アステロイド家族




ファザーズ・デイ



 日頃の感謝の意を込めて。


 訳の解らない慣習だとしか思えなかった。
 トニルトスは妙に張り切っている足取りのハルの後に続き、強引に散歩させられながら、話を聞かされていた。
その内容は、マサヨシに対するプレゼントについてだ。ハルはいくつも提案するが、決めかねているようだった。
だが、その中身と言えばマサヨシが好きなものではなくハル自身が好きなものなので、無意味だとしか思えない。
 季節は初夏。コロニー内に造り上げられた人工の季節も巡り、雨が降る回数も増えて気温も上がりつつあった。
六月、というものらしいが、トニルトスには解らないものだった。母星には、雨季も乾季も一切なかったからである。
戦争に継ぐ戦争で徹底的な環境破壊をされたために、地表はおろか海すらも合金に全て覆い尽くされてしまった。
なので、惑星の自転の影響で気温が上下する際は数百度単位で変わるため、まともな季節の変動などなかった。
だから、些細な変化が起きるコロニー内は面倒で仕方なく、季節の変動と共に訪れる慣習の類も鬱陶しかった。
 サチコに寄れば、今日は父の日らしい。だが、機械生命体には親子の概念など一切ないので理解不可能だ。
目上の者を敬う、というのは解らないでもないが、実際に血縁関係にないマサヨシを敬うことが理解出来なかった。
そもそも家族関係自体が理解しがたい上に、トニルトスはそれを理解しようという気持ちは全く持っていなかった。

「ね、トニーちゃんは何が良いと思う?」

 にこにこしながらハルが振り返ったので、トニルトスは足を止めて顔を背けた。

「どうでもいい」

「私はね、本当はぜーんぶパパにプレゼントしたいの! でも、ママは一つだけにしなさいって言うの」

「下らん」

 トニルトスは歩調を早め、ハルを通り越した。ハルは慌てて、トニルトスに追い縋る。

「待ってよお、トニーちゃあん!」

 だが、トニルトスは待つ気など毛頭ない。子供と機械生命体では歩幅の差が数十倍なので、すぐに差は開いた。
このまま立ち去ってしまおう、と背部のスラスターに点火しようとすると、ハルの引きつった泣き声が聞こえてきた。
渋々振り返ると、ハルは顔から地面に転んでいた。土と草を服に付けて、ぼろぼろと涙を散らして泣き喚いている。
ただでさえ鬱陶しいのに、泣かれると更に鬱陶しい。だが、放置してしまうと留守番の二人から責められてしまう。
特に、ミイムがやかましい。性別は男なのに言動は妙に女性的な母親役の少年の罵倒は、辛辣かつ悪辣なのだ。
また、無能だと囃されるぐらいならハルを抱き起こした方がまだマシだ。あの屈辱を味わうのは、二度とごめんだ。

「起きろ」

 トニルトスは仕方なしに膝を付き、ハルに手を差し伸べた。ハルはぐずぐずと泣きじゃくりながら、指先に縋る。

「うぅ…」

「早く顔を拭け。そして泣き止め。私の雷光が貴様の脳天を貫かぬうちに」

「あし、いたい」

 ハルはトニルトスの指先に腰掛けると、擦り剥いた膝を見下ろした。トニルトスは、ますます苛立った。

「その程度の負傷が何だと言うのだ、外装の擦過に過ぎんではないか」

「でも、いたいんだもん」

 ハルは顔を歪め、また涙を滲ませた。トニルトスは苦々しい思いを感じたが、ハルを持ち上げて肩に載せた。

「…ふん」

「ありがとう、トニーちゃん」

 ハルは袖で涙と鼻水を拭いながら、トニルトスの肩装甲にしがみついた。トニルトスは、不愉快極まりなかった。
イグニスの真似をしているということも面白くなかったが、結果的にハルに従ってしまう自分が一番不愉快だった。
愛玩動物の役目に満足しているわけがない。だが、ハルを蔑ろにすればするほど、無能呼ばわりされてしまう。
それが嫌だからこそ手を差し伸べて拾い上げただけであって、それがなかったら散歩に付き合うこともなかった。
 しばらく歩くと、ヤブキの畑が近付いた。先日の出来事で出来たイグニス型の大穴も、綺麗に修復されていた。
そこでヤブキは被害を免れた野菜の手入れをしていたが、トニルトスとその肩に乗るハルに気付いて顔を上げた。

