アステロイド家族




狂おしき聖戦



 いざ、立ち上がる時。


 息苦しい夜だった。
 曖昧な意識の中で見た夢は、過去の出来事だった。どれもが朧だったが、それでも充分苦しみを与えてくれた。
頭が痛い。胸が苦しい。暗い部屋で横たわっていると恐怖に支配されそうになってしまうので、ベランダに出た。
物干し場も兼ねている広いベランダは夜風が通り、火照った頬を冷ましてくれるが、恐怖は紛れてくれなかった。
 ピンクの髪が揺れ、白い毛に覆われた長い耳が無意識のうちに動く。窓に映る自分は、驚くほど主に似ている。
当然だ。側近は皇族と同じ血を持って生まれた存在なのだから、似ていない方がおかしい。だが、別物なのだ。
皇族と側近は、生まれ出た時点で区別される。乳母に預けられ、尾を切られ、忠実なる下僕への道を歩むのだ。
それで満足していたし、皇族と肩を並べて生きられることに誇りを持っていた。だが今は、主の傍から離れている。
このまま見つからなければ、と考えることもあった。だが、ルルススではない人生を歩むことは決して許されない。
 ミイムとしての生活は、あくまでも一時的なものだ。ハルの母親役として振る舞っているのは、演技に過ぎない。
彼らとの生活はとても楽しいが、いつか去らなければならない。だから、いつでもここから去る覚悟は決めていた。

「う…」

 なのに、思いばかりが募っていく。ミイムはベランダの手すりに縋り、膝を折った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、レギーナ様…」

 ぼたぼたと涙を落としながら、ミイムは唇を噛み締めた。レギーナを探しに行くために、生き延びたはずなのに。
それなのに、宿り木から離れられない。なんて弱い心だ。なんて薄っぺらい忠誠心だ。それでも皇族の側近か。
己を奮い立てようとしても、戦意が湧かない。穏やかな時間に浸るうちに心は弛緩し、現実から逃げ出していた。

「今、ルルススが参ります」

 心とは違う、何かがざわめく。超能力を有して生まれてくるクニクルス族が持ち得ている、超常的な感覚だった。
だが、未来を予測出来るわけではない。物事を見通せるわけでもない。精神を逆撫でする、嫌なだけの感覚だ。
しかし、それだけでも充分すぎるほどだった。鉛のような苦い予感に胸が潰されるのと同時に、主の気配を感じる。
それはとてつもなく遠い場所だが、ミイムにははっきりと解る。きっと、リリアンヌ号から脱出してきたに違いない。

「ごめんなさい…」

 ミイムは部屋に戻ると、マサヨシの工具箱から持ち出したレーザーカッターを左手首に当て、閃光を放った。

「ごめんなさい…ハルちゃん、パパさん…」

 閃光が断ち切った銀色のブレスレットが床に転げ落ちると、サイキックリミッターに抑えられていた力が蘇った。
サイコキネシスを放つと、サイキックリミッターは呆気なく潰れた。超能力が成長した手応えを、ありありと感じる。
これなら勝てるかもしれない。ミイムは首から提げているペンダントを握り締めると、唇を固く結び、窓に向いた。
 ベランダに出たミイムは、宙へと身を躍らせた。そして、サイコキネシスを放ち、自分自身の体を浮かばせた。
空中から家に振り返るが、誰も起きた気配はなかった。ガレージに住まう二体の機械生命体も、静まっている。
ミイムは自身を加速させ、カタパルトに向かった。目元から滲む涙を散らし、藍色の闇に包まれた世界に消えた。
 聖戦へ赴くために。




