アステロイド家族




一握の幸福



 今日もまた、失敗に終わった。
 イグニスはトニルトスの愚かな特訓に今日も付き合ってしまった自分を最大限に責めながら、家路を辿っていた。
昨日も同じ結果だったのだから、今日も同じ結果に決まっている。何度訓練しても、機械生命体は水に浮かない。
だが、トニルトスにそれを言えばやたらとむきになり、文句の応酬を繰り返しているうちに結局海に行くことになる。
そして、今日も出来もしないサーフィンの特訓をしてしまった。イグニスはサーフボードを担ぐと、ため息を吐いた。
 後ろに続くトニルトスは全身くまなく海水に濡れており、普段は美しささえ感じられる青い外装が砂まみれだった。
どうしても出来ないのが悔しくて仕方ないのか、吸排気が荒かった。意地っ張りに輪を掛けて、負けず嫌いなのだ。
イグニスが付き合うから余計にトニルトスの意地が強まるのは解っているが、ここまで来ると付き合う方も意地だ。
だから、なんだかんだでイグニスはトニルトスに付き合ってしまうが、サーフィンはただの一度も成功しなかった。

「…屈辱だ」

 トニルトスの苛立ったぼやきに、イグニスは呆れながら返した。

「てめぇ、それ今日で何回目だよ?」

「私に出来ぬことはない、故に私は波に乗れるのだ」

「だーから、物理的に不可能だっつってんだろうが」

「不可能を可能にするのが戦士ではないか。貴様は誇りがないのか!?」

「そりゃ一応あるけどよ、絶対出来ないって解ってんのに何度も繰り返すことは間違いなく無意味だぞ?」

「やかましい! 私の努力を否定するな!」

「逆ギレすんなよ、大人気ねぇな」

「ええい、屈辱だ!」

 苛立ちに任せてトニルトスが飛び掛かってきそうになったので、イグニスはサーフボードを盾にして防御した。
海水が体中に残留しているせいで身体能力が低下していたトニルトスは、飛ぶことも出来ずに、正面衝突した。
サーフボードに響いた重量感のある震動を感じ、彼の体重を片手で支えながら、イグニスは我が家へ向いた。
こちらに向いているリビングの窓からは楽しげな会話が漏れ聞こえ、笑い合う家族の中にミイムが戻っていた。

「ああ、そういやそうだったな。さっき、電卓女が馬鹿みてぇな強烈なパルスで伝えてきたもんな」

「屈辱だ…」

 トニルトスはイグニスのサーフボードに衝突した顔を放すと、あるものに気付いた。

「おい、ルブルミオン」

「ん?」

 イグニスはトニルトスの視線の先を辿り、目を丸くした。分厚い合金や破損した部品が、山と積まれている。

「いぃっやっはぁー!」

 イグニスはサーフボードを放り投げてトニルトスの頭部に激突させたが、欠片も気付かずに全速力で駆けた。

「ぶあっ!」

 再びの衝撃にトニルトスは仰け反り、イグニスにすかさずやり返そうとしたが、イグニスの姿は遠くなっていた。
イグニスは自分の身長よりも大きなスクラップの山に近付くと、飛び込んだ。激しい金属音が、辺り一帯に轟いた。
がらがらと崩れ落ちた合金の中から現れたイグニスは、満足げに笑いながら、壊れた部品を集めて喜んでいる。

「そうだよ、これだよこれ! こんだけありゃあ、愛しのキャサリンを成長させられるぜ!」

 ありがとうよミイム、とイグニスがリビングに声を張り上げるとリビングの掃き出し窓が開いて返事が返ってきた。
トニルトスは全く訳が解らなかったが、スクラップの山で弛緩するイグニス目掛けて、彼のサーフボードを投げた。
イグニスは喜びすぎていたせいでサーフボードを受け止められずに、先程のトニルトスと同じく、頭部に激突した。
だが、イグニスはトニルトスに怒ることはなく、引き続きスクラップの山に埋もれながら変な笑い声を上げていた。
 攻撃することを諦めたトニルトスは、それを眺めた。イグニスの性癖は知っていたが、特に気にならなかった。
トニルトスは生まれも育ちも上層地区なので戦闘以外の行為で生計を立てたことはないが、下層地区は別だった。
彼らはトニルトスのように強く在ることを定められた身ではないため、這いずり回って働く他に生きる道はなかった。
イグニスもそうだったのだろう。役に立たないが多少価値はあるスクラップを集め、エネルギーを買っていたのだ。
だから、今も尚スクラップに執着する。それを汚らしいと思う反面、理解出来ないこともない、と回路の隅で思った。
それはやはり、機械生命体だからだろう。しかし、そんなことを口にするのは馬鹿馬鹿しいので、彼に背を向けた。
今は、体を洗浄して砂と塩を除去しなくては。明日こそサーフィンを成功させるためにも、整備は万全にしておこう。
 イグニスにだけは、負けたくない。




