アステロイド家族




紫電一閃



 赤と青が、交わる時。


 暇を持て余すのも、楽ではない。
 イグニスはガレージから出て、ぼんやりしていた。数日間続いた雨も止み、コロニー内の空気は爽やかだった。
だが、それは気を晴らす助けにもならない。機械生命体にとって、空気の善し悪しなどどうでもいいことだからだ。
吸排気フィルターの汚れが少なくなるな、と思う程度で、他には何も感じない。だが、炭素生物は違うようだった。
 久し振りの晴れが楽しいらしく、ハルは地面がぬかるんでいるのも気にせずにはしゃぎながら駆け回っている。
その後を、やはりはしゃいでいるヤブキが追いかけている。体格差がなければ、同年代に思えるほど言動が幼い。
二人はとても楽しそうだが、イグニスは混じれない。万が一、滑って転んでハルを潰してしまったら大変だからだ。
 正直言って、退屈だった。だが、ハルと遊びに誘おうにも、ハルはヤブキとのムラサメごっこに夢中になっている。
ニンジャファイター・ムラサメという特撮ヒーロー番組はイグニスもそれなりに面白いとは思うが、見るだけだった。
他の面々と違って、絵空事の物語にそこまで思い入れを持つことが出来ない。むしろ、入れ込める方が不思議だ。
どんなに格好良くても、どんなに強くても、最終的にはムラサメやその仲間達が勝利するように出来ているのだ。
だから、彼らは本当に戦っているわけではない。最初から結果の見えている戦いなど、戦いと呼ぶべきではない。
だが、その考えを口にしたことはない。ムラサメに入れ込んでいる皆を怒らせてしまうのは目に見えているからだ。
ハルを怒らせてしまったら、泣かせてしまうよりももっと気分が悪い。イグニスとて、人並みに気を遣うことはある。
 イグニスはガレージの外で胡座を掻き、装甲を開いて蒸気を噴いた。眠っている間に、熱が籠もってしまった。
イグニスの体は、生まれつき高出力型だ。戦場の最前線で活躍出来ていたのも、荒々しいパワーのおかげだ。
だが、それだけだ。他に取り柄らしい取り柄もなく、真正面から突っ込んで暴れ回る以外の戦い方を知らなかった。
その愚かさを他の戦士になじられたことも少なくなかったが、器用な戦い方をしようとするとぎこちなくなってしまう。
だが、今はマサヨシがいる。彼はイグニスには出来ない精密な射撃を行い、人間でありながら機械のように戦う。
最初の頃は、神経が金属細胞で出来ているのではないのか、と思ったこともあったが彼の構成物質は蛋白質だ。
彼は、今やイグニスの一部と言ってもいい。だからイグニスも、マサヨシの一部となるべく、振る舞う必要がある。
暇を持て余しているうちに体の奥底から込み上がってきた本能を押し止めているのも、あまり楽ではなかったが。

