少年は、微笑みながら息絶えた。 美貌の少年の浅い息は余韻も残さずに途切れ、だらりと首を横たえ、みるみるうちに顔色は白くなっていった。 ミイムは、いや、レギーナはかたかたと震えているだけだった。片割れであり従者である兄弟を、見つめている。 マサヨシは今にも気を失ってしまいそうなレギーナを窺っていたが、視線に気付いて、フォルテに目を向けた。 フォルテは、目元に涙を滲ませていた。彫りが深く顎の太い顔を歪め、骨張った手を握り、歯を食い縛っていた。 兄が死んだから動揺するのは解るが、次期皇帝にあるまじき醜態だ。レギーナから聞いた印象とは正反対だ。 レギーナの話では、フォルテはレギーナを嵌めて皇帝を暗殺させただけでなく、己の軍を使って追い詰めてきた。 しかし、この顔を見る限り、フォルテは兄を謀った末に側近もろとも殺害を企てていた女だとは到底思えなかった。 「フォルテ皇女殿下であらせられますね」 マサヨシが口を開くと、フォルテは呼吸を整えてから第一公用語で話した。 「この星系の者だな。まず、名を名乗れ」 「マサヨシ・ムラタと申します、一介の傭兵です。俺とその家族は、現在レギーナ皇太子殿下と同居しております」 「兄上と?」 「はい。俺はレギーナ殿下から今回の背景を拝聴しましたが、それは事実とは若干異なっていたようですね」 「発言を許す。私は事実を知らなければならない」 「ありがたき幸せに存じます」 マサヨシは一礼してから、フォルテを見上げた。 「俺はこの星系のアステロイドベルトに浮かぶ廃棄コロニーに居を構え、現在船外で待機している機械生命体の仲間と共に宇宙海賊を討伐して生計を立てているのですが、太陽系標準時刻で三ヶ月ほど前にレギーナ皇太子殿下がコールドスリープされた状態で宇宙を漂っているところを発見し、回収したのです。当初はそのまま太陽系の軍に引き渡そうと思っていたのですが、何らかの事故でコールドスリープが解除されてしまい、レギーナ皇太子殿下はお目覚めになりました。レギーナ皇太子殿下はミイムという偽名を名乗り、素性を明かさずに俺達と共に生活するようになったのですが、発情期を迎えられた際に同時にサイコキネシス能力にも目覚められたのです。その騒動の後に、レギーナ皇太子殿下から太陽系に至るまでの経緯を拝聴したのですが、レギーナ皇太子殿下は御自分の正体をルルススだと仰り、フォルテ皇女殿下が皇帝陛下暗殺を企て、レギーナ皇太子殿下を謀って破滅に追い込んだのだと仰られました」 「兄上、それは誠ですか」 フォルテが問うと、レギーナは涙の筋をいくつも頬に伝わせながら頷いた。 「パパさんは、嘘は、付かないよ。ボクは、レギーナ様のためだけに生きてきたんだ」 「レギーナ皇太子殿下はフォルテ皇女殿下に復讐することだけを生き甲斐に長らえてこられたのですが、フォルテ皇女殿下の先程のご様子から察するに、フォルテ皇女殿下は、御自分の兄上を謀られるような御方ではないと感じたのですが」 マサヨシの言葉に、フォルテは肩を怒らせた。 「…当たり前だ。兄上は御立派な方だ、誰が謀ろうなどと思うものか!」 「だったら、どうして? どうしてボク達を追い詰めたの? なんでだよ、フォルテ! 答えろおっ!」 錯乱したレギーナがフォルテに掴み掛かりそうになったので、マサヨシはレギーナの体を後ろから抱え込んだ。 「今はまだ何もするな、しちゃいけない」 「うるさい、黙れっ! あなたが邪魔をしたから、ボクのルルススが死んだんだぁ! 死ねっ、死んでしまえっ!」 レギーナはマサヨシにサイコキネシスを放とうと力を高めたが、マサヨシはレギーナの頬を平手で殴り飛ばした。 「落ち着けっつってんだろうが!」 マサヨシはよろけたレギーナの腕を引っ張って、フォルテと強引に向き直らせた。 