格納庫に拘束されてから、約十八時間後。
　マサヨシはＨＡＬ号の操縦席から離れることはせずに、時折人ならざる者達と言葉を交わして暇を潰していた。
相手の腹の内が読めない以上、何があるか解らない。味気ない栄養だけの食事をして、体力を温存していた。
大穴を空けられた格納庫の修復をしている技術兵達の動きが変わったので、イグニスとトニルトスが身構えた。
マサヨシも操縦席から腰を浮かして、サチコが拡大してモニターに広げた映像を見、その者達の姿を確認した。
全く同じ顔の側近のトリアとクアットロを伴ったフォルテが、ＨＡＬ号に向かって力強い足取りで向かってきている。

〈どうする、マサヨシ？〉

　サチコから不安げに問われたマサヨシは、操縦席から立ち上がり、手足を伸ばした。

「行くしかないだろう。やんごとなき御方をこんな狭い船に入らせるわけにもいくまい」

　マサヨシはパイロットスーツのベルトとホルスターに熱線銃とレーザーソードを差してから、コクピットから出た。
サチコは何か言いたげだったが、仕方なくマサヨシを送り出した。マサヨシは側面のハッチを開き、格納庫に出た。
武器を挙げて戦闘態勢に入ろうとした二人の機械生命体を制しつつ、マサヨシはフォルテに慎重に歩み寄った。
フォルテの前には作業を中断した技術兵達が整然と並び、両脇には硬い表情のトリアとクアットロが立っている。
皇女は瞳こそレギーナに似ていたが、それ以外は全く違う。顔の部品に近しい雰囲気はあるが、それだけだった。

「何か御用でしょうか、フォルテ皇女殿下」

「ムラタどの。私達はあなた方を罪に問わない」

「寛大な処置に感謝いたします」

「だが、あなた方は我が兄妹の過ちを知りすぎている。インクルシオ号で起きた出来事を口外しないと約束なさるのであれば、出来る限りのことをさせて頂く」

「金ですか？」

「求められたなら、命以外の何物でも差し出すつもりだ」

「でしたら、レギーナ皇太子殿下を俺達の元に返して下さい。あいつはうちのママですから」

「それは対象外だ」

「とすると、フォルテ皇女殿下はレギーナ皇太子殿下を俺達に引き渡すつもりでいらっしゃるんですね？」

「兄上のためにも、それが一番だと判断したのだ」

　フォルテの言葉に、イグニスが鼻で笑った。

「そいつぁどうだかな。レギーナとそっくりなルルススの死体が出来上がったから、レギーナ本人には用がなくなったってだけだろ？　処刑する手間が省けたし、皇位を争う相手が減ってせいせいしてんじゃねぇのか？　んで、俺らには金を渡してレギーナを押し付けてそれっきりって算段だろ。違うか？」

