そして、キャンプの準備を終えた一家は海辺へと出発した。 この廃棄コロニーは完全循環型であるため、自然環境を維持するためには海の存在を欠かすことが出来ない。 だが、直径五十キロメートル程度のコロニーでは、どれだけ重要であろうとも海自体の大きさは小さくなってしまう。 なだらかな傾斜の付いた地面の先に出来ている海は、ブーメラン状の形をしており、遠浅で波の穏やかな海だ。 山や地面を通り抜ける間に水に付着した微生物やプランクトンも生息しているため、十数種類の魚も泳いでいる。 だが、その海は狭い。沖合はせいぜい五六キロメートル程度しかなく、最も深い部分でも十五メートル未満だった。 しかし、ないよりは余程いい。わざわざ他の宇宙ステーションのリゾートへ出掛けなくても、近場で泳げるのだから。 海へと向かう道中、最後尾のトニルトスは後悔していた。またもや無能となじられたため、ムキになってしまった。 売り言葉に買い言葉で応酬した結果、トニルトスがキャンプ道具のほとんどを背負うことになってしまったのだ。 機械生命体の腕力では大した重量ではないのだが、前を歩くイグニスの身軽な背を見ていると腹が立ってきた。 「少しは持たんか、ルブルミオン」 トニルトスが毒突くも、イグニスはしれっとしている。 「それぐらい全部持てる、っつったのはお前だろうが。今更俺に持ってもらおうなんて思うなよ、トニルトス」 「力仕事は貴様の仕事ではないのか」 「愛玩動物が口答えすんじゃねぇよ」 「ええいやかましい!」 トニルトスはイグニスの背を蹴り、彼がよろけた隙にテントの道具を強引に押し付けた。 「重くはないがかさばるのだ! ついでに言えば屈辱的なのだ!」 「つまんねぇ意地張るから…」 イグニスは呆れつつ、イグニスを追い越していったトニルトスを見送った。相変わらず、扱いづらい男である。 進行方向には、夫と共に歩くリリアンヌの姿がある。なんとなくだが、トニルトスはリリアンヌと印象が被ってくる。 二人の口調に、似通ったものがあるからかもしれない。もしもトニルトスが女だったら、まだ可愛気があったか。 イグニスの思考回路にそんな想像が過ぎったが、たとえ女だったとしても、あのプライドの高さはかなり鬱陶しい。 むしろ、女だったら鬱陶しさは何倍にも膨れ上がる。男だからこそ許せている部分も、ないわけではないのだ。 女でなくて良かったな、女だったらとっくにぶっ殺してるぜ、とちらりと思いながら、イグニスは最後尾を歩いた。 「きゃんぷー、きゃんぷー」 先頭を歩くハルは、小さなリュックサックを背負って鍔の広い麦藁帽子を被っている。 「みゅふふふぅ、初泳ぎですぅー」 ハルの傍に付いて歩くミイムも、やはり浮かれている。 「うーわー、マジ見たくないっすー。ていうか、ミイムの水着姿ってやっぱりあれっすか、海パンっすか?」 野郎だから、とヤブキが一言付け加えたので、ミイムはむっとする。 「違いますぅ! ボクはあんなの履きませんっ! ていうか水着も下は履きませんっ!」 「…え」 ミイムの言い放った言葉に、マサヨシは口元を歪めた。 「だったら、泳がないでくれ」 「えぇー、そんなの嫌ですぅー。ボクもちゃんと泳ぎたいですぅー」 ミイムは不満げに膨れ、スカートの下で尾をぱたぱたと振る。 「公然猥褻は勘弁してほしいっす、いやマジで」 ヤブキが心底嫌そうにしたので、ミイムは眉根を歪める。 「失敬な。ボクはあんたみたいに御下劣じゃありませんよぉ」 「じゃ、水着ぐらいは下を履いてくれ。じゃないと無理にでも履かせるぞ。来客がいることも忘れるな」 マサヨシのいつになく強張った口調に、ミイムははたと気付いて、曖昧な笑顔を浮かべるカイルに向いた。 「みゅ、みゅみゅう…」 家族相手ならまだしも、他人も同然の彼らの前ではさすがに気が引ける。ミイムは、長い耳を伏せる。 「解りましたよぉ、今回はちゃんとしますぅ」 「パパも泳ごうね!」 ハルはマサヨシに駆け寄り、手を引いた。