片手が使えないというのは、非常に不便である。 増して、それが料理となれば尚更だった。ミイムにはミイムのペースがあり、ヤブキにはヤブキのペースがある。 どちらも料理は出来るのだが、出来るからこそ自分のやりたいようにやろうとするのでタイミングがずれてしまう。 下拵えをするにしても、加熱調理をするにしても、調味料を入れるにしても、ことごとくヤブキと合わないのである。 おかげで、夕食を作って洗い物をしただけなのに疲れ果て、ソファーに座ったミイムはヤブキの隣で潰れていた。 ミイムは恨めしく思いながら、ヤブキを睨んだ。ヤブキは充電用ケーブルを伸ばし、コンセントに差し込んでいた。 「ボク、お風呂に入りたいんですけどぉ」 「オイラも充電したいんすけど」 ヤブキはケーブルを持ち上げ、示す。ミイムは言い返そうとしたが、気力が尽きてへたり込んだ。 「ああもう…」 「これでミイムが女の子だったら、オイラも喜んでお風呂に付き合うんすけどねー」 「黙れ変態」 「いやいやいやいや。そりゃ男だったら誰しもが一度は考えるシチュエーションで」 「うるせぇですぅ」 「だけど、ミイムも体力ないっすね。今日はミイムがいるから、オイラは仕事を大分減らしたんすよ? なのに、もうへばっちゃったっすか。やっぱり、見た目通りなんすねー」 「ていうか、あの範囲の草毟りを一日でやることからしてまずおかしいんですぅ。全部やることはないと思いますぅ」 「雑草ってのは生命力が強烈っすから、一日でも放っておくとえらいことになるんすよ。大体、今の時期はまだ楽っすよ? これから夏になって気温が上がれば、雑草の勢いもズンドコドンドコと」 「その訳の解らない擬音を止めるですぅ」 ミイムは眉間を押さえながら、ヤブキに言い返した。脳の疲労が抜けきっておらず、未だに頭痛が残っている。 「んで、頭の方は大丈夫っすか?」 ヤブキはミイムの額に手を当てようとしたので、ミイムは力一杯仰け反って回避した。 「何をしますかぁ!」 「いやだって、辛そうすっから。サイコキネシスを乱発しすぎなんすよ、マジで。どんなことだって、練習しなきゃ上手くなるわけがないじゃないっすか。ろくに訓練もしない上にサイキックリミッターを付けたままでフルパワーを出そうとするから、頭が痛くなって当たり前なんすよ。無茶しすぎて、脳髄バァーンなんてことになっても知らないっすよ?」 「だからなんなんですかその擬音は」 「じゃ、ドッチャーの方がそれっぽくて」 「そういう問題じゃないですぅ」 ミイムは言い返すことにも疲れ、ソファーに座り直した。眠気も感じていたが、眠ってしまうわけにはいかない。 このままでは、ヤブキと寝床を共にしてしまうかもしれないのだ。それは生涯の恥だ。何が何でも阻止しなくては。 だが、心身の疲労と頭痛が眠気を強め、意識をじわりと浸食してくる。いつまでも堪えられるとは思えなかった。 何度も瞬きを繰り返すも、やはり眠かった。だが、ヤブキの肩を借りるのは不愉快極まりない。死んでもごめんだ。 「眠いんなら、寝てもいいっすよ?」 睡魔に襲われているミイムの様子に気付き、ヤブキが膝を指したが、ミイムは顔を背ける。 「誰があんたの膝なんかで寝ますかぁ。気色悪いだけですぅ」 「オイラは別にここでもいいっすよ。それに、部屋に帰るにしたって、オイラの部屋はごっちゃごちゃっすから。オイラ一人くらいなら横になれるっすけど、二人で寝るとなると厳しいっすからね。それに、ミイムはオイラには部屋に入られたくないんじゃないかと」 「あんたにしては解っているじゃないですか」 ミイムは、欠伸を噛み殺した。ヤブキはリビングの壁に設置されたホログラフィーモニターを入れ、操作する。 「でも、これから一時間は眠れないと思うっすよ?」 「あ?」 ミイムは眠気に伴った苛立ちで、声を潰した。ヤブキは民間放送局のチャンネルに合わせ、番組を映し出した。 それは子供向けのチャンネルだった。幼児向けの番組らしく、ぬいぐるみのようなアニメーションが動いている。 すると、バスルームから小さな足音が近付いてきた。パジャマ姿のハルは、駆け足でリビングに突っ込んできた。 「ねえねえ、ムラサメ始まった?」 「もうちょっとっすよ。