「イグニス」

 すると、そのマサヨシの声がした。イグニスが振り向くと、マサヨシは仕事着であるパイロットスーツを着ていた。

「ん、仕事か?」

 イグニスは背を丸め、マサヨシに顔を寄せた。マサヨシは、パイロットスーツの襟元を締める。

「そうだ。今朝方、サチコが取り付けた仕事だ。アステロイドベルト付近の宙域に逃亡した犯罪組織の密輸船の貨物を奪還、或いは破壊しろ、との依頼だ。行けるな」

「ああ、もちろんだ」

 イグニスは立ち上がると、手のひらに拳をぶつけて鳴らした。

「だが、破壊ってのは穏やかじゃねぇな」

「俺もそれは引っ掛かるが、割がいいんでな。ハルの世話はあの二人に任せておけばいい」

「ま、そのための居候だもんな」

 イグニスはガレージに入ると、レーザーブレードの柄を開いて満量のエネルギーロッドを差し込み、閉じた。

「貨物の正体が何なのかは少し気になるが、暴れられるってんならそれでいいさ」

〈それについては箝口令が敷かれているわ。私達が現場宙域で目にしたものや出来事について他言すれば、契約違反と見なされて即座に軍に通報されると思っていいわね〉

 マサヨシの傍に浮かぶ球体のスパイマシン、サチコが淡々と述べた。

「他に注意事項はねぇのか、電卓女?」

 イグニスはビームバルカンにカートリッジを差し、トリガーを軽く絞って銃口に光が宿るのを確かめた。

〈あら、今日は随分と素直じゃないの。前に似たような依頼を受けた時は、面倒臭いって散々ごねたくせに〉

「うっせぇな」

 イグニスはビームバルカンを背負うと、ガレージから出てサチコを睨んだ。

「俺にだって気分ってのがあるんだよ。いちいち突っ込むんじゃねぇよ、うざってぇ」

「とにかく、カタパルトに行くぞ」

 マサヨシはそう言ってから、ハルと遊んでいるヤブキに声を掛けた。

「ヤブキ!」

「なんすかー、お仕事っすかー?」

 ハルを追いかけ回すのを中断し、ヤブキは応答した。マサヨシは、イグニスを示す。

「ああ。俺達はこれから一稼ぎしてくる、その間、留守番を頼む」

「了解っすー!」

 ヤブキが敬礼すると、その足元でハルは二人に大きく手を振った。

「パパ、おじちゃん、お姉ちゃん、いってらっしゃーい!」

「おう、行ってくる」

 イグニスはハルに手を振り返し、二人に背を向けた。歩き出すと同時に反重力装置を作動させ、自重を弱める。
地面を蹴って体が浮かび上がった瞬間に脚部のスラスターに点火し、カタパルトの隔壁まで一直線に飛行する。
マサヨシはサチコを伴い、歩いてくる。カタパルトに入るのは、移動速度の都合上、いつもイグニスの方が先だ。
イグニスは廃棄コロニー内に偽物の空を造っているスクリーンパネルの間にある、巨大な隔壁の前で停止した。
認証コードを送信すると隔壁を繋いでいたシリンダーが抜け、分厚い壁がスクリーンパネルの下に飲み込まれる。
三分の一程度開いたので、中に入った。隔壁の高さは二十メートル以上あるので、全部開くのを待つのは手間だ。
 カタパルトにはマサヨシの愛機が格納されている。機体底部をビンディングで固定され、主の到着を待っている。
マサヨシの機体は、全長三十五メートル、全幅二十三メートルの割と小振りな機体で、機首が細長く翼も細長い。
全体的に滑らかな流線型で外装は無機質な銀色だが、飾りに等しい尾翼には大きく HAL とマーキングがある。
つまり、娘と同じ名前なのだ。それまではデフォルトの名称で呼んでいたのだが、ハルと出会ってから変更した。
娘と同じ名前を付けてからは、マサヨシは以前にも増して愛機を大事にするようになったことは言うまでもない。
イグニスもまた、ハルと同じ名前とあっては荒い扱いが出来なくなってしまい、触れる時には神経を遣ってしまう。
 そのHAL号の主が乗ったエレベーターが、カタパルトに到着した。イグニスも所定の位置に立ち、足を固定する。
マサヨシは機体下部の搭乗口からサチコと共に入ると、サチコは素早く機体の調整と点検を行って、完了させた。

〈昨日整備したから、エンジンもコンピューターも絶好調なんだから。システム、オールグリーン、発進準備完了よ〉

 イグニスの体内に内蔵されている無線に、サチコの電子合成音声が届いた。

『行くぞ、イグニス。準備は良いか』

 続いて、マサヨシの声も届いた。リニアカタパルトの電磁力を薄く帯びた体の機能を確かめ、イグニスは頷く。

「ああ。とっとと行こうぜ、マサヨシ」

〈第一カタパルト射出準備!〉

 サチコのアナウンスが、カタパルト全体に響く。二人を乗せたカタパルトは徐々に傾き、迫り上がっていく。

〈第六、第五、第四層、隔壁開放! 第六、第五、第四層、エアロック完了! 続いて第三、第二、第一層、隔壁開放! リニアカタパルト展開準備完了、リニアカタパルト展開開始! 第一レーン、第二レーン、第三レーン、展開及び接続完了! 目標射出宙域、直径百キロ以内に障害物未確認! 最終確認完了、射出開始!〉