マサヨシは笑う。 「ああ、そうだな」 〈ところで、カイル先生とリリアンヌ先生も泳がれるんですか?〉 サチコはくるりとスパイマシンを反転させ、新婚夫婦に向き直った。 「泳げないこともないが、泳ぐ気はない」 リリアンヌの言葉にカイルは苦笑しつつ、答えた。 「僕は出来れば泳ぎたい方ですが、ほとんど泳げないのでリリアンヌさんとは逆ですね」 〈でも、水着はあるんですね〉 サチコは、二人の担いでいる荷物を見下ろした。二人とも、私物と共に水着の入ったバッグを持っている。 「まあ、新婚旅行ですからね。一通りの準備は揃えてあるんですよ」 カイルは頬を緩め、新妻を見やった。 「リリアンヌさんの水着姿は一度も見たことがないので、僕としては物凄く楽しみですけどね」 「別に面白くもなんともないと思うが。見ての通り、私には起伏がないからな」 リリアンヌは、二次性徴を迎えたばかりの少女のように薄べったい己の胸元を見下ろした。 「いやいやいや、それはそれでまたいいものがあるっすよ、うん」 ヤブキがだらしない声を出したので、ミイムは真冬の月光よりも冷ややかな目をヤブキに向けた。 「人様の新妻になんてことを言いやがりますかぁ」 「そういう貴様はどう思うのだ」 リリアンヌに問われ、カイルはぎょっとした。 「え、あ、僕ですか?」 「そうだ。肝心の貴様の答えを聞かねば、どうにもならんではないか」 「えっと、それは…。すいません、勘弁して下さい」 カイルとしてもリリアンヌの体型については思うところはあるのだが、他人のいる場所で言うべきことではない。 リリアンヌは小柄で、少女のように身長が低い。本人の言葉通りに起伏こそ少ないが、細い手足は実に魅力的だ。 無駄な肉が付いてない体は華奢でありながら、抱き締めると年相応の弾力があり、顔付きは人形のように美しい。 実年齢よりも幼い外見と、やたらと高圧的で男性的な言動とのギャップがたまらないが、他人に言いたくなかった。 愛妻の魅力が解るのは自分だけでいい。カイルは独占欲に似た感情を抱きながら、妻に添って海へと向かった。 何はともあれ、キャンプの始まりだ。 海と同じく手狭な砂浜には、ご丁寧にシャワー付き更衣室が建っていた。 これは、去年イグニスが建てたものである。海水浴を切望したハルのために、材料を掻き集めて造ったのだ。 多少風雨には曝されているが、外壁はまだ新しさを残している。だが、さすがに男女別にはなっていなかった。 あくまでも個人用の施設なので、分ける意味がなかったからだ。なので、男女で入れ違いに着替えることにした。 先に着替えを終えたのは、ハルとリリアンヌだった。どちらも髪が長いので、それをまとめるのに時間が掛かる。 更衣室から出てきたハルは、フリルの付いたピンクのワンピースの水着を着、髪はスイムキャップに入れていた。 その次に出てきたリリアンヌも着替えてはいたが、水着の上に薄手のパーカーを羽織り、前もきっちり締めていた。 長い緑髪は太い三つ編みに編んで後頭部でバレッタで留め、前髪もヘアピンで上げ、広めの額を露わにしていた。 「パパもママも早くしてねー!」 ハルは泳ぐのが楽しみでたまらないのか、早々と子供用の浮き輪を腰に填めている。 「して、貴様らはどうするつもりだ」 リリアンヌは、キャンプ道具を砂浜に並べている二人の機械生命体を見上げた。 「見りゃ解るだろうが。俺達は水中を活動出来るようには出来てねぇんだよ。ある程度は動けるかもしれねぇけど、防水機能が不完全だから、万が一動力機関に水が入っちまったら大事なんだよ」 イグニスはひどく残念がりながら、砂浜の上に胡座を掻いた。トニルトスは、顔を背ける。 「それ以前に、我らが母星には海は存在していない。汚泥と廃油の堆積した汚染地帯ならば点在していたが」 〈図体の割に性能が低いのね、機械生命体って〉 暇を持て余しているサチコが、皮肉を漏らした。イグニスは、けっ、と吐き捨てた。 