非武装田園地帯




第三話 ガラスの転校生



 そして、その翌日。
 正弘は、校舎裏でぼんやりと立っていた。その隣で、不良のような座り方をしているのは鋼太郎である。
暇を持て余しているのか、先程からボールをグローブに叩き付けている。正弘は、彼に申し訳なくなった。
正弘は透が来るのを待つために校舎裏に立っているのだが、そうすると必然的に、鋼太郎が暇になってしまう。
 日々の習慣と化していたサイボーグ同士のキャッチボールは、当然のことだが相手がいないと成立しない。
そして、その相手がいても相手が投げ返してくれなければ、キャッチボールなど出来るわけがないのだ。
 正弘は、横目に鋼太郎を見下ろした。鋼太郎はボールをグローブに投げるのを止め、手の中でいじっている。

「悪いな、鋼。付き合わせて」

 正弘が平謝りすると、鋼太郎は正弘を見上げてくる。

「つーか、昨日はあんなこと言ってたのに、ころっと心変わりしたんすね」

 その口調は、多少刺々しかった。割と楽しみにしているキャッチボールを、ふいにされてしまったからだ。
そして、正弘の意見が百合子側に傾いてしまったことも、鋼太郎は面白くなかった。実に子供染みているが。

「まぁ、な…」

 正弘は力を抜いて、校舎の壁にもたれた。

「だが、そうした方がいいって思ったのは確かなんだ」

「そりゃ、そうかもしれないっすけどね。あっちもそうなら、そうした方がいいんでしょうけど」

 鋼太郎は両手を足の間に下ろし、背を丸めた。

「でも、何も、ここでずーっと待ってるっつーこともないんじゃないっすか? 昼休みはまだっすよ?」

「グラウンドにいたら、ゆっこのあれがあるだろ、あれが」

 正弘が背後の校舎を示すと、鋼太郎は嫌そうに項垂れた。

「ああ、あるっすね。ゆっこのあれが」

「あれがあっちゃ、変に目立って山下もやりづらいと思うんだ。だから、じっとしておいた方がいいと思うんだ」

「へぇ。山下っつーんすか、その、左手がサイボーグの一年って」

「山下透。男みたいな名前だが、ちゃんとした女子だ」

「そういやぁ、オレら、そのヤマシタトオルの名前も知らないで探してたんだよなぁ…」

 ばっかでぇー、と鋼太郎は自虐的に笑った。その口調が本当に馬鹿馬鹿しかったので、正弘も笑ってしまった。

「だな」

 鋼太郎はヤンキー座りのまま、顔は動かさずにスコープだけを動かして正弘を見上げた。この人が、掴めない。
信念が固いのかと思えば意見を変えるし、そうかと思えば、自分から率先して山下透に接触しているのだから。
何がしたいんだろう、と鋼太郎は首を捻らずにいられなかった。最初の時もそうだが、この人は行動が妙だ。
始めから素直になればいいのに、その前に一度、相反することをしたり言ったりする。全く、変な性格だ。
 そんなことではやりづらいだろうに、と思ったが、それは正弘が今まで一人きりだったせいなのかもしれない。
最初から好意を示すと、後で避けられてしまった時に辛いから、その前に予防線として自ら退いているのだ。
そう考えると、納得出来る。正弘が及び腰になったり、迷ったりして行動を変えるのは仕方ないのかもしれない。
だが、それではやりにくくてどうしようもない。鋼太郎は、先輩に意見するのはどうかと思ったが言った。

「ムラマサ先輩。今度からは、最初から素直になって下さいね? いちいち逆のことを言われると、正直困るっす」

「善処するよ」

 正弘は、苦笑いした。鋼太郎の言うことはもっともだ。自分でもやりづらいのだから、他人はもっとやりづらい。
人と接することに慣れるためにも、鋼太郎と百合子、そして透とは仲を深めた方がいい。正弘はそう確信した。

「そういえば」

 正弘は、なんとなく聞きそびれていたことを鋼太郎に尋ねた。

「鋼。お前とゆっこって、いつからの付き合いなんだ? いわゆる、幼馴染みなんだろう?」

「んー、まぁ、そうっすね」

 鋼太郎はグローブにボールを投げ付けようとした手を止め、下ろした。

「ゆっことオレが最初に会ったのは五歳の時で、保育園の年中の頃でした。でも、オレ、ゆっこがオレんちに連れてこられるまで、一度も会ったことがなかったから、ゆっこがどこの誰なのか全然解らなくて、どうしようもなかったのを覚えてます。保育園でも会ったことがなかったし、親戚の子供じゃねぇしで、だから近所に引っ越してきたのかな、とか思っていたんす。でもゆっこはオレを知っていて、にこにこして近付いてきて、鋼ちゃん遊ぼ、って言ったんす」

