その名で呼ばれるのは、久しかった。 イグニスはトニルトスと睨み合いながら、怯えと戦っていた。何も知らない頃は、何も思わずに戦えていたのに。 ルブルミオンは正義のためでもなければ星のために戦っていたのではなく、全てをねじ伏せるために戦っていた。 力で世界を圧倒し、力で同族を制圧し、力を得るために戦っていた。だから、最も滅びを招いていたのは確かだ。 そんなこと、今更言われなくても解っている。数百万年も従軍していた軍なのだから、知らない方がおかしいのだ。 正しいと思っていた戦いが正しくなかったことも、とっくに知っている。だが、だからこそ、恐ろしくてたまらなかった。 再び、愚かな戦いに溺れてしまいそうな自分が。存分に戦える相手を見つけて、心底歓喜している自分自身が。 『…イグニス?』 マサヨシから問い掛けられて、ようやく自覚した。 『なぜ、お前は笑っている』 「解らねぇよ、お前には」 イグニスは腹の底から沸き上がってくる笑いを抑えず、肩を震わせていた。 「この星系の連中はどいつもこいつもアルミフィルムよりも薄っぺらくて、ぶっ潰してもぶっ壊してもちっとも歯応えがなかったんだよ! おかげで俺は、ずうっと苛々してたんだよ!」 この幸福感。この満足感。この高揚感。 「ああ、たまんねぇや!」 イグニスはレーザーブレードを作動させると、げたげたと笑った。 「どうした、来ないのか! 俺はてめぇみたいなスカした野郎は嫌いだが、今ばかりは嬉しくてたまんねぇぜ!」 『落ち着け、イグニス! どうしたんだ、一体!』 「死にたくなかったら俺から離れておけよ、マサヨシ!」 イグニスはレーザーブレードを構え、腰を落とす。 「来い、ルブルミオン!」 トニルトスが叫び、発進した。イグニスも同時に飛び出して加速しながら、久々に思い切り笑っていた。 「ひゃははははははははははははははぁっ!」 鋼の剣と光の剣が衝突し、エネルギーの奔流が飛び散る。その輝きを見るだけでも、背筋がぞくぞくしてくる。 それは、トニルトスも同じようだった。目元はゴーグルに隠れているが、時折感じる彼のパルスも高ぶっている。 所詮は同じ穴の狢ということだ。出身も階級も境遇も違うが、出会ったが最後、戦い抜いて本能を満たすまでだ。 トニルトスと斬り結ぶのは、初めてだった。思った通り、腕が細い分斬撃に重みはないが素早さが段違いだった。 だが、勝てる。イグニスはトニルトスの振るう超硬合金製のソードを弾き、弾かれながら、間合いを読んでいた。 トニルトスは長い足を振るってイグニスの頭部を蹴り付けようとしたが、イグニスは腕を上げてその蹴りを阻んだ。 その足を引っ張って頭部に剣先を突っ込むが、トニルトスは上体を反らして一回転し、イグニスを蹴り飛ばした。 と、同時に背中を蹴られ、姿勢が崩れた。イグニスはその勢いに逆らわずに身を捻り、ビームバルカンを構えた。 「あらよっと!」 上体を捻ってトニルトスと向き合った瞬間に、発砲する。トニルトスは逆噴射して、その銃撃を回避する。 「俗な戦い方をするな、貴様は!」 「それはてめぇも同じだろうが!」 イグニスは最加速し、トニルトスに接近する。トニルトスは突っ込んでくるイグニスに、左腕の銃口を向ける。 「貴様と私が同じだと、馬鹿を言うな!」 トニルトスはパルスエネルギーを収束させ、イグニスの頭部へ放った。先程と同じ青白い電撃が、駆け抜ける。 イグニスは久しく使っていなかったエネルギーシールドジェネレーターを作動させ、トニルトスの電撃を受け止めた。 目の前に青白い光が広がり、双方のエネルギーが衝突して眩しく爆ぜる。それを、イグニスは内側から銃撃した。 トニルトスはイグニスの意図を読んで回避行動を取るも、イグニスの放った銃撃が連鎖反応を生み出していた。 激しい閃光を放ちながら、エネルギーシールドごとトニルトスの電撃は爆砕し、二人の回路にノイズが乱れ飛ぶ。 爆砕の衝撃が体中に残っていたが、イグニスはビームバルカンを握って笑っていた。何が起きても、楽しいのだ。 