翌日。ルルススはレギーナと共に、フォンス王国との国境付近の戦地に出撃した。 巨大な空中戦艦に搭乗して、メインブリッジのモニターに映し出された地上を見下ろす。既に戦備は整っている。 広い平地には十万の歩兵と二百の戦車が並び、そして上空には母艦を含めた五基の空中母艦が待機している。 対するフォンス王国軍は三万の歩兵と五十の戦車しか前線に出していなかったが、後方には砲台が控えている。 だが、あくまでも時間稼ぎに過ぎない。消耗したら、撤退に見せ掛けてフォンス王国の有利な海戦に誘うつもりだ。 過去の戦いでは、その誘いに乗って大敗したこともある。しかし、フォンス王国と交戦するのはこれで四度目だ。 今更、そんな古い手には乗らない。だが、敵も学習しているはずだ。ルルススは、レギーナの采配を待っていた。 ブリッジ中央の司令席に座っていた軍服姿のレギーナは、ふと、頭上を仰いだ。そして、オペレーターに命じた。 「フォンス王国軍の対地攻撃衛星の位置は」 「二時間後に現在地と重なります」 オペレーターの一人が、素早く返答する。レギーナは、細い眉根を曲げる。 「宇宙軍に命令だ。衛星軌道上のスペースデブリとフォンス王国軍の人工衛星が重なった瞬間に狙撃し、破壊しろと伝えろ。重ならなかったら、無理に押して重ならせてでも破壊しろ。そうすれば、多少の言い訳も出来る」 「了解しました、殿下」 オペレーターは手早く操作し、暗号回線で衛星軌道上に駐留している帝国宇宙軍にレギーナに命令を伝えた。 「ルルススはどう思う」 レギーナは険しい眼差しを、傍らのルルススに向けた。 「恐らく、レギーナ様の読み通りかと」 「だが、それだけではダメなんだ。もう一つ、罠を仕掛けてくるはずだ。奴らは水棲種族だからな、やり方も湿っぽくて粘っこい。まだ見落としている点があるかもしれない」 「でしたら、煽り立ててみてはいかがでしょうか」 「いや、持久戦に持ち込む。兵力だけはこちらが勝っているからな」 「ですが、それでは…」 「案ずるな、ただの消耗戦になどしないさ。フォンス王国は元々貧しい国だから人も金も足りないんだ、ここで戦争をするからには王都は手薄になっているに違いない。そこを第二宇宙軍に叩かせる」 「フォルテ様にお任せする、ということですか?」 「そうだ」 レギーナの言葉は短く、また鋭かった。 「殲滅戦に掛けては、フォルテの方が上だからな」 フォンス王国が降伏しなければ、征服するつもりだ。ルルススはレギーナから感じるかすかな思念で、理解した。 どちらもまだ発情期を迎えていないので超能力の覚醒には至っていないが、その片鱗はどちらも現れ始めていた。 レギーナの心とルルススの心が、繋がり合うようになっていた。それは特異なことではなく、割とよくあることだった。 一卵性の兄弟は、生まれつき僅かばかりのテレパスを持っている。だが、成長しなければその力は強まらない。 それが強まりつつあると言うことは、二人の成長を示した。喜ばしいことである反面、新たな苦悩も生まれていた。 元々勘の良いレギーナは超能力が発現してない状態でも他者の思念を感じ取り、深く思い悩むようになっていた。 レギーナが垣間見せる苦悩の中に、皇帝のこともあった。ここまで来て、皇帝はフォルテを選ぶ可能性があった。 コルリス帝国の皇帝は、代々女性である。男の皇帝も数人はいたが単なる繋ぎでしかなく、すぐに暗殺された。 戦果を上げ、星間防衛も担い、国政にも携わっているレギーナに比べ、フォルテは最前線に出ようとしなかった。 華やかな舞台で活躍するレギーナとは違って、フォルテは視察だと言って暇さえあれば国内を見て回っていた。 その際に地方を収める貴族の政治に口を出し、場合によっては貴族から爵位を奪うので貴族の評判は悪かった。 だが、兵の士気を挙げることに掛けてはレギーナよりも優れており、兵士にはフォルテの評価はかなり高かった。 そして、国民の意見もフォルテに傾きつつあった。やはり、最終的は伝統に則った女帝が相応しいのでは、と。 レギーナは表面的にはそれらを聞き流していたが、人知れず涙を流していることを、ルルススだけは知っていた。 