その前に髪を乾かすっす」 ヤブキは、ハルの濡れた髪を指す。ハルは、嫌そうにむくれる。 「ドライヤー嫌ぁい。熱いんだもん」 「そんなことを言うな」 ハルに続いて、マサヨシもバスルームから戻ってきた。こちらは、ハルよりも先に髪を乾かし終えている。 「ほら、大人しくしろ。良い子にしてないと、アイスを食わせてやらないぞ」 マサヨシはハルの頭にバスタオルを被せると、滴が垂れるほど濡れていた長い金髪を拭くが、少々手荒だった。 ミイムは思わず腰を上げるが、左手が引っ掛かった。マサヨシの拭き方が乱暴なせいか、ハルは不機嫌そうだ。 ハルの髪は長いが細いので、普通の髪よりも丁寧にやるべきなのに。ミイムは、眠気も忘れてはらはらしていた。 バスタオルが外されると、案の定ハルの髪はぐちゃぐちゃだった。マサヨシはそれをそのまま乾かそうとしている。 「ボクがやりますから、ボクが!」 ミイムは居たたまれなくなって、挙手した。ハルは安堵し、喜んだ。 「本当? ママがやってくれるの?」 「なら、ミイムに任せるか」 マサヨシは残念そうだったが、ミイムにコードレスのドライヤーとハルのブラシを渡した。 「ほら、ボクの隣に座って下さい」 ミイムはハルをソファーに座らせてから、その首回りにバスタオルを掛けてやり、ドライヤーのスイッチを入れた。 マサヨシの荒っぽい拭き方のせいで、せっかくの金髪が絡んでいる。乾かしながら、慎重にブラシで梳いてやる。 頭部に直接温風を当てないようにドライヤーを傾け、乾きにくい生え際はブラシで持ち上げてから温風を当てた。 「すぐに可愛くしてあげますぅ」 ミイムはハルに微笑みかけながら、丹念にブローする。ハルはすっかり機嫌を直し、にこにこしている。 「うん! ママ、一緒にムラサメ観ようね! アイスも食べようね!」 「んで、そのムラサメってなんなんですぅ?」 ミイムはブローを続けながら、二人に尋ねた。ヤブキは、間髪入れずに答える。 「ニンジャファイター・ムラサメっていう特撮ヒーロー番組っすよ! 初回は十五年前で、その頃のタイトルはニンジャファイターだけだったんす。それがシリーズを重ねるごとに変わっていって、二代目はコテツ、三代目はビゼン、四代目はイチモンジ、五代目はマサムネと来て、そして現行シリーズの六代目がムラサメなんすよ! いやぁこれがまたいいんすよ、己の体術とテクニックだけで敵を翻弄するところが! 普通のヒーロー物は光学兵器やら宇宙船やらを使うんすけど、ニンジャファイターはどんなことでも精神力と忍術でなんとかしちゃうんす! しかもそれが十代の若人達で、諸事情で戦闘サイボーグに改造されちゃったからニンジャファイターになったんすけど、元々は一般市民だったんすよ。だから、葛藤も当然あるわけっすよ。有り余る力を持て余しながらも、時には仲間と衝突しながらも、平穏な日常に戻りたいと思いながらも、最終的には正義の心で再び立ち上がり、宇宙を支配せんと企む謎多き犯罪組織ダークネスサムライと戦い続けるんすよ! ちなみにダークネスサムライは各シリーズの共通の敵っすけど、シリーズごとにボスキャラは入れ替わっているっす。オイラが一番好きなのは、三代目のビゼンに登場した狂気の暴君ノブナガで…」 「俺としてはコテツが一番だな。初代を踏襲しながらもストーリーや演出のクオリティを上げていたし、何よりコテツが好きだったんだ。シリーズ終盤でコテツは敵の罠に填って記憶の一切合切を奪われて捕虜にされてしまうんだが、記憶を取り戻すなどという野暮なことはせず、体に染み着いた戦闘能力と魂に焼き付いていた正義に突き動かされ、再びニンジャファイターとしての使命に目覚めるんだよ。そのシーンのセリフ回しと演出が熱いんだが、その後の戦闘がまた凄まじくてなぁ」 マサヨシはヤブキに釣られて語っていたが、ふと我に返った。 「…すまん」 若干照れているマサヨシに、ヤブキはにやにやする。 「ちなみにムラサメ部隊の中じゃ誰が好きっすか? オイラは、正統派元気ヒロインの鎖鎌のユリカっすけど」 「私もユリカちゃんが好きー! だって可愛いし強いもん!」 髪を乾かし終えたハルは、元気よく答えた。マサヨシは少々迷っていたが、言った。 「薙刀のトオリ…かな。