アステロイド家族




真心、それは偽り



 吸い込まれそうなほど深い闇が、無限に広がっていた。
 木星圏からの宇宙は見慣れた風景であり、小惑星だけでなく恒星の配置も軍人時代に頭に叩き込まれている。
上も下も右も左もない宇宙空間を進むためには、方向感覚を鋭敏に鍛え、確固たる己を持たなければならない。
少しでも不安に駆られれば、途端に混乱に陥って自分を見失い、数秒とせずに撃墜される。或いは衝突する。
生まれも育ちもコロニーのマサヨシにとって、宇宙は揺りかごであると同時に脅威であり、恐れは忘れていない。
僅かでも油断すれば、途端に牙を剥く。何百回、何千回と飛んだ宙域であろうとも、いつ何が起きるか解らない。
宇宙は広大な海だ。永遠なる闇を構成する暗黒物質に満たされ、物質と共に可能性が詰め込まれた世界だ。
だからこそ、何が起きてもおかしくはない。むしろ、何かが起きたら、巡り会わされたとでも思うべきなのだろう。
 マサヨシはエウロパセンタークリニック内にあるカフェテラスの窓から、宇宙空間を見つめながら、悩んでいた。
ミイムの素性が怪しげなのは、最初から感付いていた。だが、太陽系から遠く離れた星系の皇族だったとは。
 彼の生まれ故郷である惑星プラトゥムとは、太陽系は表立った交流をしていないため、当然情報も少なかった。
サチコに各方面の情報を洗い出してもらわなければ、素性を調べ上げるどころか、本名すら解らなかっただろう。
惑星プラトゥムの三分の二の面積を国土としているコルリス帝国のデータベースは、セキュリティが堅牢だった。
クーデターが発生したから、というのもあるのだろうが、機密レベルの低い情報までもが閲覧禁止になっていた。
おかげで、第一皇位継承者であるレギーナについての情報を引き摺り出すために、余計な手間と金が掛かった。
惑星プラトゥム名義のシリアルナンバーを闇業者から買い上げるぐらいしか、情報を得る方法がなかったのだ。
しかし、無駄ではなかった。サチコはミイムの素性だけでなく、コルリス帝国の情勢についての情報も得てくれた。
 惑星プラトゥムを事実上支配しているコルリス帝国は、絶対君主制の国家で、技術レベルもそれなりに高い。
太陽系方面宇宙軍にも劣らぬ規模の宇宙母艦を保有しており、生産能力に優れているが軍事力も優れている。
惑星プラトゥムの周囲の惑星との星間戦争が起きても負けたことはなく、勝利を収め、国土を増やしていった。
その戦争で最も役立っているのが、コルリス帝国の国民の中でも特に繁殖力が強い種族、クニクルス族である。
どれほど技術が発達したとしても、どんなに強力な武器を造ろうとも、最終的に戦うのは生き物同士に他ならない。
惑星プラトゥムに生きる他の獣人族に比べ、クニクルス族は体格こそ小さいが、一回の出産で五体は出産する。
発情期を迎えて成熟すると超能力に目覚めるということも、クニクルス族が他の種族から抜きん出た理由だった。
コルリス帝国の皇族も元々はクニクルス族ではなかったが、度重なる内戦の末にクニクルス族が玉座を奪った。
そして、無数に存在する血族の中でも優れた才を持つ者を皇位に据え、それから五百年以上も守り続けている。
 ミイム、もとい、ルルススもその血族の出身だ。側近とは言うものの、その地位は皇族に匹敵するほどの高さだ。
同時に生まれた兄弟を皇族と側近に分けるのは、皇族の遺伝子からより優れた遺伝子を生み出すためだという。
ルルススのような者の役割は、皇族の命が危ぶまれた場合のスペアだ。多産だからこそ、生まれた伝統なのだ。

