新婚さん、いらっしゃい。 救護戦艦リリアンヌ号は、低速で航行していた。 比較的治安の良い宙域に到達したということもあり、消費エネルギー量を節約するためにも出力を下げていた。 特に戦闘を行わなくとも、全長一万五千メートルという巨大な質量を動かすためのエネルギーは常に膨大なのだ。 乗船している患者の安全のためにも、そして大食らいのメインエンジンを動かし続けるためにも必要なことだった。 宇宙連邦政府軍の管理下宙域に入ると、前方に惑星が現れた。地表のほぼ全てが建物に覆い尽くされている。 大気が薄く重力も弱いため、通常では考えられない高さのビルが無数に建っているので遠目ではイガに見える。 それこそが、宇宙連邦政府の中央本部であり、建物全てが庁舎という完全機械化惑星、ケレブルムなのである。 リリアンヌ号はどの国家や組織にも属さないが、広大な宇宙で医療活動をするためには公的な許可は必要だ。 それも、一つや二つではない。だが、それらの更新を怠ると、訪れた星系でテロリストとして見なされかねない。 今回もまた、そのために訪問していた。許可の申請自体は先に行っているのだが、全て通るまで時間が掛かる。 短い時は数日だが、長い時は数週間にも渡る。よって、リリアンヌ号は惑星ケレブルムで補給するのが常だった。 惑星ケレブルムの衛星軌道上の宇宙港に巨体が寄港する様をモニターで見つつ、ケーシーはため息を吐いた。 意外にも娯楽施設が多い惑星ケレブルムでの補給は、いつもは心が弾むが今回ばかりはそうも行かなかった。 何十度目か解らないため息を深く吐き、ケーシーはツノの生えた頭を押さえ、力ない呻きを漏らして背を丸めた。 「うあああん…ねーさぁーん…」 「いい加減にしゃっきりしなさいよ、ケーシー」 職員専用のロビーに入ってきたフローラは、項垂れるケーシーを見て呆れた。 「だってぇ…。姉さんってば、いきなり出掛けちゃうんだもん」 ケーシーは振り返り、ネコ耳と尾の生えた機械生命体専門医、フローラ・フェルムを見やった。 「身内に断らなければ新婚旅行へ出てはならない、という規則はないが」 フローラの背後には、大柄な黒人のサイボーグ専門医、ダグラス・フォードが立っていた。 「ていうかさぁケーシー、リリアンヌ先生はカイル先生と結婚したんだから祝福してやらなきゃダメでしょ」 フローラはケーシーににじり寄り、大きな目で睨んできた。ケーシーは、情けなく眉を下げる。 「でも、やっぱり、まだ納得出来ないんだよ」 「女々しいを通り越して気色悪いな」 ダグラスに嫌悪され、ケーシーは、う、と言葉に詰まる。 「でもさ…」 すると、ブリッジに繋がるエレベーターが開き、仕事を終えた操舵士と管制官が連れ立ってロビーに入ってきた。 操舵士の青年は長身で体格が良く、筋肉も厚い。髪は薄茶で瞳も同じ色だが、眼光は獣を思わせる鋭さがある。 管制官の紺色の制服に身を包んだ少女は小柄で手足も細長く幼ささえ感じられるが、頭にはツノが生えていた。 「あ、フィオ」 ケーシーは、管制官の少女に振り向いた。ヘッドセットを外した竜人族の少女は、ケーシーに手を振る。 「こんにちは、ケーシー兄様。どうしたんですか、フローラ先生とダグラス先生に叱られてるんですか?」 「それがねぇ、姉さんがぁ」 と、ケーシーは管制官の少女に泣き付こうとしたが、ダグラスに襟首を掴まれて引き戻された。 「姉がいなければ従姉妹に甘えるのか、お前は。それでも男か」 「ついでにこれは俺の女だ。この前みたいにべったり張り付きやがったら、今度こそ消し炭にしちまうぞ」 操舵士の青年は管制官の少女のツノの生えた頭を右手で押さえ込むと、左の人差し指を立て、紅い炎を発した。 その手首には超能力を制御するためのサイキックリミッターが付けられており、彼がエスパーである証でもあった。 「まだ根に持っているんですか、レオさん」 管制官の少女は、彼の手の下から見上げた。