「あ、お散歩っすか」

 ヤブキは立ち上がって、軍手から土を払った。トニルトスの肩の上に座るハルは、涙を拭ってから頷く。

「うん。でもね、さっき、転んじゃったんだ。そしたら、トニーちゃんが起こしてくれたの」

「そりゃあ大進歩っすね、トニー兄貴。この前はハルが転んでも放っといたくせに」

 ヤブキがにやにやしたので、トニルトスは毒突いた。

「貴様のためでもなければこの矮小な生命体のためではない。私が有能であるという証明のためだ」

「へいへい」

 ヤブキはそれを言い訳だと取ったのか、まだにやけている。トニルトスは言い訳するのも嫌になり、背を向けた。

「貴様の相手をするだけ時間の無駄だ」

「あ、ちょっと待って!」

 ハルはトニルトスの側頭部を、小さな拳で叩いた。トニルトスは、仕方なく足を止める。

「なんだ」

「お兄ちゃんはパパに何をプレゼントするの?」

 ハルは身を乗り出し、ヤブキに問い掛けた。ヤブキは、調子良く返す。

「オイラはオイラでちゃあんと考えてあるっすよー。そういうハルは何を?」

「私ね、一杯ありすぎてまだ決まらないの」

「だったら、一杯考えるといいっすよ。まあ、それが何だろうがマサ兄貴はめっちゃ喜ぶとは思うっすけどね」

 と、ヤブキは頷いてから、トニルトスを指した。

「で、トニー兄貴はどうなんすか?」

「何がだ」

 トニルトスがヤブキを見下ろすと、ヤブキは両手を上向けた。

「やだなぁ、父の日のことっすよ。トニー兄貴もマサ兄貴のおかげで生かされているんすから、ちったぁ感謝の意を表さないとダメっすよ。それでなくてもトニー兄貴はリアルツンデレだから、こういう時ぐらいはまともに好意を示しておかないと好感度が上げられなくてフラグが成立しないっすよー」

「私は貴様らに好意を抱いたことなどない」

「それがまたツン発言なんすよ、ツン。それがいつかデレるかと思うとオイラは今からドッキドキで」

「誰がデレるか!」

「オイラにも出来ることなんすから、将校さんが出来ないわけがないっすよねー?」

「当然ではないか」

 黙っていてはやりこめられる、とトニルトスは反射的に言い返したが、すぐに修正した。

「だが、それとこれとは話が別だ。私があの男を祝ってやる理由など微塵もない」

 これでは父の日を祝う羽目になる。トニルトスは否定の言葉を連ねたが、ヤブキのにやけ笑いは止まらない。

「でも、今日を逃すとまた来年まで持ち越しっすよー? 今日のうちにしないと、イグ兄貴からもなじられるっすよ?」

「それがどうしたというのだ。下等なルブルミオンに罵倒されたところで、私の誇り高き魂は掠り傷すら負わん」

「だけど、そのイグ兄貴が準備とかしちゃったりしてたらどうするっすか? そうなると、トニー兄貴は戦う前から敗北決定っすよ、決定。勝負しようにも勝負の材料すらないんすから」

「ぐ…」

 トニルトスは、言葉に詰まった。あのルブルミオンに負けることも、無能呼ばわりされることと同様にとても嫌だ。
母星では下劣な下層地区の住民でしかなかったというのに、ここへ来てからはすっかり立場が逆転してしまった。
そのせいかイグニスの態度も妙に大きく、事ある事にトニルトスのやることに口出しをしてきては注文を付けてくる。
大半は人間と暮らすための日常的なルールなのだが、トニルトスにとってはそのどれもが腹立たしくて仕方ない。
 それらのおかげで、トニルトスは敗北感に苛まれていた。常に挽回したいと願っているが、その機会がなかった。
だが、武器の類はマサヨシに剥奪されてしまったし、戦闘行為も禁じられているのであっては何も出来なかった。
そして、父の日だ。自分の父親でもなんでもないマサヨシを祝おうにも、まず祝うための物が思い付かなかった。
戦わずしてイグニスに負けるのはとてつもなく不愉快だが、マサヨシを祝うことも不愉快で思考回路が働かない。
だが、このままではヤブキだけでなくミイムからもなじられる。そして、イグニスに負けてしまうかもしれないのだ。
 それだけは、何が何でも嫌だ。




