アステロイド家族




一握の幸福



 この時を、どれほど待ち侘びていたことだろう。
 レギーナはフォルテと共に空間転移装置の作用フィールド内に入り、コロニーのハルや皆に思いを馳せていた。
フォルテはと言えば、軽装であることと武装を全て外されたことが気になるらしく、いつになく落ち着きがなかった。
強襲戦艦インクルシオ号のブリッジの前方に広がる超巨大全面モニターには、目的地の廃棄コロニーが現れた。
二週間離れていただけなのに、ひどく懐かしく胸が締め付けられる。と同時に、申し訳なさで目の奥が熱くなった。
ブリッジ内には、廃棄コロニーの内部に空間転移装置の転送座標を設定した、というオペレーターの声が響いた。

「兄上」

 フォルテに声を掛けられ、レギーナは妹を見上げた。

「なんだい」

「それはなんですか?」

 フォルテは、レギーナの足元に置かれた荷物を指した。レギーナはその袋を抱き締め、笑む。

「二週間も家を留守にしちゃったからね、そのお詫びのお土産だよ。ああ、それと、インクルシオ号の破損した外装や使用不可能な部品も空間転移装置の作用フィールド内に入れておいてくれた?」

「御命令通りに格納庫に準備しておりますが」

「後で座標位置を連絡するから、そこに転送してくれないかな」

「ただの廃棄物ですよ?」

 訝しげなフォルテに、レギーナは指を立てて横に振った。

「それも立派なお土産になるんだよ。さ、行こうか」

「空間転移装置、作動開始!」

 フォルテが命ずると、空間転移装置にエネルギーが注ぎ込まれた。それを用いて、二人の周囲の空間が歪む。
人工的に造り出したテレポーテーションにより、二人は一瞬にして宇宙空間を超越し、コロニー内に転送された。
だが、足場がなかった。コロニー内部のスキャニングが不完全だったらしく、地上から十数メートルの高さだった。
 レギーナはサイコキネシスを放ってフォルテと自身を支え、大事なお土産を抱えてから高度を一気に上げた。
久々に見る廃棄コロニーは、美しかった。故郷のモンタナ地方にも似た草原の青さに、フォルテも目を見張った。

「これは…」

 フォルテは空中を漂いながら、頬を緩めた。レギーナは、全身に吹き付けてきた夏の風を吸い込む。

「このコロニーは、ボク達の国と環境が近いんだよ。春が来れば夏も来て、秋も来れば冬も来るんだ」

「なるほど。兄上が御執心されるわけです」

 フォルテは長い耳をはためかせながら、金色の瞳を細めた。レギーナは、平地に立つ一軒家を指す。

「でもって、あれがボク達の家だ。そんなに大きくはないけど、素敵だよ」

「私も同感です。では、参りましょう」

 フォルテに促され、レギーナはミイムに切り替えてから頷いた。

「みぃ!」

 レギーナ、もとい、ミイムはサイコキネシスを緩めて降下させてから、弱い速度で地上を飛んで家に接近した。
機械生命体二人が住むガレージからある程度離れた位置で着陸して、辺りを見回すと、ハルの姿を見つけた。
ハルはマサヨシと共に、軒先のプランターの朝顔に水をやっていた。ミイムは途端に胸が詰まり、駆け出した。

「はぁーるちゃあああーんっ!」

 すると、すぐさまハルは振り向いた。ハルは水の入ったジョウロを放り出すと、全速力で駆け寄ってきた。

「まーまぁー!」

「会いたかったですぅ、すごぉーくすごぉーく会いたかったですぅー!」

 ミイムは胸に飛び込んできたハルを抱き上げると、ぐるぐると回した。ハルは、ミイムに力一杯しがみつく。

「良かったあ、ママがまた帰ってきてくれて! ずっとずっと待ってたんだからね!」

「これからはずうーっと一緒ですぅ」

 ミイムがハルに頬摺りすると、ハルは目を潤ませながらも笑顔で頷いた。

「うん! 約束だよ、ママ!」

「パパさんもただいまですぅ」

 ミイムはマサヨシに振り向き、微笑んだ。マサヨシは安堵を滲ませた笑みを浮かべ、ミイムに近付いてきた。

「ああ、お帰り」

「みゅう!」

 ミイムは感極まって、若干声を詰まらせた。ハルを地面に降ろしてから、何の気配のないガレージを指した。

「それで、あの二人の気配がないみたいですけどぉ、どこなんですかぁ?」

「海だ」

「ふみゅうん、なんでですかぁ?」

「俺が出撃出来ないと、あの二人も出撃出来ないからな。だから、この間から暇潰しを兼ねたサーフィンをしているようなんだが、帰ってくるとどっちも海水と砂でドロドロなんだよな。成果を尋ねても何も言ってくれないところを見ると、未だに成功したことはないらしいな」

