アステロイド家族




真心、それは偽り



 小さな嘘と、大きな秘密。


 暗く、鈍く、重たい記憶の海を漂っていた。
 目の前を過ぎるものに手を伸ばそうとしても掴めない。追いかけようとしても、どす黒い泥に足が埋もれていく。
何度となく思い起こした光景。思い起こすたびに胸の奥が痛み、心身が引き裂かれそうなほどの苦しみを味わう。
繰り返し、繰り返し、名を呼んだ。この声が届くことを祈りながら嗄れるほど叫んでも、応えてくれることはなかった。
 伸ばした手を掴んでくれる手はない。張り上げた声に応える声はない。求める姿は、この宇宙のどこにもない。
底のない闇の海に、何もかもが飲み込まれた。涙が枯れるほど泣き、気が狂うほど祈っても現実は変わらない。
 奇跡など、起きない。




 奇跡など、起きないはずだった。
 枕元に置かれた小さなペンダントを見つめながら、ミイムは鎮静剤の回った鈍い頭で思考を繰り返していた。
全てを諦めて絶望したからこそ、新たな道を選んだというのに。生きるために、生かしてくれる場所に縋り付いた。
だからこそ、踏ん張ろうと思った。これもまた何かの導きなのだ、と信じて母親役として生きることに決めたのだ。
それなのに、奇跡は起きた。奇跡に見せ掛けた破滅への罠かもしれない、とも思うが、もうどちらでも良かった。
永遠なる忠義を尽くすためにも、奇跡であろうが破滅であろうが深淵であろうが躊躇わずに飛び込むだけだった。
 本能に負けてしまったことは、結果として良かったのかもしれない。嫌われ、蔑まれた方が皆と別れやすくなる。
自分から身を引くのだから、商品として売り渡される時に比べれば余程楽だ。それに、元々自分は余所者なのだ。
本来であれば、この星系にもいるはずのない存在だ。必然に似た偶然に誘われ、彼らの傍にいたというだけだ。
 無意識にサイコキネシスが働き、ペンダントが浮かび上がった。ミイムは、点滴の管が繋がった左腕を伸ばした。
金のチェーンを指先に絡めて、涙型にカッティングされているピンク色の小さな宝石を両手で丁寧に包み込んだ。

「レギーナ様」

 ミイムは、厳かに呟いた。

「ボクの全ては、あなたのものです」

 金のチェーンを首に掛け、ペンダントを入院着の下に隠してから、ミイムは体を起こした。

「う…」

 鎮静剤が抜けていないばかりか、サイコキネシスを酷使した疲労が残留し、脳に鉛を詰め込まれたかのようだ。
吐き気さえ催しそうになったが、力任せに飲み下した。ベッドから立ち上がり、白い壁に手を付いて体を支える。
恐らく、ここはエウロパステーションの病院だろう。ヤブキに麻酔薬を打たれた後も、意識が少しは残っていた。
マサヨシのスペースファイターに運び込まれて搬送される最中に、サチコが木星へナビゲートするのを見ていた。
ここなら、いくらでも宇宙船もある。エネルギーもある。サイコキネシスも使える。だから、一人でも充分戦える。
 戦わなければ。使命感に突き動かされ、ミイムは足を進めていく。だが、扉に近付く前に膝が崩れてしまった。
立ち上がろうとするも、力が入らない。発情抑制剤の副作用か。サイコキネシスを使おうにも、頭痛が激しくなる。
壁に寄り掛かって再度立ち上がろうとするが、やはり無理だった。ミイムは悔しさと苦しさに苛まれ、喘いでしまう。
すると、扉が開いた。ミイムが目を上げると、サチコを伴ったパイロットスーツ姿のマサヨシが廊下に立っていた。