大人しくて物静かなんだが、戦闘時は物凄く冷静に敵をかっ捌くあたりが」 「次点でクナイのコウノスケっすね。あのラフファイトがたまんないっすよー。リーダーの二刀流のムラサメは、クールすぎて感情移入しずらいんすよ」 「俺もだ。なんというか、ムラサメは他人とは思えなくてな。色々と」 「その点、コウノスケはいいっすよねー。幼馴染みでガールフレンドのユリカと一緒にダークネスサムライに攫われて、ユリカを生かすことを交換条件に戦闘サイボーグに改造されちゃう辺りからしていいっすよ! でもって、情報を聞きつけてユリカを助けに来たムラサメと戦って負けるんすけど、ただ負けるんじゃなくて、ムラサメにユリカのことを託してから倒れるんすよね! でも、ムラサメが突入した時には既に遅く、ユリカも戦闘サイボーグに改造されていたんすよ! しかもそれがまた強いんすよねー! ムラサメとの戦闘で死を覚悟したユリカから送られた通信で、死の淵から復活したコウノスケもまた熱くてたまんないっすよ!」 「だが、俺はその次のトオリのエピソードの方が好きだぞ。最初、トオリはダークネスサムライのエージェントだったんだよな。生き別れの兄を捜し出すためにダークネスサムライに入ったが、戦闘サイボーグに改造されて利用されていたんだ。ムラサメ部隊を倒せば兄の情報を与える、と言われて送り込まれ、一般市民の振りをして三人に近付いたんだが、明るい性格のユリカと一緒に行動するうちにトオリの心は十四歳の普通の女の子に戻ってしまうんだ。だが、命令を守らなければ兄の手掛かりが得られない。しかし、ユリカ達は初めて出来た友達だ。そこでトオリは葛藤した末に、ムラサメ部隊と戦って倒される、という手段を選ぶんだ。友達ではなく敵の一人として終われば誰も傷付かない、と。しかし、その意図はユリカに見破られ、ユリカはトオリと戦うことを止めるんだ。そのシーンのユリカがまたいいんだよなぁ。トオリの薙刀を素手で掴んで胸元に引き寄せて、今日友達でいられたんだから、明日も友達でいられるよ、と。すまん、一字一句逃さず覚えていた」 見返しすぎた、とマサヨシは苦笑いする。ヤブキは物凄く嬉しそうに、マサヨシに詰め寄る。 「いやあ、それは当然っすよ。トオリは全シリーズの中でも最萌えヒロインと名高いっすからねー!」 「そんなに面白いんですか、みぃ?」 二人の語りの濃さに、ミイムは引き気味だった。ハルは、ミイムにしがみつく。 「すっごく面白いよ! だから、ママも一緒に観よう!」 「それで、今日は第何話だったかな」 マサヨシは腰を上げると、キッチンに向かった。ヤブキは即答する。 「第六十三話で、ダークネスサムライの本拠地に潜入したところっすよ。これから四天王の一人である鉄扇のヴォルフラムと戦うんす。これまでの伏線や描写を総合すると、このヴォルフラムがトオリの兄さんのワタルなんじゃないかって展開っすけどね。実際、次回予告じゃトオリはヴォルフラムと交戦しそうな感じだったっす」 「となると、シノビマスター・シズナの出番は当分なしか」 「マスター・シズナは色気要員っすからねー。ユリカも体型はバッチリなんすけど、言動がロリっぽいんすよね。でもって、トオリは貧乳で手足も折れそうなくらい細くて色気なんて皆無なんすよね。まあ、そこがいいんすけど」 「ところで、お前達、アイスは何がいい?」 マサヨシはヤブキとの会話を中断し、腰を上げてキッチンに向かった。ハルは、目を輝かせる。 「私、イチゴとチョコの!」 「オイラはウジキントキを!」 「ボクは…もう、なんでもいいです…」 ミイムは一層疲れ、考える気力は起きなかった。そうか、とマサヨシは冷蔵庫からアイスクリームを取り出した。 そのうちの一つは、ハルの注文のストロベリーチョコチップである。かなり甘いので、ハル以外はあまり食べない。 もう一つは、ヤブキのウジキントキだ。先日の買い出しで買ったのだが、マサヨシには全く味の想像が付かない。 他の二つは、無難なバニラだった。マサヨシはハルにアイスクリームと一緒にスプーンを渡し、ミイムにも渡した。 マサヨシは三人の座っているソファーと隣り合っている一人掛けに座り、ハルはミイムとヤブキの間に入ってきた。 