父親だって、人間だ。 どう見積もっても、足りない。 何度見比べても、貯金残高は変わらない。何度睨み付けたところで、建築資材の値段が下がるわけでもない。 サチコの仕上げた見積書は完璧だ。寸分の隙もなく、ボルトの一本もナットの一個すらも取りこぼしていなかった。 だが、それ故に遊びがない。ミイムが壊し尽くした家と全く同じ構造と規模の家を建てたとしても、予算は足りない。 元々、マサヨシの貯金は多い方ではない。スペースファイターに使う予算から割いたとしても、到底足りなかった。 イグニスの貯金は当てにならない。というか、金を得た傍から使い込んでしまう性分なので、貯金などしていない。 それはヤブキも同様だ。先日までは二等兵だったが、度重なる失態でただでさえ少ない給料が減俸されていた。 その上、武装や農耕機具に湯水の如く注ぎ込んでしまうので、イグニス以上に危うい経済状態になっているのだ。 そして、人身売買されていたミイムが金を持っているわけがない。結局、マサヨシが自宅の建造費を出すしかない。 しかし、どうにも捻出出来ない。かといって、コロニーの狭苦しい管理室で大人三人子供一人で暮らすのは厳しい。 マサヨシは見積書のホログラフィーを睨み付けていたが、眉間を押さえた。この数日、頭痛に悩まされている。 それというのも、金が足りないからだ。金がなければ家が再建出来ない。しかし、大きな仕事を請け負えていない。 イグニスと共に出撃して宇宙海賊の討伐は続けているが、最近は敵の規模も小さいので大した稼ぎにはならない。 今後を考えると、報酬の高さに比例して危険な仕事を請け負うわけにもいかない。だが、このままでは干涸らびる。 「一体、どうすればいいんだ」 マサヨシはこめかみを押さえ、唸った。 「そんなにお金が足りないんですかぁ、パパさん」 手狭なキッチンから出てきたミイムは、ソファーに座るマサヨシの前にコーヒーを置いた。 「そもそも、俺一人でこの人数を養うことからして難しいんだよなぁ…」 マサヨシはコーヒーを飲み下し、その鋭い苦みで悩み疲れた頭を刺激した。ミイムも隣に座り、自分の分を啜る。 「みゅふふぅ、穀潰しは宇宙に捨てれば万事解決ですよぉ。ヤブキとかヤブキとかヤブキとかぁ」 「お前、どんどん性格がどぎつくなってくるな」 「だぁってぇ、本当のことじゃないですかぁ」 「だが、それでは根本的な解決にならないぞ。それに、ヤブキは私物の代金ぐらいは自腹を切っているが、お前はそうじゃない。事情が事情だけに仕方ないとはいえ、近頃遠慮がなくなっているように思える。この前の買い出しの時にも、食費を削って化粧品に回していたじゃないか。大体、化粧品なら前にもいくつか買っただろう。やれ保水だのやれ美白だのなんだのって、お前の部屋には化粧水だけで五本はあるじゃないか。ヤブキの趣味はまだ実用的だが、これは本当に無駄だと思うんだが」 「だぁってぇーん。ボクって色々と繊細だから、お手入れが大事なんですよぉ」 「これだから」 女ってのは、とマサヨシは言いそうになったが飲み込んだ。時折、ミイムが男だということを忘れそうになる。 だが、男は男だ。男が化粧品を使うことからして理解出来ないが、クニクルス族の性の概念は地球人とは逆だ。 だから、ミイムからすれば変でもなんでもないのだが、マサヨシには未だに生理的に受け付けない部分がある。 〈ミイムちゃんの化粧品が無駄かどうかは別として、確かに問題は多いわね〉 球体のスパイマシン、サチコはマサヨシの前に浮かぶと、ホログラフィーを投影している情報端末の傍に降りた。 〈だけど、これ以上予算を下げたら、家としての構造が保てなくなるわ。建築資材の値段だって、割安だけど品質は確かな業者のものを選んでいるんだから。