アステロイド家族




新婚サマー・キャンプ



 波打ち際では、皆が思い思いに遊んでいた。
 浮き輪を付けたハルはマサヨシに手を引いてもらって泳いでおり、ヤブキとミイムはビーチボールで戦っていた。
件の新婚夫婦はどちらもろくに泳げないため、波打ち際にいるだけだったが、それでもどことなく楽しそうだった。
 それらを横目に見ながら、イグニスは黙々とテントを組み立てていた。やることがないから、仕事をするしかない。
トニルトスも相当暇を持て余しているせいか、やたらと素直になり、イグニスのテント設営作業を手伝ってくれた。
だが、それすらも終わってしまうととうとうやることがなくなった。だから、二人は、皆が遊ぶ様を眺めるだけだった。

「退屈だ」

 トニルトスは膝を抱えて座りながら、ぽつりと漏らした。

「てめぇに同調するのは好かねぇが、今度ばかりは同意するぜ」

 胡座を掻いているイグニスは、背を丸めて頬杖を付いた。

〈仕方ないわよ。あんた達は防水機能がないんだから、今日のところは大人しくしていなさい〉

 サチコの操るスパイマシンが、するりと二人の周りを巡る。

〈それに、あんた達みたいなのがスイカ割りとかビーチバレーとか砂のお城とか波打ち際のラブレターとか捕まえてごらんなさーいとかやっても果てしなく不気味なだけなのよね。大体、あんた達って外見からして暑苦しいから、海に似合わないことこの上ないのよ〉

「うっせぇな。似合う似合わないの問題じゃねぇだろ」

〈でも、あんた達って生きているだけでエネルギーの無駄遣いだから、何かしらの活動をしてもらわないと不経済なのよね。だから、家に帰って仕事でもしていたらどうかしら?〉

「それはそれで屈辱的だ」

〈そう思うのなら、やることを見つけることね。正直言って、あんた達を映像認識しているだけで目障りなのよね〉

「俺もてめぇのノイズだらけの電子合成音声を聞くだけでうんざりするぜ」

〈あんた達が出来そうな遊びもないわけじゃないのよねぇ。でも、教えるのも癪なのよねぇ〉

「だったら教えてもらわなくてもいいぜ。どうせ、ろくでもねぇんだろ」

〈でも、このまま放っておくのも鬱陶しいから、教えてあげないでもないわよ?〉

「どっちなのだ、貴様は」

 サチコの回りくどい言い方にトニルトスは苛立ちを露わにするが、サチコの態度は変わらなかった。

〈あんた達こそどっちなのよ。教えてほしいの? 教えてほしくないの?〉

「へいへい、教わりゃいいんだろ、教わりゃ」

 イグニスが気のない返事をすると、サチコは胸を反らすかのようにスパイマシンを上向けた。

〈要するに、水に浸からなきゃいいんでしょ? だったら話は簡単だわ、波に乗ればいいのよ〉

「乗れるわけねぇだろうが、あんなのに」

 イグニスは鼻で笑ったが、トニルトスは関心を持ったようだった。

「風に乗れるのならば、波に乗れてもなんら不思議ではないな」

「だが、どうやって乗れっつうんだよ。俺達は浮力なんて欠片もないんだぜ?」

 馬鹿にした態度のイグニスに、サチコは言い返した。

〈なければ作ればいいに決まっているじゃないの。それに、波乗りは専用の板に乗ってやるものなんだから、まずは板を作ることから始めなさいよね〉

「そういうてめぇは何もしねぇのかよ。人に注文付けるばっかりでよ」

 イグニスはサチコを小突こうとしたが、サチコは素早く回避した。

〈私はナビゲートコンピューターなのよ? 遊ぶなんてとんでもないわ、皆の安全を監視する仕事があるんだから〉

「あーうっせぇうっせぇ」

 イグニスはサチコを追い払いながら、腰を上げた。サチコの物言いは癪に障るが、波乗り自体は面白そうだ。
トニルトスも多少なりとも惹かれるらしく、サチコから波に乗るための板についての情報を聞き出そうとしている。
プライドの固まりとしか思えないトニルトスに遊びを楽しめる心を持っていたのは、イグニスとしては意外だった。
というより、トニルトスも他人が遊んでいるのに自分は何も出来ない、という状況に飽きただけなのかもしれない。
戦うために生まれ、戦うためだけに生き、戦いに快楽を見出す機械生命体と言えども、精神の余裕は必要だ。
 たまには、遊ぶのも悪くない。




