アステロイド家族




一握の幸福



 夥しい血に魂を浸し、償えぬ罪を心臓に刺して。


 右腕の動作を、何度となく確かめる。
 右肩を動かすと筋に合わせて骨も動き、筋肉もきちんと働くのが解る。完璧に、双方の神経が接続されている。
鏡に映した右肩には、手術痕は見えない。一週間前に抜糸を終えてから、丹念な整形手術を繰り返したからだ。
もう一度大きく右腕を動かしてから、肘を曲げて拳を握り締めてから指を開き、指の一本一本まで確かめていく。
腕を移植した当初は若干の遅れと感覚の鈍さがあったが、今となっては違和感はなく、自分の腕に違いなかった。
 これなら、あの家に戻っても大丈夫だ。そう確信したレギーナは頷き、頬を緩めて唇を上向けて微笑みを作った。
だが、その笑みには緊張とぎこちなさがあった。これではミイムではない、と首を振って、もう一度笑みを作った。
しかし、同じだった。強襲戦艦インクルシオ号内で手術と治療を受けている間に、すっかり皇太子に戻ったらしい。
無意識に皇族時代の行動を取ってしまうらしく、言葉遣いだけでなく立ち振る舞いや部下の使い方も戻っていた。
鏡の前でくるりと身を翻したが、権力の高さを感じさせる大股だった。ミイムならば、間違いなく小股だというのに。

「弱ったな」

 レギーナは服の襟元を直して鏡と向き合い、眉根を顰めた。

「これから皆の元に戻るというのに、この体たらくでは…」

 三度頬を持ち上げて笑ってみたが、目が笑っていない。そのせいで、笑っていても笑ったように見えないのだ。
やはり、これも太陽系統一政府と交渉を繰り返しているフォルテから政治的な話を長々と聞かされたからだろう。
今日を限りに皇位継承権も皇族としての地位も何もかも剥奪される身だというのに、出過ぎた真似をしてしまった。
激務の間を縫ってフォルテがレギーナの病室を訪れては話をしてくれたのだが、話題の中心は政治絡みだった。
そのせいで、交わす会話も必然的にそういったものとなり、コルリス帝国の身の振り方の臨時会議になっていた。
 侵略だと誤認した末に撃墜しかけた太陽系の開拓植民船の件は、レギーナの予想以上に波紋を広げていた。
太陽系側もコルリス帝国軍の偵察艇を撃墜した件については謝罪したが、それ以外にも思惑があるようだった。
コルリス帝国が存在する惑星プラトゥムは、太陽系から十五の銀河を挟んだ先にあり、辺境宇宙と言える位置だ。
強大な軍事力と生産能力のおかげで繁栄したおかげで、今となっては宇宙連邦政府からも目を置かれる国家だ。
 太陽系統一政府が、目を付けないわけがない。国内は長年の独裁で混沌としているが、軍事力は健在だった。
上手く味方に付けて友好国、もしくは友好星系にまで昇華されれば、太陽系の移民が流れ込んでくることだろう。
開拓植民船など出すぐらいだから、太陽系は千年に渡る宇宙進出の末の人口過多になっているのは間違いない。
スペースコロニーをいくつも作り、太陽系のあらゆる惑星に基地を作ったところで、肝心の母星が滅んでいるのだ。
そのせいで人間が生きられる世界は、広がっているようで限られてしまう。だが、人口は年月と共に増えていく。
そこで、居住可能惑星を見つけ出し、第二の母星として新人類を移住させる大々的なプロジェクトを立ち上げた。
当初はただの推測に過ぎなかったが、フォルテが言及したところ、やんわりとした言い回しではあったが肯定した。
 下手を打てば、惑星プラトゥムは地球新人類の植民地にされる。だが、過剰に抵抗して戦争を起こせば大事だ。
だが、太陽系統一政府の要求は尊大だ。開拓植民船を修理して太陽系までワープさせろ、と言ってきたらしい。
文明が違えば機械の構造も違うので、それこそ太陽系統一政府の仕事だと思うのだが、相手は譲らないようだ。
どうも、コルリス帝国の立場が弱いうちに利用し尽くすつもりらしく、双方の意見の摺り合わせに手間取っている。
そのせいで、レギーナがインクルシオ号に駐留する期間が予想よりも一週間も延びてしまい、二週間になった。
 病室のアラームが鳴らされ、レギーナが返事をすると開いた。そこには、うやうやしげに頭を下げた妹達がいた。
フォルテは軍服でも皇族の衣装でもない服を着ていたが、その厳つい顔には気恥ずかしげな表情が滲んでいた。
シンプルなデザインの青いジャケットの下に白いブラウスを着込み、金糸の刺繍が入ったネクタイを締めている。

