アステロイド家族




新婚サマー・キャンプ



 日が暮れて薄暗くなった頃、キャンプのメインイベントとも言える夕食が始まった。
 その頃になると、トニルトスが釣り道具を全て回収してくれたこともあり、ヤブキのテンションは持ち直していた。
水着の上を流されてしまったリリアンヌも、時間が経つとまた無表情に戻り、またもや黙々と夕食を食べていた。
そして、諸悪の根源のトニルトスは砂浜の端で正座させられていた。カイルの提案による即興の刑罰であった。
 夕食は野外料理の定番、バーベキューだった。ただ食材を焼くだけで出来上がる料理なので、定番なのだろう。
実際簡単だったので、炭火の上に置いた鉄板に皆で思い思いの食材を並べたのだが、それが妙に楽しかった。
マサヨシも多少なりとも面白味を感じていたが、特に喜んでいるのはキャンプに憧れを抱いていたカイルだった。
それを、リリアンヌは冷ややかな目で眺めていた。水着が流された時に見せた恥じらいなど、完全に失せている。
全く、立ち直りが早い女性である。それはそれでやりやすいに違いないが、物足りなさを感じないこともなかった。
だが、そこがリリアンヌの美点なのだろう。マサヨシは少々焼けすぎた肉を噛み締めながら、新妻を窺っていた。

「ところで」

 マサヨシは食べる手を一旦止め、新婚夫妻に向いた。

「あなた方は、どういう経緯で結婚に至ったんですか?」

「それは確かに気になりますぅ」

 ミイムは紙ナプキンを取り、ハルの口の周りに付いたソースを拭ってやった。

「そうっすねー。ていうか、カイル先生はなんでリリアンヌ先生を選んだんすか? カイル先生は見るからに人の良さそうな優男だし、リリアンヌ先生みたいなドツンデレなんかとは接点なさそうっていうか、むしろ全力で無視られそうなタイプじゃないっすか。何かフラグでも立てたんすか?」

 ヤブキは熱々のジャガイモを口一杯に押し込めていたが、発声器官は胸部なので普通に喋った。

「…もう少し言葉を選べ」

 マサヨシはビールが半分ほど残っているジョッキで、ヤブキの後頭部を叩いた。

「言い回しはかなり低俗だが、まあ、間違っておるわけでもないぞ」

 リリアンヌはスペアリブの肉を鋭い牙で引きちぎり、咀嚼して飲み下した。

「これは小児科医で私は薬学専門であるし、同期でもなんでもなかったから、元々は接点などなかったのだ。カイルは私がリリアンヌ号に乗船してから十二年後に乗船してきたのだが、その頃は吐き気がするほど青臭いガキでな。育ちが良すぎる上に理想主義者であったものだから、言うこと成すこと鼻に突いて仕方なかったのだ。小指の先程も知識がないくせに私の調合した薬にも口を出してくる始末で、何度喉笛を掻き切ってしまおうかと思ったことか」