「在りもしねぇ環境に適応出来たら異常だろうが」 「つまらん連中だ」 リリアンヌの漏らした文句に、トニルトスは言い返した。 「それは私が言うべき言葉だ。貴様らのような低俗な生物に、私の時間を奪われることは不愉快極まりない」 「別に誰もてめぇにキャンプに参加しろとは言ってねぇんだが」 イグニスが半笑いになると、トニルトスはイグニスの背中を思い切り蹴り飛ばした。 「参加しないならしないで貴様らがやかましいからだ!」 「付き合ってられんな」 リリアンヌは興味が失せたので機械生命体に背を向け、ビーチサンダルを鳴らしながら海へと向かった。 「リリアンヌ先生、パパ達が出てくるまで待たなくていいの?」 ハルは小走りにリリアンヌを追いかけ、隣に並んだ。リリアンヌは、面倒そうに眉根を曲げる。 「奴らが出てくるまで待っている義理もないのだ」 「えぇー、一緒に遊んだ方が楽しいよお」 ハルは頬を張るも、リリアンヌの足は止まらず、さっさと行ってしまった。 「私は貴様らを観察するだけだ。それ以外にやることなど何もない」 「愛想のない女は好かん」 リリアンヌの後ろ姿にトニルトスが吐き捨てたので、砂の中から頭を引き抜いたイグニスは顔を背けた。 「それをお前が言うんじゃねぇよ、トニルトス」 「むー…」 一人取り残されてしまったハルは、海へ向かうリリアンヌと更衣室を見比べていたが、父親達を待つことにした。 リリアンヌに付いていっても、一緒に遊んでくれないと思ったからだ。だったら、マサヨシ達と一緒に行く方がいい。 しばらくすると、更衣室から男性陣が出てきた。一番最初に飛び出してきたのは、女性用水着姿のミイムだった。 「みゃっはーん!」 長いピンク色の髪をポニーテールに結んだミイムは、セパレートタイプの白い水着を着ていた。 「早く行きましょおー、ハルちゃーん」 ミイムは腰に巻いたパレオの下で、尾を振った。マサヨシからきつく言われたため、きちんと下は履いていた。 そして、男なので本当は隠す必要はないと思われる真っ平らな胸にも、同じく白のチューブトップを着込んでいる。 適度に脂肪の付いた艶やかな太股は眩しく、長い手足が健康的な魅力を生み出し、いつも以上に美しく見える。 一見しただけでは、年頃の少女のようだった。股間にも全く膨らみがないので、何も知らなければ絶対間違える。 「そうっすよー、ビーチバレーでもスイカ割りでもいいからとっととおっ始めるっすよー!」 続いて現れたヤブキは、全身の銀色の積層装甲が露わにしており、股間部分は小さな赤い布地に隠れていた。 いわゆる、ブーメラン型の競泳用水着だ。それを見たミイムは弾けた笑顔を瞬時に消し、念力で砂を巻き上げた。 「死にやがれド変態ですぅ!」 「ぶべらっ!」 強烈な砂の瀑布を浴びたヤブキは仰け反ったが、顔を振って砂を払ってから叫んだ。 「何しやがるすんか!」 「あんたは真剣に気持ち悪いんですぅ! ていうかなんですか、その絶望的な水着のセンスは!」 ミイムは牙を剥く勢いで、ヤブキの股間を指して喚いた。ヤブキは振り向き、後から出てきたマサヨシに尋ねた。 「オイラとしちゃまともだと思ったんすけど、そうじゃないんすか?」 「いや…正直言って、微妙だ…」 上半身にTシャツを着たマサヨシは、ヤブキの姿に苦い顔をした。裸のサイボーグは、見慣れないと異様だった。 ヤブキの装甲は相当丈夫な積層装甲で宇宙空間でも活動出来るほど気密性も高いので、水中にも適応している。 なので、何も着ていなくても大丈夫なのだが問題はその外見だ。積層装甲は、人間の筋肉を忠実に再現している。 だが、それが忠実すぎるからこそ違和感を感じてしまう。限りなく有機的なのに無機物という点が、噛み合わない。 滑らかな銀色の外装で形作られた筋肉は見ようによっては美しいかもしれないが、艶が良すぎて昆虫にも見える。 だから、そんなサイボーグがブーメラン型の競泳用水着を股間に履いている様は、正直言って不気味なのである。 