 波乗りの板が完成したのは、それから約一時間後だった。
 イグニスとトニルトスは罵り合いながらも同じ作業に励み、身長の1.5倍ほどの長さの楕円形の板を作った。
サチコから取得した情報が正しければ、これで波に乗れるはずである。海に戻ると、皆は海から上がっていた。
長い間水に浸かっていると体が冷えてしまうためか、ハルはミイムと一緒に、波打ち際で砂遊びに興じていた。
リリアンヌはパラソルの下で情報端末からホログラフィーを出し、彼女の母星の文章と思しき活字を追っていた。
砂浜からそれほど離れていない岩場では、マサヨシとカイルがヤブキから釣りの方法を教わっているようだった。
そして、サチコはと言えばマサヨシの傍にまとわりついている。あの様子では、まともに監視出来ているか怪しい。

「んじゃ、まず、沖に出るか」

 イグニスは楕円形の長い板、サーフボードを海面に横たえ、浮かばせた。一応、浮力の出る素材で作ってある。

「待て」

 トニルトスは海面を眺めていたが、首を捻った。

「根本的な問題に気付いたぞ」

「何がだよ」

「波の高さが圧倒的に足りないのではないのか?」

「んあ?」

「考えてもみろ。波に乗るためには、まず私達が乗れるほどの大きさの波でなければ無理だ。そして、この板と衝突しても負けないほどのエネルギー量を持っていなければ、ただのボートで終わるのではないのか?」

「そうかもしれねぇな」

 イグニスは、トニルトスの意見に素直に納得した。

「そこで、私に良い考えがある」

 トニルトスは反重力装置を作動させて砂浜から浮かび上がると、片足を上げて脚部のスラスターを海へ向けた。

「高い波がないのであれば、生み出してしまえばいいのだ」

「おお、それもそうだな!」

 イグニスは頷き、右腕の装甲を開いてビームガンの銃身を伸ばした。

「待ちやがれですぅ!」

 すると、足元から甲高い叫声が飛んできた。見下ろすと、ミイムが眉を吊り上げている。

「そんなことをしたら、高波で何もかもが攫われちゃうじゃないですかぁ! ハルちゃんやボク達だけでなく、今日のお夕飯の材料やテントもみぃんななくなっちゃいますぅ! ちったぁ常識で考えろやスットコドッコイですぅ!」

「それもそうか」

 イグニスは、ビームガンを下げた。トニルトスは不本意げだったが、掲げていた足を下げた。

「…ふん」

「ねー、おじちゃん、トニーちゃん。この板ってなあに?」

 ハルは波打ち際から立ち上がると、海面に横たわっている巨大なサーフボードを指した。

「ああ、波乗りするための板だ。だが、俺達が乗れるほどの波がねぇんだ」

 イグニスは身を屈め、ハルと目線を合わせた。

「だが、俺達が乗れるほどの波を作ったら、ハルが危ない目に遭うってんなら仕方ねぇよな。今日は諦めるさ」

「しかし、このまま引き下がってはカエルレウミオンの名折れだ。そして、手間を掛けて作った板が無駄になる」

 トニルトスは悔しげに、砂浜に横たえてあるサーフボードを見下ろした。

「ならば、陸でやればいいではないか」

 パラソルの下で黙々と活字を追っていたリリアンヌが、ちらりと目線を投げてきた。

「でも、それってなんか根本的に違ってねぇか?」

 不可解げなイグニスに、リリアンヌは素っ気なく返す。

「水中活動用装備を付けて実際に水中に突入する前に、陸上で訓練を重ねるのはよくある話ではないか」

「だが、納得が行かん!」

 トニルトスはサーフボードを抱えると、ばしゃん、と海面に叩き付けて足で踏み付けた。

「私は誇り高きカエルレウミオンの戦士だ! ただの陸サーファーなどに甘んじているわけにいかんのだ!」

「それとこれとは関係ないと思いますぅ」

 あまりにも必死なトニルトスに、ミイムは首を横に振った。

「いいや、大いに関係がある!」

 トニルトスはサーフボードの上に腹這いになると、水を掻いて漕ぐ、というよりも海底を抉って漕ぎ出した。

「馬鹿…」

 イグニスは呆れてしまい、ハルとミイムを持ち上げて肩装甲の上に避難させた。先の展開が予想出来たからだ。
ハルは訳が解らないのか、砂遊び用のスコップを握ってきょとんとしている。ミイムは、冷めた目で見送っている。
 あっという間に沖に出たトニルトスは板の上に立ち上がったが、浮力が足りなかったらしく、海中に転げ落ちた。
高い水柱を上げて没したが、足が届く程度の深さだったらしく、海水を排出しながらサーフボードの上に戻った。