「その頃から鋼ちゃんか」

「近所の人がそう言っていたから、たぶん真似したんだと思うんすけどね」

 鋼太郎は、幼かった頃の出来事を思い出していく。

「んでー、ゆっこと遊んだんすけど、これがまた、トロくてトロくて。ボールを投げても取れないし、縄跳びを持たせても飛べないし、ちょっとでも走ったらずっこけるし。オレのしたい遊びは全滅で、つまらないことこの上なかったっすね。仕方ないから、オレが壁打ちしてたら、ゆっこがそれをまたやたらと褒めるんすよ。何をしても、凄い凄いで、だからやりたがってるのかとか思ってやらせてみると、またダメで。で、またオレが一人でやり始めると、やっぱり凄い凄いで。ミスってもそうだから、馬鹿にされてるのかと思ったけど、そうじゃなかったんすよ。ゆっこは生まれてすぐから、長いこと入院してたもんだからろくな遊びを知らなくて、だからオレが何をしても本当に凄いって思ったらしいんすよ。本人から聞いたんで、間違いないっすけど」

「微笑ましい話だな」

「最近のゆっこはタチ悪くなったから、オレをからかってきますけどね。ノーコン、って」

「それは間違いない。鋼はカーブが投げられないからな」

「ムラマサ先輩までそれ言うんすか…」

 あーもう、と鋼太郎は苦々しげに唸った。二人の視界の隅に表示されている時刻が、午後一時を示した。
その数秒後に、チャイムが鳴った。生徒達が食堂から出てきたらしく、廊下にざわめきと足音が広がっていく。
二階の食堂近くの廊下から、ありゃ、と百合子の残念そうな声がした。グラウンドに、二人が見当たらないからだ。
百合子らしき体重の軽い足音が、階段を下りていくのが聞こえた。また、いつものように外に出てくるのだろう。
 正弘は、昇降口のある方向に意識を向けた。百合子が先か、透が先か。足の速さから考えて、透が先だろう。
ローファーの靴底がアスファルトに当たる音がしていたが、土と砂を踏む音になり、次第に近付いてきた。
正弘が昇降口側に顔を向けると、鋼太郎も反応した。正弘に聞こえる音なら、当然鋼太郎にも聞こえるのだ。
 その足音は校舎裏までやってきたが、止まった。足を出そうか出すまいか迷っているような、気配もしている。
靴底が地面から離れる音と、また付く音。それが十回ぐらい繰り返されて、ようやく、前に進み出てきた。
校舎裏に、誰かが顔を出した。校門側から日が差しているので逆光になってしまい、表情が良く見えなかった。
だが、鋼太郎の目は明度をすぐに補正した。校舎裏の薄暗さと日差しの強さが和らげられ、姿形が見えてくる。
 大振りな近視用のメガネを掛けているが、顔は小さく、首も細い。顔の部品も小作りで、目立つものではない。
目が大きな百合子とは、対照的な顔立ちだ。彼女は鋼太郎の姿を認めると、顔を強張らせたが前に出てきた。
 校舎の影から出された体は、顔立ちに釣り合った華奢なものだった。手足は長いが、全体的に肉が薄かった。
冴えない紺色のセーラー服に付けられているリボンはグリーンで、彼女が一年生であることを示していた。
 彼女は正弘に目線を向けたが、逸らしてしまった。メガネの奧で何度か瞬きをしてから、そろっと視線を戻す。

「あ、あの」

「こーちゃーん!」

 彼女の儚い呼び掛けは、百合子の高い声で掻き消された。校門側から出てきた百合子は、膨れる。

「なんでこんなとこいるのー! ちょっと探しちゃったじゃんかー!」

「色々あるんだよ、色々と」

 鋼太郎は立ち上がり、百合子を見下ろした。百合子は鋼太郎を睨んでいたが、手前の彼女に気付いた。

「あ」

 百合子の目線に、彼女は肩を縮めた。

「あ、えと」

「うわあ、やっと会えたっ!」

 百合子はその場でぴょんと跳ねると、彼女の両手を掴んだ。彼女は左手を引こうとしたが、その前に握られる。

「ね、友達になろう! 私、白金百合子!」

 あ、と彼女は百合子の笑顔から顔を背けそうになったが、なんとか顔を向けていた。だが、肩は縮めたままだ。

「えっ、と…。一年の、山下、透です」

 透がか細く名乗ると、百合子はにんまりした。

「じゃ、透君ね!」

 行こ、と百合子は透の左手を引いて鋼太郎らの元に歩き出した。透は振り解きたかったが、出来なかった。
左手を触ってほしくない。血の通っていない機械の部分を掴まれても、自分には感触が伝わってこない。
それが、どうしようもなく嫌だった。だが、百合子の手を払うことも出来ないまま、透は二人の元に引っ張られた。
 二人の前にやってくると、百合子は透の手を放して背中を押した。よろけた透は、二人の前に、出てしまった。
透は、身動いでしまった。正弘とは昨日会っているが、鋼太郎と百合子と接するのは、今日が初めてなのだ。
正弘だけならまだしも、鋼太郎と並んで立っているとまた威圧感がある。二人とも、背がやたらと高いからだ。
 透は、目線を彷徨わせた。自分から言う、と決めていたのに、いざ目の前にすると言葉が喉に詰まってしまう。
隣にやってきた百合子は、満面の笑みだ。透は正弘と鋼太郎と百合子を順番に見ていたが、意を決した。

