そして。イグニスは、最終決戦まで生き残った。 戦い始めてから、数えるのも嫌になるほど年月が過ぎた。だから、遂に終わるのか、と安堵する気持ちもあった。 だが、それ以上に寂寥感もあった。戦いが終わってしまえば、それからどうすればいいのか解らなかったからだ。 しかし、そんなことを悩んでいる暇はあまりなかった。最終決戦のために編成された部隊に、引き抜かれたからだ。 生き残ったルブルミオンの精鋭は少ないため、数合わせに違いなかったが、それでも嬉しいものは嬉しかった。 何百万年も最前線で戦ってきた実力が認められた。そう思うことにして、決戦への恐怖や躊躇から目を逸らした。 最終決戦は、アウルム・マーテルへと繋がる地下通路で始まった。イグニスは地上部隊として、入り口を守った。 他の四軍が攻め入ろうとするところを応戦し、次から次へと敵兵を殺すが、敵もまた最後の兵力を振り絞った。 これが終われば次はない。だから、敵も味方も捨て身の攻撃を繰り返し、地下通路の入り口には死体が重なった。 死体を吹き飛ばして最初に突入したのが、ルベウスだった。その次にトパジウス、アメテュトス、オニキスと続いた。 サピュルスは、兄弟達を見送っていた。司令官がいなくなっても戦い続ける兵士達の様を見ていたからだった。 イグニスは彼と接した記憶を封じていたため、その光景を見ても何とも思わずに、むしろ彼に攻撃を与えていた。 だが、サピュルスは尖兵如きの攻撃で殺されるような男ではなく、羽根のように舞って絶え間ない砲撃を避けた。 そして、傷付いて堕ちたプロケラの元に向かった。プロケラはルベウスの特攻を阻止しようとして、失敗したのだ。 巨体の胴体を貫かれて上半身と下半身が分断されたプロケラは、壊れた腕を支えにし、サピュルスに這い寄った。 「サピュルス…司令官…」 「今まで本当にありがとうございます、プロケラ。よく、頑張りましたね」 サピュルスは自分の身長の倍以上もあるプロケラの頭部に触れ、柔らかな手付きで慈しんだ。 「ごめんなさい。僕、何の役にも立てなかった。サピュルス司令官のために、何も出来ませんでした…」 パネルが破損して視覚器官が露わになった目元からオイルを垂らし、プロケラは声を震わす。 「何か、僕に出来ることはありますか?」 サピュルスの穏やかな言葉に、プロケラは千切れかけた拳を握り締め、ヒューズを激しく散らした。 「僕を殺して下さい! 司令官の足手纏いになるくらいなら、司令官の雷光で焼き尽くされた方が本望です!」 「…解りました」 僅かな躊躇いの後、サピュルスは左腕を上げてパルスビームガンを出し、プロケラの頭部へと据えた。 「ご苦労様です、プロケラ。ゆっくり休んで下さいね」 プロケラの巨大な頭部を、青白い雷光が貫いた。分厚い外装が溶けて内部機関が零れ落ち、頭部が揺らいだ。 重々しい震動と共に倒れ込んだプロケラは、それきり動かなくなった。頭部を撃ち抜かれては、誰であろうと死ぬ。 サピュルスはプロケラの死体をしばらく見つめていたが、自分へと降り注ぐビーム弾の雨を避け、急上昇した。 死んだばかりのプロケラに光の雨が注がれ、破損部分から流れ出した機械油に引火し、巨体は炎に包まれた。 その炎は地面を駆け抜け、他の死体にも燃え移る。戦場は朱色に覆い尽くされ、真っ黒な煙が立ち上り始めた。 これでは視界が悪すぎる。イグニスが一時撤退を決めて後方へ下がり、物陰に隠れた瞬間、雷光が空を走った。 「ソニック!」 遠い昔に聞いたものよりも荒れた咆哮を放ち、青き戦士が雷神と化した。 「サァンダァアアアアアアアアアッ!」 黒煙に紛れて無差別に放たれた雷光が戦場に立つ機械生命体の頭上に落下し、一瞬で回路を焼き付かせた。 汚れた大気が震え、濁った空は鳴く。イグニスが光度を調節しようとも何も見えないほど、閃光の乱舞が続いた。 それが途絶えた時、一陣の風が吹いた。戦場に立ち込めた黒い煙が晴れると、ほとんどの兵士が死んでいた。 戦場を見下ろす高みに浮かぶサピュルスは、過熱した体から蒸気混じりの廃熱を行いながら、肩を上下させた。 「ごめんなさい、本当にごめんなさい…」 サピュルスは苦しげに声を震わせながら、アウルム・マーテルへと続く地下通路の入り口を見下ろした。 