 イグニスの頭上の隔壁が次々に開き、空気が宇宙空間に流出する。体に帯びた電磁力が、かすかに増した。
サチコの言葉通りに繋がったカタパルトが宇宙空間に長く伸びている。その先に待ち受けているのは、戦いだ。
あんな遠い過去のことを思い出したからだろうか。いつになくイグニスの心中はざわめき、本能が高ぶっている。
背部に装備した二つの武器も、戦闘を待ち侘びている。宇宙海賊であろうが犯罪組織であろうが、なんでもいい。
 気が静められればそれでいい。戦うために生まれた命だからこそ、戦わなければ飢えを満たすことが出来ない。
穏やかな日々や、温かな愛情や、愛すべき者達は人並みの心を与えてくれたが、本能ばかりはどうにもならない。
戦いに溺れていた過去を恥じて、死の間際を覗き込んだ記憶に怯えたとしても、錆のように付着して剥がれない。
 生まれ付いた本能に勝てるほど、強靱な魂は持ち合わせていない。




 目標宙域までの到達時間は、短かった。
 相棒のスペースファイターのワープドライブは長距離航行用ではなく短距離航行用なので、細かな融通が利く。
宇宙戦艦の用いるワープドライブでは千キロ単位でのワープしか出来ないが、こちらは五十キロ単位で出来る。
短距離ワープドライブはエネルギーの浪費を防げるだけでなく、不意打ちを目的とした強襲にも有効な機能だ。
 ワープ空間から通常空間へ出た直後、イグニスは揺らいでしまったバランス回路と視覚回路を補正させた。
機械生命体は見た目通りに頑丈なので生身でワープ空間に突入出来るが、入った時と出た時はさすがに辛い。
慣れない頃はバランス回路が乱れて立つことすら危うかったが、経験を重ねれば対処も取れるようになった。
それでも、若干の乱れは生まれる。どれほどリミッターを強めて自己補正システムを補強しても、ノイズは走る。
 イグニスは目眩にも似たパルスの乱れを感じながら、マサヨシのスペースファイターの左翼から手を放した。
イグニスが手を放すと、マサヨシは左翼の外装を閉じてイグニス専用のハンドルを収納し、速度を少々緩めた。
それは、イグニスと引き離してしまわないためだった。イグニスも背部と脚部のスラスターを開き、加速させた。
飛行性能と機動力に特化したマサヨシのスペースファイターに追いつくのは難しいが、要は離れなければいい。
 数分もしないうちに二機は密輸船の航路とランデブーする宙域に到達したが、それらしい宇宙船は見えない。
念のため周囲数百キロをスキャニングしてみたが、やはり機影はないので通り過ぎたというわけでもなさそうだ。
それに、宇宙船が通り過ぎたならエネルギー粒子の痕跡が残るはずなので、それならそれですぐに解るはずだ。
となれば、こちらが少し速かったのだろう。イグニスは背部からビームバルカンを取ると、グリップを握り締めた。