「レギーナは、既に死んでいるかもしれないな」

 マサヨシはテーブルに置いた情報端末から映し出したホログラフィーを見つめながら、冷めたコーヒーを啜った。

〈その判断基準は?〉

 マサヨシの手元にいたサチコが、くるりとレンズを上げる。

「これだ」

 マサヨシはホログラフィーの中で微笑んでいる貴人の映像を拡大し、胸元を指した。

〈これは、ミイムちゃんが持っていたペンダントと同じものね?〉

 サチコは、マサヨシが示したを凝視した。慈愛に満ちた微笑みを湛えた人物は、ミイムと全く同じ姿をしていた。
ピンク色の柔らかな長い髪に金色の瞳を持ち、儚げながらも力強さを秘めた顔付きの少女の如き美少年だった。
両側頭部から伸びた長い耳もミイムと同じく白で、清楚ながらも可愛らしいドレスの裾から出ている尾も白かった。
その尾はミイムの尾よりも長く、毛並みも美しかった。尾の長さは、そのまま身分の高さを現しているのだろう。
 これが、レギーナ皇太子である。その傍で執事に似た服装をして硬い表情で寄り添っているのが、ルルススだ。
レギーナの平らな胸元で、涙型のピンク色の宝石が輝いている。それは、ミイムが持っていたものと同じだった。

〈このペンダントは、コルリス帝国の皇族だけが手にすることが出来る稀少な宝石であると同時に、サイエネルギーを数十倍から数百倍に増幅するためのユニットでもあるのよ。皇帝に即位すると、この宝石を十七個もちりばめた冠を戴くことになるの。皇族は元から潜在的に超能力が高い一族だから、そんなものを手に入れてしまえば誰一人として逆らえなくなるわね。テレポーテーションにしても、テレパシーにしても、サイコキネシスにしても、サイコメトリーにしても、パイロキネシスにしても同じね。歴代皇帝の中で最も高い超能力を持っていたのは、初代皇帝のカルブンクルス一世ね。最盛期には、皇帝自ら宇宙艦隊を率いて最前線に出陣して、その超能力だけで大艦隊を一時間足らずで制圧してしまったほどなんだから〉

「なるほどな。そんな仕掛けがあったから、ミイムがあんなに大暴れしたわけか」

 マサヨシは三日前の出来事を思い出し、苦笑した。

〈ええ。いくら超能力に長けたクニクルス族といっても、超能力が目覚めたばかりではその力は小さいわ。でも、このペンダントがあると話は別ね。増して、それがサイコキネシスなら尚更よ。サイコキネシスは数ある超能力の中でも突出した破壊力を持っているし、テレポーテーションやテレパシーに比べれば随分と即物的だから、サイエネルギーが増幅される勢いも桁違いなのよ。それで、どうしてこのペンダントがミイムちゃんの手元にあると、レギーナ皇太子殿下が亡くなられていることになるのかしら? きちんと説明してくれないと解らないわ〉

「レギーナが生きていたとしたら、ミイムがリリアンヌ号に乗船したら間違いなく接触を持つはずだ」

 マサヨシは、微笑むレギーナに寄り添うルルススを眺めた。髪型と雰囲気は違うが、顔付きはミイムそのものだ。

「面会謝絶だから会えないとケーシーが言ったようだが、それはケーシーがそう言っただけであって、それが真実であるとは思えない。面会謝絶になっているのは、レギーナが死亡しているからだと考えるのが自然だ。リリアンヌ号に限った話じゃないが、医者には守秘義務がある。レギーナが生きている間に何かしらの指示を与えられていたとしたら、義務に反しない程度は守るだろう。その延長で、ミイムにペンダントを渡したのかもしれない」

〈でも、私には、ミイムちゃんにペンダントを渡す意味が解らないわ。レギーナ皇太子殿下が崩御していたとしても、ミイムちゃんはあくまでも側近であって皇族ではないから、レギーナ皇太子殿下の身代わりになることは出来ないわ。コルリス帝国の皇族の側近は、生まれてすぐに元老院が皇族と側近に区別して、その際に側近の方の尻尾を半分近く切ってしまうから、その時点で側近になる子は皇位継承権を得る権利を失ってしまうのよ。だから、尻尾が短いミイムちゃんに渡したとしても、全く無意味なのよ〉

「そのようだな」

 マサヨシはホログラフィーの角度を変え、二人の尾を確認した。確かに、レギーナの尾はルルススよりも長い。

「だが、ミイムの懸念通り、ペンダントをミイムに渡したのがレギーナでないとしたら話は変わってくる」

〈あのペンダントはレギーナ皇太子殿下から奪ったもので、ミイムちゃんを炙り出すための餌だってこと?〉

「少なくとも、俺はそう思う。ミイム一人の行方ぐらいは、皇族ほどの力と金があれば簡単に探し出せるはずだからな。ミイムの入ったコンテナが太陽系に運ばれた時点で、ミイムが接触を持ちそうな場所にペンダントをばらまいておいたのかもしれない。あの宝石は稀少だが、コルリス帝国の皇族なら手にすることが出来るんだろう?」