「無理をするな」

 マサヨシはミイムを抱き上げ、ベッドに横たわらせた。サチコも、ミイムの傍にやってくる。

〈そうよ、ミイムちゃん。まだ鎮静剤も抜けていないんだから〉

「パパさん」

 ミイムはマサヨシの優しさに僅かに心が緩んだが、即座に己を戒めた。

「もういいんです。ボクは、あなた達の傍にいるべきじゃないんです」

「何を言う」

 マサヨシはベッドに腰掛け、起き上がりかけたミイムの肩を押して再度横たわらせた。

「これからお前には、存分に働いてもらう必要がある。家を壊したんだから、それを償わなければならないだろう」

「時間は掛かりますけど、お金なら絶対に作ります」

「そんなものは後でいい。今は早く体を元に戻して、俺達のコロニーに帰ることが先決だ」

「ボクの帰るべき場所は、あなた達のコロニーではありません」

「どうしたんだ、一体」

「ボクは、ボクの世界に帰らなければいけないんです。だから、あなた達と一緒にはいられません」

「お前は帰る場所がないどころか、帰ってもいけないんじゃなかったのか?」

「それはついこの前までの話です。ですが、状況が変わりました」

 ミイムはふらつく頭を押さえながら身を起こすが、よろけてしまい、マサヨシに支えられた。

「こいつのことか?」

 マサヨシの手がミイムの襟元に素早く滑り込み、ペンダントのチェーンを引っ張った。

「あっ!」

 ミイムは首を押さえたが、マサヨシの力は緩まず、細い鎖が華奢な喉に食い込んだ。

「お前がこのペンダントを身に付けるようになったのは、リリアンヌ号で検診を受けた直後だったな。リリアンヌ号で何があった。正直に話せ、ミイム」

「それに触るな!」

 ミイムは力任せにチェーンを引いてマサヨシから宝石を奪い返すと、両手で固く握り締めた。

「まあ、大体のことはサチコが調べてくれたんだがな」

「…どこまで知ったんですか」

「一般開示レベルの情報だ」

「だったら、尚のことボクに関わらない方がいいと思いますよ」

「かもしれんな」

 マサヨシが左手を差し出すと、その手のひらの上にサチコが収まった。

〈ミイムちゃん。あなたの生まれ故郷である惑星プラトゥムのコルリス帝国は、皇帝のペルフェクトゥス十二世が崩御した直後にクーデターが発生しているわ。クーデターの首謀者とされる第一皇位継承者のレギーナ皇太子殿下とその側近は、第二皇位継承者であるフォルテ皇女殿下が率いる部隊によって逮捕され、処刑されているわ。でも、実際は、処刑寸前にレギーナのシンパが襲撃を行い、その後は二人共行方不明になっているのよ。クーデターと同時に発生した紛争を収め、先代皇帝の死により次期皇帝としての将来が約束されたフォルテ皇女殿下は、二人の生死を確認しないまま裁判を始め、ペルフェクトゥス十二世の死因もレギーナ皇太子殿下による暗殺だという判決を下しているわ〉

「うぁああああああ!」

 それは、決して忘れてはならない名だった。ミイムは全身の血が凍り付くほどの絶望に襲われ、絶叫する。

「そんなのは嘘だ! 貴様がレギーナ様を殺したくせに、お前が、お前がぁああああ!」

「とすると、お前の正体は」

 ミイムが取り乱した様を見ても、マサヨシは冷静だった。

「よくもレギーナ様を陥れたな、逆賊め! お前だけは絶対に許さない!」

 ミイムは頭を抱えて髪を鷲掴みにし、唇が切れるほど強く噛み締める。

「なるほど。大体の背景は掴めた」

 マサヨシはサチコを手放して再び浮かばせると、悠長に足を組んだ。

「ミイム。お前はそのレギーナの側近だな。ミイムというのも偽名で、本名はルルススだ。コルリス帝国の皇族はクニクルス族であり、多産のため、生まれてすぐに皇族とその側近に選り分ける伝統がある。惑星プラトゥムの星系のデータベースから見つけ出したレギーナの顔写真とお前の顔写真は、驚くほど似ていたよ。だからお前はレギーナの兄弟であると同時に」

「…半身です」

 ミイムは血が滲んだ唇を、少し舐めた。苦い鉄の味が、舌の上に広がった。

「レギーナ様はボクの兄弟である以前に、ボクの全てなんです。あの方がおられるからこそ、ボクは生きていられるんです。あの方がおられないのであれば、ボクが生きている意味も理由もありません」

「とすると、リリアンヌ号でそのレギーナが生きていたんだな?」

「解りません」

 ミイムは千切れた髪が絡む指で、胸元に下がるペンダントに触れた。

「ですが、ボクはそれを確かめることが出来なかった。確かにこれはレギーナ様の持ち物ですが、それがあるからといってレギーナ様が生きているという確証にはならないんです。ケーシー先生も面会謝絶だと仰っていましたし、どこの病室にいるのかも解らなかったから、拝顔出来ませんでした。ボクの行方を探しているであろう、フォルテの罠である可能性も捨て切れませんでしたから」

「だったら、なぜリリアンヌ号に留まらなかった?」

「リリアンヌ号に長く留まれば、いずれその情報が漏れ、コルリス帝国まで伝わるはずです。そうなれば、フォルテの放った追っ手がボクだけではなく無関係な人達をも傷付けるのが目に見えています。あれはそういう女です」

「革命軍の規模は?」

「ギガント級宇宙母艦が二百五十隻、メガ級宇宙戦艦が一万八千七百隻、宇宙戦闘艇が百万単位…」

「ほう。そいつは手強いな」

「ボクがここにいる限り、いずれ太陽系を訪れることでしょう。リリアンヌ号のセキュリティを信用していないわけではありませんが、あれほどの規模の船です、どんな輩がいるかは解ったものじゃありません。それに、行く先々のコロニーや惑星にも、フォルテの手の者がいないとも限りません。ボクが殺されるのは時間の問題です。レギーナ様が生きておられれば、いずれ、レギーナ様も…」