けれど、何も出来なかった。 フォンス王国との戦いで、コルリス帝国軍は勝利を収めた。 そして、また新たに領土を広げた。レギーナの読み通りに、フォンス王国軍は幾重にも罠を張り巡らせていた。 だが、それを叩いたのはフォルテ率いる第二宇宙軍であり、実質的に戦果を上げたのはフォルテの方になった。 実際、フォルテの活躍は目覚ましかった。最前線に自身で繰り出して、兵の士気を高めたのも素晴らしかった。 レギーナは後方支援に終始し、フォンス王国軍の将軍を討ち取ることも、国王を降伏させたのもフォルテだった。 これでまた、フォルテの評価は上がることだろう。規模こそ今までよりも小さかったが、戦いは迅速に終わった。 ともすれば、元老院や貴族も見方を変える。そうなれば、彼女らも次期皇帝にはフォルテを支持するかもしれない。 これが懸念で終われば良かったのだが、予想は覆されることはなく、帝国内の世論はフォルテに傾いていった。 一度傾き始めると、止める術はなかった。これまでレギーナを支持していた者達も、次々に手のひらを返していく。 所詮、クニクルス族に置いての男の立場など弱い。子孫を産める上に労働力である女に比べ、男は脆弱だ。 外見はとても美しい一方で力はなく、子種を落とす以外の役割はないのだ。レギーナも、昔はそう思われていた。 だからこそ努力を重ね、出たくもない戦争に出て、皆を見返してきた。しかし、その努力もこの戦いで蹂躙された。 その日。レギーナはろくに夕食も摂らずに自室に籠もり、虚ろな目をして、煌びやかな帝都を見下ろしていた。 惑星プラトゥムでも随一の都市である帝都には天を突くほどの高さのビルが連なり、それぞれが光を放っていた。 「ルルスス」 「はい」 名を呼ばれたルルススは、窓に寄り掛かるレギーナに添った。 「母上が、僕を星間防衛から外すと仰った」 「…まさか」 ルルススは、浅く息を飲んだ。レギーナの横顔からは表情が消え、乾いた唇が動くだけだった。 「いつまでもあの宇宙船を攻撃しないから、だそうだ。無理を言うよ、地上戦に出ろって言ったのは母上なのに。僕の体は一つしかありません、って言い返してやったら、大して重要でもない星間防衛はルルススに押し付けておけばいい、そのための側近だ、って言ってさ。それでルルススが死んだらどうするんだ、って聞いたら、クローニングすればいい、なんて。我が母上ながら、寒気がするよ」 「それで、皇帝陛下は」 「ああ。僕が口答えしたのが余程気に入らなかったみたいで、その場でフォルテが呼び付けられた」 「フォルテ様は」 「躊躇いもなく即答しやがったよ、あいつ。いつもは僕の後ろに引っ込んでるくせに、おいしいところはきっちり攫っていくんだもん。そんなのって、ないよな」 「レギーナ様…」 ルルススがレギーナに寄り添うと、レギーナはルルススの腰に腕を回して抱き寄せた。 「いいよ、慰めてくれなくて。どうせ、そうなるだろうとは思っていたし」 「何があろうとも、ルルススはレギーナ様のお側におります」 「ルルスス。君がいてくれるから、僕はまだ息をしていられるんだ」 レギーナはルルススを見上げ、涙を滲ませながらも無理矢理笑みを作った。 「ルルススがいてくれなかったら、僕はとっくに折れていた。ルルススが傍にいてくれるから、なんとかやっていけた。なのに、母上は、ルルススを僕から外すとも仰った」 「それは有り得ません、レギーナ様。ボクは、御身が傷付かれた場合の代えとなるためにいるのですから」 「フォルテが欲しいと言ったんだ。ルルススは僕なんかには勿体ないって。馬鹿にしてるよ、妹のくせに。ルルススは僕の物なのに、僕はルルススがいないとダメだってことを知っているくせに」 レギーナはルルススの服を握り締め、肩を震わせる。 「ルルスス、僕を殺しておくれ。母上とフォルテを、殺さないために」 「それはレギーナ様の命令とあろうとも、聞けません」 「じゃあ、眠らせて。そうじゃないと、頭がおかしくなっちゃいそうなんだ」 「承知いたしました」 ルルススは壊れ物を扱うかのような手付きで、レギーナを抱き寄せた。