「よく考えてみろ、フォルテ皇女殿下は俺の船で乗り付けたお前をあっさり受け入れたんだぞ! フォルテ皇女殿下は、お前がいなくなったせいで国を全部任されてるんだぞ! そんな立場の輩が、兄妹だと名乗っただけの相手を受け入れるわけがねぇだろうが! 最初から、フォルテ皇女殿下はお前を許すつもりでここまで来たんだ! お前が早とちりして兵士を皆殺しにさえしなきゃ、こんなことにはならなかったかもしれねぇんだよ!」 「フォルテ…。違うって言ってよ、違うんだろ…? そんなわけないよ、だって、フォルテはボクが嫌いだから、ボクが疎ましいから、星間防衛から外した上にルルススを奪おうとしたんだろ?」 「その方の言う通りだ、兄上」 「じゃあ、ルルススが死んだのは、ボクのせいなの…?」 「私は誰も殺すつもりなどなかった! 増して、どちらも兄上なのです! 殺せるわけがありません!」 フォルテは血を吐くように叫び、レギーナに詰め寄る。 「帝都での戦いは、私が始めた戦いではありません! あれは母上が暗殺されたと知った他国が攻め入ってきたために、応戦していたまでのことです! その最中、兄上とルルススはいずこへと姿を消えてしまわれたのです!」 「嘘だっ、そんなの嘘だあっ!」 「私も嘘など吐きません! よく思い出して下さい、兄上! あの日、母上の部屋で何が起きたのか、私も調べ尽くしましたが真実が得られなかったのです! 真実を知っているのは、兄上かルルススだけなのです! だからこそ、私はドラコネムの者達にも協力を仰いで兄上達の行方を捜していたのです!」 「違う、ボクもルルススも母上を殺してなんかいないっ!」 「ならば、なぜ逃げられたのですか!」 フォルテはレギーナの肩を掴み、揺さぶる。レギーナはフォルテを睨み、鋭く叫ぶ。 「やはり、お前が母上を殺したんだ! お前の言ったことは全て嘘だ、そんなもの誰が信じるものか! 殺してやる、ルルススを死なせた報いだ!」 レギーナの感情と共に放たれたサイコキネシスが、手錠の上に填められたサイキックリミッターの限度を超えた。 サイキックリミッターが粉々に砕け散ると同時に、フォルテの大柄な体は一瞬で壁際まで吹き飛ばされ、衝突した。 「殺してやるぅっ、全部殺してやるぅううううっ!」 レギーナは絶叫し、フォルテを救い出そうと駆け寄ってきた兵士も吹き飛ばした。 「失礼いたします!」 突然現れた兵士が銃を挙げ、レギーナを狙った。レギーナが振り向くよりも素早くトリガーが引かれ、発砲した。 放たれたのは光線ではなく、実弾だった。レギーナの傷を負った右腕にもう一つの弾痕が作られ、血飛沫が散る。 レギーナは痛みと衝撃で崩れ落ち、弾丸を放った兵士を睨んだが、サイコキネシスが放たれることはなかった。 焦点を失っていた瞳から光が失せると、ルルススの死体から広がった血溜まりに受け身も取らずに倒れ込んだ。 「即効性の麻酔薬を混入した超能力抑制弾です。命に別状はございません。遅ればせながら、出過ぎた真似と無礼をお許し下さい、両殿下」 深々と礼をした兵士は他の兵士に比べると小柄で、髪の色は淡いピンクだった。 「所属と名を申せ」 他の兵士の手を借りて抉れた壁から身を脱したフォルテが尋ねると、少年兵はかかとを揃えて敬礼する。 「宇宙特殊戦闘部隊第十七小隊所属、レウェ・アウリス上等兵、テレポーターであります!」 「覚えておこう」 フォルテは少年兵を一瞥してから、レギーナを抱き起こしているマサヨシに歩み寄った。 「ムラタどの。是非、貴公の話を聞かせてもらいたい」 「こちらとしても、あなた方から話を聞いておきたいところです」 「私達はあなた方を罪に問わないと約束しよう。