操舵士の青年、レオンハルト・ヴァーグナーは顔をしかめる。 「当たり前だ。いくら身内だって、保つべき距離ってのがあるだろうが」 「だ、そうですので」 管制官の少女、フィオーネ・ドラグリオンは苦笑した。ケーシーは泣きそうになり、だらりと項垂れる。 「皆、冷たいよぉ…」 「いや、あんたが異常なのよ」 フローラの遠慮のない物言いに、ケーシーは反論する気力すらもへし折られ、潰れた声を漏らした。 「うぅ」 「これ以上構うだけ時間の無駄だ。行くぞ、フローラ」 ダグラスはケーシーを投げ捨てると白衣を翻して歩き出し、フローラは足早に彼の大きな背を追った。 「はいはーい。たまには船を下りないと、窮屈でたまんないもんね」 いってらっしゃーい、とフィオーネは笑顔で二人に手を振ってから、今にも泣き出しそうなケーシーを見下ろした。 ケーシーの病的なシスターコンプレックスは今に始まったことではないが、まともに付き合うと疲れるだけなのだ。 リリアンヌのように優秀な姉を持てば、卑屈になるか依存するかのどちらかになるのだが、ケーシーは後者だ。 フィオーネも従姉妹なので、リリアンヌに執着するケーシーの気持ちは解らないでもないが限度というものがある。 さすがに仕事には私情を挟むことはないが、バックスペースに引っ込んでしまうと、あっという間に崩れてしまう。 リリアンヌがいる時はべたべたと付き纏っているので邪魔にはならないのだが、姉がいなくなると途端に鬱陶しい。 ケーシーの傍迷惑な憂鬱を受け止める相手は専らフィオーネだ。従姉妹であることと、人が良すぎるせいだった。 「俺達も船を下りるぞ、フィオ。いつまでもシスコントカゲに構ってられるか」 レオンハルトはフィオーネの腕を引き、歩き出した。フィオーネは彼に引っ張られながら、従兄弟に手を振った。 「じゃ、私達も船を下りますんで、また後で」 いいから構うな、とレオンハルトは強く言い、フィオーネを引き摺っていった。ケーシーは、虚ろな目で見送った。 一人にされると、また気が滅入ってくる。魂を抜くような大きなため息を何度も吐いて、ケーシーは頭を抱えた。 姉、リリアンヌが結婚したのは十日前のことであった。小児科医、カイル・ストレイフとは大分前に婚約していた。 だが、どちらも忙しかったために時間が合わなかったこともあり、同じ宇宙船内にいながらも結婚に至らなかった。 しかし、ようやくリリアンヌの薬学研究に折り合いが付いたため、二人は式も挙げずに何の前触れもなく結婚した。 ケーシーがそれを知ったのはリリアンヌ本人の報告ではなく、小児科の女性看護士ヒエムスからの又聞きだった。 それもまた寂しくて、切なくて、やるせなかった。実の弟に一言も言わずに結婚してしまうとはそれでも家族か、と。 リリアンヌとカイルが婚約した時から堆積していた寂しさに押し潰され、ケーシーはどっぷりと憂鬱に浸っていた。 最初は周囲も励ましてくれたが、それが何日も続くとフィオーネでさえも愛想を尽かして、放置されるようになった。 自分でもこのままではいけない、とやる気を出そうと思うが、少しも心は奮い立たずますます陰鬱な気分になった。 今頃、姉は何をしているのだろうか。 廃棄コロニーに、珍しく来客が訪れていた。 ジェニファー以外の来客があること自体が珍しいのだが、その来客もまた珍しかったので、皆、戸惑っていた。 マサヨシはリビングのソファーに並んで座っている二人と向き合っていたが、何を話せばいいのか解らなかった。 二人に紅茶を出したミイムも、足早にキッチンに戻った。マサヨシは息苦しさを感じていたが、表情は取り繕った。 突然の来客は、救護戦艦リリアンヌ号の搭乗員であり医師のリリアンヌ・ドラグリオンとカイル・ストレイフだった。 二人が来訪したのは、本当に突然のことだった。リリアンヌ号のシャトルに乗って、何の前触れもなくやってきた。 これで親しい仲であればまだ解るのだが、マサヨシを始めとした家族の誰も二人とは深い付き合いではなかった。 