家自体の大きさを縮めれば値段も下がるけど、こんなに人数が増えたんじゃそれも出来ないわね。かといって、中古の宇宙船を払い下げて家にするのはマサヨシの趣味じゃないだろうし、ハルちゃんも気に入らないんじゃないかしら〉 「ああ。船に乗るのは仕事だけでいい」 〈やっぱりそうよねぇ。けれど、これ以上削れる予算はどこにもないわ。食費も雑費もスペースファイターの整備費も限界まで差っ引いて、0.1クレジットも逃さずに計算したんだから。他に削れる部分があるとすれば、もう、あれしか残っていないわね〉 サチコはスパイマシンのレンズを上向け、輝かせる。 〈イグニスよ〉 「だが、あいつの食費を差っ引いたら、それこそ死活問題じゃないのか」 〈いいえ。差っ引くのはそれじゃないわ。イグニスの馬鹿が掻き集めた、スペースデブリの山を売り払うのよ!〉 「まあ…建設的な意見ではあるが」 マサヨシはコーヒーを啜り、目を伏せる。サチコは浮かび上がり、マサヨシの視線を遮る。 〈だって、もうそれ以外に方法はないのよ! それに、あのゴミの山が一つでも片付けば、通信電波の乱れも少なくなるし、鉱物資源をリサイクルするんだから宇宙環境にも貢献出来るし、売却価格によってはお金に余裕が出来てスペースファイターに設備投資出来るかもしれないし、そうすれば私の年代物のスパイマシンも何基か新調出来るし、マサヨシの操縦システムも全画面モニターヘルメット式から意識直結式に移行出来るだろうし、そうすればマサヨシはもっともっと活躍出来て収入も増えること間違いなしよ!〉 「みぃ。確かにそれはいいアイディアですぅ、サチコさん」 〈でしょ?〉 「それで、肝心のパパさんの意見はどうなんですかぁ?」 ミイムに話を振られたが、マサヨシは言葉を濁した。 「しかしな…」 「まさかとは思いますけどぉ、イギーさんと説き伏せる自信がないんですかぁ? 相棒さんなのにぃ?」 ミイムに迫られ、マサヨシは苦笑いする。 「痛いところを突くな、お前は」 「パパさんって意気地があるんだかないんだか解らないですねぇ、みゅんみゅーん」 ミイムはふうっと湯気を吹き、ミルクと砂糖がたっぷり入った甘ったるいコーヒーを飲んだ。 「ここは一つ、ヤブキの意見も仰ごう」 これ以上ミイムのそばにいたら、どれほどなじられることか。溜まりかねて、マサヨシは腰を上げた。 「いいんですよぉ、あんなのの意見なんて聞かなくてぇ! 話をするだけ時間とエネルギーの浪費ですぅ!」 マサヨシのベルトを掴み、ミイムはむくれる。ズボンが下がってしまい、マサヨシは慌ててベルトを引き上げた。 「お前、なんてところを掴んでいるんだ!」 「ボク、もっとパパさんと一緒にいたいんだもぉん」 やぁーん、とマサヨシの足に縋り付き、ミイムは首を横に振る。マサヨシは少し後退するも、ミイムは離れない。 「お前なぁ…。本当にやりづらいから、いっそのことルルススでいてくれないか?」 「嫌です」 ミイムは急に真顔になったが、すぐに甘えた態度に戻る。 「神経張りまくりで緊張びっしばしの側近なんかでいるよりもぉ、きゃぴきゃぴしたお年頃の男の子でいる方がずっと楽しいんですぅ。ボクがお仕事モードでいるのはレギーナ様の前だけなんですぅ、みぃ」 〈私にもその気持ちは解るわ。私だって、お仕事の時とハルちゃんと遊ぶ時は思考回路を切り替えているもの〉 サチコの言葉に、ミイムはふにゃっと頬を緩めてマサヨシに擦り寄る。 「だぁからぁーん」 「だからって、なんでそうなるんだ! そもそもお前が俺にべったりする理由が見当たらないだろう!」 べったりと甘えてくるミイムに辟易し、マサヨシは声を荒げる。ミイムは金色の瞳を潤ませ、見上げてくる。 