「僕は誰も殺したくないのに、僕は殺すことしか出来ない…」 サピュルスは拳を固め、肩を怒らせる。 「だから、僕も覚悟を決めました」 一瞬、サピュルスの視線がイグニスを捉えた。その刹那に通信コードを絡め取られ、強制的に接続させられた。 それは、他の者達も同じようだった。瓦礫や死体の下から這い出した生き残りの兵士達は、皆、戸惑っている。 当然だ。敵軍の司令官との通信を行うことなど初めてだろうし、何より、流れ込むサピュルスの感情が激しかった。 通信専用回線を会して、サピュルスの心中が直接頭脳回路に注がれる。言葉や情報よりも遥かに生々しかった。 そして、強烈だった。理性回路のレベルを最大限に引き上げていても、サピュルスの激情を押さえきれなかった。 言葉にすら変換出来ていない合成音声を撒き散らしながら、イグニスは他人の感情に満たされた頭を抱えた。 こんなもの、堪えきれない。見せられたくない。通信を切ろうとしても、サピュルスは切れないように細工していた。 「最早、僕にはこれしか出来ません」 サピュルスの中性的な声色が、過電流のように頭脳回路を掻き乱す。 「そして、これから僕が犯す罪は、決して許されざる罪です」 悔恨。懺悔。苦悩。そして、愛情。 「これから僕は、兄弟を殺します」 ルベウス司令官。イグニスは顔を上げて踏み出そうとするも、情けないほど膝が震え、前進すら出来なかった。 数百万年に渡ってサピュルスが溜め込んできた様々な感情の奔流には、イグニス程度では勝てなかったのだ。 サピュルスは誰よりも優しい。優しいからこそ戦いが許せず、殺し合いが嫌いで、仲間を守るためだけに戦った。 だが、戦えば戦うほどに兄弟達は抵抗するサピュルスを敵と見なすようになり、攻撃は日に日に激化していった。 サピュルスの感情の中には、過去の記憶も含まれていた。気の遠くなるような過去の、暖かな日々の映像だ。 その中で、五体の司令官達は笑い合っていた。時に言い合い、時に反発し合い、それでも確かな絆があった。 それが家族なのだ、とイグニスは直感した。だが、気付いたところで、どうにもならないところまで来ているのだ。 ルベウスが声を上げて笑っている。トパジウスはオニキスと戯れている。アメテュトスは優しげに微笑んでいる。 サピュルスは宇宙船の操縦席に座りながら、何かを愛おしんでいる。だが、その何かの映像は破損し、解らない。 いや、解らない方が良かったのだろう。そこまで深く理解してしまえば、イグニスの思考回路は狂いそうだった。 なぜ、戦い合うことになったのか。どうして、この穏やかな光景が失われたのか。皆が皆、狂ってしまったのか。 イグニスですら、理性回路が軋みを立てるほど胸苦しかった。だから、サピュルスの痛みは想像を絶するだろう。 不意に、イグニスの視界が失われた。視覚していたはずの荒涼とした戦場が消え、破壊された通路に変わる。 アウルム・マーテルから放たれる金色の光が、地下深くから零れている。通路の壁が、物凄い勢いで飛び去る。 すぐに、それがサピュルスの視界だと気付いた。サピュルスの速度は、イグニスの数倍、いや、数十倍だった。 惑星の中核に存在するアウルム・マーテルへ到達するまでは数時間は掛かる計算だが、既に光は見えている。 通路内に残留している他の四人の司令官が残したエネルギーの残滓も次第に濃くなり、確実に接近している。 サピュルスは、アウルム・マーテルに至る前に決着を付けるつもりか。この速度なら、いずれ追い越しかねない。 だが、そうではなかった。イグニスの各種センサーと聴覚器官を割らんばかりの轟音が、地下から地上に轟いた。 地下で放たれた強烈な雷撃が、通路の出口まで駆け抜けた。視界は青白い光に染まり、若干ノイズが走った。 それが収まると、アウルム・マーテルを守っていた隔壁が破られているのが見えた。突入された後のようだった。 「遅いじゃねぇか、サピュルス!」 イグニスに向けて、いや、サピュルスに向けてルベウスが笑う。記憶の中の表情とは違う、凶暴な笑みだった。 「きゃははははははははははっ! 