さすがに将校にまで登り詰めただけのことはあるようで、トニルトスはほとんどダメージを受けていないようだった。 しかし、それすらも嬉しい。どちらも負傷が少ないと言うことは、当分は最上の娯楽である戦闘を楽しめるからだ。 「…ふん」 トニルトスはイエローのゴーグルの奥で、目を細めた。 「多少の抵抗は出来るか。それならば、少しは潰し甲斐があるというものだ」 「てめぇこそ、なかなかやるじゃねぇか。将校さんよ?」 「貴様こそ、我が剣で死ねることを光栄に思え」 トニルトスのソードが、イグニスを指し示す。イグニスもまた、レーザーブレードを挙げる。 「そいつは、俺のセリフだ」 構えるのももどかしく、飛び出した。トニルトスのソードはしなやかに曲がり、イグニスの腹部装甲を狙ってくる。 イグニスは敢えてそれを受けた。右脇腹に激しい衝撃が走ったが、その痛みすら心地良く、精神は高揚する。 歪んだ装甲が噛んだ刃を掴み、僅かに身動いだトニルトスの腕を取ると引き寄せて、力任せに顔を殴り付けた。 トニルトスの上体が反れ、鈍い呻きが漏れる。イグニスは腹部装甲に刺さったトニルトスの長剣を抜き、構える。 「てめぇの剣、借りるぜ」 「…ぐ」 トニルトスは頭を振って衝撃の余韻を振り払い、イグニスを睨んだ。 「いい度胸だ。この私を殴り、剣まで奪うとは!」 トニルトスは左腕のパルスビームガンをイグニスへ定めたが、発砲に至るまでの一瞬にイグニスは前進した。 二人の間隔が詰まり、イグニスは加速の勢いをそのまま使ってトニルトスの左腕に彼の長剣を深々と突き刺した。 砲撃を行おうとしたトニルトスの左腕の手のひらを切り裂いて肘関節にまで到達し、傷口からは機械油が溢れる。 「ありがとよ、褒めてくれて」 イグニスはトニルトスに顔を寄せ、笑った。そして、彼の腕に飲み込まれたソードの柄を掴み、ぎぢりと捻った。 「うぐあああああっ!」 トニルトスは壮絶な痛みを堪えたが、堪えきれなかった。内部から切り裂かれた左腕は、最早役に立たない。 ぼろぼろと零れ落ちる機械油の滴が漂い、パルスビームジェネレーターの配線が千切れてヒューズが飛び散る。 左腕の感覚を制御下から外すが、痛みは濃く残留していた。トニルトスは自由の効く右腕を挙げたが、掴まれた。 そして、右手に直接銃口を押し当てられ、撃ち抜かれた。強烈な熱とエネルギーが通り抜け、大きく穴が開いた。 赤く熱した装甲が、でろりと溶けていく。イグニスはトニルトスの右肩も撃ち抜くと、胸部を渾身の力で踏み付けた。 「誰が」 イグニスはトニルトスの胸部をかかとで抉りながら、その頭部を鷲掴みにした。 「俺を断罪するんだよ?」 「貴様ぁ…」 「恰好付けたことばっかり言いやがるくせに行動が伴ってねぇとは、まだまだ青いぜ。だが、ちったぁ楽しかったぜ」 イグニスはトニルトスの胸部にレーザーブレードを据えると、会心の笑みを浮かべた。 「あばよ、トニルトス」 飢えが満たされる快感は、何物にも代え難い。穏やかな日々を重ねるうちに、戦いの悦楽を忘れかけていた。 機械生命体とは本来戦いしか知らない生き物だ。だから、戦いこそが生きる意味であり、戦いこそが娯楽なのだ。 この星系の人間相手では務まらない。唯一務まりそうなマサヨシも人間だから、本気で戦えばすぐに死んでしまう。 だから、戦うに戦えなかった。だが、トニルトスが現れてくれた。過去の敵は今でも敵であり、殺すべき相手なのだ。 故に、殺すべきなのだ。イグニスはあらゆる回路を駆け巡る高揚感に煽られ、哄笑しながら、右腕を振り下ろした。 殺してこそ、勝利となる。 その日の昼食は、ハルの注文でオムライスになった。 テーブルの上にはふんわりと柔らかい卵に包まれたオムライスが三人前並び、暖かな湯気を立ち昇らせている。 トマトケチャップではなくまろやかなホワイトソースが掛けられ、野菜をじっくり煮込んだスープが添えられている。 サラダも彩りよく盛り付けられていて、ハルの味覚に合わせた酸味の少ないお手製ドレッシングが掛かっている。 自分の席に座っているハルは、上機嫌だった。大人用よりも二三回り小さい、自分のオムライスを眺めている。 