 太陽系標準時刻に換算して、半年前。
 ミイム、もとい、ルルススは惑星プラトゥムのコルリス帝国にて、第一皇位継承者であるレギーナに仕えていた。
生まれた時から、ルルススはレギーナの半身だった。レギーナを支え、補い、連れ添うことが生きる意義だった。
 レギーナは第一皇太子であると同時に帝国の所有する軍の指揮権も与えられ、国防の第一線を担っていた。
それは皇帝でありレギーナの母であるペルフェクトゥス十二世が命じたことであり、また皇太子の使命でもあった。
 コルリス帝国は君主制国家であり、独裁政権だ。故に、第一皇太子のレギーナは世継ぎとして最有力だった。
第二皇位継承者であり第一皇女であるフォルテも多少は有力視されていたが、レギーナが死ななければ無理だ。
 本来クニクルス族は女系だが、レギーナは特別だった。クニクルス族の男子にしては珍しく、政治に長けていた。
屈強な体躯に比例した指導力を持つ皇女に比べ、見た目だけが美しい皇太子は、通常なら単なるお飾りになる。
もしくは、近隣諸国を抱き込むための政治の道具として政略結婚させるぐらいしか、使い道がない人材だった。
だが、レギーナは皇帝を唸らせるほどの類い希なる才能を発揮して、帝国軍の最高指揮権を得るほどになった。
それ自体も皇族の歴史から見ればかなり奇異な出来事だったが、それだけ皇帝はレギーナに目を掛けていた。
 よって、レギーナが皇帝になることは誰の目にも明らかだった。


 皇居のレギーナの自室で、ルルススは仕事に励んでいた。
 連日の軍務で疲れ果てているのか、レギーナは部屋に戻るやいなや人払いをし、ベッドに潜り込んでしまった。
ルルススは主の眠りを妨げないために従者達に出払わせてから、レギーナが床に脱ぎ捨てた軍服を拾い集めた。
最高司令官の階級章と金色の房が付いた肩を整え、多数の勲章が付いた胸元を撫で付けたがシワは消えない。
長時間、着込んでいたせいだろう。軍服の下に着ていたシャツにも汚れが目立っており、軍務の激しさが解った。
 それは仕方ないことだった。このセンティーレ星系に向けて侵攻する、正体不明の宇宙船が発見されたからだ。
救難信号を発しているためにコルリス帝国が偵察艇を出して連絡を取ろうとしたが、相手の宇宙船に撃墜された。
通信で呼び掛けても反応せず、船籍を調べても宇宙連邦政府のデータベース内にはなく、正体は判明しなかった。
 近隣の惑星で、最も強大な軍事力を保有しているのはコルリス帝国だ。故に、星間防衛の最前線も担っている。
そのため、帝国軍の戦力の大部分は宇宙に駐留しており、レギーナもここ数週間はずっと宇宙で指揮をしていた。
ルルススもレギーナの世話をするために宇宙基地に滞在していたが、その間、彼が休む暇はほとんどなかった。
今回は公務のために地上に戻ってきただけで、休暇ではない。だから、彼を長く寝かせているわけにもいかない。
ルルススは心苦しさを感じたが、公務に支障を来すわけにはいかない。寝室の扉をノックして、主に呼び掛けた。

「レギーナ様、ルルススです」

 だが、返事はない。ルルススは再度ノックしてから、扉を開けた。

「そろそろ起きて頂きませんと、御公務に間に合いませんよ」

 ルルススが寝室に入ると、レギーナは眠ってはいなかった。下着同然の姿で、ベッドの上で身を丸めていた。
長く艶やかなピンク色の髪が散らばり、毛並みの良い長い尾がだらしなく垂れ下がり、白い耳が伏せられていた。

