アステロイド家族




鏡の中の世界



 遺体安置室に並ぶポッドの中に、半身は眠っていた。
 検死を終えて清められたルルススの遺体は、レギーナが殺した兵士達のポッドから離れたポッドに入っていた。
凍えるほど寒く、薄暗い室内には、遺体保存用ポッドが何百基も並んでおり、墓場よりも寂しい雰囲気だった。
ルルススの遺体が入っているポッドは他よりも一回り大きく、上位軍人か皇族が入るために造られたものだった。
フォルテに車椅子を押されて遺体安置室に入ったレギーナは、ルルススの眠るポッドに近付き、死に顔を眺めた。
ルルススの表情は、会心の笑みのままだった。それがまた申し訳なくて、レギーナは息が詰まるほど苦しくなった。

「ごめんな、ルルスス」

 レギーナはルルススのポッドに縋り付き、崩れ落ちた。

「ボクが悪かった」

 レギーナの目元から零れた涙がポッドに散らばるが、冷気で固まり、伝い落ちることはなかった。

「もっと、もっと教えてやるよ。ルルススが脳死するまでボクに伝えてきたことを、全部教えてやるよ」

 レギーナは愛おしげな仕草で、凍える棺を撫でた。

「ルルススは死にかけていながらも、ボクの記憶を読み取っては言ってきたんだ。マサヨシ達と暮らした日々の記憶を見ては、何度も何度も言うんだ。レギーナ様がお幸せなら僕は何もいりません、って。馬鹿だよな、自分のことを何も考えていないんだ。死ぬ時ぐらい、自分のことを考えたっていいのに。母上を殺させてしまったボクのことを思い切り憎んでくれたって、罵倒してくれたって、蔑んでくれたって構わないのに。それなのに、ルルススとしてこの船に攻め込んだことも褒めてくるんだ。あれも、ルルススが死に物狂いで身に付けた技術なのに、ボクが強くなったって物凄く喜んでいたんだ。なんて奴だよ」

「それが側近です、レギーナ様」

 トリアはレギーナの傍に膝を付き、ハンカチを差し出した。

「主のために命を張ることこそが、我らが半身の使命であり誇りなのです。皇族方と同じ遺伝子を持って生まれた時から、運命は定められているのですから。ルルススは、その役目を果たしたに過ぎません」

「そういえば、ずっと気になっていたんだけど」

 トリアのハンカチを借りて涙を拭ったレギーナは、潮が引くように表情を消した。

「どうして、フォルテはルルススが母上を殺したことを責めないんだ?」

「良い機会だと踏んだからです」

 フォルテは兄妹の死を悼む顔から、統率者の顔に変わった。

「母上が生きておられる以上、皇帝の座は空きません。そうなれば、元老院と貴族の顔触れも変わりません。それからまず変えなくては、何も変えられないからです。独裁政権を維持するのは、最早限界なのです。戦争を繰り返して領土を広げたところで、国民の支持は保てませんし、兵力も持ちません。領土を広げたおかげで生産能力は高まりましたが、反面、国民の間に格差が広がり、辺境地方では常に貧困層による暴動が起きています。母上のように権力で押さえ付けて収めたとしても、一時的な処置に過ぎず、根本的な解決にはなりません。国民に鬱屈した不満や怒りは、最早計り知れないのです」

「なるほど、まともな意見だ」

「星間防衛は続けますが、他国への侵略と地上統一戦争は近々終結宣言を行います。そうしなければ、我が軍は消耗する一方です。更なる戦争で兵となる女達が死に絶えてしまっては、いかに繁殖力の高いクニクルス族と言えど繁殖出来るわけがありませんので」

「それで、ボクを処刑しようと決めたのはフォルテなのか?」

 レギーナは躊躇いを含ませずに、一息に言い放った。フォルテは唇を閉じかけたが、開いた。

「私です」

「そうか」

「兄上とルルススの身柄を地下牢に隠した後、パルース国軍による奇襲で皇居まで攻め入られ、帝都が陥落される寸前でした。ルルススが母上を暗殺する以前からその兆しはあったのですが、母上が暗殺されたことで事態が急変してしまい、対処が遅れてしまったのです。帝都はなんとか防衛したのですが、損害も大きく、また貴族の一人が口を滑らせたことで母上が崩御されたことが民衆に知られてしまい、民衆の中に混乱が広がったのです。それを収めるには、母上を殺したであろう兄上の命を頂く他はない、と思いまして」