「言葉を慎め！　テロリストの分際で殿下を愚弄するとは！」

　兵士の一人がイグニスへ熱線銃を挙げたが、フォルテはその銃口を掴んで下げさせた。

「落ち着け。彼の言うことに、何も間違いはない」

「下品なルブルミオンめ！」

　トニルトスは力一杯イグニスの頭を殴り飛ばしてから、フォルテの前に出て膝を付いた。

「度重なる非礼をお詫び申し上げます、殿下」

「トニルトスと申したな。貴公は私に何を望む」

　フォルテに見上げられ、トニルトスは頭を垂れた。

「では、あの穢らわしきルブルミオンを断罪するための援護射撃を」

「ちょっと待てやこの野郎！」

　素早く起き上がったイグニスはトニルトスに掴み掛かり、がんがんと叩いた。

「それとこれとはまず違う話だろうが！　ていうか、つまんねぇこと言うんじゃねぇよ！」

「つまらんのは貴様の思考回路だ。利用出来るものは利用するのが筋ではないか」

「こういう場合はな、向こう五十万年は遊んで暮らせるぐらいの額の金を要求するのがお約束ってもんだろうが！」

「金には興味がない」

「つうか、てめぇは未だにスクリーンパネルの弁償すらしてねぇじゃねぇかよ！　まずはそれからだろうが！」

「低俗な守銭奴め」

「色気のねぇ無能野郎だぜ」

「誰が無能だっ！」

　トニルトスは途端に激昂し、イグニスと額をぶつけんばかりの勢いで睨み付けた。イグニスも負けじと睨み返す。

「無能だから無能だっつってんだろうが無能！」

「あれは気にしないで下さい。小一時間もすればどちらも飽きますので」

　マサヨシは機械生命体同士の聞くに堪えない言い争いを聞き流しつつ、フォルテに向き直った。

「リニアカタパルトの修繕費を負担して頂けないでしょうか。あれが使えないと、商売上がったりなんでね」

「それだけで良いのか、ムラタどの」

「それと、もう一つ。レギーナ皇太子殿下と面会させて下さい。彼の意志も確かめておきたいので」

　マサヨシの言葉に、フォルテは頷いた。

「ええ、よろしいでしょう」

「フォルテ様」

　すると、トリアがフォルテの傍に寄り、小声で伝えた。途端にフォルテは目を見開き、身動いだ。

「兄上が？　なんということを！」

「どうなされました、殿下」

　マサヨシが問うと、フォルテは若干迷ったが答えた。

「兄上が、御自身の右腕を切断してルルススの右腕を移植なさるおつもりだ」

「では、会うなら今ですね。案内して下さい。全身麻酔を掛けられてしまうと会話も出来なくなりますから」

「あなたは何も思わないのか、ムラタどの」

　動揺を垣間見せるフォルテに、マサヨシは平静に返した。

「人並みには驚きましたけど、これもまたレギーナ皇太子殿下の人生ですので、口を出すべきではないかと」

　マサヨシがもう一度案内を頼むと、フォルテは身を翻して歩き出し、クアットロに手術室への道順を案内させた。
激しく言い争いをしていた二人もマサヨシが歩き出したと知ると一旦止め、サチコに状況を尋ねてから再開した。
皇女とその側近二人と共に通路を歩くマサヨシの背後には、ライフル型の熱線銃を持った兵士が三人付いてきた。
　今頃、ハルはどうしているだろう。ヤブキと二人きりというのは色々と不安が多いが、ヤブキは料理は上手だ。
他の家事はそれなりに出来ても料理だけは不得手なマサヨシと違って、料理が得意だという点はとても大きい。
前回も似たような状況になったのだから、今度も上手くやっているだろう。後で連絡しよう、と思いながら歩いた。
　フォルテにはああ言ったが、もちろん動揺も困惑も覚えていた。だが、それも受け入れてこその家族だと思った。
虚構の関係。偽りの家庭。作り物の幸せ。だが、それは思っていたよりも、随分と頑丈に出来ていたようだった。
　だから、尚更守りたくなる。




　手術室前の病室で、彼は横たわっていた。
　マサヨシが病室に入ってくると、気まずそうに眉根を顰めたが、すぐに諦めたような顔をして目を合わせてきた。
レギーナの右腕に巻かれている包帯はそれほど量も多くなく、血も滲んでおらず、傷はそれほど深くないと解る。
素人目に見ても、この程度の傷では切断も移植も不要だと思えたが、レギーナにも思うところがあったのだろう。
処置を行っていた衛生兵達はフォルテらが入ってくるや否や、一列に並び、硬い表情をして規則正しく礼をした。
フォルテは彼女らに何も罪に咎めないと言ってから、マサヨシを促して、レギーナの横たわるベッドに近寄った。

「兄上」

　フォルテが声を掛けると、レギーナは点滴が外された右腕を掲げた。

「ボクのことを笑うなら、思い切り笑ってくれ。自分でも、馬鹿だって解っているから」

「きっと、ルルススも喜ばれます」

「ありがとう。優しいね、フォルテは」

　レギーナは右手を伸ばしてフォルテに触れてから、マサヨシを見上げた。

「パパさん、じゃなくて、マサヨシ。ボクが右腕を付け替えたってこと、ハルちゃんはもちろんだけど、ヤブキにも言わないでくれないか。なんだか、知られたくないんだ」

「解った。約束するよ」

　マサヨシが頷くと、レギーナは右手でマサヨシの手を取った。

「全部終わったら、ちゃんと家に帰るよ。コルリス帝国には、ボクの居場所はもうないからね。ルルススだって、マサヨシや皆のことを認めてくれた。ボクがルルススだった時に、いつかあなた達を裏切るってことを自覚していたはずなのに、裏切ったら辛くて辛くて仕方なかった。だから、裏切るのはこれで最後にする。手術が終わって、ルルススの右腕がボクの右腕として完全に機能するようになったら、必ず家に帰るよ」

　レギーナは表情を緩めると、皇族らしい口調からミイムとしての口調に変えた。

「だから、パパさん。その時まで、待っていてくれませんか？」

「信じているさ、いつだって」

　マサヨシが笑みを見せると、レギーナはマサヨシの手を握り締めた。

「あなた達との日々は、ボクにとっては鏡の中の世界だったんだ。いくら憧れても手の届かない、どれほど望んでも触れることすら叶わない、どの国とも戦わずに何も憎まずに誰も殺さなくていい世界なんだ。その鏡を、ルルススが命懸けで破ってくれた。だから、ボクはその世界にルルススも連れていきたいんだ。許してくれるよね？」

「ああ」

「ボクを拾ってくれたのが、パパさんで良かった…」

　レギーナはとろりと瞼を伏せたが、閉じた。マサヨシがその手を離すと、華奢な右手は力なく滑り落ちて倒れた。
衛生兵の言葉で、投与された全身麻酔が回ったのだと解った。マサヨシは手を伸ばし、レギーナの頬に触れた。
目を覚ましたら、今度こそミイムに戻るのだろう。そして、帰ってくる。二度と裏切らないと約束してくれたのだから。
　マサヨシはレギーナの髪をハルにするように撫でてやってから立ち上がり、足早に手術室前の病室を後にした。
フォルテは部下達に追わぬようにと命じて、マサヨシを引き留めなかった。それが、彼女の出した答えなのだろう。
格納庫に向かいながら、マサヨシは三人に指示を出した。即刻発進準備に掛かるように、これから家に帰る、と。
レギーナが一緒ではないのかと聞かれたが、必ず帰ると約束したと伝えた。それ以外に、言えることなどなかった。
今回の真相も、レギーナがミイムとして帰ってきた時に聞けばいい。全てが終わった後なら、何を聞いても平気だ。
　朧にも似た仮初めの関係を維持することを望んでいるのは、マサヨシだけではないと知って、無性に嬉しかった。
廃棄コロニーで造り上げた家族ごっこを幸せだと思っているのは、自分一人だけではない、と解ったからだった。
　虚構でも、偽りでも、作り物でも、幸福には違いない。





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08 6/21