ミイムとヤブキが向かい側に並んで座ったので、ハルはヤブキから教え込まれた通りに両手を合わせ、言った。 「いただきまーす!」 「いただきますぅ」 「いただきます!」 ハルに続いて、二人も手を合わせた。ハルはスプーンを取ると、オムライスを抉り、口に入れた。 「これ、カレー味だ!」 「そうですよぉ。サチコさんに調べて頂いたレシピの中にあったんで作ってみたんですぅ」 ミイムは自分のオムライスをスプーンで掬い、口に入れて頷いた。 「うん、悪くないですぅ。この星系の香辛料もなかなかのものですぅ」 「まあ、カレーっつってもほとんど風味だけっすね。ハルに合わせてあるから当然っすけど」 ヤブキはスプーンに載せた卵とドライカレー状のライスを口に入れ、マスクの下の機械の顎で咀嚼する。 「でも旨いっすよ、相変わらず」 「ふみゅうん、そんなの当たり前ですぅ」 ミイムはサラダを小皿に取り分けて、ハルの前に置いた。 「はい、どうぞ」 「ありがとう、ママ」 ハルはその皿を取ると、食べかけのカレーオムライスの皿にスプーンを置き、フォークでサラダを食べた。 「パパ、今頃はどうしてるかなぁ。おじちゃんと一緒にオシゴトしてるのかなぁ」 「そうですねぇー。きっと大活躍してますよぉ、みゅふうん」 ミイムは野菜スープをスプーンで掬い、一口飲んだ。 「お二人とも強いっすからねー、天下無敵っすよ。あ、オイラもサラダを頂くっす」 ヤブキはサラダボウルを自分の元へ引き寄せ、サラダボウルに入っていた大きなスプーンで小皿に取り分けた。 だが、量が尋常ではなかった。あっという間にサラダボウルの中身が半分以上減り、ヤブキに皿には山が出来た。 「取りすぎですぅ」 ミイムがむっとするも、ヤブキは全く気にしない。 「いいじゃないっすか。残すよりもマシっすよ、マシ」 ヤブキは山のようなサラダを掻き込むように食べてしまってから、ハルに尋ねた。 「んで、午後からはどうするっすか? オイラはちょっくら畑仕事をしたいんすけど」 「だったら、ボクがハルちゃんの傍にいますぅ。お昼が終わったら、まずはお昼寝をしましょうか」 ミイムが言うと、ハルは不満げに眉を下げた。 「えー、まだ眠くないよぉ」 「お腹一杯になればぁ、すぐに眠くなりますぅ。好きなご本を読んであげますぅ。今日は何がいいですか?」 「んーとねぇ」 ハルはカレーオムライスを食べていたスプーンを掲げ、声を上げる。 「動物のお話がいい!」 「じゃ、洗い物が終わったら書籍データから探しておきますぅ」 「この間みたいに、ハルを寝かし付ける前にミイムが寝ちゃわないように気を付けるっすよ」 ヤブキは自分のカレーオムライスを食べ終えると、スープを一滴も残さずに飲み干した。 「あっ、あれはちょっとだけ夜更かししちゃったからなんですぅ!」 ミイムは先日の失態を思い出し、羞恥で少々赤くなった。ヤブキはスープカップを置き、にやにやする。 「ムラサメにハマるのはいいっすけど、程々にするっすよ、程々に。昨日の夜だってオイラの通信履歴からムラサメのファンサイトを見つけ出してアクセスしていたみたいっすけど、二次創作でなんかいいのあったっすか?」 「ボクはそこまでディープじゃありませんってばぁ」 「だったら、なんでブラウザの検索履歴にユリカ×トオリってキーワードが…」 「うひゃあお!」 ミイムは大いに取り乱し、奇声を上げてヤブキを遮った。ヤブキはサラダのお代わりを取り、食べ続ける。 「ホント、ハマるのはいいっすけど同人界隈にまで手ぇ出しちゃったら色々と切りがないっすから、セーブしておいた方がいいっすよ。ムラサメは同人ジャンルとしては中堅どころっすけど、シリーズ自体が長いからファン層も厚いし、まだまだファンサイトの数は多いし、オンリーイベントも少なくないっすよ。だから、波長の合う作家を捜すだけでも一苦労っすよ。まあ、サーチエンジンを使ってファンサイトを絨毯爆撃するのも悪くないっすけど、その方法じゃ外れも多いから素人にはお勧め出来ないっす。