〈ええ。大きさの差異はあるけど、宝石自体は皇位継承者なら誰でも得られるものよ〉

「フォルテ皇女殿下の能力は?」

〈テレパシーよ〉

「となると…もう手遅れかもしれないな」

〈まさか。コルリス帝国の皇族って言っても、フォルテ皇女殿下のテレパシーの範囲はそんなに広くないわよ〉

「フォルテ本人が太陽系圏にいなくとも、フォルテのテレパシーを中継する超能力者やユニットがあれば話は別だ」

〈そうね…。テレパシーの出力は宇宙線より弱いし、他の電波に紛れてしまうから、見つけ出すのは至難の業よ〉

「フォルテ皇女殿下にミイムの存在を既に感付かれていたとしたら、また面倒なことになりそうだな」

 マサヨシは上体を反らし、背もたれに体重を預けた。サチコはするりと浮かぶと、マサヨシに近付く。

〈だったら、なぜミイムちゃんに関わろうとするの?〉

「なんだ。お前はミイムにはいなくなってほしいのか?」

〈ハルちゃんのためを本当に思うなら、これ以上あの子と関わるべきじゃないわ。だって、危険すぎるもの〉

「俺も、そう思わないでもないんだが」

〈じゃあ、どうして?〉

 訝しげに、サチコは球体のスパイマシンを傾ける。マサヨシは、彼女を指先で小突いた。

「ここでミイムを放り出したら、ハルはどうなる。それに、俺達の生活が成り立たなくなるじゃないか」

〈だからって…〉

「俺の考えが甘いことは重々承知している。ついでに下らないのもな。だが、ここまで知ったからには、もう後戻りは出来ない。俺達はどうせいつかは死ぬんだ、やるだけやってから死にたいじゃないか」

〈そんなこと、言わないでよ〉

「悪い」

 サチコの気弱な言葉に、マサヨシは笑みを見せた。サチコはマサヨシの笑顔を見つめていたが、黙り込んだ。
サチコの懸念は充分解る。優しい母親役から危険を孕む存在でしかなくなったミイムを、持て余すのが普通だ。
マサヨシも、ハルのことがなければ彼を見捨てていた。イグニスの時とは違って、ミイムは背景が複雑すぎるのだ。
イグニスは、その背景すらも失った男だ。マサヨシが手を差し伸べなければ、どうなっていたか解らないのだから。
ミイムの場合は、こちらから手を放せばどこまでも落ちていくだろう。元々仮初めの関係だ、断ち切るのは簡単だ。
それはミイムだけでなく、コロニーに住まう誰に対しても同じだ。ハルも、イグニスも、ヤブキも、マサヨシ自身も。
 廃棄コロニーでの日々は、砂上の楼閣だ。元より不安定なのだから、少しでも揺らげば崩壊してしまうだろう。
それを守るのが父親の役割だ。と思うと同時に、孤独を恐れている己を再確認して、マサヨシは情けなくなった。
皆で過ごす騒がしくも楽しい日々を一度でも味わってしまうと、もう戻れない。以前は、そんなことはなかったのに。
娘への愛情を言い訳にして、母親役の少年への思い遣りを盾にして、自分自身の弱さを誤魔化そうとしている。
 なんて、弱い人間なのだろう。




 そして、翌日。ミイムは治療を終え、退院した。
 長時間寝ていたせいで全身が気怠く、時間を掛けて投与された鎮静剤と発情抑制剤が思考を鈍らせていた。
マサヨシの運転するエアカーに乗って、マサヨシのスペースファイターが停泊しているパーキングまで向かった。
エアカーの後部座席に座っているミイムは、左手首に付けさせられたブレスレットが気になっていじっていた。
華奢な手首に似合う、銀色で楕円形のブレスレットだが、絶対に外せないように繋ぎ目が硬くロックされている。
見た目こそ洒落ているが、細い金属の内部には超能力を抑制するための電子回路と装置が仕込まれていた。

「みゅ…」

「そうむくれるな。お前の超能力はまだ不安定なんだから、サイキックリミッターを付けておく必要があるんだ。それと、コロニーに帰ったらそのペンダントも預からせてもらうぞ。今のお前には危険すぎる代物だからな」