「どうぞ」

 レギーナが笑顔で迎えると、側近のトリアを伴って病室に入ってきたフォルテは顔を逸らした。

「その…似合いませんよね」

「みゅんみゅん、そんなことはないですぅ」

 レギーナはミイムの口調に変えてからフォルテに近付き、軍服よりも短めのタイトスカートを見下ろした。

「でもぉ、フォルテはストッキングぐらいは履いた方がいいですぅ。そうすれば、パパさんからも色々と変に思われなくて済みますぅ。パパさんってば、ボクがどうしてもパンツを履かないことを未だに気にしていて、この間の海水浴の時だって仕方なく下を履いたんですぅ」

「兄上…?」

 突然甘ったるい口調に変わった兄に、フォルテはもといトリアも戸惑った。

「レギーナ様…?」

「それとぉ、髪の毛ももうちょっと可愛くしてあげますぅ。いつもの三つ編みもいいですけど、せっかく女の子なんですからちょっとは弄らないと勿体ないですぅ」

 レギーナはサイコキネシスを用いてフォルテを押し、同時に椅子も動かして姿見の前に座らせた。

「いえ、ですから兄上、一体どうなされたのですか?」

 困惑しきりのフォルテに、レギーナは顔を寄せて笑った。

「みゅふふふふふーん。おうちに帰ったら、ボクはずうっとこんな調子なんですぅ。だから、今から慣れておいた方がキョドらなくて済みますぅ。ていうか、あの家にはフォルテの正体を知っている人が四人もいるんですからぁ、ヤブキとハルちゃんにだけは悟られないようにすればいいんですぅ」

「ですから、その、なぜそのような口調に?」

「ボクの正体は命すら厭わない側近のおかげで処刑を免れた皇太子ですけどぉ、あの家ではハルちゃんのママなんですぅ。でもって、ボクはとってもとおっても可愛いママですからぁ、いつも可愛くなきゃいけないんですぅ」

「兄上。一つ申し上げてよろしいでしょうか」

「みぃみぃ、なんですかぁ?」

「それは可愛らしいと言うよりも、その…」

 言葉を濁したフォルテに、レギーナはからからと笑った。

「ああ、ちゃんと自覚しているさ。気色悪くて鬱陶しい、だろ? マサヨシもそうなんだがヤブキからよく言われるんだよ、作りすぎだって。だが、一度始めてしまうと引っ込みが付かなくなってな。それに、正直楽しいんだ」

「そう、ですか」

 フォルテはそれなら何も言うまいと思ったのか、頬を歪めた。レギーナはフォルテの長い髪を解き、櫛で梳いた。

「さあ、ちょっと大人しくしておいて下さいよぉ」

 レギーナは調子良く鼻歌を漏らしながら、三つ編みのクセが付いているフォルテのブルーの髪を丁寧に梳いた。
その鼻歌はニンジャファイター・ムラサメの主題歌だったが、二人とも当然知らないので、別に反応はなかった。

「むーてきのにーんじゃー、さいきょーきょーれつさいぼーぐぅー」

 いつのまにか声に出ていたらしく、二人がぎょっとして振り向いた。だが、レギーナの歌は止まらない。

「一刀両断二刀流、その名はムラサメ、正義のニンジャのリーダーだ! 怪力剛力鋼のクナイ、その名はコウノスケ、最強パワーで粉砕だ! 元気溌剌鎖鎌娘、その名はユリカ、恋する乙女は絶対無敵! 薙刀構えたメガネっ娘、その名はトオリ、どこにいるのお兄ちゃん!」