 宇宙海賊との戦闘を終えたマサヨシらは、補給を行っていた。
 マサヨシらは木星の衛星軌道上に浮かぶ宇宙ステーションの一つ、カリストステーションで休息を取っていた。
カリストステーションはエウロパステーションに比べると小規模だが、大規模な輸送船が停泊する物流の拠点だ。
よって、金も物も流れが良く、宇宙船を整備するための部品も品揃えが良いので、利用する機会は割と多かった。
だが、今回の戦闘ではマサヨシもイグニスも破損箇所はなく、消耗したエネルギーを補給するだけに止まっていた。
 マサヨシは宇宙船のメンテナンスドッグを見下ろせる連絡通路の窓際に寄り掛かって、情報端末をいじっていた。
今回の仕事での実入りは悪くないが、支出は増えていた。原因は考えるまでもなく、トニルトスのエネルギー代だ。
イグニスとの戦闘で派手に負傷したため、ただでさえ多いエネルギー消費量が倍近くに跳ね上がっていたのだ。
イグニスも同程度のエネルギーを喰らい尽くしていたのだが、彼は傭兵の仕事でその分の金は稼いでくれていた。
しかし、トニルトスは金を稼ぐどころか浪費する一方だ。機械生命体は、ただ存在しているだけで金を喰う存在だ。
 彼らが備えている動力機関は極めて特殊で、宇宙船のイオンエンジンのように水を与えるだけではいけない。
イグニスに寄れば摂取するエネルギーの種類自体は問わないそうだが、熱量が大きくなければ摂取量は増える。
かつて地球で採掘されていた石油も、機械生命体に掛かれば何百リットルあろうともあっという間に消費される。
 つまり、機械生命体は燃費が悪い。イグニスも、太陽系外から輸送されてくる高純度エネルギーを摂取している。
太陽系内で採掘されているエネルギーでは燃焼効率が悪すぎるから、なのだが、当然高純度故に値段も高い。
だが、ある程度の量を摂取しなければ動力が不充分でまともな戦闘能力は発揮出来ないので、買うしかなかった。
トニルトスにもイグニスと同じものを与えているのだが、消費する一方だ。このままでは、家計の危機に直面する。
いや、既に真正面から衝突している。トニルトスを働かせなければ、今度こそマサヨシは破産するかもしれない。

「さて、どうしたものか…」

 マサヨシは思い悩みながら情報端末を操作し、家計簿のホログラフィーを消した。

〈トニルトスがマサヨシの下で働いてくれれば万事解決なんだけど、あの性格だからかーなーり難しいわよねぇ〉

 マサヨシの傍で、サチコの操る球体のスパイマシンが漂う。マサヨシは腕を組み、ため息を零す。

「そうなんだよ。あいつの機動力と超高出力のパルスビームは魅力的なんだが、性格がなぁ…」

「マサヨシ。俺の方は終わったぞ」

 別のメンテナンスドッグに繋がる連絡通路から、イグニスが現れた。マサヨシは、相棒に振り向く。

「ご苦労、イグニス」

「ほらよ」

 イグニスは大きな手を振り上げて、マサヨシへ何かを放り投げた。弱重力なので、ゆったりと宙を漂ってくる。
マサヨシは軽く床を蹴って上昇し、イグニスの放り投げた袋を掴んだ。中身は、これといって珍しくもない食品だ。
味は今一つだが栄養面では定評のあるメーカーが発売している保存食で、かさばらないので宇宙に適している。
だが、イグニスが買うようなものではない。マサヨシが訝りながら相棒を見上げると、イグニスはにっと目を細めた。