「ああ、あれですかぁ」

 ミイムは先日の海水浴の悲劇を思い出し、唇を曲げた。マサヨシは、苦笑いする。

「ああ、あれだ。だが、近付きさえしなければ余計な被害を被らなくて済む」

「で、その…」

 ミイムが少し言葉に詰まると、マサヨシは家を指した。

「ヤブキなら昼飯を作ってるが。まあ、どうせ全員呼び戻すんだから、なんでもいいだろ。サチコ」

 マサヨシが呼び付けると、すぐさま球体のスパイマシンが現れた。

〈はぁーいっ! お帰りなさい、ミイムちゃん! それじゃ、これから全員に伝えるわね!〉

 と、サチコは浮かれた様子で通信を開始した。その数秒後に、海岸の方向から二人分の野太い絶叫が轟いた。

「何をしたんだ、お前は」

 マサヨシが訝ると、サチコはくるりとスパイマシンを一回転させた。

〈あいつらの思考回路に直接接続して、最大出力のパルスで伝えてあげただけよ?〉

 サチコの機械生命体嫌いは相変わらずのようだ。それが妙に可笑しく思えてしまい、ミイムは声を殺して笑った。
乱暴な足音の後に玄関が開き、サイボーグの青年が現れた。ヤブキはミイムの背後に視線を向け、首を捻った。

「ミイムが帰ってきたことは嬉しいんすけど、えっと、そちらはどなたっすか?」

「みゅ!」

 ミイムが慌てて振り返ると、フォルテは曖昧な表情を浮かべていた。

「いえ、兄上。どうぞお気になさらず」

「みゅうみゅう、紹介がちょっと遅れましたぁ」

 ミイムはフォルテに駆け寄り、示した。

「こちらはボクの妹のフォルテですぅ。ボクがおうちに帰るのが遅れちゃったのは、フォルテと話し込んだりしてたからですぅ。でも、フォルテはちっとも悪くないんですぅ。ボクが引き留めちゃったからなんですぅ。そこんところは、解ってほしいですぅ」

 フォルテは、深々と礼をした。

「兄上がお世話になっております。フォルテと申します」

「妹さんのタッパ、オイラよりもちょっと小さいくらいだから、百九十とちょいはあるっすかねー? だから、ウェイトも百ぐらいはありそうっすねー」

 ヤブキはフォルテに近付くと、手を翳して身長を比べた。フォルテはいきなりのことに戸惑い、僅かに身を引く。

「そうでしょうか?」

「んで、ミイムとはどれくらい歳が離れてるんすか?」

「いえ、私と兄上は生まれ出た順番が違うだけで、生を受けた日は全く同じです」

「じゃ、ピッチピチの十七歳ってことっすか」

 ヤブキは筋肉が厚く骨格が太いフォルテを上から下まで眺め回していたが、笑った。

「ていうか、むしろガッチムチの十七歳って言った方がマジぴったりっすね、ぴったり」

「じゃかあしいんだよコノヤロウですぅ!」

 ミイムはサイコキネシスを纏った足でヤブキを蹴り倒すと、フォルテを指した。

「人の可愛い妹に向かってなんてことを言いやがるんだよアホンダラですぅ! 少しは言葉を選びやがれってんだよ万年無礼野郎ですぅ! しかもなんだよガッチムチって! ぴったりすぎちまってフォローの余地が皆無じゃねぇかよコンチクショウですぅ!」

「あ、兄上…。私は、特に気にしてはおりませんから」

 フォルテがおずおずとミイムの背に手を伸ばすと、ミイムは振り向いた途端に愛らしい笑顔に戻った。

「みゅうみゅう、フォルテは心が広いですぅ」

〈フォルテさんがミイムちゃんに慣れないのも無理ないわよね〉

 混乱しきりのフォルテを見つつ、サチコがマサヨシに囁いた。マサヨシは、何度も頷く。

「俺達でさえまだ慣れ切っていないんだ、真っ当なリアクションだ」

 ミイムはヤブキを踏み付けたまま、フォルテを褒めている。フォルテはヤブキが気になり、兄の足元を窺った。
ヤブキは蹴り倒された勢いで少し埋まった体を地面から抜き、ミイムの足の下から匍匐前進の要領で這い出した。

「絶好のパンチラアングルだってのに、見えるのが野郎のノーパンじゃあ空しいだけっすね」

 匍匐前進をしながらヤブキがぼやくと、ミイムは再度サイコキネシスと共に蹴り付けた。

「だあらっしゃいですぅ!」

 だが、二度目の蹴りは当たらなかった。ヤブキは蹴りが落とされる直前に身を反転させて回避し、逃げ出した。

「そうそう、オイラってばカレーを煮詰めてたんすよねカレーを!」

「逃がしゃしねぇってんだよですぅ!」

 ミイムはお土産の入った袋の中から球状の物体を取り出すと、サイコキネシスを用いて勢い良く投げ飛ばした。

「あうお!」

 弾丸のように飛んだ物体はヤブキの後頭部に命中して高く跳ね上がり、落下して再度ヤブキの頭部を叩いた。
だが、威力はそれほどでもないらしく、ヤブキは地面で何度も跳ねている球体の物体を掴み取り、眺め回した。