「正しいよ、フォルテ。それこそが、指導者のあるべき姿だ。フォルテが真に守るべきは兄妹の命なんかじゃない、民衆の命なんだからね」

 レギーナの穏やかな言葉に、フォルテは両手が震えるほど強く握り締めた。

「…はい」

 レギーナは妹の表情を横目に見たが、何事もなかったかのように続けた。

「他には?」

「兄上は英雄となります。腐敗した旧体制をその御身を持って滅ぼした、救世主として讃えられることでしょう」

「嘘を吐け」

「嘘も方便です。それに、兄上を慕う者達はまだまだおります故、彼女達の力を得るには有効な手立てかと」

「つまり、今はまだフォルテに従わない連中がいるんだな?」

「第一宇宙軍元帥と第一陸軍の西方と東方司令官、並びにトルリダ地方を収める公爵とその血族が」

「全部、母上の寵愛を受けていた連中じゃないか。そんなの、ボクの名をダシにしているだけだ」

「ええ。兄上への忠誠と言うよりも、兄上が頑なに守られていた独裁体制の恩恵を受けていたいからでしょう」

「いっそのこと、全員地位を奪っちゃいなよ。他にもいるんだろ、代わりになる人材が」

「目を付けている者達はおります。ですが、まだ信用に値するか調べている最中です」

「それを調べるために、わざわざ国を留守にしてきたんだな?」

「良くお解りで」

「でも、それ以外にも目的があるんだろ?」

「我がセンティーレ星系に侵入した宇宙船の船籍が判明したからです」

「ということは、あれは太陽系船籍の宇宙船だったのか?」

「そうです。太陽系から未発達の惑星を開拓するために旅立った植民船でしたが、センティーレ星系付近を航行中に小惑星とニアミスを起こして故障し、航行不能になっていたのです」

「偵察艇が撃墜された理由は?」

「自己防衛、だそうで」

「ああ…。だから、わざわざインクルシオ号を出して、兵士達にも戦闘準備をさせていたんだ」

 レギーナは振り返り、妹を見上げた。

「対話と言う名の威圧のために」

「はい」

 フォルテは躊躇いもなく、肯定した。

「とすると、その植民船を」

 レギーナの問いに、フォルテは答えた。

「撃墜はしておりませんが、拘束しております。搭乗員の数が多すぎて、取り調べに時間が掛かっておりまして」

「その辺のことでごちゃごちゃ言われたら、やり返すつもりだったのか?」

「場合に寄りましては」

「それについては、全面的に考え直すべきだな。そんなやり方じゃ、宇宙難民の救助と援助を求めに来たとは到底思えない。結局、フォルテも母上と同じなのか。いや、ボクもやりかねないか…」

 レギーナは苦笑いを混ぜながら零したが、言葉を切った。

「ごめん、フォルテ。色々と口出しして」

「いえ」

 フォルテは軍服を脱ぎ、レギーナの背に被せた。

「どうぞ、これを。もうしばらく、ルルススの傍におられるでしょうから」

「悪いな」

 レギーナはフォルテの大きな軍服の前を掻き合わせ、車椅子に座り直した。息を吐くと、水蒸気が白く凍り付く。
フォルテとトリアは船の修復状況を見るために遺体安置室を後にしたが、衛生兵はレギーナの傍に残ってくれた。
低温を維持するための一枚目のドアは閉めたが、通路に繋がるドアは開かれたままで、通路の光が入り込んだ。
青味掛かった明かりが、血の気が失せているルルススの頬を柔らかく照らし、産毛に付いた氷の粒を輝かせた。
自分と同じ顔だが、やはりどこかが違っている。レギーナはルルススの顔に近い部分を撫でていたが、呟いた。

