非武装田園地帯




第四話 発足、サイボーグ同好会




 確実に、前へ。


 鋼太郎は、野球中継を見ていた。
 東京ドームで行われているタイガース対ジャイアンツ戦だ。タイガースの主力バッターの横顔が、映されている。
ホログラフィックビジョンを用いて映像が映し出されている画面は立体的で、選手と観覧席には遠近感がある。
外野席の二階席から内野席までびっちりと観客の詰まった観覧席が映っていたが、そこから外野手に移る。
 三回表、タイガースの攻撃だ。どちらも点を取っていないので、どちらが先制点を取るか、という勝負だった。
応援団の歓声と演奏に解説者とアナウンサーの声が重なっていて、最近の選手の調子などを話している。
タイガースからメジャーリーグに移籍したバッターの話題だったが、それがアナウンサーの叫声で途切れた。
 硬い快音が響き、白球がカーブを描いて浮上していく。当たりが良かったのか、ボールは右翼に飛んでいく。
それを追っていた外野手がジャンプしたが、勢い良く落下したボールはグローブの端を掠め、スタンドに落ちた。

「っしゃー!」

 二塁にも走者がいたので、これでツーランホームランだ。一気に二点を先制出来る、と鋼太郎は意気込んだ。
だが、油断してはいけない。次の回で追い返してくるかもしれない。鋼太郎は膝の上に載せた手を、硬くする。
なんとなく、後方を見やった。台所の食卓では、両親と下の兄弟達が食卓を囲んで言葉を交わしている。
 末っ子の妹、亜留美のはしゃいだお喋りが流れてくる。今日、小学校で何をしたかを笑いながら報告している。
それに母親が相槌を打っており、たまに二番目の弟、銀次郎の声も聞こえてくる。父親は、それに返している。
 鋼太郎のいる居間と、台所までの距離は短い。廊下を挟んですぐなのだが、それが妙に遠いと感じてしまった。
普段はそうでもないのだが、食事の時はいやでも感じる。給食の時間に感じるものと、良く似た疎外感だった。
鋼太郎は、心中に生じた物悲しさを無視するために、居間のテーブルに広げてある宿題のプリントを見やった。
英語の日本語訳なのだが、半年以上も入院していたために、少しはあった英語の読解力が皆無になっている。
百合子は割と得意なのだが、鋼太郎は苦手だ。英単語の並ぶプリントから目を逸らしたが、仕方なく戻した。
 いつまでもやらずにいると、面倒になってくる。やらないよりはやった方がマシだ、とテーブルの前に座った。
じっとプリントを睨んだが、メモリーからは英単語の意味など呼び出されない。生身の脳からも出てこない。
情けなくなってきたが、解る範囲の単語を日本度に訳した。後で、英和辞典で綴りを確かめた方がいいだろう。
ただでさえ成績は良くないのだから、努力はしないよりもした方がいい。しかし、やはり面倒でならない。
 鋼太郎は右手に持ったシャーペンを無意味にノックしながら、またテレビに目をやり、試合の行方を追った。

「鋼兄ちゃん、宿題しないの?」

 小さな足音が畳を踏み、鋼太郎の背後で止まった。振り向くと、末の妹、亜留美がにこにこしている。

「ボクはもう終わったよ!」

「あっこのは簡単だから終わっちまうんだよ。兄ちゃんのは、面倒なんだよ」

 鋼太郎が言い返すと、亜留美は鋼太郎の隣に座り、英語のプリントを覗き込む。

「進んでないね、鋼兄ちゃん」

「さっきやり始めたんだよ」

「でも、鋼兄ちゃんが宿題持ってきたのって、夕ご飯より前だよね?」

 亜留美は首をかしげ、瞬きした。鋼太郎はやりづらくなって、顔を逸らす。

「…るせぇな」

「ちゃんとしないとお母さんに怒られちゃうよ、鋼兄ちゃん?」

「後でやるからいいんだよ、いちいち言うんじゃねぇ」

 鋼太郎が亜留美を見据えると、亜留美は屈託なく笑う。

「だって、ちゃーんと言わないと、鋼兄ちゃんは忘れちゃうじゃない」

「ったく」

 鋼太郎は、饒舌な妹に辟易した。ついこの間までは小さな赤ん坊だったのに、すっかり大きくなっている。
目がくりっとしているが、鼻は低く口が大きいのは血統だ。父親に言わせれば、若い頃の母親に似ているらしい。
家にいるよりも外で遊ぶのが好きなので、柔らかい頬は健康的に焼けていて、いかにも田舎の子供らしい外見だ。
 亜留美は鋼太郎の隣から、テレビを見ていたが不満げな顔をした。リモコンに手を伸ばし、チャンネルを変える。

