 正弘の提案に、百合子は納得した。 「あ、そうですよね、どうもありがとうございます!」 よおし、と意気込んでいる百合子は、立ち上がった。鋼太郎は、その背を見上げる。 「授業にはまだ早ぇぞ。便所か?」 「違うよ、その子を捜しに行くに決まってるじゃんか! 行こう、鋼ちゃん!」 百合子は鋼太郎の手を取って、引っ張った。だが、鋼太郎の腕は重たいので、少しも持ち上がらなかった。 「え、オレもかよ?」 鋼太郎は百合子の頼りない腕に手を引かれながら、正弘に向く。 「ムラマサ先輩はどうするんすか?」 「いや、オレは行かないことにするよ。君らが始めたことだ、オレは関係ない」 正弘は手を振り、遠慮した。百合子は不満そうだったが、仕方ないと思ったのか鋼太郎の手を再度引いた。 「じゃ、行こう、鋼ちゃん」 「だから、なんでオレも一緒に行くことが決定してるんだよ。行くなら一人で行けよ、ゆっこ」 鋼太郎が文句を言うと、百合子は思い切り力を込めて、鋼太郎の腕を引いた。だが、まるで動かない。 「やだ! 鋼ちゃんと一緒がいい!」 百合子の言い草に、小学生かよ、と鋼太郎は内心で呆れた。正弘は二人の様子が可笑しく思え、笑っていた。 微動だにしない鋼太郎を動かそうと頑張っている百合子は、相当力を込めているのか、白い頬を紅潮させている。 しかしそれでも、百合子の腕力が致命的に足りないのと鋼太郎の腕がかなり重いのとで、全く変化はなかった。 鋼太郎は、付き合いきれない、とでも言いたげに百合子から目線を外している。百合子はまだ頑張っている。 一度手を放し、肩で息をしてからまた引っ張っている。正弘は百合子を手伝ってやろうと、鋼太郎の腕を持った。 すると、いとも簡単に持ち上がった。肘から先をひょいっと持ち上げられた鋼太郎は、あっ、と正弘に向いた。 「なにしてんすか、先輩!」 「ほら、連れて行け」 正弘は腕の出力を上げ、鋼太郎の腕をぐいっと押しやった。鋼太郎は抗おうとしたが、呆気なく押されてしまう。 左腕ごと身を乗り出させられた鋼太郎は、百合子に腕を抱えられた。満足げに、百合子は太い腕を抱き締める。 「ありがとーございますー、ムラマサ先輩!」 「離れろよ、もう」 鋼太郎は腕にしがみついている百合子に辟易しながらも、渋々立ち上がると、階段を下り始めた。 「行くだけだぞ、本当に行くだけだからな。手伝わねぇからな」 うわーい、と子供のようにはしゃぎながら、百合子は鋼太郎の手を引いて浮き浮きした足取りで階段を下りた。 鋼太郎のぼやきと百合子の歓声が遠ざかっていくと、静かになった。正弘は両足を投げ出すと、床に寝転がった。 右側の壁にある、汚れた小さな窓から差し込む弱い日光が、天井に広がっていた。そこに、眩しい部分がある。 それは、正弘の装甲に跳ねた日差しの一片だった。ぼんやりとその光を見つめながら、正弘は深く息を吐いた。 百合子の考え方もやりたいことも、間違っているとは思わない。だが、それが正しいとは限らないのだ。 けれど、サイボーグになった痛みを抱えて一人きりのままでいることもまた、正しいことではないように思う。 痛みは消えないし、薄らぎもしない。だが、痛みを共有する相手が、解り合える相手が出来たら、少し変わる。 正弘は、それを身を持って知っている。鋼太郎が相手であれば、全てではないが言いたいことを言えている。 そして鋼太郎も、他のクラスメイト達とは距離を置かざるを得ないが、百合子とだけは親しく付き合っている。 百合子もまた、鋼太郎と共にいることを喜んでいる。何のことはない、ただ言葉を交わすだけの関係だが。 たったそれだけのことであっても、何かが変わることは違いない。正弘は、背中を軋ませながら体を起こした。 サイボーグの発するパルスを、センサーが感受していた。鋼太郎には、このセンサーは装備されていないらしい。 以前に正弘を探しに来た時も、使っていた様子はなかった。鋼太郎は、完全に武装を解除されているようだ。 高校を卒業した後に自衛隊に入隊することが決まっている正弘は、体内に三種類のセンサーを搭載している。 無論、銃器や武器の類は一切装備していない。それでも、一般のサイボーグとは体の造りが多少違っている。 便利な時もあるが、不便な時もある。だが、今回は有効活用出来そうだ。正弘は、パルスの感受範囲を広げた。 サイボーグはロボットと違い、生身の人間そのものだ。故に、緊急時に発見出来るようにパルスを発している。 サイボーグ協会が、事故や故障を起こしたサイボーグを早く発見出来るように、発信器搭載の規定を設けたのだ。 