 賑やかな昼食が終わると、一転して家の中は静まった。
 ミイムは三人分のティーカップに紅茶を注ぎ、焼いたばかりのパンケーキを載せた皿と共にリビングに運んだ。
リビングのソファーには、外で遊ぶ娘の様子を見守るマサヨシと、その様を物珍しげに見るフォルテが座っていた。
ミイムがテーブルに紅茶とパンケーキを並べているとフォルテが立ち上がろうとしたので、制してから全て並べた。
妹の隣に座り、盆を置いた。フォルテは丁重に礼を述べてから、ミイムの淹れた紅茶を一口含み、味を確かめた。

「兄上、腕を上げられましたね」

 フォルテに褒められ、ミイムは頬を緩めた。

「ボクとフォルテが最後にお茶を飲んだのって、随分前のことですからね。それに、この家で毎日家事をしていたんですから、上手くもなりますぅ。でも、一番の理由は、ルルススがボクの頭の中に直接教えてくれたからですぅ」

「兄上、ムラタどの。我が祖国の今後について、少しお話ししましょう」

 フォルテはティーカップをソーサーに置き、話し始めた。

「ルルススの遺体は、兄上の右腕を移植させてから兄上として国葬を行います。兄上の配下にいた者達の真意も、今調べさせているところです。兄上を真に慕っていた者なのか、或いは兄上が母上から継承した独裁体制の温床に溺れていた者か、見定めてから手を下します。元老院も近いうちに解体します。そして、新たに選挙制で選出する議員で構成された議会を作ろうと思っています。皇族は私の代で終わらせるつもりですので、役割を終えたら政治の権限を議会へ委譲します。今まで母上が目もくれなかった地方へも赴いて、民衆から税を吸い上げていた貴族も潰していきます。他国との戦争は行いません。内戦も起こる前に収めます。これ以上、人々の血を流させてはいけないのです」

「賢いな、フォルテは」

 ミイムからレギーナに口調を戻してから、熱い紅茶に口を付けた。

「ボクは母上を愛していたけど、それと等しく恐ろしかった。だから、母上に少しでも気に入られたくて、母上のやり方をなぞっていたんだ。でも、それがそもそもの間違いだったんだ。ボクは母上のやり方に疑問を感じていたし、戦争を繰り返すだけでは何も始まらないと知っていたのに、戦争を始めてしまった」

「領土を広げるだけではいけないのです。土着の民から全てを奪うのではなく、まずは手を取り合わなければ」

「ああ、その通りだよ。フォルテこそが皇帝に相応しい」

 レギーナは首の後ろに手を回し、ピンクの宝石のペンダントを外すと、フォルテに差し出した。

「今この時を持って、レギーナ・ウーヌム・ウィル・コルリスは皇位継承権を辞退し、全ての権利と全ての財産をフォルテ・ドゥオ・フェーミナ・コルリスに譲渡する。かなり略式だけど、充分だよね」

 フォルテは皇族であることを示すペンダントを両手で受け取り、礼をした。

「謹んでお受けいたします」

「ということは、レギーナ殿下は完全に死んだことになるんですね?」

 マサヨシがフォルテに問うと、フォルテはペンダントを胸ポケットに入れた。

「はい。側近の存在は国民には知られておりませんし、貴族や元老院議員は兄上とルルススの顔は知っておりますが、妹の私でさえも見分けが付けられなかったのですから、余程のことがない限りは解らないかと」