「なあ」

「どうなされましたか、殿下」

 腕章を付けた衛生兵は、すぐさまレギーナの傍に寄った。レギーナは、右腕に巻かれた包帯に触れる。

「ボクの右腕の傷は深いのか、浅いのか?」

「それほどではございません。高熱で損傷した組織の修復技術は発達しておりますし、レギーナ皇太子殿下のお傷は骨にまで及んでおりませんので、簡単な移植手術を行えばすぐに治せます」

「なら、腕を切断して付け替えるとしたら、どれくらいの時間が掛かる?」

「は?」

「答えてくれ。君はそれを知っているんだろう?」

「あ、はぁ…」

 突拍子のない質問に戸惑いながらも、衛生兵は答えた。

「まず、切断手術と移植手術で丸一日を要します。それから体組織の結合と促すためと免疫を調整して拒絶反応を中和するための投薬を行いますが、肩の骨が動かせるようになるまで最低でも七日は掛かります」

「そうか」

 レギーナは、右腕に巻かれている包帯に触れた。ルルススの忠義に応える方法があるとしたら、それぐらいだ。
ルルススは命まで投げ出して、レギーナの鬱屈した思いを叶えてくれた。レギーナの側近だと言うだけの理由で。
レギーナが溜め込んだ負の感情は、全て自分の弱さから生まれたもので、ルルススは背負わなくても良かった。
なのに、ルルススはそれを何もかも背負い、そして死んだ。ルルススにもルルススの人生があったはずだろうに。
レギーナの脳には、ルルススの感情や記憶が色濃く残留していた。だから、ルルススの人生を歩んだも同じだ。
 彼の見てきた世界は、レギーナのそれと近しくありながらも正反対だった。目線は同じでも、全く別世界だった。
レギーナはルルススのことを大切な家族であり側近だと思っていたが、ルルススはそれ以上の感情を抱いていた。
どんなに苦しい状況でも決して揺らがない鋼のような忠誠心と共に、海よりも深く、空よりも広い愛情を持っていた。
何もかも、レギーナには出来ないことばかりだ。あの戦闘技術も、ルルススが努力して成し得たものだというのに。
家事も料理もそうだ。思い出してみれば、ミイムとして作った料理の数々は、どれもルルススの味に違いなかった。
ルルススと別れた後も、ルルススは常に傍にいた。上書きされた偽りの記憶ではあったものの、支えてくれていた。
だから、これからもルルススと共に生きていこう。彼と共に生きていた時間を、決して忘れてしまわないためにも。

「ルルスス」

 レギーナは底冷えするほど冷たいポッドに身を預け、半身へと囁いた。

「ボクも君を愛しているよ。ルルススが側近であったことは、ボクの生涯の誇りだ」

 目尻から溢れた滴が落ちるが、強化パネルに阻まれてルルススの頬を濡らすことはなかった。

「だから、これからもボク達はずっと一緒だ」

 レギーナはポッドから身を起こし、衛生兵に声を掛けた。

「ねえ、ボクはまだ皇太子だよね?」

「そうであります」

「だったら、ボクの権限も少しは残っているはずだ。今すぐ手術室を空けて軍医を集めてくれ、緊急手術を行う」

 レギーナはルルススのポッドに手を掛け、力の入らない足で立ち上がると、異様なほど澄んだ眼差しを上げた。

「ボクの右腕を切断し、ルルススの右腕を移植する。これは第一級命令だ」

「りょっ、了解しました!」

 衛生兵はレギーナの強靱な意志を宿した瞳に圧倒され、敬礼した。レギーナは、車椅子に座り直す。

「さあ、早く連れていってくれ。今は君がボクの足の代わりなんだから」

 衛生兵はまだ戸惑っているようだったが、レギーナに従って車椅子のハンドルを掴み、遺体安置室を後にした。
車椅子に身を預けたレギーナは、左手で右腕を撫でさすった。彼の忠義を敬うためには、これしか思い付かない。
無駄に大きいだけの銅像や人目に曝されない絵画や単調な記録文書に止めておいたところで、何の意味もない。
ルルススはレギーナの一部でありレギーナもルルススの一部だった。だから、彼の一部を貰うのは自然なことだ。
 彼は半身だ。だから、二度と離れたくない。





 


08 6/21