「今日は父の日だろ?」

「気色悪いことをするな」

 マサヨシは毒突いたが、内心では喜んだ。イグニスは、マサヨシの隣に腰を下ろして胡座を掻く。

「それと、ここ最近の礼だ。トニルトスの野郎が現れてから、世話掛けてばっかりだったからよ」

〈それ以前から掛けまくりじゃないの。マサヨシに御礼をするなら、もっときちんとしなさいよね?〉

「うるせぇ電卓女。こういうのは物じゃねぇんだよ、気持ちの問題だ」

〈だったら尚のこと、きちんと示すべきよ。ねえマサヨシ?〉

「俺としてはなんでもいいが」

「当の本人がそう言ってんだ、端から余計なことをぐだぐだ抜かすんじゃねぇ」

 イグニスに言い負かされ、サチコは悔しげにそっぽを向いた。

〈マサヨシが無欲すぎるのがいけないのよ〉

 マサヨシは二人のやり取りを聞き流しながらパッケージを開けて、長方形のブロック状の食品を出して囓った。
味はそれほど好きでもないチョコレート味だったが、食べられないこともないので、マサヨシは黙々と食べ続けた。
保存性を高めるために乾燥している上に味が濃いので、一つ食べ終えただけで喉が渇いてしまうのが難点だ。
マサヨシは飲みかけのボトル入りのコーヒーで喉を潤してから、もう一つ食べながら、また情報端末を取り出した。
手中にすっぽり収まる大きさの情報端末を裏返し、バッテリーボックスの蓋を開くと、小さなラミネートが現れた。
 バッテリーボックスの中に貼り付けられているラミネートの中身は、淡いピンクの花弁が付いた一輪の花だった。
去年の父の日に、ハルが贈ってくれたものだ。その頃のハルはまだ幼く、今のように言葉が達者ではなかった。
廃棄コロニーの内部で見つけたばかりの頃は、ハルの知能は幼児以下で、言葉もまともに喋れない状態だった。
マサヨシのことをパパと呼ぶ以外は、何も喋れなかった。だが、一度教え込むと、ハルはとても吸収が良かった。
コールドスリープで一時的に知能が低下していただけらしく、すぐに言葉も覚え、読み書きも出来るようになった。
 父の日のプレゼントをもらったのは、そんな時期だ。マサヨシは期待していなかったが、父の日のことを教えた。
言葉を覚えたばかりのハルはすぐには解らなかったようだったが、一旦理解してしまうと、その行動は早かった。
ハルは家を飛び出し、しばらくすると戻ってきた。泥にまみれた小さな手には、淡い色合いの花が握られていた。
マサヨシが受け取ると、ハルは喜んだ。それからしばらくの間、ハルの贈り物はマサヨシだけでなく皆に届いた。

「今年はどうなるか、だな」

 マサヨシはハルの贈り物を押し花にしたラミネートを眺め、呟いた。

「ま、期待しすぎねぇことだな。あんまり期待すると何もなかった時のダメージがでかいからな」

 イグニスはマサヨシの手元を覗き込み、笑った。

〈そんなことないわよ。ヤブキ君はともかくミイムちゃんがいるんだから、少なくとも二つはあるはずよ〉

 サチコは、マサヨシとイグニスの間にすかさず割り込んできた。

「とりあえず、帰るとするか」

 マサヨシは情報端末のバッテリーボックスを閉じ、ポケットに入れた。愛機、HAL号の補給は既に終わっている。
イグニスは立ち上がり、首や肩の関節を回しながら歩き出した。サチコもマサヨシに寄り添い、従順に付き従った。
 父の日のプレゼントに期待していない、と言えば嘘になる。だが、こういったイベントは強制してはいけないのだ。
贈ってくれる相手側の思い遣りがあってこそ成立するイベントであり、無理強いしてはその時点で成立しなくなる。
期待半分不安半分といった心境で、マサヨシは愛機が停泊しているメンテナンスドッグ兼パーキングに向かった。
 こんな日は、真っ直ぐ家に帰るに限る。







08 6/3