「レギーナ様?」

 ルルススは扉を閉めてからベッドに近付くと、レギーナは柔らかな枕に頭を埋めた。

「もう少し、こうさせておいて」

「レギーナ様。ですが、この後は元老院との会議が」

「そんなもの、フォルテにやらせればいい」

「ですが、フォルテ様は国境防衛基地の視察に赴いておりますので不在です」

「もう少しでいいから、そっとしておいてくれ」

 レギーナは華奢な肩を縮め、背を丸める。

「凄く眠たいのに、ちっとも眠れないんだ。疲れているのに、気が休まらないんだ」

「レギーナ様」

 ルルススは天蓋の付いた広いベッドに腰を下ろすと、レギーナの傍に寄り添った。

「でしたら、もうしばらくだけお許しいたします。その間、少しでもよろしいですからお眠り下さいませ」

「なあ、ルルスス」

 枕から顔を上げたレギーナは、自分と全く同じ顔の側近を見上げた。

「はい?」

 ルルススが問い返すと、レギーナは金色の瞳を僅かに細めた。

「例の宇宙船の正体、何だと思う?」

「ボクには解りかねます。レギーナ様がお解りにならないのでしたら、ボクにはとても察しが付きません」

「いや、大体でいいんだ」

「そうですね…」

 ルルススは、高い天井に合わせた縦長の窓から差し込む弱い風を受けながら、答えた。

「救難信号を発しているというのに、我が軍の偵察艇を撃墜した時点で奇妙です。それに、宇宙連邦政府に船籍が登録されていないなんて、余程の辺境からやってきた船か、或いは未知の侵略者でしょう。ですが、辺境からやってきた船だとしたら、なぜ救難信号以外の波長の通信を発しないのでしょう。侵略者だとしたら、なぜ奇襲を仕掛けないのでしょう。どちらにも取れますが、どちらとも付きません。いずれにせよ、更なる調査を進めないことには」

「だな」

 レギーナはごろりと仰向けになり、深呼吸して薄い胸元を上下させた。

「僕としては、前者であると願いたいよ。これまで、僕は他国の侵略と征服を行ってきたけど、宇宙規模でやったことはないから。地上戦は簡単なんだ。相手の裏を掻いて行動し、戦闘を迅速に行いさえすれば、空爆されようが奇襲されようが内通されようが対処出来る。でも、相手が未知の生命体となると、そうもいかないだろ?」

「それは、歴代の皇帝陛下がされたようになされば良いのです」

「問答無用の強襲か?」

「攻撃こそが最大の防御と申します」

「だが、そんなことをしたせいで、いくつの惑星と敵対したと思っている?」

「ですが、そのたびに我が国は勝利を収めて参りました」

「そして、領土を広げ、植民地を作り、原住民族を蹂躙して繁栄してきた、だろ?」

「若干お言葉が汚いですが、その通りです」

「僕は、そういうのはあまり趣味じゃないんだ」

 レギーナは窓の向こうに見える帝都のビル群を見つめ、ため息を零した。

「母上に気に入られて上に行けば、それ以外の手段に出来ると思ったんだけど、見当違いだったかなぁ」

「武力に頼らない政治をなさりたいのですか?」

「本音を言えばね。でも、僕がそう言ったってこと、誰にも言うなよ」

「承知しております」

 ルルススは、うやうやしく頭を下げた。レギーナはルルススの手を引っ張り、笑んだ。

「ルルスス、来いよ」

「ですが、レギーナ様」

 ルルススが躊躇うと、レギーナはルルススの腕を強く引き、ベッドの中に倒れ込ませた。

「レギーナ様…」

 ルルススは身を起こそうとしたが、レギーナの腕に阻まれた。自分のそれと全く同じ、細い腕が背中に回される。
レギーナはルルススの肩に頭を埋めて、顔を伏せた。ルルススはレギーナを押し返そうとしたが、出来なかった。
同い年の主は、かすかに震えていた。唇を噛み締めて必死に声を殺していたが、熱い水滴が肩に染みてきた。
ルルススは時計を見やり、次の公務までの時間を確かめてから、レギーナの二次性徴途中の体を抱き締めた。
 クニクルス族の少年としては、元々小柄な方だった。皇女のフォルテに比べて、レギーナは内向的だったからだ。
皇族の嗜みとして武道を習得し、運動も得意な方なのだが、レギーナは部屋で大人しくしている方が好きだった。
ルルススと一緒になって料理をしたり、絵を描いたり、貴族の子供達と遊んでいた頃の彼は生き生きとしていた。
だが、今は違う。激務に次ぐ激務でただでさえ細い体は細り、戦いに次ぐ戦いで明るい笑顔は消える一方だった。
 それでも、レギーナは戦わねばならない。それが第一皇位継承者としての、未来の皇帝としての役割だからだ。
今から戦果を収めておかなければ、いずれ皇帝になった時に元老院や上位貴族達からの支持が得られなくなる。
そうなれば、国民も支持しない。強くない皇帝など皇帝ではない。だから、レギーナは強くならなければならない。