「さあて、待ち合わせと行こうじゃねぇか」

『イグニス。いつも言っているが、気を抜くなよ。ついでに俺は狙うなよ』

「運が良ければな」

 イグニスは、マサヨシの軽口に笑い返す。マサヨシは軽い緊張を帯びているが、硬くはない。

『それと、帰ったら俺達もハルと遊ぶとしようじゃないか』

「最初に言っておくが、俺はムラサメごっこはやらねぇからな」

『そいつは残念だ。お前に打って付けの良い役があったんだがな』

「どうせ敵幹部の開発した巨大ロボとかだろうが。正直言って、俺はそういうのは嫌いなんだよ」

『じゃあ、お前は何ならいいんだ?』

「そうだな…」

 イグニスはマサヨシへの返答を考えていたが、ふと、センサーの端を何かの反応が掠めた。

「ん?」

 直後、サチコがアラートを鳴らしながら通信を入れてきた。

〈緊急警報、緊急警報! 未確認飛行物体が急速接近中よ! 総員、戦闘態勢!〉

『早速お出ましか!』

 マサヨシは機首を動かし、ワープ空間が発生した方向へ向けた。イグニスもそちらに向く。

「…らしいな」

 この感覚。このエネルギー波。このパルス。この気配は。だが、そんなことがあるわけがないと思ってしまった。
そんなことがあるかもしれない、と思ったことはある。しかし、いざ現実となると、真正面からは受け止められない。
否、受け止めたくない。あの苛烈で無様な過去を掘り返されて抉られてしまうのが、とてつもなく恐ろしいからだ。
 来ないでくれ。どうか、思い出させないでくれ。イグニスはビームバルカンを振り上げると、引き金を引き絞った。
一発、二発、三発、四発、五発。照準を合わせて迎撃を行ったはずなのに手応えはなく、敵影もそのままだった。
六発、七発、八発、九発、十発から先は数えられなかった。無駄弾だ、と解っているのに体は勝手に撃ち続ける。
殺さなければ殺される。イグニスは震えが来るほど手に力を込めていたためか、相棒の声がいつになく遠かった。

『おいイグニス、どうした! 勝手に撃つんじゃない!』

 マサヨシの声が聴覚回路を貫き、思考回路を駆け巡った。その音声で、ようやくイグニスは我に返った。

「俺は…」

〈あれだけ撃ったのに、全弾外れているわよ! 狙うんだったらもっと接近してから狙いなさいよね!〉

 サチコのヒステリックな声に恐怖を煽られそうになり、イグニスは怯えを殺すために荒立った。

「うっせぇ黙れこの野郎!」

〈本当にどうしちゃったのよイグニス、少しは落ち着きなさいよ!〉

「俺はまともだ! まともに見えないとしたらそれはお前の認識回路が旧式だからに決まってんだろ!」

『イグニス』

 マサヨシに諫められたが、イグニスは怒鳴り返した。

「いいから黙ってろ! 俺には俺のやり方ってのがあるんだよ!」

 知られたくない。知りたくない。イグニスはビームバルカンのグリップが軋むほど握り締めていたが、顔を上げた。
サチコのオペレートは続く。高速接近中の未確認飛行物体がある。だが、その機影は宇宙船にしては小さい、と。
そんなこと、最初から解り切ったことだ。だからこそ、こんなにも怯えて、情けないことになっているんじゃないか。



「雷光一閃!」



 聴覚回路に直接叩き込まれた音声が、波立った心中を掻き乱す。

『イグニス!』

 マサヨシの悲鳴にも似た声を聞き取ったのは、強烈なエネルギー圧に負けて、吹き飛ばされている最中だった。
マサヨシのスペースファイターが遠くなり、尾翼の名前も見えにくくなる。青白い電撃の残像が、宇宙に伸びている。
それを放った主は、数十キロ前方にいた。左腕に装備された砲身を真っ直ぐに掲げて、背筋を正して立っている。
 清冽な青。特徴的な翼。そして、この雷光。間違いない。イグニスは姿勢を制御し、痛みを振り払って飛行した。
相棒と敵の間に割り込み、構える。ビームバルカンをその男に向けて引き金に指を掛けるも、震えは隠せない。
電撃による痛みと回路の乱調だけではない。敗北の苦さや己の弱さなどといった、見たくもないものが蘇るからだ。
俺は強い。俺は守るべきものがある。俺は怯むわけにはいかない。そうは思うも、心は情けなく縮こまっている。

「あの程度の砲撃を予測出来ないとは、スクラップ以下だな」

 青い装甲の戦士は、機械生命体であれば誰もが発し、誰もが受信出来る周波数のコードを用いている。

「この宇宙に生まれ落ちた時から、貴様らは劣等種族なのだ。元より、カエルレウミオンに敵うわけがない」

 その男、カエルレウミオンの青年将校、トニルトスは右腕に持った長剣でイグニスを示した。

「私の剣が届かぬ間に、我らが母、アウルム・マーテルに祈りを捧げておくがいい!」

 トニルトスの雄々しき叫びは、雷鳴のように轟いた。



「我らが母星を滅ぼしたルブルミオンを断罪する!」







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