レギーナの体は、また痩せ細っていた。 力を込めれば、簡単に折れてしまいそうだった。だが、仕事が減るのは良いことかもしれない、と思ってもいた。 星間防衛から外されて、皇帝の座に付くこともなくなれば、レギーナは苦しい戦いに明け暮れることもなくなる。 戦地に出なければ、殺したくもない者達を殺さなくても済む。レギーナの心を支配する苦しみが、少しは和らぐ。 政略結婚に送り出されてもいい。皇族としての地位を失ってもいい。ただ、主には穏やかに生きてほしかった。 心身の疲労と悲しさからなかなか寝付けないレギーナを眠らせるため、ルルススはレギーナに薬湯を入れた。 だが、それもまともに飲もうとしなかったので、少々強引ではあったが口移しで飲ませるとやっと眠ってくれた。 レギーナの寝顔を見ていると、ルルススは幼かった頃を思い出した。初めて引き合わされたのは、五歳の時だ。 全く同じ顔をしているが、全く違う表情の少年だった。ルルススを育ててくれた乳母は、ルルススの主だと言った。 ルルススには、その意味はすぐには解らなかった。子供だった頃は、自分の運命などろくに知らなかったからだ。 だが、時が経つに連れて理解した。ルルススはレギーナのために生まれ、レギーナのために死んでいくのだと。 だから、皇帝とフォルテが許せなかった。ルルススの忠誠心を踏み躙って、レギーナを傷付けようとしているのだ。 レギーナに皇帝の座を諦めさせるために、その心を砕こうとしている。このままでは、いずれ本当に彼は壊れる。 それだけは、阻止したかった。 ルルススが目を覚ますと、レギーナの姿が消えていた。 口移しで飲ませた薬湯が自分にも効いてしまったらしく、いつのまにかルルススは眠りに落ちてしまっていた。 側近失格だ、と思いながら体を起こしたが、眠気は濃く残っていた。ここ最近、ルルススも多忙だったせいだろう。 薬による浅い眠りだったので重たい疲労が抜けきっておらず、気怠かったが、レギーナを探しに行かなくては。 部屋を見回してみるが、主の影も形もない。居間にもおらず、衣装部屋にも姿はなく、ベランダにもいなかった。 部屋を出て衛兵に問いただすと、レギーナは先に出ていったのだという。ルルススの胸中に、嫌な予感が走った。 どうか思い止まっていてくれ。そう願いながら回廊を駆け抜けて、ルルススは一直線に皇帝の部屋に向かった。 ここにいないでくれ。思い過ごしであってくれ。ルルススは息を荒げつつ、皇帝の一際大きな部屋の前で止まった。 だが、衛兵は立っていなかった。それを疑問に思いながら煌びやかな装飾が施された扉に手を掛け、硬直した。 扉の隙間から流れた空気の中に、戦場で感じた匂いが混じっていたからだ。躊躇いを振り払い、扉を開け放った。 「失礼いたします、皇帝陛下!」 「ルルスス…」 寝室に繋がる扉に寄り掛かり、寝間着姿のレギーナが泣いていた。華奢な両手は、赤黒く濡れている。 「どうしよう、僕、僕…」 「レギーナ様!」 ルルススがレギーナに駆け寄ると、レギーナは返り血の染み込んだ寝間着を見下ろし、震えた。 「解らないんだ…。気付いたら、母上の部屋にいて、そしたら、母上が、母上が…」 ルルススはレギーナを抱き締めて支えてやりながら、皇帝の寝室を覗いた。主の手と同じ色が、広がっていた。 大きなベッドに横たわっている皇帝の胸元には、皇族が護身用として携えているナイフが深々と突き刺さっていた。 病に痩せ衰えた腕は虚空を掴もうとしたのか、奇妙な形に開いている。寝間着は乱れ、布団は赤く濡れている。 確認するまでもなく、皇帝は絶命していた。レギーナは血に汚れた手でルルススに縋り、子供のように泣き喚いた。 「どうしよう、どうしよう、ルルススぅ! 僕、母上を殺してなんかいない! 目が覚めたら、そこで母上が死んでいたんだ! お願い、信じてよ、ねえルルスス!」 「兄上!」 レギーナの悲痛な泣き声を、猛々しい叫びが遮った。ルルススが振り返ると、側近を従えた皇女が立っていた。 レギーナの倍近くはある体躯。君主に相応しい威圧感。