「ルルスス…」

 レギーナは切なげに眉根を顰め、ルルススの頬に白い手を当てた。

「今、僕が死んだら、ルルススはどうなるんだろうな」

「そのようなことを、仰らないで下さい」

 レギーナの手に自分の手を重ね、ルルススはレギーナと見つめ合う。

「レギーナ様は死なせません。ボクはレギーナ様をお守りするために生まれてきたのですから」

 そのためになら、この命など捨てられる。ルルススはレギーナを柔らかく抱き締めると、長い髪に頬を寄せた。
レギーナはルルススの胸に縋って、嗚咽を漏らした。レギーナの華奢な肩には、今、惑星全体が任されている。
そして、引いてはこの星系全ての平和を守らなければならない。皇帝が第一線を退いている以上、仕方なかった。
 皇帝であるペルフェクトゥス十二世は去年から病床に伏し、ありとあらゆる治療を受けたが回復していなかった。
皇族特有の遺伝性の病気で、様々な科学技術が飛躍的に発展した現代に置いても、治療不可能な難病だった。
最初は体の筋力が失われ、次に神経組織が鈍り、最終的には脳が働かなくなり、死ぬまで肉人形と化してしまう。
皇族の遺伝子の欠陥は発見されたものの、それを修復するための手立ては未だになく、病に冒されるがままだ。
 現在、ペルフェクトゥス十二世は脳の機能こそ保たれているが、自力での歩行は困難になりほとんど寝たきりだ。
ペルフェクトゥス十二世は、レギーナに最大限の期待を掛けていた。皇太子がそれに応えないわけにはいかない。
今回の宇宙船との戦いに勝つことは、最初から定められていた。皇帝のためにも、負けることは許されなかった。
皇族や元老院や貴族だけでなく、国民全体もそれを願っていた。レギーナの肩には、それらの重圧も募っていた。

「僕、消えちゃいたいよ」

 レギーナはルルススの胸の中で目を閉じ、苦しみを吐露した。

「でも、もう、無理なんだ。明日は、フォンス王国に出撃しないといけないしね」

「ラーナ族の長でありフォンス王国の国王は、レギーナ様の提示した最後通牒を拒否しました。当然のことです」

 ルルススはレギーナのピンクの長い髪を、緩やかに指で梳いた。

「どうか、躊躇いませぬよう。惑星全土を統一してこそ、真の平和が成せるのですから」

「ありがとう、ルルスス。おかげで、大分気分が直ったよ」

 レギーナはルルススの胸から顔を上げると、柔らかな笑みを見せた。

「さて、そろそろ準備を始めないとな。少し腹も減ったから、何か作ってくれ。それから着替えをするよ」

「はい、レギーナ様」

 ルルススはベッドから起き上がり、深々と礼をした。レギーナはルルススの差し出したシャツを取り、袖を通す。

「頭が働くように、うんと甘いやつがいいな」

「はい、承知いたしました」

 ルルススは少々乱れてしまった服を直して、寝室を後にした。背中で扉を閉め、彼の涙が染みた胸に触れた。
レギーナの笑顔は、強張っていた。レギーナは皇帝のやり方をなぞっているが、それは決して彼の本意ではない。
 コルリス帝国が何度も行った統一戦争という名の侵略戦争は、自国民だけでなく相手の国民も犠牲にしてきた。
コルリス帝国は惑星統一を行うことこそが世界平和をもたらすと宣言を掲げ、そのためには手段を選ばなかった。
だが、世界平和など建前だった。以前の皇族を排除して成り上がった皇族であるが故に、不安に駆られていた。
 自分達がしたように、いつ皇族の座を追われるか解らない。少しでも皇族を脅かしかねない者達は、殺していく。
それは自国内だけでなく、他国にも及んでいた。それを三百年以上も続けたため、国土は惑星随一になっていた。
皇族に仇成す者達を排除したはいいが、すればするほどに敵が増えていき、コルリス帝国を憎む者は多かった。
星間防衛の役割も、他国から頼られているからではなく、惑星を守る盾にさせるためだけに押し付けられたのだ。
だから、あの宇宙船との戦いに勝利しなければコルリス帝国は他国から攻め入られ、大規模な戦争に陥るだろう。
これまで諸国から奪い取った資源や食糧や領土を奪い返されるだけでなく、国土が戦火に焼き尽くされるだろう。
 今、レギーナは折れることは出来ない。レギーナが立っていなければ、コルリス帝国はおろかこの星系も危うい。
ルルススに出来ることは、レギーナを支えることだけだ。ルルススは側近であり、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、正直な話、不安だった。皇族と言えど年相応に繊細な少年であるレギーナの心は、押し潰されかけていた。
 なんとかして、守ってやりたかった。







08 6/11