ミイムはアイスクリームの蓋を開け、食べようとした。すると、左からスプーンが突き出され、口に押し込まれた。 バニラではない、甘ったるいイチゴ味が口に広がった。ミイムがきょとんとしていると、ハルがにんまりしていた。 「ママ、おいしい?」 「みゅ」 ミイムはスプーンを外し、頷いた。自分のアイスクリームを一掬いすると、ハルへと差し出した。 「はい、あーん」 「あーん」 ハルは、ミイムの差し出したアイスクリームを食べた。そしてまたスプーンに掬うと、今度はヤブキに向けた。 「はい、お兄ちゃん」 「あざーっす」 ヤブキは妙な返事をしてから、ハルの差し出したスプーンを口に入れ、飲み込んだ。 「では、オイラも」 ヤブキは小豆の入った濃緑色のアイスクリームを掬うと、ミイムに差し出した。 「なんでボクなんですか」 ミイムがむっとすると、ハルは二人を見上げた。 「ママ、まだお兄ちゃんのことが嫌い? 私はママもお兄ちゃんも大好きだよ?」 「そうっすよそうっすよ、ここは食べておいた方が利口っすよ」 もっともらしく、ヤブキは頷く。ミイムは躊躇していたが、ハルの切なげな眼差しには勝てず、食べた。 「なんですかこの味は、青臭いですぅ」 「そりゃウジキントキっすから」 ヤブキはミイムの口元からスプーンを取り返すと、躊躇いもなくアイスクリームを掬い、食べた。 「これで仲良しになれるよね?」 ハルはミイムの左腕を抱き、ヤブキの右腕も抱くと、二人を交互に見上げた。 「ママが怒るのを見るの、もう嫌だもん。お兄ちゃんが辛そうなのを見るのも、もう嫌だもん。だから、これからずっと仲良しでいてね。じゃないと、ムラサメに成敗されちゃうよ?」 「どうせ成敗されるなら、ユリカがいいっすけどね。成敗しちゃうよー、ってね」 ヤブキは笑うと、ハルを撫でた。 「んで、ミイムはどうっすか?」 「ボクは…」 ミイムはハルとヤブキから、目線を逸らした。ヤブキに対する不愉快さは消えない。だが、それは嫉妬なのだ。 今も、あまり面白くなかった。マサヨシと共通の話題を持っているというだけで、つまらない苛立ちを掻き立てる。 普通の暮らしに憧れることは許されなかった。側近として、忠実なる下僕として生きることが全てだったからだ。 何も知らない頃はそれでいいと思っていたし、それだけで充分だとも思っていたが、現実はそうではなかった。 様々なことを知れば知るほど、外の世界を知っているヤブキが疎ましくなる。皆との距離が狭い彼が邪魔になる。 だから、彼が嫌いだ。細々としたことも鼻に付いて、不愉快で、そんなふうに思う自分がもっと嫌になってしまった。 だが、自己嫌悪に陥った自分が情けなくて、見たくなくて、ありとあらゆる負の感情をヤブキにぶつけてしまった。 仮初めの居場所だと思っていたのに、その時が来るまでの宿り木のはずなのに、気付いたら深く思い入れていた。 「意地を張るのも楽じゃないっすよね?」 ヤブキは、ミイムの心中を見透かしていたかのようだった。ミイムは俯き、スプーンを握り締めた。 「別に、そんなんじゃないですよぅ」 「だから、それが意地だって」 「だからっ!」 ミイムは声を上げようとしたが、喉の奥で声が詰まり、若干上擦った。嫌だと思う自分が嫌で、涙が滲んできた。 もう泣くまいと決めたのに、一度泣いたら緩んでしまった。ミイムは奥歯を噛み締めていたが、肩まで震えてきた。 「ミイムにどんな事情があるのかは知らないし、今のところは別に知りたいとも思わないっすけど」 ヤブキは自分のスプーンに再びアイスクリームを掬うと、ミイムに差し出した。 「今はとにかく、アイスを喰って、一緒にムラサメを観るっすよ」 「…二度目は、ないですぅ」 ミイムはヤブキの差し出したスプーンから顔を背け、自分のアイスクリームを口に入れたが、味は解らなかった。 その後、程なくして始まったニンジャマスター・ムラサメの第六十三話の内容も、今一つ記憶に残っていなかった。 刀を二本背負っているのがムラサメ、クナイを使うのがコウノスケ、鎖鎌がユリカ、薙刀がトオリ、と一応は覚えた。 だが、それ以外はさっぱりだ。ヤブキに対する感情や自分に対する感情がぐちゃぐちゃに入り乱れたからだった。 左腕にぴったりと寄り添っているハルの体温は、心地良かった。