それはサイボーグに対するひどい偏見なので、マサヨシはぐっと胸の中に押し込めて、ヤブキの隣を通り過ぎた。 「とにかく、海に行くぞ。ハルと遊んでやらなきゃならん」 「ま、それもそうっすね」 ヤブキは破裂しそうなほど空気を入れたビーチボールを抱えると、マサヨシに続いて歩き出した。 「今日のところはハルちゃんと新婚夫婦に免じて許してやりますけど、次はないんですぅ」 ミイムはヤブキにべっと舌を出してから、家族を待ち侘びているハルの元へ駆け出した。 「ハルちゃあーん、今、行きますぅー!」 「ところで、リリアンヌさんは」 一番最後に出てきたカイルは、砂浜で仁王立ちしている妻を見つけたが、パーカー姿だと気付いて眉を下げた。 「結局、どんな水着かはまだ解らないんですね」 「まあ、そのうち脱いでくれますよ。水に濡れでもしたら脱がざるを得ませんし」 マサヨシが言うと、カイルは照れくさそうに頬を緩めた。 「そう、ですね」 「いや、その必要もなさそうっすよ」 ヤブキの言葉に、二人はリリアンヌに目を向けた。だが、今し方まで見えていたリリアンヌの姿はなくなっていた。 だいじょーぶですかぁー、とのミイムの心配する声の後、波打ち際から人影が起き上がった。リリアンヌだった。 波に足を取られて転んだのか、全身ずぶ濡れになっている。物凄く不愉快げな顔をして、顔に付いた砂を拭った。 ミイムの伸ばした手を取らずに立ち上がったリリアンヌは、華奢な体に張り付いたパーカーのファスナーを下げた。 露わになったリリアンヌの水着に、ミイムはきょとんと目を丸めた。予想していたよりも、遥かに過激だったからだ。 「みょ…?」 「なんだ」 リリアンヌは海水で濡れた髪を払い、脱いだパーカーを脇に抱えた。幼い体型にそぐわない、黒のビキニだった。 ほとんど起伏のない胸を覆っている三角形の布地は膨らみがなく、なだらかな腹部と華奢な腰が妙に淫靡である。 そして、パンツの両サイドが紐だった。色白な肌が黒で際立っており、薄く濡れた肌が日差しを浴びて輝いている。 見てはいけないものを見たような気がして、マサヨシは思わず目を逸らした。ヤブキも、珍しく反応に詰まっている。 「えーと…オイラ達はノーリアクションの方がいいっすよね?」 「たぶんな」 マサヨシはリリアンヌの肌から目線を外し、カイルの様子を窺った。するとカイルは、背を向けて俯いていた。 「買ってきたけど何が何でも見せてくれないと思ったら、そういうことだったんですね…」 ヤブキはカイルの肩を叩き、更衣室を示した。 「抜いてくるんなら早い方がいいっすよ。賢者タイムっすよ、賢者タイム」 「いきなりえげつないことを言わないで下さい」 カイルはヤブキの手を払い、顔を上げた。表情には戸惑いが浮かんでいたが、それ以上に歓喜に満ちていた。 「えっと、ここは喜んで良いところですよね?」 だらしなく弛緩するカイルに、マサヨシはヤブキと顔を見合わせた。二人共、訳の解らない苛立ちを感じていた。 甘ったるい幸せに浸りきったカイルの顔で、何もかもがどうでも良くなってしまって、マサヨシはぞんざいに答えた。 「そうなんじゃないですか?」 「さあとっとと行くっすよ、マサ兄貴!」 ヤブキもそうなのか、大股に歩き出した。リリアンヌはと言えば、カイルの視線に気付いたのか背を向けている。 またもや、照れているのだろう。その様が余計に苛立ちを煽り立ててしまい、訳の解らない衝動が沸き起こった。 有り体に言えば、新婚夫婦に対するやっかみだった。だが、それを認めてしまうことすらも癪に障るほどだった。 新婚夫婦は意識してやっているわけではないのだろうが、端々から垣間見える幸福満量な言動が鼻に突くのだ。 だが、二人には何の罪もない。それ以前にこちらを不快にさせるつもりではない。だからこそ、尚更苛立つのだ。 二人は何とも形容しがたい不快感を抱えていたが、それを晴らすべくハルやミイムが待っている砂浜に向かった。 このままでは、カイルを殴り付けてしまいそうだったからだ。 08 6/7 |