正弘のセンサーが感受出来るのは、そのパルスだけであって、微細な周波数の違いやデータなどは掴めない。 だが、今回はそれで充分だ。細かい情報はなくとも、そのサイボーグの一年生の居場所ぐらいなら探し出せる。 捜しに行かないと行った手前、自分が動くのはどうかと思った。しかし、相手を見つけてしまったものは仕方ない。 正弘は少し悩んだが、立ち上がった。 その頃。透は、校舎裏に立ち尽くしていた。 昨日はいたのに、今日はいない。辺りを見回してみても、グラウンドを見てみても、コウチャンとゆっこはいない。 やっぱり、昨日勇気を出すべきだったんだ。躊躇わずに、前に踏み出して、一言声を掛ければ良かったんだ。 強い後悔と自己嫌悪が生まれ、胸を締め付けた。昔からそうだ、肝心な時に動くことが出来ない、とても情けない。 唇を噛み締めて、透は足元を見つめていた。スケッチブックを抱えている機械の左腕に、勝手に力が籠もる。 「君か」 突然の声に、透は心底驚いた。慌てて振り返ると、そこには先輩と呼ばれていたサイボーグが立っていた。 「あ…」 透は戸惑いながらも、身構えていた。先輩はスラックスのポケットに両手を入れていて、透を見下ろしている。 何もしていないのに、立っているだけで威圧感があった。背も高く体も厚いので、外見では中学生に見えない。 どうしよう、どうしよう、どうしよう。透は立ち去るべきかここにいるべきか迷ったが、その場から動けなかった。 先輩は、透に近付いてくる。足を動かすたびに膝とかかとから金属の軋みが聞こえ、フルサイボーグだと解る。 透の数メートル前で立ち止まった先輩は、ポケットに入れていた両手を出した。その両手は大きく、銀色だ。 「名前は」 「え、あ…」 透は先輩と視線を合わせないように、目を逸らした。弱々しい、消え入りそうな声で名乗る。 「一年の、山下透です」 「トオル? 男名前だな」 「はい。でも、そう、読むんです。透明の、透で、トオル、なんです」 肩を縮め、透は顔を伏せた。思い掛けないことに心臓が縮み上がり、息が詰まってしまって苦しかった。 あの二人だったら、まだ良かったのに。選りに選って、どうしてこっちの怖そうな人が来てしまうのだろう。 逃げ出してしまいたい、でも足が動かない。透が押し黙っていると、先輩は透との間をもう一歩詰めてきた。 「二年の黒鉄鋼太郎と白金百合子が、君を捜している。なんでも、仲良くなりたいんだそうだ」 「え?」 思い掛けない言葉に、透は顔を上げた。先輩は続ける。 「けど、君があの二人と仲良くなりたくないのであれば、オレから言う。鋼はともかく、ゆっこはやかましいからな」 「え、でも…」 透は、スケッチブックを抱き締めた。コウ、ゆっこ、ということは鋼ちゃんは黒鉄鋼太郎でゆっこは白金百合子か。 あの二人とは、仲良くなりたい。サイボーグだったら、自分の左腕に偏見を持たずに接してくれるかもしれない。 その二人が、自分を探してくれている。こんなにも嬉しいことはないが、同時に二人に悪いとも思ってしまった。 こんな自分に、近付いてきてくれてもいいことなんてない。上手く喋れないから、きっと嫌な思いをさせてしまう。 それに、近付くべきはこちらからなのだ。この先輩に返事を頼むのも躊躇われた。これは、自力でやらなければ。 「自分で、言います」 透は喉に力を入れて、言葉を絞り出した。 「ちゃんと、自分で言いますので、平気です」 透は、百合子よりも背は高いが体は細かった。スカートから伸びた足も、簡単に折れてしまいそうなほどだ。 だから、左腕が目立っていた。機械なので、細くするのは限界がある。なので、左腕は右腕よりも太かった。 白い手袋に包まれた手も、右手よりもやや大きめでサイズが揃っていない。その左手は、きつく握られていた。 正弘は、透が怯えているのだと思った。サイボーグがサイボーグに対して親しくしたいと思うとは、限らないのだ。 お高くとまっているわけではなさそうだが、仲良くしたいと思っているようには思えない。期待外れだ、と思った。 サイボーグを目の当たりにしてこんなに怯えている相手と、仲良くなれるわけがない。正弘は、少し残念だった。 百合子の理想論は嫌いではない。だが、やはり理想は理想だ。サイボーグへの偏見は、サイボーグにもある。 互いに押し黙ったまま、二人は対峙していた。身を縮めて固くしている透を、正弘は上位から見下ろしていた。 透は、メガネの下からそっと目を上げた。マスクフェイスなので、先輩の表情は掴めない。それがまた怖い。 だが、このまま黙っているのも辛かった。せめて自分から何か言おう、と決心し、透は弱いながらも言った。 