あなたと二人の戦士達は、巻き込まれたに過ぎないのだから」 「では、あの二体の捕獲は」 艦長席までやってきたクアットロの落胆した呟きに、フォルテは強く言った。 「無論中止だ。ムラタどのと同様、客人として出迎えろ。クアットロは当然だが、インクルシオに乗る全ての兵士よ、この星系に来た目的を思い出せ!」 「御意にございます」 クアットロは素直に引き下がり、礼をした。フォルテは、マサヨシと目を合わせた。 「一つ、聞いてもよろしいでしょうか。兄上の暮らしぶりはいかがでしたか」 「楽しそうでしたよ。俺の見た限りでは」 マサヨシはフォルテの腕にレギーナを預け、身を下げた。フォルテはレギーナを壊れ物のように、大切に抱えた。 フォルテは背を向けてしまったため、表情は窺えなかった。マサヨシは、いつのまにか詰めていた呼吸を緩めた。 予想していたよりも大事になってしまった。だが、誰かの血が流れるだろうということは、長年の勘で悟っていた。 ただ、それがレギーナかルルススかの違いだ。マサヨシはフォルテの許しを得てから、HAL2号に通信を入れた。 「サチコ」 間を置かずして、ナビゲートコンピューターの少々神経質な声が返ってきた。 〈どうしたのよマサヨシ、定期連絡もしないなんて。私はとっくに準備完了しているんだから、早く戻ってきなさいよ〉 「それがな、今日は家に帰れそうにないんだ」 〈何、どうしたって言うのよ? まさか、しくじったんじゃないでしょうね?〉 「だったら、もっと話は簡単なんだがな。とりあえず、ヤブキとハルに伝えておいてくれ。今夜は帰れない、と」 〈それって、浮気じゃないでしょうね?〉 「今の俺に、女を囲えるような余裕があると思うか?」 サチコの軽口に切り返してから、マサヨシは通信を切った。そして、すぐさまイグニスに通信を入れた。 「イグニス、トニルトス。状況が変わった」 『変わったって、どんな具合に変わったんだよ?』 待機している間に暇を持て余してしまったのか、イグニスの声色は少々苛立っていた。 『とすると、あのやかましい小動物が死んだのか?』 トニルトスの言葉に、マサヨシは一瞬迷ったが答えた。 「ああ、ルルススは死んだ。だが、やたらと状況が複雑になっちまったから、後で詳しく話す。とにかく、今はまだそこにいろ。フォルテ皇女殿下の指示があるまで、俺達は動けないからな。それと、今日は家に帰れない」 『なぁにぃいいい!?』 イグニスが素っ頓狂な声を上げたので、マサヨシは情報端末を耳元から遠ざけた。 「…お前って奴は」 『あーあ、来るんじゃなかったぜ。今日はもうハルに会えねぇなんて、寂しすぎて泣けてきちまいそうだよ』 と、イグニスが拗ねるとトニルトスがすかさず殴ったらしく、情報端末から金属同士の打撃音が轟いた。 『この幼女趣味が! 機械生命体の恥め!』 殴られたことに怒ったイグニスの罵倒とそれにやり返すトニルトスの激昂が聞こえたが、無視して通信を切った。 この二人は、落ち着くまで放っておくに限る。マサヨシは二人の態度に色々と言いたいことがあったが、堪えた。 気付くと、レギーナを抱えたフォルテの姿はなくなっていた。ルルススの死体の傍には、兵士達が駆け寄ってきた。 彼女達は担架の上にルルススの死体を載せたかと思うと、テレポートで姿を消し、床に血溜まりだけが残された。 マサヨシはルルススの血溜まりから立ち上る、体温の入り混じった血臭を感じながら、ブリッジ全体を見渡した。 どこの世界でも宇宙船の発達には大差はないらしく、文字さえ読めればマサヨシにも扱えそうな機器が多かった。 艦長席。通信席。砲座席。レーダー監視席。四千メートル級の強襲戦艦を自在に操ることが出来る操舵席。 懐かしいな、と思った反面、苦い思いが胸を掠める。だが、今は過去を思い返している暇などない、と払拭した。 