小児科医のカイルはまだしも、リリアンヌに至っては、先日の検診で初めて顔を合わせたのだから初対面に近い。 なぜ彼らがこの家を訪れたのか、全く解らない。マサヨシは気まずげなカイルと目が合い、作り笑いを浮かべた。 戸惑っているのはこちらだけではないらしい、と解ってマサヨシは少しばかり安堵したが、気を取り直して尋ねた。 「それで、今日はまたどうしていらしたんですか」 マサヨシはなるべく戸惑いを出さないように気を付けながら、紅茶を傾けているリリアンヌに声を掛けた。 「リリアンヌ先生、カイル先生」 「えっと、新婚旅行です」 答えたのはリリアンヌではなく、その隣のカイルだった。 「…はい?」 思い掛けない言葉に、マサヨシは目を丸めた。 「ということは、その、ご結婚されたんですか?」 「この星系の単位では十日前にな」 リリアンヌはストレートで紅茶を味わっていたが、一気に呷って空のティーカップを下ろした。 「ですが、新婚旅行で太陽系ってのは地味すぎやしませんか?」 マサヨシの言葉に、カイルはまだ湯気の昇る紅茶に砂糖をスプーン一杯入れ、掻き混ぜた。 「僕は見ての通りの新人類ですから、里帰りと親族の顔合わせも兼ねているんですよ。事後報告ですけどね」 「まあ、そういうことなら」 解らないでもないが、まだ腑に落ちない点はある。マサヨシは自分のコーヒーを取り、啜った。 「ですが、だからといって、なぜ我が家にいらしたんですか?」 「それはですね」 カイルの視線が新妻に向くと、リリアンヌは御茶請けに出されたミイムの作ったクッキーを囓った。 「一般家庭についての情報を得ておきたいのだ」 「いや、そういうことでしたら他を当たるべきです。そりゃあもう」 マサヨシはキッチンに振り返り、なあ、とミイムに苦笑いした。ミイムはキッチンから顔を出し、うんうんと頷く。 「そうですよぉ。そりゃ、ボク達は家族ですけどぉ、どこをどう見たってアブノーマル家族ですぅ」 「これと私が夫婦になったことも充分アブノーマルではないか。異星人同士なのだからな」 リリアンヌは食べかけのクッキーを持った手で、夫を示した。 「それに、私の両親はまともとは言い難いのでな。父上は母星で軍人をしておる都合で滅多には会えんし、母上は母上で未だに女優なぞやっておるものだから、これもまたろくに会えんのだ。だから、一家で食卓を囲んだ回数など数えるほどしかないのだ。故に、まともな家庭というものの感覚を全く知らんのだ。それに、カイルもカイルで当てにならんのだ」 「そうなんですか?」 マサヨシがカイルに向くと、カイルはやりづらそうに肩を縮める。 「聞いたことありませんか、ストレイフ・コンツェルンって」 「そりゃ、聞いたことない方が珍しいですよ。この銀河系の中でも指折りの大財閥で、太陽系から視認出来る銀河系のほぼ全てに進出して事業の拡大を続けている、宇宙一と名高い超巨大企業グループですよね?」 「僕、その本家の三男なんですよ」 あまり言いたくなかったのか、カイルの語気は弱かった。マサヨシが驚くよりも先に、ミイムが奇声を上げた。 「ふみゃあああっ!? なんで、なんで、そんな超弩級金持ちの御曹司がこんなところにいるんですかぁー!」 「いえ、僕はもう遺産相続権も財産も全て放棄しましたし、医者になった時点で勘当されたようなものですので」 ミイムの反応は予想していたのか、カイルは平静だった。リリアンヌはティーポットを傾け、二杯目を注いだ。 「だから、別に玉の輿でもなんでもないのだ。それに、私は金には興味はあるが事業には興味はない」 「まあ、そんなでかい家の息子なら、普通ってのを知らなくて当然か」 マサヨシはカイルを見つつ、納得した。前々から、カイルはかなり育ちの良さそうな青年医師だとは思っていた。 だから、てっきりエリート医者一族の出かとばかり思っていたが、マサヨシの想像など吹き飛ばされてしまった。 