普段はあーんなに速いのに、肝心な時にトロいなんて最低ぇー!」 広範囲の超重力攻撃で敵も味方も無差別に殺戮する悪魔の少女、オニキスはけたけたと笑い転げる。 「悪いが、アウルム・マーテルは俺のもんだ。こいつを使って、俺は宇宙を支配してやるんだよ!」 シールドジェネレーターの内蔵された巨大な両手を掲げるのは、機械生命体随一の野心家、トパジウスだ。 「笑止。アウルム・マーテルより放たれる無限の力を操る術を持つのは、この拙者のみ。破壊しか知らぬ愚者共には、無用の長物に過ぎぬのでござる」 光の屈折を歪ませて姿を現した紫の機械生命体、アメテュトスの持つ刀がひたりとサピュルスの胸を狙う。 「それじゃあ、ちったぁ楽しませてもらうぜ、てめぇら!」 ルベウスは最も近くにいたオニキスの頭部を鷲掴み、肩装甲の下から伸びた砲身を少女の胸に据え、放った。 「きゃあんっ!」 オニキスは至近距離で砲撃を受け、胸部装甲を焼け焦がしながら仰け反ったが、姿勢を戻してにやりとした。 「…なんてね」 黒い機体の中で最も目立つショッキングピンクの瞳を強く輝かせ、オニキスは能力を最大限に解放した。 「ヘビー・グラビトン!」 反撃の隙も与えずに、彼女以外の全員が壁に叩き付けられた。装甲の薄いアメテュトスは、外装が歪んでいる。 アウルム・マーテルのエネルギー波すらも曲げるほどの威力を持った指向性重力波の中、甲高い哄笑が響いた。 「きゃはははははははははははははっ! 潰れろ、潰れちゃえぇーっ!」 オニキスは邪悪な笑みを浮かべ、外装が抉れたアメテュトスの前に顔を突き出した。 「まずはあんたから潰してあげる、アメテュトス。あんたが一番ウザくて一番嫌いだったの。私の周りをこそこそ嗅ぎ回って、回りくどい作戦ばっかり取って、私の可愛いタンクちゃん達に爆弾なんか仕込んだりして。そういうねちっこいところが、大嫌いだったんだよ!」 オニキスの振り上げたレーザーアックスが、アメテュトスの胸部を叩き割った。 「うごあっ!」 動力機関を破壊されたアメテュトスに、オニキスは再度レーザーアックスを振り上げる。 「もういっちょ!」 今度は、腹部を叩き切られ、分断された。上半身と下半身を辛うじて繋げていたシャフトが、踏みにじられる。 「ああ可笑しい。無様ってこういうことを言うんだよねぇ」 オニキスはレーザーアックスの赤い閃光の刃をアメテュトスの顎に据え、どん、と首を断ち切った。 「あんたって小細工は得意だけど、接近戦は最弱なんだよね。それもまた、嫌いだったの」 「貴様ぁ…」 首を切り落とされたアメテュトスは忌々しげに吐き捨てるも、その首はオニキスの手中にあった。 「殺せるもんなら殺してみなよ。いつもみたいに背中から襲ってきてみなさいよ」 でも、とオニキスはアメテュトスの頭部を空中に放り投げ、新たに指向性重力波を発射した。 「嫌いだから、死んで」 悲鳴を上げる間もなく、アメテュトスの頭部は壁に衝突し、粉々に砕け散った。あらゆる回路や部品が潰される。 遊びに飽きた子供のような態度で、オニキスは他の者達も一瞥した。途端に重力が増し、サピュルスの体が軋む。 「あんた達も嫌い。私は私が楽しい世界を作りたいの。そのためには、あんた達全員が邪魔なんだ」 「…このクソガキィ!」 トパジウスは両腕のシールドジェネレーターを作動させ、オニキスへ向けてシールドを変形させた刃を放った。 「無駄だよ、そんなの!」 オニキスは重力の壁でシールドの刃を打ち消したが、背後に当てられた砲口の感触で動きを止めた。 「ああ、てめぇの子供騙しの重力攻撃もな」 ルベウスだった。少女型機械生命体の首を掴んだ赤い手は、黒い外装を歪ませ、頸部のシャフトを曲げていく。 「なんで…なんで、なの…?」 恐怖と混乱に震える目で背後のルベウスを見やったオニキスの側頭部に、赤い砲口が付けられた。 「グラビトンジェネレーターを装備してんのは、何もお前だけじゃねぇ。ついでに、俺達はうんざりするほどやり合ってきたんだぜ。てめぇの馬鹿みてぇな重力波の中和ぐらい、出来ねぇわけがねぇだろうが」 「やだっ、やだよぉ、死にたくないぃいいい!」 頸部を破損した影響で口元から機械油を零しながら、オニキスは怯える。