「あの、お名前は」 「三年の村田正弘だ」 正弘が名乗ると、透は縮めていた肩をほんの少しだけ緩めた。 「村田先輩、ですか?」 「いや。鋼とゆっこは、縮めてムラマサなんて呼んでいる。そっちにしてくれた方が、いいと思う」 「どうして…ですか?」 透が慎重に問い掛けると、正弘は大きな肩を竦める。 「なんとなくだ」 また、沈黙が戻ってきた。透は何か喋らなければとは思ったが、初対面の相手との話題など思い付かない。 正弘もまた、透との会話に困っていた。他人と喋ることなど少なかったし、女子と喋るのは百合子だけなのだ。 だから、何を話すべきなのか迷っていた。透が正弘から目を外すと、正弘もまた透から視線を外してしまった。 正弘は必死になって、話題を探した。顔は向けずにスコープだけを透に向けて、彼女を眺めて掴み所を探す。 左腕に目が付くが、そこには触れないでおく。サイボーグにとって、機械となった部分は心の傷でもある。 透が胸に押し当てるようにしている、スケッチブックに目が付いた。大事そうに両手でしっかり抱えている。 「絵でも描くのか?」 「下手、ですけど…」 気恥ずかしさと照れくささの混じった、気弱な呟きが漏れた。だが、それ以上は続かず、またしても黙り込んだ。 薄暗い校舎裏の、湿った空気が足元から立ち上ってくる。堆積した枯れ葉と苔の匂いが、空気に混じっていた。 雪の残る田んぼを抜けてきた冷たい風が、滑り込んできた。透は、スケッチブックを抱えていた腕を緩める。 「あの」 透はスケッチブックをそろっと胸から外して、少しだけ前に出した。 「良かったら、どうぞ。本当に、大したものじゃ、ないんですけど、見たくなかったら、別にいいんですけど」 正弘は、自分に向けられたスケッチブックと透を見た。 「何を描いているんだ?」 正弘は手を伸ばし、スケッチブックに触れた。スケッチブックを固く握っていた透の手が、少し緩む。 「ただの、景色です」 B5サイズのスケッチブックを受け取った正弘は、表紙を開いた。一ページ目から、淡い色遣いの絵があった。 色鉛筆で、丹念に描かれている。この近辺の景色らしく、正弘も見覚えのある山と街並みが、描かれていた。 線はどれも優しく、柔らかい。正弘は視覚の色調補正を行って明度を上げると、その絵を凝視していた。 透は、そんな正弘の様子を窺っていた。ちょっとだけ身を乗り出してみたが、正弘の表情はやはり見えない。 正弘は、彼女の絵を見ているつもりだったが、手渡されたスケッチブックの軽い重みに意識を集中させていた。 やはり、まだ慣れない。他人と接する嬉しさを感じることに戸惑いながらも、正弘はページをめくっていった。 次のページに現れた絵も、残雪の山脈の絵だった。白い雪と藍色の山肌の後ろに、雲の漂う空が広がっている。 「綺麗だな」 正弘の口から、無意識にそんな言葉が出た。透は嬉しいらしく、弱々しく笑んだ。 「そう、ですか?」 「そうだと思わなきゃ、そんなことは言わないさ」 正弘はスケッチブックを閉じると、透に返した。透は少しだけ背伸びをして受け取ると、また抱き締めた。 「あの、ありがとう、ございます」 透は頬が緩むのを感じながらも、顔を伏せた。 「村田、いえ、ムラマサ先輩は、お二人とは、仲が良いんですか?」 「良いとは言い切れないが、そんなに悪くはないと思う」 正弘は、自嘲気味に呟いた。鋼太郎と百合子と友人関係になったといっても、まだほんの一週間程度だ。 「そうですか」 透は、また目を伏せた。 「仲良くなれたら、いいですね。私も、なりたいです」 あと一歩、踏み出す勇気さえあれば。それがないばかりに、今もこうしてこんな場所に踏み止まっている。 透は、なんだか泣きたい気持ちになった。情けないのと、不甲斐ないのと、自分への苛立ちからだった。 すると、昼休みが終わったことを知らせるチャイムが鳴った。正弘は透に背を向けると、校舎に向かった。 結局、鋼太郎と百合子は透を捜し出せなかったらしい。鋼の体じゃ仕方ないな、と正弘は内心で呟いた。 透は、百合子の考えと同じだったようだ。明日は、百合子と鋼太郎の二人を校舎裏に行かせれば良いだろう。 きっと、透はまたあの場所に来る。正弘はそこに行くべきか行かないべきか迷ったが、行こう、と決めた。 今だって、二人に行かないとか言っておきながら結局は透を捜し出してしまった。いちいち天の邪鬼だ。 だったら、いい加減に素直になって行動した方がいいだろう。その方が、自分にとっても良いはずだ。 捻くれてばかりいるのは、あまり楽ではない。 06 8/31 |