「さあ、我が勇姿を心して見るがいい!」

 トニルトスとしては、僅かでもイグニスよりも優位に立ちたいのだろう。だからこそ、ここまで必死になってしまう。
だが、波が出ないことには乗れるわけがない。イグニスは怖々とその動向を見守っていたが、彼は暴挙に出た。
 トニルトスはサーフボードの上から海面を殴り付けた。スラスターの噴射よりも威力は低いが、衝撃が生まれた。
彼の拳で生み出された波はぐにゃりと大きくうねり、海水が持ち上がった。だが、乗れるほどのものではなかった。
その大きな波が海岸まで打ち寄せたが、水面を滑る間にエネルギーが消えたのか、半分以上も小さくなっていた。
舌打ちをしたトニルトスは、再度海面を殴り付けた。フルパワーだったらしく、数メートルもの水柱が立ち上がった。

「おお、これならば!」

 トニルトスはすかざす板の上に載るが、この波でも巨体を動かすほどのエネルギーは持っていなかった。

「ならば、仕方がない」

 トニルトスはサーフボードに乗ったまま背面のスラスターを開き、低出力で噴射を始めた。

「いや、それは最早波乗りじゃねぇだろ」

 イグニスが苦笑い混じりに呟いたので、トニルトスはむきになって喚いた。

「私がそれでいいと思ったらいいのだ! ルブルミオンの分際で余計な口出しをするな!」

 途端に、その背部から噴き出す推進力が一気に増大した。トニルトスの感情に煽られ、噴射量も増してしまった。
反重力装置を作動させていたために普段より比重が軽くなっていた巨体が、スラスターの青い炎に押し出された。
トニルトスは足を地面に擦り付けて制動を掛けようとしたが、そこにあったのは地面ではなくサーフボードだった。
海面に浮かんでいる板は、当然ながらトニルトスの加速を受けて発進し、荒波と共に波打ち際へと驀進してきた。

「おお、これは!」

 トニルトスは喜んだが、事態は最悪だった。イグニスは彼の直線上から退避すると同時に、シールドを張った。

「馬鹿野郎がぁーっ!」

 トニルトスの加速と共に生み出された高波が、彼を乗せたサーフボードを押し出しながら砂浜へと迫ってきた。
イグニスが展開したエネルギーシールドが波打ち際を覆い尽くすよりも早く、トニルトスの起こした波が到来した。
五メートル以上の高さになった波はトニルトスの足元も掬い上げ、サーフボードと共に、陸地へと乗り上げてきた。
 イグニスはキャンプ道具一式を背にしたが、全ては守りきれなかった。シールドの端を超えた波が、溢れてくる。
押し寄せた波が海へと下がったことを確かめてから、イグニスはシールドを解除して、恐る恐る辺りを見回した。
 一応、キャンプ道具やテント、シャワー付き更衣室は守れた。だが、それ以外のものはかなり被害を受けていた。
特にひどいのが、岩場にいた三人である。最も苦しんでいるのが、釣り道具を攫われてしまったヤブキだった。
マサヨシはトニルトスの愚行に頭を抱え、カイルは溺れかけ、ヤブキは岩を殴り付けながら悲しみに震えている。