だが、ルベウスは微塵も躊躇わない。 「戦いは、遊びじゃねぇんだよ」 オニキスの震える瞳が、灼熱のエネルギー弾に抉られた。頭部の半分以上も破損した彼女は、意識を失った。 直後、通路を支配していた指向性重力波が消滅し、ルベウスはガラクタを捨てるようにオニキスを放り投げた。 通路の壁に衝突しながら落下したオニキスは、アウルム・マーテルから溢れ出す金色の光の底へ消えていった。 オニキスの姿が光源に吸い込まれた瞬間、少女の断末魔が通路に響いたが、サピュルス以外は無反応だった。 「どうして…」 サピュルスはマスクに張り付いたオニキスの機械油を拭い、拳を固めた。 「彼女は僕達の妹じゃないですか! なのに、どうして!」 「いもうとぉ?」 さも馬鹿馬鹿しげに、トパジウスが嘲笑った。 「俺達は進化したと同時に独立した生命体になったんだぜ? それを忘れたとは言わせねぇぞ、サピュルス」 「そうだ。俺達はただのロボットから機械生命体になった。生き物同士で生存競争をするのは、自然の摂理ってもんじゃねぇか。勝った方が盛り、負けた方が滅ぶのも当然のことだ。それを今更、妹だなんだのって、訳解らねぇこと抜かしてんじゃねぇ。俺達は経緯こそ似ているが、種族としては全く別だ。俺を継ぐルブルミオンを繁栄させるために、余計な連中を殺すのは常識ってもんだろ」 ルベウスの砲口が、サピュルスに向く。そして、トパジウスの拳もサピュルスに据えられる。 「だから、お前も死ねっつってんだよ。この宇宙に存在するべき機械生命体は、アウルム・マーテルの力で誰よりも強く進化する俺様なんだよ」 サピュルスは、二人の敵意を注がれても身動がなかった。静かに顔を上げ、マスクとゴーグルを握り、砕いた。 青い外装の破片を握り潰しながら、サピュルスは冷たさすら感じるほど整った顔を強張らせ、銀色の唇を歪めた。 「昔のことを思い出せないのは、僕だけじゃないんですね」 その言葉に、ほんの僅かだったが二人の表情が変わった。やはり、二人も思い出せない記憶があるのだろう。 「だから、僕達は進むべき道を見失って、力に溺れて、戦いに狂って…」 サピュルスはゴーグルよりも赤味が強い瞳から冷却水を零しながら、二人にパルスビームガンを向けた。 「思い出したい。だけど、僕は何も思い出せない。思い出せたら、きっと」 誰かに謝れるのに、とサピュルスは寂しげに呟いた。そして、驚異的な速度で加速し、二人との間合いを詰めた。 同時に放たれた雷光が残された二人の司令官の回路を焼け焦がし、動力機関を過熱させて暴走を引き起こした。 全機能を失ってアウルム・マーテルへと落ちていく二人を見送ってから、サピュルスはアメテュトスの頭部を拾った。 「一緒に逝きましょう、皆」 原形を止めていない弟の頭部を抱き締めたサピュルスは、アウルム・マーテルへと身を投じた。 「そして、今度こそ、仲良しに戻りましょう」 兄弟と共に金色の母の胎内へと没する直前、サピュルスは体内に残存していたエネルギーを全て解放させた。 サピュルスは機体が溶解する瞬間までエネルギーを放ち、その力はアウルム・マーテル内で連鎖反応を起こした。 アウルム・マーテルはサピュルスから放たれた膨大なエネルギーの奔流を受け、暴走し、惑星全体が震動した。 数百万年の戦いで痛んでいた合金の地面は呆気なく砕け、上層と下層の断層が現れ、全ての層が崩れ始めた。 生き残った兵士達は逃げ惑ったが、サピュルスが伝え続けた壮絶な光景に圧倒されて動けない者も多かった。 イグニスはその場に崩れ落ち、苦痛と闘っていた。逃げることすらも出来ず、ただ、滅びゆく母星を見つめていた。 そこから先の記憶は、曖昧だ。サピュルスが機能停止してしまったことで、情報を得られなくなったせいでもある。 次に意識を取り戻した時は、宇宙空間だった。アウルム・マーテルのエネルギーに煽られ、飛び出したのだろう。 最後に見た母星の姿は無惨だった。暴走した末に崩壊したアウルム・マーテルにより、内側から破壊されていた。 意識を失っていたためにサピュルスの感情が抜けきったイグニスは、空虚感に苛まれながら宇宙を漂っていた。 