「パパさんの気がヤブキになんて向けられるぐらいだったらぁ、ボクはなんだってしますぅ」 「そんなにヤブキが嫌いか」 「嫌いですぅ」 「いい加減にしろ」 マサヨシはミイムの頭を小突くと、彼の腕の中から足を抜き、乱れてしまったズボンを直した。 「お前の場合、どこまでが冗談でどこからが本気かが解りづらいんだ。あまりやりすぎないでくれ」 「みゅふぅーん。ボクの場合、最初から最後まで至って本気なんですよぉ。そんなの心外ですぅ」 ミイムはマサヨシに小突かれた部分を押さえ、眉を下げる。 「尚悪い」 マサヨシはミイムに背を向け、管理室からコロニー内に降りるエレベーターに向かった。 「来い、サチコ」 〈あいつには会いたくないけど、マサヨシが行くんだったらどこへだって付いていくんだから〉 マサヨシの後を追い、サチコのスパイマシンは軽やかに飛んでいった。 「みゅみゅう、いってらっしゃーい」 エレベーターに乗るマサヨシの背に向けて、ミイムは軽く手を振った。だが、彼はそれに応えてくれなかった。 今度ばかりはやりすぎたらしい。マサヨシにしては冷淡な態度で、さすがに調子に乗りすぎたのだと理解した。 だが、つい調子に乗ってしまう。危険を承知で受け入れてくれたマサヨシへの後ろめたさと感謝が混じるからだ。 マサヨシは何をすれば喜んでくれるのか未だに掴み切れていないので、ハルに対するように接してしまうのだ。 それでは良くないとは思うが、他の方法を知らない。ミイムは思い悩みながら、少々冷めたコーヒーを飲んだ。 母親役としても、家族の一員としても、まだまだ不完全だ。 もう、迷う余地もない。 マサヨシはサチコを伴って廃棄コロニー内に入り、イグニスのガレージへ向かいながら、戦う覚悟を決めた。 だが、イグニスの趣味を止めさせるのとコレクションを売り払うのでは程度が違うので、どうなるかは解らない。 マサヨシにも蒐集の楽しさは解らないでもないので、少しばかり気が咎めたが、最優先するべきは自宅なのだ。 ハルのことを引き合いに出せば折れてくれるはずだ。だが、そう行かなかったとしたら、真っ向から戦うまでだ。 マサヨシは表情を強張らせ、ガレージに近付いた。ガレージの傍で、ハルとヤブキがボールを投げ合っている。 ボールの軌道は一直線ではなく、三角形だった。ガレージの陰に隠れていたが、イグニスも遊びに加わっていた。 微笑ましい掛け声と共に、子供の両腕で抱えられるほどの大きさのボールが投げられ、三人の間を行き交った。 行くっすよー、とハルに声を掛けてから弱い力でボールを投げているヤブキは、兄らしい雰囲気を漂わせている。 ガレージの前で胡座を掻いているイグニスは、過剰な力を加えないために、指先だけを使って投げ返している。 「あ、パパ!」 イグニスから投げられたボールを受け取ったハルは、マサヨシに気付き、駆け寄ってきた。 「パパとお姉ちゃんもボール投げしよ、楽しいよ!」 はい、とボールを手渡され、マサヨシは一瞬戸惑ったが笑みを見せた。 「そうだな。だが、俺は二人と少し話があるんだ。また後でな」 「おじちゃん達と?」 ハルは振り返り、イグニスを見上げた。イグニスは、億劫そうに立ち上がる。 「なんだよ、こんな時に」 「なんすか、一体」 ヤブキも、マサヨシに近付いてきた。イグニスもマサヨシの傍まで近付き、片膝を付いて身を屈める。 「金の相談なら勘弁してくれよ。俺はお前以上にすっからかんなんだ」 「オイラも出せるもんなら出したいっすけど、自分のことだけで精一杯っすからねぇ」 ヤブキは、ひょいと肩を竦める。ハルはかかとを上げて背伸びをし、男達を見上げる。 「ねえねえ、それって新しいおうちのお話?」 「まあな。だが、先立つものがなければ話を始めようがない」 「サキダツモノってなあに?」 