水色の長い髪は三つ編みにして、背中に垂らしている。 分厚い筋肉と太い骨格が頑丈な肉体を作り上げ、タイトスカートの下からは皇族の証である長い尾が伸びていた。 「フォルテ様」 ルルススはレギーナを庇うが、フォルテは足早にレギーナに近寄って襟首を掴み、ルルススから引き剥がした。 「母上を殺めたのですか、兄上!」 「違う…違うよ…僕じゃない…」 レギーナは涙を零しながら首を横に振るが、フォルテは信用しようとすらしなかった。 「ならば、その血はなんだと仰いますか! 兄上が母上のお側から衛兵を遠ざけたと聞いて駆け付けてみましたが、まさかそのようなことをなさるとは!」 噛み付かんばかりの勢いのフォルテを、ルルススはレギーナから引き離した。 「陛下の御前です、フォルテ様」 「ルルススぅ…」 まだらに血を吸い込んだ分厚い絨毯に倒れ込んだレギーナは、しゃくり上げながら、妹と側近を仰ぎ見た。 「兄上には、明朝、御自分の罪に相応しい罰を差し上げます」 フォルテは悔しげだったが、マントを翻して足早に部屋を出た。トリアもその後を追い、すぐに兵士を呼び付けた。 この様子だと、五分もしないで兵士は集まるだろう。そうなれば皇居から脱するのは難しい、とルルススは思った。 「お願い、僕を信じて」 レギーナはルルススの足にしがみ付き、項垂れた。ルルススは、レギーナの濡れた頬を拭った。 「信じております、レギーナ様」 ルルススはショックのあまりに足腰の立たないレギーナを横抱きに持ち上げると、集まってきた兵士に囲まれた。 彼らは一斉に銃口を向けてきたが、ルルススは主を傷付けないために抵抗しないと宣言して、床に膝を付いた。 そして、ルルススはレギーナと共に拘束され、フォルテの命令で皇居の地下に造られた牢獄に押し込められた。 投獄された後、レギーナはずっと泣いていた。哀れに思えるほど激しく震えながら、止めどなく涙を流していた。 ルルススはレギーナを抱き締めて落ち着かせてやりながら、これから自分に何が出来るか、懸命に考えていた。 真実を明らかにし、嫌疑を晴らさなければならない。だが、フォルテのあの様子では、夜が明け次第殺すだろう。 しかし、手近な基地から宇宙戦闘艇を奪っても長距離航行も出来ず、近隣の惑星には逃げ込むのは危険だ。 亡命したところで、逆に人質に取られてコルリス帝国が揺さぶられてしまう。そうなれば、事が荒立つばかりだ。 かといって、どこに行く当てもない。レギーナを慕う部下達もいるが、フォルテの軍勢には量も質も敵わなかった。 それに、フォルテを殺しても始まらない。ますます混沌とするだけだ。どうすればいい、どう動けば主が助かる。 「ねえ」 泣き濡れた瞳を上げたレギーナは、嗄れた声を零した。 「ルルススは、僕と一緒に死ななくてもいいよ」 「何を仰います、レギーナ様」 ルルススが戸惑うと、レギーナは赤く腫れた目元を拭った。 「僕は、ルルススが好きなんだ。だから、僕なんかのために死んでほしくない。どうか、生きてくれ」 「いけません、そのようなことを、仰っては…」 ルルススは首を何度も横に振り、レギーナの前に崩れ落ちた。それはこちらも同じだ。主従を超えて愛している。 同じ遺伝子を持ち、同じ顔をしながらも、平行して交わることのない運命に据えられた者同士、支え合ってきた。 片方が欠けたら意味がない。レギーナが光であり、ルルススが影である以上、どちらかが欠けたら成立しない。 レギーナを守るため、ルルススは死ぬわけにはいかない。ルルススを生かすため、レギーナは死のうとしている。 そのどちらも互いへの愛だと解っているから、顔を上げられなかった。主が愛してくれていることが、嬉しかった。 泣き伏せるルルススを、レギーナは撫でてくれた。いつもルルススがレギーナにしているように、慈しんでくれた。 それがたまらなく嬉しくて、ルルススは尚更泣けてきた。だが、レギーナの頼りないほど細い手は、鉄錆臭かった。 冷ややかな指先の感触を味わいながら、ルルススは強く誓った。主の手を清めなければ、死ぬことは許されない。 正義のために、戦わなければ。 08 6/12 |