「野球じゃないのがいいー」

「あっ、馬鹿、変えるんじゃねぇ! これからが面白いんじゃねぇかよ!」

 鋼太郎が妹の手からリモコンを奪い取ってチャンネルを戻すと、亜留美はむくれる。

「つまんないじゃんかー、あんなの。ボク、いつものクイズのがいいー!」

「だったら、台所ので見りゃいいじゃねぇか」

「あっちはお父さんが見てるんだもん。ダメなんだもん」

 だから変えてー、と亜留美が手を伸ばしてきたので、鋼太郎はリモコンを遠ざける。

「嫌だ」

「意地悪するなー!」

 亜留美は飛び跳ねてリモコンを取り戻そうとしたが、体格の良い鋼太郎とでは勝負にならず、手は届かない。
鋼太郎が腰を上げて更に遠ざけてみると、亜留美は一層必死になったが、やはりリモコンには触れない。
飛び跳ねるのを止めた亜留美は、鋼太郎を睨み付けた。だが、次第に目元が潤み始め、口元が曲げられた。
 こんなことで泣くなよ、と鋼太郎は思ったが、亜留美は今にも泣きそうで喉の奥から呻きを漏らしている。
このまま亜留美に泣かれたら、後が面倒だ。仕方なしに、鋼太郎は亜留美にリモコンを渡すと座り直した。

「終わったら野球に戻せよ」

「最初っからそうしてくれりゃいいのに」

 意地悪兄ちゃん、と亜留美は不機嫌そうに唇を尖らせた。体をずらして鋼太郎から離れると、膝を抱えた。
チャンネルを変えたが、亜留美の見たかった番組はCMになっていた。それが終わるまで、しばらくあった。
鋼太郎は妹の我が侭に流されてしまったのが情けなかったが、仕方ないよな、とも心の片隅で思っていた。
 やはり、妹は可愛いのだ。年齢が八歳も離れているし、鋼太郎に懐いているからついつい甘やかしてしまう。
それではいけないと思う時もあるのだが、最後にはほだされる。百合子に、それをからかわれたこともある。
鋼ちゃんのシスコン、と。それまで思い出してしまった鋼太郎は、情けなさと同時に苛立ちまで感じてしまった。
別に、シスコンとかそういうのではない。ただ本当に、妹というものは可愛くてどうしようもない存在なのだ。
上の兄弟も下の兄弟もいない一人っ子の百合子には、三人兄弟の長兄の鋼太郎の心境は解らないのだろう。
 CMが終わると、亜留美は心持ち身を乗り出した。不機嫌だった横顔がみるみる明るくなり、もう笑っている。
全く、現金なものだ。鋼太郎は宿題に集中することも、チャンネルを戻すことも諦め、両足を投げ出した。
機械の詰まった重たい足を、畳に投げた。診察と共にメンテナンスをしたばかりなので、関節の調子が良い。
 円形の蛍光灯を二つ連ねたペンダントライトが下がっている板張りの天井を見上げ、昼間のことを思い出した。
今日も、あまり変わりはなかった。授業でも指されることはなく、体育でも扱いに困られて、昼休みは暇だった。
 だが、その暇の中身も前とは違う。透が加わったからだ。一年生だが、歳は鋼太郎と百合子と同い年だった。
親しくなってきたので詳しい理由を聞いてみると、透は気恥ずかしげな弱々しい口調で、ゆっくり話してくれた。
 左腕の結合手術とリハビリ自体は半年程度で終わったのだが、事故のせいで学校に行く勇気が失せてしまった。
元から気が弱いから、こんな姿になった自分を晒すのが嫌だった、と。転校してきた理由も、彼女は話してくれた。
環境を変えた方が体にも心にも良いから、というのと、もう一つ理由があるそうだが、それは話してくれなかった。
 鋼太郎はそれが知りたいような気もしたが、知らなくても良いとも思った。言いたくないのなら、言わせなくていい。
機械の体を持つということは、想像以上に辛い。自分は普通だと思って生活していても、違和感が付きまとう。
鏡に映る自分の姿を見るのが嫌だと思う瞬間があるし、朝目覚めたら、全てが夢であったら、と思う時もある。
それ以外にも、些細なことが気になったり、苛立つことがある。鋼太郎も、色々な思いを内側に溜め込んでいる。
たまに百合子に対しては吐き出すが、基本的には奧に押し込めている。透にも、そういった部分があるはずだ。
だから、下手に触れない方がいい。鋼太郎のみならず百合子も正弘もそう思ったようで、言及はしなかった。
 こちらから触れていいのは、相手が表に出したものだけだ。それぞれに、機械の体の内側に閉じ込めている。
それは、皆が同じなのだ。透を加えた付き合いを始めてまだ日は浅いが、皆、相手に通じるものを感じている。
 鋼太郎自身も、以前は多少なりとも距離を感じていた百合子との距離が狭まっている、と内心で思っていた。
サイボーグという共通項が出来たから、なのだろう。その接点があるから、百合子に昔以上に心を開けている。
機械の心臓を持つ百合子に、偏見を持っていたわけではない。だが、無意識に、僅かながら持っていたらしい。
生身でなくなってから、やっと気付いたほどだ。サイボーグにならなかったら、一生気付かなかったのだろう。
 心の奥底で、百合子は可哀想だと考えることがあった。幼い頃は、それがあったから百合子に付き合っていた。
成長しても、その同情じみた思いは消えなかった。声を転がして良く笑う百合子は、必死なのだと思っていた。
鋼太郎に付きまとったり、後で熱が出ると解っていても一緒に遊んだりするのは、百合子のある種の意地なのだと。
 だが、決してそうではない。サイボーグになったことは不幸かもしれないが、それはあくまでも他人の主観だ。
ひどく悲観してしまう時もあるが、人間だから笑いたい時もある。だから、笑うのだ。百合子も、そして自分も。
ついこの間まで、それらを押し殺していた正弘の苦しさや透の葛藤などを思うと、同じサイボーグとして切なくなる。
だから、今日の昼休みに百合子が提案したものは、悪くないと思った。但し、ネーミングセンスは皆無だったが。