「良かったな。というのも、変か」

 マサヨシがレギーナに向くと、レギーナは微笑んだ。

「ルルススが命懸けでボクを解放してくれたんだから、実体のない幽霊みたいな存在になることぐらい、どうってことないよ。それに、レギーナが死んだことでミイムが本当のボクになるんだから、むしろ喜ばないとね。ボクはフォルテのことはとても好きだけど、母星になんか戻りたくないし、それ以前に絶対戻れない。だから、これで良いんだよ」

〈もちろん、今回の事件に関わる情報は1バイトも残さず抹消しておくから安心して下さいな、フォルテ皇女殿下〉

 サチコの言葉に、フォルテは頷いた。

「それがいいでしょう。兄上のためにも、あなた方の平和な日々のためにも」

「殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

 マサヨシの目が向けられ、フォルテは振り向いた。

「なんなりと」

「あなたは、本当にレギーナ皇太子殿下を愛しておられますか?」

「言わなければ、解りませんか?」

 フォルテは照れくさいのか、僅かに頬を染めて目線を彷徨わせた。

「愚問でしたね」

 マサヨシが笑みを返すと、フォルテは表情を固めて兄に向き直った。

「これが今生の別れとなりますが、私は兄上を永久にお慕いしております」

「ボクもだよ、フォルテ」

 レギーナは自分よりも大柄な妹に身を預け、その厚い背に華奢な腕を回した。

「次に生まれてくる時は、普通の兄妹になりたいね」

「私もそれを望みます」

 フォルテの太い腕も、レギーナの背に回された。久々に感じる兄妹の体温は、遠い昔に感じた母にも似ていた。
だが、もう二度と会うことはないのだ。どちらともなく体を離した後は、他愛もない言葉を交わして時を過ごした。
互いの過去を確かめ合うように、記憶を辿って話を続けた。だが、決してこれから先のことは話そうとしなかった。
 ルルススは死んだ。レギーナはこれから死ぬ。皇位継承者はフォルテだけとなって、いずれは皇族を滅ぼす。
先代皇帝の死から始まった悪夢の連鎖はルルススの死で終焉を迎えたが、フォルテの戦いは終わっていない。
けれど、レギーナはそれを支えることすら出来ない。一度でも妹を殺そうと思った自分に、妹を支える資格はない。
両手は死者達の血に赤黒く染まり、足元は腐った墓土に沈み、頭上からは絶え間なく罪を咎める矢が降り注ぐ。
だから、今のレギーナがフォルテのために出来ることは、フォルテのことを全て忘れて関わらずに生きることだ。
 紛い物だが暖かな、一握の幸福を握り締めながら。




 太陽系を離れた強襲戦艦インクルシオ号は、ワープ空間に突入していた。
 フォルテは艦内でも最も広く設備が整っている皇族専用船室に戻ると、窓の傍に立ち、軍服の襟を緩めていた。
兄に留められていたままの髪も解き、背中に三つ編みを垂らす。手に残る、兄の華奢な体の感触が生々しい。
 美しく心優しい兄のことは、誰よりも愛していた。幼い頃からずっと、兄はフォルテと同じ目線で接してきてくれた。
側近達とはまた違った意味で、心を許せる相手だった。統率者としては弱すぎたが、男としては最高の男だった。
だが、彼は優しすぎた。それ故に期待に押し潰されて心が歪み、ルルススに狂気を分け与えて全てから逃げた。
一歩間違えば、フォルテもそうなっていたことが容易に想像出来る。だから、フォルテは兄を責められなかった。
一言でもいいから、責めれば良かったのかもしれない。そうすれば、最後の最後まで兄を慕わずに済んだだろう。
そして、苦しまずに済んだだろう。兄の処遇については自分で考え、決断したはずなのに、今でも胸が苦しかった。
 フォルテは軍服の内側から護身用のナイフを取り出すと、三つ編みを持ち上げて根本に当て、一息で切った。
千切れた青い髪の切れ端が舞い、太い三つ編みが足元に落ちる。その軽い音に紛れて、別の音が耳を掠めた。
フォルテはナイフを持ち替えて下手に投げると、壁に掛けられたドレープを切り裂いた後に、何かに突き刺さった。
緩やかに傾いた物体が、床に倒れた。間接照明に照らされた影が伸び、赤黒い水溜まりがじわじわと広がった。