大型の二次創作専門の投稿掲示板とかまとめサイトとかを探すのも手段の一つっすけど、ああいうのはオイラには合わないんすよね。だけど、オイラの好きサイトがミイムに趣味に合うとも思えないしなぁ…」 オイラは百合萌えじゃないし、とヤブキは付け加えてから、スープカップを突き出した。 「あ、スープのお代わりってあるっすか?」 「ちょっと待ちやがれですぅ、あんたの並べた単語は半分以上解らなかったんですけどぉ」 ミイムはサイコキネシスでスープの入った鍋を持ち上げ、テーブルまで移動させた。 「どうもっす」 スープの鍋を受け取ったヤブキは、自分のカップにお代わりを並々と入れた。 「希望とあらば一通り説明してあげてもいいっすけど、一度でも填り込んだら簡単には抜けられない世界っすから、どうしよっかなぁー…。でもなー、そっちの方面に目覚めさせちゃうってのもなぁー…」 「何にせよ、またオタクでディープなんですね?」 「そうっすよ。ああいう世界に毒されたくないって思ったら、これ以上興味を持たないことっす。でも、毒されてもいいからディープな世界にどっぷり首まで浸かりたいってんなら教えてやってもいいっす」 「うみゅうん…」 ミイムは割と本気で考え込んでいたが、膨れっ面のハルに気付いた。 「うー…」 除け者にされてしまったハルは、スプーンを握ってむくれている。ミイムは、平謝りする。 「みゅみゅ、ごめんなさい。ボク、そんなつもりじゃなかったんですけどぉ」 「いいもん、パパとおじちゃんが帰ってきたら遊んでもらうもん。それまで一人で遊ぶもん」 ハルは拗ねてしまい、頬を膨らませた。ミイムはヤブキと顔を見合わせるも、ヤブキは肩を竦めるだけだった。 その態度にミイムは少し癪に障ったが、ハルに向いた。ハルはすっかり機嫌を損ねてしまい、唇を曲げている。 ミイムはどうやってハルの機嫌を取り戻そうかと考えていたが、自分の席から立ち上がると、ハルの隣に座った。 「ごめんなさい、ハルちゃん。悪気があったわけじゃないんですよぉ、本当ですぅ」 ミイムはハルの長い金髪を、丁寧に撫でる。 「だから、ハルちゃんのことを除け者にしたわけじゃないんですよ、本当ですよぉ」 「そうっすよそうっすよ。ただ、ハルにはちょーっと解らない世界の話になっちゃっただけっすよ」 「いいもんいいもん、ママとお兄ちゃんで仲良くしてればいいんだもーん」 ハルは物凄くつまらなさそうにしながら、昼食の続きを食べた。二人が仲良くなったらなったで、面白くないらしい。 ミイムとヤブキの仲が険悪だった時は泣くほど怖がっていたというのに、いざ仲良くなると嫉妬してしまうようだ。 その気持ちは二人にも解らないでもなく、ハルの拗ねた様も微笑ましいが、気まずい空気で食事を終えたくない。 「じゃ、今日のお昼寝は三人で寝るっす。それならいいっすよね」 ヤブキの提案に、ハルはちらりと横目でヤブキを見た。一度目を逸らしたが、また戻した。 「どうしても?」 「どうしてもですぅ」 ミイムは胸の前で手を組み、頷く。 「じゃ、いいよ」 ハルが振り向いた時には、頬はもう緩んでいた。この分だと、昼寝から覚めたら機嫌も治っていることだろう。 「だったらヤブキは一番離れて寝るですぅ。ハルちゃんを押し潰しちゃったら大変ですから」 ミイムのちくりとした嫌味に、ヤブキは言い返した。 「いくらオイラだって、そんなことはしないっすよ」 心外っすね、とぼやきながらヤブキは空になった皿を重ねた。ハルはミイムの腕を掴むと、ぎゅっと抱き寄せる。 ミイムはハルの小さな手の感触に、目を細めた。ヤブキは自分の分の皿をシンクに運び込み、早々に洗っている。 ミイムとヤブキの仲がまともになってからというもの、ハルは以前にも増してべったりとくっついてくるようになった。 あの時は、自分でもどうかしていたのだ。情けなくも下らない思いに負けて、ヤブキを責め立ててしまうなんて。 未だにヤブキに対する複雑な感情は心中で燻っているが、ハルの笑顔を見るとそんな気持ちは掻き消されていく。 ハルの笑顔を見ていると、何が一番大事なのかおのずと思い出せるからだ。 08 4/24 |