「あんまり思い出させないで下さいよ、リリアンヌさん」

 カイルはばつが悪そうに、頬を引きつらせた。

「あの頃の僕はひどい世間知らずでしたから、なんていうかもう、今にして思えば恥ずかしくて痛々しくて…」

「だが、事実は事実だ」

 リリアンヌは肉の一欠片も残さずに食べ切ったスペアリブの骨を、自分の皿に放り込んだ。

「私を始めとした職員連中が徹底的に叩きのめしたおかげで、カイルの青臭さも五年程度したら抜けたのだ。医者としての腕がまともになったのも、それからだな」

「じゃ、リリアンヌ先生ってカイル先生よりもお姉さんなんですか?」

 ハルはオレンジジュースを飲んでから、尋ねた。リリアンヌは紙ナプキンを取り、脂に汚れた口元を拭う。

「そうだ。見て解らんか」

「いや、見て解るわけないっすよ」

 ヤブキはリリアンヌを眺めていたが、首を捻った。

「つうか、傍目に見たら、カイル先生ってロリコンっすよロリコン。リリアンヌ先生の種族って、もしかして老化がめっちゃ遅いとかそういう奴なんすか?」

「簡潔に表現すればそうだ。元々の構造が違うのだから、細胞の劣化速度も違って当然なのだ」

 リリアンヌはフォークを伸ばして焦げ気味の太いソーセージを刺し、囓った。

「私の故郷である惑星ドラコネムは、貴様ら人類とは違う進化を遂げた種族が支配している惑星だ。外見こそ貴様らに近しいものはあるが、生体構造は全く違う。貴様らが恒温動物に対し、私達竜人族は変温動物だ。つまり、己の意志で体温を下げて代謝を低下させ、冬眠状態になることが可能なのだ。かつては全身を覆っていた頑丈なウロコや強靱な爪や牙は、環境に適した進化の際に失われてしまい、今生えている翼も飾り物のようなものだ。それでも、訓練を重ねれば自力で飛行が出来ないこともない。愚弟は割と得意なのだが、私はそういったことが不得手でな。名実共にあの翼は飾りだ。そして、定期的な脱皮も行う。一年周期で表皮が剥離するのだが、これがまた面倒なのだ。早ければ半日程度で終わるのだが、新陳代謝が鈍っていると丸二日も掛かる場合もあるのだ。その間、表皮をふやかすために風呂に入っていなければならんのが億劫だが、脱皮の最中に乾燥してしまうと表皮ごと真皮まで剥がれてしまう危険性があるのだ」

「なかなか凄いですね」

 マサヨシはリリアンヌの説明を聞きながら、感心した。リリアンヌはソーセージを噛み砕いていたが、飲み下す。 

「そして、肉食なのだ。内臓の働きを増進するために多少の野菜は摂取するが、基本的には動物性蛋白質を得た方が効率良く熱量を摂取出来る。生殖方法は貴様らとなんら変わらんが、出産方法が違う。卵生なのだ」

「タマゴっすか。ますますトカゲっすねー」

 ヤブキは食べる手を止めずに、リリアンヌに向いた。

「ちょっと話が逸れちゃったっすけど、とどのつまり、リリアンヌ先生っていくつなんすか?」

「少し待て、計算する」

 リリアンヌは暗算で母星の年数を地球の年数に換算し、答えた。

「数え年で八十四だ」

「はちじゅう…」

 ミイムは目を剥いて、カイルに迫った。

「それでいいんですかぁ、カイル先生っ!? だって、だって、八十四歳ですよぉ!?」

「いいから結婚したんじゃないですか」

 やりづらそうに、カイルは身を下げた。ミイムは、じっとカイルを覗き込む。

「そういうカイル先生は、どう見たってパパさんよりも一回りぐらいは下に見えますぅ」

「今年で二十七になります」

「じゃ、ますます不思議ですぅ。見た目ロリだけど実は超姉さん女房、ってどんなストライクゾーンなんですかぁ」

「それなんて新ジャンルっすか?」

 ヤブキも頷きながら、カイルに迫る。

「なんですか、それ」

 カイルが変な顔をすると、リリアンヌは食べる手を止めて呟いた。

「まあ、間違いではあるまい。この男の性癖は奇異だ」

「とりあえず、話題を最初に戻しましょう。そんなあなた方が、どうして結婚に至ったんですか?」

 マサヨシはヤブキとミイムの肩を押さえ込んで座り直させてから、状況を取り繕うために笑った。

「えーと…」

 カイルは照れくさそうに髪を乱していたが、話し出した。

「随分前のことになるんですけど、リリアンヌ先生が情報端末を落として、船内で道に迷っていたんですよ」

「でも、リリアンヌ号ってでけぇからそこら中に案内板やら方向指示ラインがあったよな?」

 少し離れた位置で胡座を掻いているイグニスが、会話に割り込んできた。カイルは、愛妻の横顔を窺う。

「ええ。ですから、滅多なことでは迷子にならないはずなんですけど、リリアンヌさんは方向感覚がないにも等しいんですよ。それなのに、そういったガイドに頼ろうとしないんです。けれど、他の職員から情報端末を借りることもせずに巨大な船内を彷徨い続けた末に、男子職員寮まで迷い込んでしまいまして」

〈それは、ある意味では立派と言うべきなのかしら〉

 マサヨシの肩の上で、サチコが苦笑気味に漏らした。リリアンヌは、ふん、と顔を逸らす。

「他者に縋り付いて生きるのは好かんのだ」

「いえ、それとこれとは違うと根本的に思います。まあ、そういうわけで道に迷いに迷ったリリアンヌさんは、僕の部屋の前で行き倒れていたというわけです。それが、ヤブキ君の言うところのフラグってやつなんでしょうね」

 カイルがリリアンヌを見やると、リリアンヌは華奢な足を組んで頬杖を付いた。

「それ以降の出来事は個人的な理由で割愛するが、この青二才は深く付き合ってみればなかなかの男でな。興味を抱いたから結婚してやったまでに過ぎん」

「じゃ、赤ちゃんは?」

 ハルは期待を込めた眼差しで、リリアンヌを見上げた。リリアンヌはコップに入った赤ワインを傾け、喉を潤す。

「やって出来ないこともないやもしれんが、それはやらぬ方がお互いのためだ。私と貴様ら人類の遺伝子に多少の類似点は見られ、貴様らの放つ生殖細胞で受精出来る可能性はあるのだが、まともな生物になるとは思えんのだ。たとえ姿形がまともでも、脳や臓器の形成が上手く行くとは限らん。奇跡的に育ったとしても、いずれ我が子は己の処遇に苦しむ日が来る。私達の仕事は命を尊び、守ることにあるが、同時に弄んでもいる。だから、余計なことをして要らぬ死を生みたくないのだ」