湯上がり故に、いつもより少しばかり熱かった。 対照的に、左手の中のアイスクリームは冷たかった。だが、時間が経つに連れ、ミイムの体温で柔らかく溶けた。 なのに、自分は心を解かそうともしない。 眩しい朝日が目を刺し、覚醒を招いた。 ミイムは目を瞬かせながら、身を起こした。寝入った時にはなかった毛布が掛けられていて、上半身から落ちた。 左腕はソファーから落ちていて、その先にはヤブキが繋がっていた。床に大の字になっており、情けない寝姿だ。 気配を感じて見やると、一人掛けのソファーにマサヨシが座り、ホログラフィーペーパーでニュースを読んでいた。 マサヨシはミイムに目を向けると、ホログラフィーを消した。ミイムが挨拶をするより前に、マサヨシが口を開いた。 「少しはヤブキを理解出来たか?」 「少し、ですけど」 ミイムは寝乱れた髪を直し、小さく呟いた。 「だったら、これからは仲良く出来るな? もちろん、いきなりでなくてもいいんだが」 「頑張ってみます。でも、ボク、格好悪かったですね」 「それだけ解れば充分だ」 マサヨシはソファーから腰を上げると、カーテンを引いてリビング一杯に朝日を入れた。 「どう考えても、ヤブキと仲違いしている原因はお前自身だったからな。だが、俺達は生憎エスパーではないから、それを感じ取ることは出来ない。だから、多少荒っぽい方法を使ったわけだが、その様子だと効果はあったようだな。反省したか、ミイム」 「みゅ」 ミイムは、苦笑気味に頷いた。すると、仰向けに寝そべっていたヤブキが上体を起こした。 「いっつもそうならいいんすけどねー。ていうか、結局オイラは罵倒され損ってことっすか?」 「起きていたのか」 マサヨシが目を丸めると、ヤブキは首の関節を回して慣らした。 「大分前からっすけどね。ミイムが起きなかったから、オイラも動くに動けなかったんすよ」 ヤブキはマサヨシに向くと、敬礼した。 「そんじゃ、オイラもミイムと仲良くなれるように善処するっす! 女装と擬音語とぶりっこはどこをどうひっくり返しても好きになれないっすけど、それ以外は結構好きっすから!」 「ボクもヤブキのキモさとウザさと馬鹿さは好きになれないですけど、それ以外はなんとか許容範囲ですぅ」 ミイムはそう言いつつも、少し笑っていた。ヤブキは、手錠の繋がった右腕を上げる。 「つーことでマサ兄貴、手錠の解錠をお願いするっす! どんなパスワードなんすか?」 「そうですそうですぅ、早くしないと朝ご飯が作れませんよぉ。今日は僕の番なんですからぁ、ふみゅう」 ミイムは尻尾をぱたぱたと振りながら、マサヨシに向いた。 「そうだな…」 それから、マサヨシはしばらく黙り込んだ。二人はパスワードを待ち侘びたが、なかなか彼は口を開かなかった。 優に五分以上経過してから、ようやくマサヨシは顔を上げた。だが、その目は明らかに羞恥心に苛まれていた。 「め」 「め?」 二人が声を合わせると、マサヨシは投げ遣りに呟いた。 「眼鏡っ子激LOVE」 その言葉の後、二人の手首を戒めていた錠が外れ、床に落ちた。その金属音を、二人の笑い声が掻き消した。 「なんすかそれー、痛いっていうかハズいっすー!」 げたげたと笑い転げるヤブキに釣られ、ミイムも背を丸めて笑っている。 「みゃはははははっ、それきっついですぅ、パパさんに似合わないですぅ、確かに日常では言いませんけどぉ!」 「…笑うなら笑え。俺だって、好きでそんなものをパスワードにしたわけじゃないんだから」 ああ恥ずかしい、とマサヨシは呟いて、顔を押さえた。指の間から垣間見える頬は、羞恥で薄く染まっていた。 それがまた可笑しく、更に笑った。おかげでハルもイグニスも起きてきて、二人から笑っている理由を問われた。 イグニスには意味が通じたらしく、彼もまた笑った。だが、ハルには今一つ解らなかったらしく、きょとんとしていた。 最後にやってきたサチコに説明したところ、そのパスワードを提案したのはサチコだと判明し、そして皆で笑った。 こんなに笑うのは、どのくらいぶりだろうか。ミイムは自分自身の笑い声を聞きながら、心が解けるのを感じた。 もう、気後れすることはなかった。 08 4/15 |