 運転席に座るマサヨシは、バックミラーに映るミイムに目を向けた。ミイムは、左手首を掲げてむくれる。

「ちゃんと返して下さいよぉ、あれはとってもとおっても大事なものなんですからぁ」

「もちろん返してやるさ。リミッターを付ける必要がないほどサイコキネシスの扱いが上達したら、の話だが」

「ふみゅーん…」

 ミイムは不満げに唇を曲げながら、後部座席の柔らかなシートに身を沈めた。

「ところで、ミイム」

 マサヨシに再度声を掛けられ、ミイムはやる気なく返事をした。

「みぃ、なんですかぁ」

「お前のその口調は作っているのか? ヤブキに対する態度もそうだが、昨日と今日では大分違うんだが」

〈そういえばそうね〉

 助手席にちょこんと収まっていたサチコも、浮かび上がってミイムを見下ろした。

「みゅう、心外ですぅ!」

 ミイムは可愛らしくむくれてみせたが、すぐに表情を変え、媚びのない冷淡な口調で返した。

「それはまあ、確かに作っていますよ。ルルススとしてではないボクになることは、レギーナ様のことを振り切るために必要なことでしたから。でも、ハルちゃんやあなた達に対する感情に嘘はありません。それだけは信じて下さい」

「とすると、ヤブキのことは本当に嫌いなのか」

 やれやれ、とため息を零したマサヨシに、ミイムは苦笑した。

「だって…本当に気に食わないんですもん、彼って」

〈だからって、いつまでもヤブキ君とケンカばかりしていちゃダメよ。ミイムちゃんはママなんですからね〉

 サチコに忠告されたが、ミイムは笑ってしまった。

「いっつもイギーさんとケンカしているサチコさんにそう言われても、説得力ゼロですぅ」

〈あっ、あれはイグニスが悪いんだってば!〉

 途端にムキになり、サチコは言い返した。ミイムは口元を押さえ、にやにやしている。

「でもぉ、ボクの見た感じではどっちもどっちですよぉ。ねえ、パパさーん」

「それはお前とヤブキも同じだろうが」

 マサヨシはバックミラー越しに、ミイムと目を合わせる。

「それで、お前はこれからもミイムとして生きていくんだな? ルルスス」

「はい」

 ミイムは表情を強張らせ、胸の前で手を組んだ。

「ボクはレギーナ様のことを、祖国のことを諦めることは決して許されません。ですが、あなた達との穏やかな時間もとても大切です。ハルちゃんやパパさん達に危険が及ばない限り、ボクはあなた達の家族でいたい。ですが、もしも危険が及びそうになったら、その時はボクのことを」

「捨てたりはしない」

 マサヨシは、ミイムの言葉尻を遮った。

「捨てるくらいだったら、最初から拾わないさ。それに、捨てたところでイグニスがまた拾ってきちまうからな」

「それも、そうですね」 

 マサヨシの軽口に、ミイムは頬を緩めた。

〈さあ、早く帰りましょ。これ以上イグニスとヤブキ君にハルちゃんを任せておくのは、心配でたまらないもの〉

 サチコはミイムの傍から離れ、助手席に戻った。

「みぃ!」

 ミイムは、大きく頷いた。その白い首筋で美しく輝いているピンク色の宝石は、様々な不安要素を孕んでいる。
マサヨシはミイムの明るい笑顔と宝石を見やったが、前に向き、アクセルを踏み込んでエアカーを加速させた。
だが、以前のようにミイムの笑顔を真っ向から信じることは出来ない。美しい容姿も真意を覆い隠す武器になる。
しかし、それはマサヨシもまた同じだった。自分自身と周囲に軽い嘘を吐くことで、真意から微妙にずらしている。
 客観視すれば、マサヨシは危険を顧みずに家族を愛する男に見えるかもしれないが、その実は利己主義だ。
自分自身の心の平穏と危うい関係の疑似家族を結び付けておくために、感情的な判断を下してしまっただけだ。
この嘘は薄っぺらい、故に一時的な平穏しかもたらさない。頭ではそうだと解っていても、心はそうだと思わない。
今までもそうだったのだから、仮初めでも不確かでも平和な日々が続くはずだと、根拠もないことを信じている。
 我ながら、その愚かさに吐き気がする。







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