「そのまんまじゃねぇかよ」

 鋼太郎は、彼女の考えたグループ名を思い出して半笑いになった。上機嫌な百合子が、高らかに宣言したのだ。
せっかく仲良くなったんだから、私と鋼ちゃんとムラマサ先輩と透君の四人で、サイボーグ同好会をしよー、と。
訳が解らないのか、正弘は鋼太郎と顔を見合わせてきた。透も、スケッチブックを抱き締めてきょとんとした。
 サイボーグ、まではまだ解る。四人の共通点だ。だが、同好会、が解らない。大方、語感だけで付けたのだろう。
言いたいこともやりたいことも解らないでもないが、唐突すぎる。三人が困っている間に、昼休みは終わった。
 今日の帰り道、百合子と共に帰った鋼太郎は、サイボーグ同好会はどういうものなのかを延々と聞かされた。
要は、他愛もない友達グループをやりたいのだ。鋼太郎には、以前はそういう仲間はいたが百合子にはいない。
会話をするクラスメイトはいるが、入院生活が長いせいで、深く付き合っている友人は鋼太郎以外にはいない。
だから、羨ましかったのだ、と聞かされた。鋼ちゃんみたいに仲の良い友達と一緒に遊び回ってみたい、と。
鋼太郎だけでなく正弘と透とせっかく仲良くなったのだから、もっともっと深く付き合える友達になりたい、とも。
その結果、百合子が思い付いたのがサイボーグ同好会というわけだ。全くもって、百合子らしい考えだ。
 返事は、明日することにしよう。どうせ、また校舎裏で下らないことを喋るのだからその時に言えばいいのだ。