「こればかりは、難しい問題ですからね」

 カイルはハルと目線を合わせ、穏やかに語り掛けた。

「宇宙には色んな星があって、色んな種族がいますけど、皆、それぞれで違った生き物なんです。だから、みだりに交わってミュータントを造り出してしまってはいけないんですよ。ハルちゃんも、そのうち解るはずですよ」

「なんか、残念だなぁ」

 不満げなハルは、子供用の椅子に身を戻した。

「だが、それでも未来は解らぬ。だからこそ、情報を得ておきたいのだ」

 リリアンヌは空になったコップに赤ワインを並々と注ぎ、飲んだ。

「そういうことです」

 カイルは笑み、愛妻に目を向けた。リリアンヌはカイルと一瞬だけ目を合わせたが、すぐさま逸らしてしまった。

「…ふん」

「ねえパパ、トニーちゃんのところに行ってもいい? だって、もうお腹一杯なんだもん」

 ハルは、暗がりの中で座り込んでいるトニルトスを指した。彼のゴーグルが放つ薄黄の光だけが浮かんでいる。
マサヨシと目が合いそうになって、トニルトスは顔を背けた。反省したわけではなさそうだが、大人しくしている。
若干不安は残っていたが、トニルトスを一人だけにしておく方が余程不安だな、と思ってマサヨシは娘を促した。

「ああ、行ってきていいぞ」

「わーい!」

 ハルは退屈していたらしく、椅子を降りて駆け出した。トニーちゃーん、と機械生命体の愛玩犬に呼び掛ける。
トニルトスはハルが駆け寄ってくることには気付いたが、すぐには反応しようとせず、無視を決め込んでいた。
ハルがしつこくまとわりつくと、トニルトスは渋々立ち上がった。ハルの高い声に混じり、彼の低い声も聞こえる。
鬱陶しげではあるが、ハルを蔑ろにはしていない。すると、イグニスが立ち上がり、二人へと駆け寄っていった。
少年のように弾けた足取りで駆ける相棒も退屈していたらしく、トニルトスに絡んだが、こちらは素っ気なくされた。
どうやら、トニルトスもトニルトスなりにハルに愛着を感じているようだ。これはなかなか良い傾向かもしれない。
何をして遊ぶのか気になるが、イグニスがいるなら大丈夫だろう。そう思ったマサヨシは、新婚夫婦に向き直った。

「それで、次はどこに行くんですか?」

 マサヨシの質問に、リリアンヌが答えた。

「地球だ。旧人類と新人類の種族間戦争によってありとあらゆる生物が死滅し、海は枯れ、大地は放射能に汚染された砂に覆われ、空は赤く焼け焦げていたとしても、貴様ら人類の故郷には変わりないからな。統一政府から着陸許可をもらうために多少の金は積んだが、予算の範囲内だ」

「僕も、地球には行ったことがありませんでしたからね」

 結構楽しみなんですよ、と微笑むカイルに、マサヨシは笑みを返していた。他人が幸せな姿を見るのは悪くない。
異種族間の結婚は昨今珍しいことではないが、様々な隔たりはある。だが、当の本人達は幸福に満たされている。
だったら、それでいいのだ。マサヨシの周りに出来上がった家族も種族も何もかもが違っているが、今は幸せだ。
未だに家族に馴染もうとしない上に、滅茶苦茶なことをするトニルトスは問題だが、それでもある意味では楽しい。
 家族とは、それぞれが補い合いながら時間を掛けて作り上げていくものだ。それは、夫婦にも同じことが言える。
トニルトスが暴走したせいで騒がしかったキャンプだが、これが二人の思い出になればいい、とマサヨシは思った。
 やはり、カイルに少し妬けた。