他にも生きている者はいないのか、とセンサーで調べて通信してみたが、応答はなく、宇宙は重たく静寂していた。 イグニスは絶望した。戦いは終わったが、星が砕け散り、同族は死に絶え、目的を失い、生きる意味も消えた。 叫び出したい衝動に駆られたが、その叫びを受ける者はいない。電磁波に混ぜた激情が、飛び散るだけだった。 それから、気が遠くなるほどの時間、宇宙を漂った。行く場所も、帰る場所も、死ぬべき場所もなかったからだ。 虚ろで無意味な時間ばかりを連ね、無限にも思える孤独に沈み、いつ終わるとも知らない放浪の旅を続けていた。 意識があると絶望に支配されるから、常に眠っていた。意識レベルを最低限に引き下げ、流されるがままだった。 その朧な意識の中で、過去の記憶を何千回と反芻した。その最中に、封じていたサピュルスの記憶も思い出した。 そして、太陽系標準時刻に換算して十年前。イグニスは突然ワームホールに引き込まれ、太陽系へワープした。 マサヨシと出会い、ルブルミオンでも何でもない一人の男として生きることを誓い、過去を捨て去ると決めていた。 だが、トニルトスが現れたことで一変した。自分以外の機械生命体が現れることは、戦争の再開を意味していた。 事実、トニルトスはイグニスを襲撃した。イグニスもまた、久しく眠っていた本能が目覚め、荒ぶるままに戦った。 マサヨシがいなければ、ハルがいなければ、トニルトスを殺していた。彼を殺せば、再び戦いに溺れたことだろう。 そして、また、愚かな歴史を繰り返していたことだろう。 数百万年分の話は長く、また、その後の沈黙も長かった。 語り終えたイグニスは話してしまったことを悔やむかのように、同胞を悼むかのように、重たく押し黙っていた。 二人を覆う闇は薄れ、優しげな霧雨に代わって冷ややかな朝露が舞い降り、赤き鋼の戦士を包み込んでいた。 人工の朝日が二人を舐め、長い影を伸ばす。イグニスは首関節を軋ませて顔を上げると、ようやく沈黙を破った。 「つまんねぇ話だろ?」 イグニスは肩の上に腰掛けているマサヨシを横目に見、かすかに笑いを零した。 「俺は何も出来なかったが、何もしようとしなかった。ただ、馬鹿みてぇに戦って、戦って、それだけだった」 「だが、トニルトスは、母星を滅ぼしたのはルブルミオンだと」 マサヨシの問い掛けに、イグニスは嘆息する。 「あれはプライドが手足付けて動いているみてぇなもんだから、自軍の司令官が星を滅ぼしたなんてことを、信じたくねぇんだろうよ。俺も、その気持ちは解らねぇでもねぇ。だから、放っておいてやれ」 「そうだな」 マサヨシは朝露を避けるために頭に被っていた上着を外すと、相棒の横顔を見上げた。 「そろそろ家に帰るか」 「聞くだけ聞いて、特にリアクションもねぇのかよ?」 イグニスの軽口に、マサヨシは笑った。 「言ったら言ったで、余計なことをごちゃごちゃ言うな、とか言うじゃないか」 「それもそうだな」 イグニスは立ち上がると、肩に載せていたマサヨシを地面に下ろし、一晩中曲げていた背中を伸ばした。 「さあて、朝帰りと行こうじゃねぇか」 「…変な言い方をするな」 マサヨシが顔をしかめたが、イグニスはその理由が今一つ解らなかったので、特に言及もせずに歩き出した。 歩き出すと、また二人は黙り込んだ。機械生命体と人間の間には、見えない隔たりがあることを改めて感じる。 それは種族の壁であり、時間の壁であり、また相容れない価値観の壁でもあったが、沈黙だけは擦り抜けた。 全てを知っても態度を変えないマサヨシを嬉しく思いつつも、未だ過去を捨てられない自分を情けなく思っていた。 どれほど愚かで、穢らわしくとも、やはり過去が在ってこその自分だ。故郷があったからこそ、生まれたのだから。 サピュルスの決断が誤りだったとは思わない。また、生き物の本能に負けた他の四人を責める気もなかった。 誰も悪くない。しかし、誰も正しくはない。何かの切っ掛けで噛み合っていた歯車がずれて、起きた悲劇なのだ。 今も、イグニスに出来ることは何もない。最低限出来ることと言えば、この過去を記憶し続けていることだけだ。 それが、己を戒める鎖となる。 08 5/28 |