 レギーナは妙に気分が乗ってきて、更に力を込めて歌う。

「誰が呼んだかニンジャファイター! 迷わず戦えニンジャファイター! 蹴散らせ、切り裂け、ぶっ壊せー!」

「兄上…」

 フォルテは最早呆れ果て、何も言わなかった。トリアはレギーナの思念を読み取り、冷淡に述べた。

「フォルテ様。レギーナ様の歌の元ネタは、この星系の子供向け特殊撮影ヒーロー番組のようです」

「そうか」

 フォルテは笑うべきか怒るべきか解らなかったので、反応しないことにした。だが、レギーナの歌は激しくなる。
兄上はこんな御方だっただろうか、と戸惑いながら、フォルテはレギーナの歌声を聞かされつつ髪を整えられた。
フォルテの長く硬いブルーの髪は、レギーナの手で丁寧に結い直されると、髪留めで後頭部で一纏めにされた。
 思えば、こんなことをするのは初めてだった。皇族であるが故に、兄が妹の髪を結うことなどしたことがなかった。
お互いに身辺のことは従者や側近がしてくれていたので、何もしなくて良い上にどうすればいいのか知らなかった。
増して、兄の歌声など聞いたことがなかった。フォルテの知るレギーナは、あまり表に意志を出さない少年だった。
控えめに微笑んでフォルテの話を良く聞いてくれ、時にはルルススと共に作った菓子を出してお茶を飲んでいた。
だが、兄が軍務に就いたこともあり、最後にお茶会をしたのは五年前だ。今となっては、味が思い出せなかった。
 柔らかな日差しが注がれる庭園。上品な細工が施されたティーセット。二人の兄が作った少々不格好な菓子。
他愛もない話をしては笑い合い、どうでもいいことを真剣に悩み、つまらないことでもとても楽しくて仕方なかった。
会話の内容は覚えていないが楽しかったことだけは記憶の底に残留しており、フォルテは胸中が締め付けられた。
 兄と接するのは、今日が最後になるのだから。




 静かな朝だった。
 マサヨシはベッドの中から身を起こし、マサヨシに縋り付いて眠っていたハルの肩にタオルケットを掛け直した。
コルリス帝国軍の強襲戦艦インクルシオ号での出来事からは二週間が過ぎ、当初の予定よりも長引いていた。
レギーナの話では、右腕の切断移植手術は一週間で終わるはずだったのだが、あれから音沙汰が全くなかった。
マサヨシも多少は長引くと思っていたので、ハルにはいつ頃レギーナがミイムとして帰ってくるかは教えていない。
必ず帰ってくる、とだけは言い切ったのだが、それでもハルは寂しいらしく、マサヨシにべったりと甘えてきていた。
うっかり口を滑らせると困るし、レギーナ自身が隠したがっていたので、ヤブキにも今回の事情を説明していない。
 レギーナの気持ちも解らないでもない。ヤブキはレギーナがミイムだからこそ忌憚なく接してきてくれる男なのだ。
その正体がコルリス帝国のが皇太子だと知れば、態度は変わらなくても双方にわだかまりが生まれることだろう。
レギーナは、ヤブキとの関係が変わってしまうのが嫌なのだ。マサヨシにも、レギーナの心境は解らないでもない。
 そのヤブキも、言い争う相手がいないために大人しかった。彼がいない分、寂しげなハルを構うようになった。
ミイムが発情期に暴走してしまい四日間入院した際もそうだったが、ヤブキはやたらと子供の扱いが上手かった。
それもまたヤブキらしいと思うと同時に、下の兄弟でもいたのだろう、と思ったが、家族の話を聞いたことがない。
 マサヨシは神経系を改造されて生まれた生体改造体で、育ててくれた人間はいるが家族と呼べる人間はいない。
だが、それは新人類の中では珍しいことでもなんでもなく、軍隊時代の周囲の人間はほとんどが同じ境遇だった。
しかし、ヤブキはそうではないように感じる。妙に所帯じみた言動や生活能力には、裏付けがあるのではないか。
話してくれないのは、聞いたことがないからなのだろう。そうだと確信しながら、マサヨシはベッドからそっと降りた。
マサヨシが離れると、ハルは少し身を捩った。マサヨシはハルの寝乱れた髪を撫でて、寝間着を脱いで着替えた。
 ベッドサイドで休眠状態になっていたサチコのスパイマシンを小突いて起こし、彼女を伴ってリビングに向かった。
リビングに入ると、キッチンにはヤブキが向かっていた。マサヨシは声を掛けようとしたが、その肩は怒っていた。