 二人の乗ったシャトルは、アステロイドベルトを離脱した。
 眼下に広がる小惑星群が、徐々に離れていく。メインスクリーンに広がる映像の奥に、小さな地球が浮かぶ。
遠い過去には青い宝石だと称されていた惑星も、今はただの赤い砂の球体だ。火星の方が、余程青い宝石だ。
旧人類の遺産は、汚染された環境と膨大な化学物質だけだ。それでも、地球そのものは宇宙に浮かばせてある。
穢れた過去を清算するために、地球破壊作戦が立案された時もあったが、それが実行されることはなかった。
 新人類と言えど、元々は地球から生まれ出た生物なのだ。どれほど穢れていたとしても、故郷が恋しくなるのだ。
そんなことを考えながら、カイルは操縦席に身を預けていた。地球に接近するまでの間は、自動操縦にしてある。
傍らでは、リリアンヌがホログラフィーのキーボードを叩いていた。窺うと、何かの情報を整理しているようだった。

「リリアンヌさん。それはなんですか?」

「報告書だ」

「ここまで来て仕事なんてしなくていいじゃないですか。それに、僕達は調査員でもなんでもないんですから」

「貴様はそうだが、私はそうでもないのだ」

 リリアンヌはキーボードの上で踊っていた指先を止め、カイルの前にホログラフィーを映し出した。

「我が母星、ドラコネムと惑星プラトゥムとは国交があってな。その関係で、ある者を病棟に匿っていたのだが」

「これって、ミイムさんじゃないですか」

 カイルはホログラフィーの中で微笑んでいる美少女の如き少年を指し、困惑した。

「でも、彼はちゃんとあのコロニーにいましたよ? まさか、リリアンヌ号から逃亡したってことですか?」

「いや、違う。リリアンヌ号に匿っているのは、もう一人の方だ」 

 リリアンヌは操作し、ホログラフィーを切り替えた。笑顔を浮かべる皇太子から、強張った顔の側近に変わる。

「コルリス公国の第一皇位継承者、レギーナ皇太子の側近、ルルススだ」

「側近、ってそんな方がいらっしゃったんですか? 僕は今の今まで知りませんでしたけど」

「コルリス帝国の皇族は色々と厄介な一族だからな、貴様が存ぜぬとも無理はない。レギーナ皇太子は皇帝暗殺の罪で処刑されるはずだったが、逃亡し、それ以降は行方不明になっている。そこでコルリス公国はレギーナ皇太子を逮捕するべく大規模な捜査を行っていたが、発見されたのは側近のルルススだけだった。しかし、ルルススがコルリス公国に発見されたと解れば、レギーナ皇太子が逃亡する可能性がある。そこで、コルリス公国の次期皇帝であるフォルテ皇女殿下は、私と愚弟に密命を下した」

 リリアンヌはモニターの端に映るアステロイドベルトを見据え、目を細めた。

「レギーナと思しきクニクルス族を発見次第、接触し、偵察せよ、とな。愚弟があの少年に皇位継承者であることを示す宝石を渡したが、反応が妙だった。レギーナはそれを受け取っても戸惑うどころか、敬ってきた。恐らく、何らかの原因でレギーナは自分をルルススだと思い込んでいるに違いない。しかし、そうだとすると引っ掛かるな。ミイムと名乗る少年の尾は短かった。ミイムがレギーナであるとするならば、尾は長いはずなのだが」

「だったら、リリアンヌ号にいる方がレギーナ皇太子なんじゃないですか?」

「いや、それはない。ルルススの尾もまた、短かったのだ」

「なんだか、ややこしいことになっていますね」

 渋い顔をしたカイルに、リリアンヌはうっすらを笑みを見せた。

「だが、これはこれで良い暇潰しになりそうだ。この旅行が終わり次第、フォルテ皇女殿下に報告するとしよう」

「なんでですか?」

「それは、解り切ったことだろうが」

 リリアンヌは言葉を濁し、目線を彷徨わせた。その様にカイルはにやけてしまったが、茶化さないことにした。
あのコロニーでのキャンプで、リリアンヌの様々な表情を見た。これからも、もっと沢山表情を見せてくれるだろう。
結婚したおかげで、リリアンヌの性格も掴めてきた。そして、意外にも多くの表情を持っていることも解ってきた。
焦らずに時間を掛けて接すれば、彼女の心は解けていくだろう。気難しいが、だからこそ付き合っていて楽しい。
カイルとリリアンヌの休暇は、まだ二週間以上も残っている。その間、ずっと二人きりで太陽系を見て回るのだ。
だが、本音を言えばどこでも良かった。リリアンヌと一緒にいられるだけで、カイルの心は満たされ、幸せになる。
 カイルは、リリアンヌの整った横顔を見つめた。リリアンヌと目が合ったが、彼女は慌ててカイルから目を背けた。
それさえも愛おしくて、カイルは胸が詰まった。今度はキャンプと言わず、様々なことをリリアンヌと経験していこう。
 これからが、結婚生活の本番なのだから。







08 6/9