「私はテレパスだぞ。気配を悟れぬわけがなかろうが」

 フォルテは脇のホルスターから熱線銃を抜くと、ドレープの下に広がる血溜まりの主へ銃口を向けた。

「顔を見せろ、暗殺者」

「独裁者め…」

 血を吐くような呻きと共に、顔立ちにはまだ幼ささえ残る青年兵士が這いずった。レウェ・アウリスだった。

「レギーナ皇太子殿下を殺めた罪、その命で償ってもらう!」

「そうだ。私は兄上を殺した」

 フォルテは胸にナイフが刺さったレウェに歩み寄ると、戦闘服の襟元を掴み、足元が浮くほど高く持ち上げた。

「あの男は死なねばならん男だったのだ。だから、殺しただけだ」

「コルリス帝国は、我らがレギーナ皇太子殿下が支配するべきだ! 美しき者こそが、宇宙の覇者に相応しい! お前達のような醜悪なメスを滅ぼすことこそが、あの御方の本望だ!」

「兄上を侮辱したな?」

 フォルテは僅かに目を細めると、レウェの細い首を握り締め、頸椎を折った。鈍い音の後、彼の体は痙攣した。
折れた頸椎をもう一度きつく握り締めると、見開かれた目がぐるんと上向き、顎が開いてだらりと舌が零れ出た。

「トリア、クアットロ」

 フォルテが呼び付けると室内の空間が歪み、二人が姿を現した。

「両名とも、ここに」

「こいつの裏を取れ。それと、この部屋のサイキックキャンセラーの調整もしておけ」

 フォルテがレウェの死体を投げ捨てると、クアットロは首を折られて絶命した少年の死体を見下ろした。

「ああ、そういうことですか。身体的特徴だけで大体の見当は付けられました、フォルテ様。この少年は出身は帝国西部のはずでしたが、耳の長さや体毛の長さについては帝国南部に暮らす部族に近しいです。帝国南部の都市には男性主義者が旗揚げした革命組織の情報がありますが、レウェ・アウリスは十中八九その組織に所属していたのでしょう。細かな情報の裏付けを取った後に、報告書を提出させて頂きます」

「なるほどな。ルルススの置き土産、ということか」

 フォルテは、トリアの差し出した布で手を拭いた。クアットロは、空間超越の際に少しずれたメガネを直す。

「帝都防衛戦の最中に逃亡を図るために状況を攪乱させる役割としてルルススがテレパシーを用いて頼ったこともあって、今まで以上に思い上がっているのでしょうね。この分では、国内だけでなく軍の内部も徹底した洗浄を行わなければなりませんね」

「相変わらず便利すぎるぐらい便利ですね、クアットロは」

 トリアは少々不満げに、死体を検分している妹を見やった。

「空間超越の計算式を記憶しているだけなのに、見事な湾曲空間を発生させて姿を隠すことも出来るし、この船はおろか惑星プラトゥムのデータベース内の情報も網羅しているし。私の存在意義を徹底的に奪うつもりですか」

 クアットロは立ち上がると、小さく肩を竦めた。

「それは言い過ぎですよ、トリア。私はあらゆる物事を記憶し、応用することは出来ますが、肝心のフォルテ様のお世話についてはさっぱりなんですから」

 トリアは主の軍服を脱がそうとして、三つ編みが切り落とされていることに気付いた。

「フォルテ様、いかがなされたのですか?」

「私なりのけじめだ」

 フォルテは髪の重さが失せた後頭部を、軽く押さえた。トリアは主の軍服を腕に掛け、その肩に上着を掛ける。

「後で整えて差し上げます」

「頼む」

 フォルテは窓の外に広がる宇宙を見据えて、決意を固めた。この瞬間から、兄への思いは封じ込めてしまおう。
愛情も慕情も敬意も変わらない。だが、これから先、フォルテが歩むべき茨の道には兄の存在は不要だからだ。
兄は死んだ。フォルテが殺した。兄の存在を潰えさせたのは自分自身なのだから、決して振り返ってはならない。
髪が長いままでは、兄の最後の思い出から離れられない。だからこそ髪を切り落とし、兄の思い出も切り捨てた。
 レギーナの手中には淡い幸福が残ったが、フォルテの手中には四十億の国民の命と未来が乗り、溢れている。
それらを零さずに守り抜き、等しい幸福と温かな平和へと導く日まで、フォルテは気を緩めることすら許されない。
 それが、皇帝だ。







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