「あの」

 三人の視線が集まっているので、透は身を引いてしまいそうになったが体に力を入れて堪えた。

「良かったら、でいいんですけど、その、私と」

 透の細い声は、緊張のために更に細くなり、僅かに震えてすらいた。

「と、友達になって、くれたら、とても、嬉しいん、ですけど」

「いいよ!」

 百合子は、透の左手を取った。透は思わず、左の二の腕を押さえる。

「あ、でも、そっちは…」

 透は左手を下げようとしたが、百合子は手を放さない。

「ダメ?」

 百合子がちょっと首をかしげ、透を見上げた。透は断ろうにも断り切れず、左手から力を抜いてそのままにした。
きちっ、と手袋の下で指の関節が軋んだ。透は、言ってしまってから後悔した。自分の下心が、情けなかった。
 サイボーグである彼らなら自分には偏見を持たずに接してくれるだろう、と思って近付いた、自分が許せない。
それでは、ただ相手の同情心に付け込んでいるだけだ。裏を返せば、偏見と同じようなものではないか。
 透は、百合子に掴まれている左手を下げた。肩に埋め込まれた人工骨と人工筋肉が、肩の動きに連動する。

「ごめんなさい…」

 透は、己の浅はかな計算と下心が嫌になって泣きそうになった。

「私、皆さんが、サイボーグだからって、自分もそうだからって、それに、付け込もうとしてました…」

 なんて、意地が汚いんだ。透は、手のひらに爪が食い込むほど右手をきつく握り締めた。

「サイボーグだから、私にも、普通に、接してくれるんじゃないかって、思って、それで…。本当に」

「いいよ」

 あっけらかんと、百合子は笑った。透の右手も引き寄せて、一緒に握る。

「付け込んでくれたって。友達が増えるの、嬉しいもん」

「でも」

 透が後退しようとすると、正弘はごつっと鋼太郎を小突いた。あおっ、と鋼太郎が変な声を出す。

「山下。オレも、似たような理由で鋼に近付いたんだ。だから、気にするな」

「何するんすか、先輩」

 まぁ痛くはねぇけどさ、と鋼太郎は正弘に小突かれた部分を押さえた。透は、声を詰まらせる。

「で、でも、私、本当に、どうしようも、なくて…」

 情けなくてたまらない。このまま逃げてしまいたい。この人達はこんなに誠実なのに、自分はなんて愚かだ。
いいよ、と百合子がもう一度繰り返した。透は、彼女が許してくれたことが嬉しかったが、それもまた情けない。
許してもらわなければならないようなことを考えていたんだ、と思うと、また自己嫌悪に苛まれてしまった。
 泣いたらもっと情けない、と思っても勝手に涙は出てしまう。透は顔を背け、涙を堪えたが無理だった。

「ごめんなさい…」

 鋼太郎は、どうしようかと戸惑っていた。透と友達になるのは構わないのだが、泣き出されては、困ってしまう。
透の気持ちも、言っていることも解らないこともない。透の考え方が、極端に卑屈になっているように感じる。
鋼太郎は、透が近付いてきてくれたことやその理由に対しては不快感など覚えず、逆に多少嬉しいと思った。
趣味にせよ何にせよ、何かしらの共通点がある相手に近付きたくなるのは、人間として普通のことだからだ。
 細かく震えて泣いている透に、百合子は背伸びをして肩を叩いてやっている。だが、透はまだ泣き止まない。

「山下。じゃなくて、透」

 正弘に名を呼ばれ、透は恐る恐る顔を上げた。正弘は、声色を和らげる。

「また、絵を見せてくれないか」

「え、あ、でも」

 透は正弘を見上げ、不安げに眉を下げた。正弘は、少し笑う。

「オレも、それに付け込もうと思う。透の絵が気に入ったから、また見せてほしい。だから、友達になってくれないか。それなら、平等だろう?」

 透は正弘の視線から目を逸らしていたが、正弘に目線を戻すと、涙を拭った。

「…はい」

「あ、私も見たいな! いいよね?」

 百合子が透に迫ると、透は後退りそうになったが足を止めた。ぎこちなく、小さく頷いた。

「はい」

 じゃあ明日ね、とはしゃいでいる百合子とは対照的に、透は小さくなっている。だが、もう泣いてはいなかった。
百合子の矢継ぎ早の質問に、言葉に詰まりながらも答えている透を見つつ、正弘は無性に恥ずかしくなってきた。
素直になったのはいいが、照れる。サイボーグなので表情は出ないが、顔があれば変な表情をしていただろう。
 正弘があらぬ方向を見ている様を、鋼太郎は横目に見ていた。動きが浮ついていて、落ち着きを失っている。
何をやっているんだろう、と訝しんだが見当も付かなかった。やっぱりこの人って解んねぇや、と首を捻った。
 透は、百合子に促されるまま、顔を上げた。表情は弱々しく目元に涙は残っていたが、晴れやかな笑顔だった。
 この日から、校舎裏は四人の集まる場所になった。





 


06 9/1