 ミイムは顔を上げると、厳しい眼差しを向けてきた。

「死にたくなければ、ボクに近付かないことです。これはボクの戦いです。手出しは無用です」

「だが、それ以前にお前は俺達の家族だ」

 マサヨシは、躊躇いなくミイムの意志の強い瞳を見返した。

「お前の身の上がどうであれ、素性がなんであれ、俺達には関係ないことだ。今の俺達に重要なのは、いかにして新たな家を建てるかということだけだ」

「馬鹿げています」

 ミイムはマサヨシの物言いが滑稽でたまらず、口元を歪めた。この状況で、この男は何を言っているのだ。

「ボクの話を聞いていなかったんですか? ボクに関われば、その時点で命が危ぶまれるんですよ? フォルテは異星人であろうとなんであろうと容赦しません。ボクとレギーナ様に味方するものがあれば、たとえ子供であろうが何であろうが殺します。フォルテが攻めてきたとして、あなたに守れるんですか? あんな小さなスペースファイターと近接戦闘しか出来ない機械生命体だけで、大艦隊に太刀打ち出来るわけがないじゃないですか。それともなんですか、ボクとレギーナ様を殺してフォルテに差し出すつもりなんですか?」

「お前もその主も殺しはしない。だが、多少の無理は聞いてやるつもりだ。俺もお前に大分無理強いしたからな」

「そりゃ、ママになれって言われた時はちょっと困りましたけど、あれとこれとはそもそも規模が違うんですよ?」

「ああ、解っている」

「じゃあ、どうしてそんなに余裕なんですか!」

「目先のことしか見えていないからだ」

 マサヨシは、少々気恥ずかしげに一笑する。

「正直言って、今はお前をどうやって家に連れ戻すかで頭が一杯なんだ。ハルはお前に会いたがっているし、ヤブキもイグニスも心配している。それに、お前が来てから俺達の生活はかなり改善された。だから、今、いなくなられると非常に困るんだ」

「そんな理由で…?」

「ああ。俺は父親だからな」

「パパさんってもうちょっと賢い人かと思っていましたけど、案外そうでもないんですね」

 ミイムは彼の考えの浅さに呆れてしまい、乾いた笑いを零した。だが、マサヨシは至極真面目だった。

「ミイムは大事な家族だ。そう簡単に手放せるか」

「でも、ボクは…」

「もう一日、入院を延長してやる。その間に決めるといい。最終決定権はお前自身にあるからな」

 マサヨシはベッドから立ち上がり、ミイムを見下ろした。

「お前をどちらの名で呼ぶのかもそれから決めるとするさ、ルルスス」

 本名を呼ばれ、ミイムはぎくりとした。マサヨシはベッドサイドに薬の入った袋を置き、サチコと共に出ていった。
じゃあまたね、とサチコから挨拶されても返せなかった。マサヨシの言動が理解出来なくて、ひどく混乱していた。
 ルルススという名は、レギーナと別れた際に捨てた。皇族の側近でもなんでもない、ただの男として死ぬためだ。
レギーナと同一の遺伝子情報を持つルルススは、レギーナの代用品だ。レギーナがいない限り、意味を成さない。
臓器も血液も眼球も髪も皮膚も脳髄も骨格も神経も、レギーナの肉体が一つでも欠けたら補うためにある体だ。
だが、レギーナが死ねばルルススは代用品としての価値もなくなる。だからこそ、全てを諦めて生きることにした。
レギーナと生き別れたばかりの頃は、死にたいと思っていた。生き恥を曝すくらいなら自害する、とすら考えた。
しかし、コールドスリープを施されて複数の犯罪組織に商品としてたらい回しされてしまい、抵抗も出来なかった。
 ようやく得た自由と居場所は心地良く、死に場所にするには打って付けだと思ったからこそ、毎日頑張っていた。
マサヨシは言うまでもなく、ハルは可愛らしく、イグニスは言動が粗暴だが性根は割と優しく、サチコは有能だ。
ヤブキとだけはどうしても気が合わないが、発情期で暴れるミイムを鎮めてくれたことで少しだけだが見直した。
だが、あのコロニーの中は生きるべき場所ではない。レギーナが生きているのであれば、この身を捧げなくては。
けれど、迷いが生じていた。レギーナと生き別れる前は知らなかった感情が心の片隅に引っ掛かり、揺れていた。
 ルルススの全てはレギーナのものだ。しかし、ミイムはハルのママであり、廃棄コロニーで暮らす家族の一員だ。
レギーナは決して裏切れない。だが、皆のいる場所に帰りたい。どちらに転んでも、自分を偽ることになってしまう。

「レギーナ様ぁ…」

 ルルススとして生きるべきなのに、ミイムとして生きていたい気持ちもある。

「ハルちゃん、パパさん…」

 けれど、このままでは皆が危険に曝される。権力と武力に狂ったフォルテが、皆を殺してしまうかもしれない。
レギーナを慕う者達がフォルテに惨殺されたように、親しくしてくれた者達が殺されてしまうのは耐えられない。
悩みすぎて、苦しすぎて、感情と共に零れ出してしまったサイコキネシスが、乱れきった長い髪を揺らしていた。
いつのまにか、涙も溢れ出していた。レギーナに対しても、家族の皆に対しても、申し訳なくてたまらなかった。
 自分は、どこで逝くべきなんだろう。







08 4/2