「金だ」 ハルの問いにマサヨシはきっぱりと答え、イグニスを見上げた。 「というわけでイグニス、お前のスペースデブリを」 「売るわけねぇだろうがあっ!」 弾かれるように立ち上がったイグニスは、後退った。 「キャサリンの修復だって完了してねぇのに、何を言いやがる! デイジーもアンジェラもブリジットもローズマリーも絶対手放さねぇからな! このガレージの中のアレクサンドラとカーリーとメリッサにも指一本触れさせねぇぞ!」 「うーわー、煌びやかな名前っすねー。ていうかゴミの山に名前なんて付けるのはイグ兄貴だけっすよ、絶対」 ヤブキはイグニスの趣味に呆れ、半笑いになった。 「段々悪化するな、お前の性癖は」 マサヨシは顔をしかめたが、イグニスの勢いは緩まない。 「どうしても売りたければ、俺を倒してからにしやがれってんだあ!」 「ならば倒そう」 これ以上まともに相手にしたくなかったので、マサヨシは言い切った。すると、イグニスは少々戸惑った。 「おい、お前、正気か?」 「お前の方こそ正気か?」 マサヨシの言葉に、ヤブキはへらへらと笑う。 「そりゃそうっすよねー、どう見たってイグ兄貴の言動は正気の沙汰じゃないっすもんねー」 「うっせぇ」 イグニスは指先でヤブキを弾いてから、マサヨシを見下ろした。 「それで、何をどうして勝負を付ける気だ」 「ハル、いい考えはあるか?」 マサヨシは、三人の間に立つ少女に向いた。ハルは、元気良く挙手する。 「私、だるまさんが転んだ、してみたーい! お兄ちゃんが教えてくれたの!」 〈じゃ、それに決定ね。マサヨシの機動歩兵がイグニスをめためたに倒す様は見てみたいけど、そんなことをするとまた余計な出費がかさんじゃうから、ハルちゃんのアイディアで事を穏便に済ませちゃいましょう。ちなみに、だるまさんが転んだっていうのは旧時代の子供の遊びで、壁に向かって顔を当てて目隠しをした鬼がだるまさんが転んだって言い終えるまでに近付くんだけど、鬼が振り返った時に動いていたらアウトなのよ。その時点で捕虜になってしまうの。だから、他のプレイヤーは、鬼がだるまさんが転んだって言っている間に近付いて、鬼と捕虜の手を断ち切って捕虜を助けることが出来るのよ。そして、他のプレイヤーが鬼にタッチすると、鬼は自陣から動けるようになって他のプレイヤーにタッチすると、そのプレイヤーが新たな鬼になるってわけよ。要するに、鬼との心理的な駆け引きを楽しむゲームね〉 サチコの解説を聞き終えた途端、イグニスは不平を漏らした。 「そんなんで勝負が付くかよ! 大体、そんな子供騙しのゲームじゃ勝ち負けが決められねぇだろうが!」 「だったら、組み分けすればいいんじゃないっすか? イグ兄貴のチームとマサ兄貴のチームに分けて、どっちかのチームのメンバーが最終的に鬼になっていたら負け、ってことで。いっそのこと、タイムアタック制にしたらもっと解りやすく決着が付くんじゃないっすか、決着」 ヤブキの提案に、マサヨシは頷いた。 「ヤブキにしてはいい考えだ。それじゃ、組み分けをしようか。丁度俺達は偶数だからな」 「本気でこんな遊びで決着を付けるつもりなのか?」 かなり嫌そうなイグニスに、マサヨシは冷ややかに言い返した。 「なんでもかんでも戦いに結び付けようとするべきではないと思うがな」 「いや、だからってよ…」 イグニスは文句を言いたいようだったが、皆と遊べることではしゃいでいるハルの姿を見た途端、黙り込んだ。 結局、ハルが喜んでいればイグニスは黙るのだ。マサヨシは彼の単純さに安堵しつつも、多少後悔していた。 だるまさんが転んだ、という遊びは、マサヨシは一度もしたことがない。だから、勝てるかどうかは一切解らない。 しかし、決めたからには後へは引けない。 08 4/6 |