ヤブキのすき焼きが食べられないのが、ひどく残念だった。 二人だけで囲む鍋は、少しばかり寂しかった。 ヤブキは順調に煮えていくすき焼き鍋と湯気の向こうで目を輝かせるハルを見つめつつ、物思いに耽っていた。 ミイムは見つかるのだろうか。見つかってくれなければ困る。家事が疎かになるし、何よりハルが苦しんでしまう。 先程、サチコから入った通信では、三人とも今日は帰れないのだそうだ。その理由までは話してくれなかったが。 ヤブキも、薄々だがミイムが訳ありだと感付いていた。というより、訳ありでなければ人身売買などされていない。 きっと、その人身売買に至る前にも何かあったに違いない。今回の家出の原因としては、それが最も有力だった。 マサヨシは家長だ、知らないわけはない。イグニスとトニルトスは大分怪しいが、サチコも多少知っていそうだ。 だが、ヤブキには話してくれないだろう。普段の言動が言動故に、そういった重たい話をされるとは思っていない。 多少の疎外感は覚えたが、それでいいとも思った。あまり深入りしなければそれだけ悩むことも少なくて済む、と。 「お兄ちゃん、まーだぁー?」 すき焼きが出来上がるのを待ち侘びたハルが、ヤブキを見上げてくる。 「そうっすね、そろそろいいっすよ」 ヤブキは鍋に入れた薄切り肉の色が変わったことを確かめてから、具を生卵入りの小鉢に取り、ハルに渡した。 「熱いから気を付けて食べるっすよ」 「うん!」 ハルは頷き、子供用の短い箸を握った。 「いっただきまーす!」 「いただきまぁす」 ヤブキも両手を合わせてから、自分の小鉢に具を入れ、食べた。久々に作ったが、なかなかいい出来だった。 割り下の甘さも丁度良く、肉も硬くない。しらたきもハルの口に合わせて短く切り、焼き豆腐もさいの目切りにした。 ハルは熱々のすき焼きに苦労しながらも、一生懸命食べている。気に入ったのか、あっという間にお代わりした。 鍋物にはご飯があるべきだ、という信条のヤブキは、生卵が絡んだすき焼きの具をおかずにして白飯も食べた。 味覚器官は生体部品を使っているので、生身の頃とほぼ同じ味覚が得られるが、触感まではさすがに解らない。 歯は付いているが金属製なので、生卵のぬめり気も肉の柔らかさもネギの歯応えも今一つ鈍く、不鮮明だった。 味が解るだけで充分だ、と思い直し、ヤブキはすき焼きに専念した。ハルはしらたきを飲み込んでから、言った。 「ママの隠れんぼ、早く終わるといいね!」 「そうっすねー」 「そしたら、今度は皆でこれ食べようよ! おいしいんだもん!」 ハルはにこにこと笑いながら、甘辛い割り下の染みた薄切り肉を頬張った。 「そう、っすね」 ヤブキは、言葉に詰まってしまった自分が情けなかった。ハルはすき焼きに夢中になっていて、気にしていない。 それをありがたく思いながら、ヤブキはすき焼きに意識を戻した。放っておくと、すぐに肉が硬くなってしまうのだ。 約束は守られない。自分と妹は裏切られ、そして妹を死なせた。裏切りによって生まれた苦しみは、連鎖する。 ヤブキはすき焼きを食べたが、後半は味が解らなかった。マサヨシを疑うのは心苦しいが、止められなかった。 一度でも裏切られると、懐疑的になる。それも、心が完成しきっていない子供の頃に受けたのであれば尚更だ。 気付くと、ハルを死んだ妹に重ねてしまう。ハルと二人きりにされると顕著に表れ、ダイアナだとしか思えなくなる。 ハルはダイアナではないのに、解っているはずなのに、死なせてしまった妹の姿が脳裏を過ぎって離れなかった。 大丈夫。ハルは裏切られない。ハルはダイアナとは違うのだから。ヤブキは、何度となく自分にそう言い聞かせた。 そうでもしないと、皆に対する懐疑心は振り払えなかった。 08 6/18 |