「スーパーボールっすか?」

「そうですぅ。それがあんたのお土産ですぅ」

 ミイムは袋を突き出し、平らな胸を張る。

「ハルちゃんにはとってもふわふわなウサギさんを、パパさんにはちょっと値の張るコーヒー豆を、あの機械生命体二人にはスクラップのてんこもりを、だけどヤブキにはスーパーボールで充分なんですぅ!」

 ここぞとばかりに勝ち誇っているミイムに、ヤブキは若干照れくさそうに返した。

「え? オイラ、普通に嬉しいっすけど?」

「…スーパーボールだぞ?」

 マサヨシは同情混じりに苦笑いすると、ヤブキはへらっと笑った。

「壁に投げて無限壁打ちなんてすると、めっちゃめちゃ楽しいじゃないっすかー。ていうか、やらないっすか?」

「成人した大人はやらんぞ」

「いやいや甘いっすよマサ兄貴、男ってのは永遠の少年なんすよ」

〈言っていることはまともそうだけど、やっていることは少年と言うよりも幼児ね〉

 サチコの冷淡な言葉にも、ヤブキは動じない。それどころか、うきうきしながら家に戻っていった。

「さーて、今日のお昼はカレーっすよー。んでもって今日の夜はスーパーボールと風呂に入るっすー」

「本格的に幼児だな」

 マサヨシはヤブキの幼さに辟易しつつ、目論見が外れてしまったために悔しげなミイムに振り向いた。

「みゅぐう…。ボクとしたことが、あいつの精神年齢の低さを侮ったみたいですぅ」

「ねえねえママ、私のウサギさんって本当にあるの!」

 ハルはミイムのスカートの裾を掴み、引っ張った。ミイムは頷き、袋の中から真新しいぬいぐるみを取り出した。

「ほうら、ハルちゃんの新しいお友達ですぅ」

「わーい、ママ大好きー!」

 ハルは真っ白なウサギのぬいぐるみを抱き締めると、家に駆け込んでいった。マサヨシは、娘の背を見送った。
フォルテは状況が理解出来ていないらしく、ハルを見送るだけだった。ミイムは、ハルに小さく手を振っていた。
マサヨシがフォルテを見上げると、目が合った。彼女は多少の戸惑いは残していたが、マサヨシを見返してきた。

「ムラタどの。あの男は兄上の何なのですか?」

「平たく言えばケンカ相手で、良く言えば友人です」

 マサヨシの説明に、ミイムはちょっと嫌そうに頬を張る。

「うみゅうー…」

「道理で。兄上、本気ではありませんでしたものね」

 フォルテが小さく笑いを零すと、ミイムはつんと顔を逸らす。

「ヤブキなんかにボクの本気を出すのは勿体ないんですぅ」

「ですが、安心しました」

 フォルテは笑いを収めると、改めてマサヨシに礼をした。

「これからも、兄上のことをよろしくお願いします」

「言われなくとも、大事にしますよ。お顔をお上げ下さい、殿下」

 マサヨシが返すと、フォルテは顔を上げて姿勢を正した。

「いえ、お気になさらず。ここでの兄上が皇太子でも何でもないように、私も皇女などではありません。ヤブキどのが申し上げていたように、ピッチピチの十七歳の女の子です」

 自分で言いながら可笑しかったのか、フォルテは少々声を上擦らせた。ミイムは、妹の骨張った手を取った。

「みゅう。だから、一緒にお昼を食べましょう、フォルテ」

「はい」

 年頃の娘らしい笑顔で頷いたフォルテは、兄に手を引かれるがままに歩き出し、歩調を合わせて家に向かった。
外見は厳つく筋骨隆々だが、その中身は人間の少女と大差がないらしく、片鱗を感じたマサヨシは頬を緩めた。
後ろから見て気付いたのだが、フォルテの長い三つ編みは後頭部を囲むようにしてピンとバレッタで留めてある。
軍服よりは軽めだが飾り気のない青いスーツに、よく似合う髪型だ。大方、ミイムがしてやったことに違いない。
それだけのことだが、充分だった。髪を触れるなら二人の関係は本物なのだと、胸中に淀んでいた疑念が溶ける。
 マサヨシは、フォルテのレギーナに対する気遣いを疑っていた節があった。あまりにも対応が良すぎたからだ。
思い遣りに見せ掛けた謀略で嵌めたのでは、と思ったことは何度もあった。フォルテこそが真の黒幕では、とも。
だが、疑うだけ無駄だったらしい。二人は皇太子と皇女であるが、普通の兄妹と同じように心を通じ合わせている。
 偽りのない家族だ。





 


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