「なんで…今更…」

 ヤブキは震えるほど握り締めた拳を己の足に叩き付け、怒りを迸らせた。

「いっそのこと、その帝国とやらに殺されてくれれば良かったんだ!」

 その気迫の凄まじさに、マサヨシはサチコを押さえて後退した。サチコはマサヨシの意図を察したらしく、黙った。
ヤブキは衝動を押し殺した呻きを漏らし、外装が歪むほど強く握り締めた情報端末を、力一杯床に叩き付けた。

「畜生!」

 サイボーグの腕力を全身に受けた情報端末は、砂糖菓子のように砕け散った。

「ごめん…ダイアナ…。兄ちゃんは、やっぱり強くなれないや…」

 ヤブキは肩を震わせながら、基盤が割れて完全に壊れてしまった情報端末を拾い上げ、ゴミ箱に放り込んだ。
マサヨシはこのまま立ち去ろうかと思ったが、廊下の奥から辿々しい足取りのハルがやってきたので止まった。

「パパぁ、勝手にいなくなっちゃやだぁー」

 ハルはマサヨシの足に縋って、不安げに眉を下げた。その声にヤブキはびくりと肩を震わせ、反射的に立った。
ヤブキの視線はマサヨシに向いたが、ハルに下がった。ハルは目を擦っていたが、ヤブキを見上げると笑った。

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはようっす、ハル」

 ヤブキはいつもの声色に戻すと、ぽんぽんとハルの頭を撫でた。

「オイラはこれから朝ご飯を作るっすから、ハルはお着替えして顔を洗ってくるっす」

「うん、解った」

「良い子っすね」

 ヤブキに褒められたので、ハルは頬を緩めた。

「えへへへ」

〈さ、行きましょ。今日のお洋服は私が選んであげるわ、ハルちゃん〉

 サチコが子供部屋に向かうと、ハルはそれを追った。

「待ってよ、お姉ちゃん!」

「ちゃんとパジャマは畳むんだぞ」

 マサヨシは目を細めながら、娘の後ろ姿を見送った。そしてヤブキに向くと、彼はマサヨシを見下ろしていた。

「マサ兄貴。いつから、そこにいたっすか?」

「俺の方からも聞きたい。ダイアナってのは」

 マサヨシが問うと、ヤブキはその続きを遮るように語気を強めた。

「オイラの妹っすよ。もう、十年も前に死んだんすけどね」

「ということは、お前には家族がいるのか」

「オイラの家族は、ダイアナだけっす」

 ヤブキはいつになく冷たく言い放つと、包丁立てから包丁を抜き、まな板に叩き付けた。

「もう、いいっすか」

 マサヨシはヤブキに背を向け、リビングを後にした。子供部屋からは、今日着る服を選ぶハルの声が聞こえた。
ヤブキの妹の名よりも、十年前という言葉が心中を抉ってきた。マサヨシは息苦しさを感じ、ゆっくりと呼吸した。
十年前の出来事を振り切れていないのは、自分だけではないらしい。程度も状況も違うが、一致する点はある。
 愛する者の死だ。マサヨシは、ヤブキの苦悩も何もかも容易に想像することが出来たが、一言も言えなかった。
解りすぎて言葉に詰まってしまう。だから、死者を愛すれば愛するほど、その苦しみが癒えないことも知っていた。
下手な言葉を掛けても、ヤブキだけでなくマサヨシも古傷が痛むだけだ。だから、マサヨシは振り返られなかった。
 それが優しさではなく易しさだということは、充分理解していた。







08 6/25