今も昔も生活を維持するだけで精一杯のマサヨシから見れば、何不自由ない生活など考えることすら出来ない。 だが、何不自由ない生活だったからこそ、家を飛び出して自分のやりたいように生きてみたいと思ったのだろう。 そして、挙げ句の果てには異星人の妻を娶ったというわけだ。親族への報告が事後にならざるを得ないわけだ。 「でも、改めて普通って言われると、却って思い付きませんよねぇ」 ふみゅ、とミイムは首を傾げる。マサヨシも、考え込んでしまった。 「そうだなぁ。具体的に何がどう、と言えるようなものでもないからなぁ」 「パパぁ。先生とのお話、終わったぁ?」 除け者にされたことがつまらないのか、不機嫌なハルがリビングに入ってきた。 「いや、もう少し掛かりそうだ」 ごめんな、とマサヨシがハルに謝ると、ハルはむくれた。 「早く行こうよぉ、キャンプ。私、この前からずっと楽しみにしてるんだから」 「そうっすよそうっすよ、テントの設営とかもやらなきゃいけないんすから」 ハルに続いてリビングに入ってきたヤブキは、あ、どうも、と二人に頭を下げた。 「キャンプって、あれですか? 学生時代に必ず経験させられる野外宿泊実習のことですか?」 カイルは子供のような顔をして身を乗り出したので、ヤブキは若干戸惑いながらも答えた。 「まあ、そうっすよ。でも、カイル先生にとっちゃ珍しくもなんともないんじゃないっすか? 新人類なんすから」 「いえ、それがそうでもないんですよね」 カイルはソファーに身を戻すと、遠い目をした。 「僕は三男ってことでそれほど大事にされてなかったんですけど、それでも誘拐や暗殺の危険にはちょくちょく遭ってまして、そのせいで広い場所に出る野外実習だけでなく修学旅行も行かせてもらえなかったんですよ。人の青春をなんだと思っているんでしょうね、うちの親は」 「私はむしろ行きたくなかったぞ。外に出るのは嫌いだ。増して集団行動など虫酸が走る」 リリアンヌの冷め切った呟きに、カイルは苦笑いする。 「そりゃ、僕もどちらかと言えば苦手でしたけど、それでも今になって思えば楽しかったなぁって思うんですよ」 「どうするっすか、マサ兄貴?」 ヤブキに問われたので、マサヨシはミイムに尋ねた。 「食材に余裕はあるか?」 「もちろんですぅ。この前の買い出しで、たんまり買い込みましたから余裕綽々ですぅ」 ミイムは笑み、大きな冷蔵庫を示した。 「じゃ、せっかくなんで、うちのキャンプに付き合います?」 マサヨシが誘うと、カイルは少年のように目を輝かせた。 「喜んでお付き合いします! というか行かせて下さい!」 「で、リリアンヌ先生はどうです?」 「仕方ない」 リリアンヌはかなり浮かれている夫を見、嘆息した。 「だが、今回だけだぞ。次はない」 「ありがとうございますリリアンヌさん! 僕、あなたと結婚して本当に良かったです!」 カイルは満面の笑みで、リリアンヌの両手を取った。リリアンヌは一瞬固まったが、すぐに顔を背けた。 「…ふん」 リリアンヌの横顔は不愉快げだが、腺病質な白い頬はいやに血色が良く、尖った耳元まで朱に染まっていた。 どうやら彼女は、態度には出さないが顔には出てしまう質らしい。カイルが素直すぎるから、照れているのだろう。 カイルが新人類なので結婚したことを示す方法も新人類方式なので、二人の左手の薬指には指輪が光っていた。 マサヨシは新婚丸出しのカイルとリリアンヌが羨ましいと思う反面、嫉妬にも似たざわめきが込み上がってきた。 嫌ではないし、微笑ましいとは思うのだが、浮かれて緩み切ったカイルを見ていると無性に鬱陶しくなってしまう。 ミイムとハルは微笑ましいとしか思っていないようだが、ヤブキも居心地が悪いらしく、あらぬ方向を睨んでいる。 サチコはどうだ、と目線を動かすと、彼女のスパイマシンはリビングの隅に浮かんでマサヨシを見下ろしていた。 なんとなく、彼女と目を合わせづらかった。 08 6/6 |