「はははははは、どうだルブルミオン!」

 砂にまみれながら起き上がったトニルトスは、やけに得意げだった。イグニスは、トニルトスを蹴り飛ばす。

「どうだじゃねぇよ、自分が何したか解ってんのか!」

〈…最悪〉

 砂浜に打ちあげられたサチコのスパイマシンが、故障のために濁った電子合成音声を漏らした。

「トニーちゃんの悪い子! 悪い子ったら悪い子!」

 ハルは、つんと顔を逸らす。ミイムは、トニルトスを睨み付ける。

「イギーさんのおかげで道具は無事だったからいいものの、あんたのやることはヤブキ並みに目に余りますぅ!」

「少しは家族も心配してやれ、ミイム」

 岩場に突っ伏して嘆き悲しんでいるヤブキを慰めながら、マサヨシはトニルトスに言った。

「トニルトス。今からお前は、海に流したものを全て拾い集めてこい。全部お前がやらかしたことなんだからな」

「そうっすよそうっすよ、オイラの大事な竿もルアーも何もかもが海の藻屑になっちゃったんすからね!」

 ヤブキは本気で泣いているのか、声を上擦らせながら、先日トニルトスが砕いた空のスクリーンパネルを指した。

「これ以上借金重ねたくなかったら、とっとと探しに行くっすー! でないと、でないと、でないと…」

 あううう、とヤブキは崩れ落ち、低く呻いた。マサヨシはヤブキの背を叩いて落ち着かせながら、辺りを見回した。
沖合では、トニルトスが発生させた高波によってぐちゃぐちゃになったパラソルが漂っているが、彼女の姿はない。
まさか、溺れたのだろうか。何度も激しく咳き込んでいたカイルは、涙の滲んだ目元を拭いながら妻の姿を探した。
だが、リリアンヌらしき影は見当たらない。カイルが青ざめていると、イグニスが指を上げて波打ち際を指し示した。
 浅く海面が膨らみ、小柄な姿が現れた。リリアンヌは顔をしかめていたが立ち上がり、濡れた髪を払い除けた。
カイルは安堵すると共に、ぎくりとして仰け反った。リリアンヌの幼い肢体を隠していた黒い布地が、消えていた。
波に攫われた時に、何かの拍子で外れたのだろう。リリアンヌはそれに気付くと、平らな胸を隠して座り込んだ。

「…なんということだ」

 リリアンヌはエルフのように尖った耳の先までも上気させてしまい、背中から伸ばした翼を上半身を覆い隠した。
その二枚の翼は薄べったい皮が張り詰めており、リリアンヌの髪と同じ緑色で、爬虫類のそれに酷似している。
リリアンヌは目線を彷徨わせたが、カイルから注がれる視線に気付くと、更に頬を上気させて縮こまってしまった。

「とりあえず、死んで下さい!」

 カイルはトニルトスを睨むと、動揺と混乱で若干上擦った声を張り上げた。思わぬことに、トニルトスは驚いた。

「なぜだ、あの程度のことで!」

「人妻の上半身を剥いておいてあの程度はないでしょうが、あの程度は! 宇宙規模の重大犯罪です!」

 カイルはトニルトスを指し、力一杯猛る。

「たとえ故意でなかったとしても、結果は結果です! この場でリリアンヌさんに誠心誠意謝罪して、今後半径百キロメートル以内に近付かないで下さい! 念書も書いてもらいますよ! でもって、早急にヤブキ君の釣り道具と一緒にリリアンヌさんの水着も探してきなさい! いいですか、これは指示ではありません、命令です!」

「この私に、命令だと…?」

「二度は言いませんよ! そして拒否権はありませんよ! それでもって、僕には法廷へ出る準備があります!」

 怒濤のように叫び終えたカイルは、肩を上下させた。トニルトスはカイルの豹変にも似た怒りように、気圧された。
上官以外の命令を聞く義務もなければ義理もない。しかし、この場で拒否してしまえば、総攻撃を喰らいそうだ。
マサヨシの視線も冷ややかで、ヤブキはすんすんと泣いていて、ハルは拗ねていて、ミイムは怒りを滾らせている。
そして、イグニスも苛立っている。トニルトスは不本意極まりなかったが、波が落ち着いていない海へ踏み入った。

「屈辱だ」

 ざぶざぶと波を掻き分けながら海に入っていくトニルトスの姿に、カイルは急に気が抜けてしまい、膝が崩れた。
怒りすぎて何を言っていたのかは良く覚えていないが、とりあえずあのとんでもない事態を収拾出来たようだった。
波打ち際で座り込んだままのリリアンヌと目が合うと、リリアンヌは目線を彷徨わせながらも、口元を緩めていた。
その表情に、カイルは改めて安堵した。普段は極力表情を見せない彼女だからこそ、些細な変化が重大なのだ。
きっと、悔しさよりも恥ずかしさが先立って動けなかったのだろう。だから、カイルがやり返したことが嬉しいのだ。
 そして。もう一人、波打ち際に打ち上げられたままのサチコは、自分の言動を思い返して大いに後悔していた。
本当に余計なことを言ってしまった。あんなことさえ言わなければ、このスパイマシンを壊すこともなかったのに。
イグニスも短絡的だと思っていたが、トニルトスはそれを上回っている。無知故の蛮行ほど、恐ろしいものはない。
 結論。機械生命体は、まともに相手をするだけ馬鹿を見る。





 


08 6/8