「鋼兄ちゃん」

 亜留美はクイズ番組に集中していたが、鋼太郎に振り向いた。

「んだよ」

「ゆっこ姉ちゃん、元気そうで良かったね」

 亜留美は、嬉しそうに笑む。鋼太郎はジャージを着た太い足を曲げて、胡座を掻いた。

「人造心臓の性能がいいみてぇだからな。だけど、あのテンションの高さには参るぜ」

「そうかな。ゆっこ姉ちゃんと一緒にいると楽しいけどな、ボクは」

 そう言って、亜留美はまたテレビに集中した。三十二型のホロビジョンテレビは、畳敷きの部屋には似合わない。
一年ほど前に父親が買ってきたのだが、やはり大きすぎる気がする。クイズ番組は、またCMに入ってしまった。
新型慣性制御を用いた新型自動車、遠隔操縦が可能な人型作業機械、スペースコロニーの移住者の募集。
それらの騒がしくも派手なCMを見流していたが、鋼太郎は台所に向いた。まだ、弟は居間にやってこない。
台所の引き戸は開け放たれたままなので、弟の様子は見える。銀次郎は、カップのバニラアイスを食べている。
 生身だった頃の鋼太郎に似た吊り上がり気味の目に、妹よりもはっきりした目鼻立ちを持つ、五歳下の弟だ。
台所の食卓に向かっている銀次郎の位置からは、鋼太郎が見えるはずなのだが、こちらを見ようともしない。
 銀次郎の冷ややかな態度には慣れてきたが、物悲しいことに変わりはない。以前はそうではなかったのに。
亜留美と同じく鋼太郎に懐いていて、時には鬱陶しいと思えるほど、兄ちゃん兄ちゃん、と慕ってきていた。
それが、サイボーグとなってしまった今では、目も合わせようとしない。言葉を交わすことも、なくなった。
前に会話をしたのはいつ頃なのか、思い出せないほどだ。父親と母親もなんとかしようとしたが、無理だった。
 鋼太郎が体を失い、フルサイボーグとなったことがショックなのは、鋼太郎だけではないことは知っている。
サイボーグ化手術を受けた直後には、両親も取り乱していたと言うし、亜留美も泣きに泣いたのだそうだ。
今は、両親も亜留美も現実を受け止めて、鋼太郎は鋼太郎なのだと生身であった頃と変わらずに接してくる。
 だが、銀次郎だけはそうはいかなかった。鋼太郎がいくら声を掛けても相手にせず、未だに怯えている。
銀次郎の気持ちも解らないでもないが、半年前までの弟との関係を思い出すと、悲しいどころか苦しかった。
しかし、こればかりは銀次郎本人の問題だ。鋼太郎らが外から何を言おうと、弟が受け入れなければダメだ。
 鋼太郎は弟から目を外し、ため息を吐くような気持ちで緩く排気した。廃熱機関から、温い空気が漏れる。
亜留美はリモコンをしっかりと握っていて、放しそうにない。この分だと、野球中継の続きは見られなさそうだ。
 仕方なく、鋼太郎は英語の宿題とペンケースを持って立ち上がり、居間を出て階段を昇って自室に向かった。
ライトを付けなくても視界の明度調節で足元は見えるのだが、以前の習慣で、階段のライトのスイッチを入れた。
 自室に入る前にライトを消してから、ふすまを開けた。二階の南側の六畳間、それが鋼太郎の部屋だった。
小学校の入学祝いに買ってもらった学習机と、あまり中身のない本棚、使い古されたバットやグローブがある。
ふすまを閉めてから、部屋の蛍光灯を灯す。机の椅子に引っ掛けたままだった学生服を、ハンガーに掛けた。
重量級のサイボーグボディも支えられる強化パイプ製の椅子に腰掛け、鋼太郎は机に向かったが、顔を上げた。
 南側の窓の真正面には、百合子の家、すなわち白金一家の自宅がある。だが、二階の百合子の部屋は暗い。
一階には明かりが点いていて、声が漏れてくるので、百合子も夕食を摂っているのだろうと容易に想像出来た。

「ん」

 鋼太郎は、机に投げっぱなしにしていたメタルブラックの携帯電話を取った。メールを着信しているようだった。
以前は持っていなかったのだが、サイボーグとなったので、万が一という場合の時の連絡手段として持たされた。
フリップを開けてディスプレイに表示されている差出人の名を見ると、メールは百合子が送ってきたらしい。

  鋼ちゃん、私の考え、どう思う? (x_x;)
  私はいいって思ったから言ってみたんだけど、鋼ちゃんはどう? (?-?)
  鋼ちゃんの考えは聞いてなかったから、聞いてみたいな (^○^)

「…顔文字が邪魔くせぇ」

 三つもいらねぇだろ、と鋼太郎は毒突きながら返信のメールを打った。

  悪くはねぇんじゃねぇの? オレも、ムラマサ先輩と山下とは仲良くしてぇからな。
  でも、こういうことは口で言え。いちいちメールにするな。返すのが面倒だ。

 そんな文章のメールを送信してから、鋼太郎は携帯電話を机に置いた。すると、一分もしないで返信があった。

  鋼ちゃんもそう思ってるんだ、良かった! (⌒▽⌒)
  ムラマサ先輩と透君と仲良くなれたら、もっと楽しいもんねvvv (o^ー^)o
  でもさー、メール打つのなんて、簡単じゃんよー (°〜°)
  鋼ちゃんの面倒臭がりー w(`∀´)w

「…るせぇ」

 鋼太郎は最後の顔文字に軽く苛立ちを感じたが、我慢した。所詮はただの記号だ、深読みするものじゃない。
これ以上返すことはないと思い、充電器に差し込んだ。あまりやりすぎると、百合子に言い負かされてしまう。
 鋼太郎は英語の教科書と参考書を机に広げ、英語のプリントの続きを始めた。さっさと終わらせてしまいたい。
問題の解答欄を埋めていたが、暇になってきた。宿題に集中するべきなのだが、どうにも集中力が削げてしまう。
 野球中継の続きが、気になって仕方ない。鋼太郎は、机の傍のマルチコンポの電源を入れてラジオを付けた。
チューニングを合わせて野球中継の電波を拾うと、聴覚に繋がっているケーブルを側頭部から出し、伸ばした。
それをイヤホンのジャックに突っ込み、ラジオの音を直接聴覚に流し込む。こうすれば、余計な邪魔は入らない。
 アナウンサーは、ジャイアンツがタイガースに追い付き、ジャイアンツが一点リードしていることを伝えてきた。
 五回裏、ツーアウト、ツーベース。





 


06 10/11