今も尚、君を愛しているから。 良い機会だと思った。 ヤブキは雑然とした自室で胡座を掻きながら、パソコンのホロビジョンモニターに浮かぶ映像を見つめていた。 数週間前に応募したニンジャファイター・ムラサメのショーの入場券当選を知らせるメールが、届いていたのだ。 実際に番組に出演しているサイボーグアクターが出演するステージと言うこともあって、倍率は恐ろしく高かった。 番組が終盤に近付いてきたためにファンが増えてきたこともあり、今回は当選しないのでは、と少々不安だった。 だが、こういう時だけは運が良いらしい。ヤブキは内心で込み上がってくる笑みと共に、複雑な思いも感じていた。 「火星か…」 そのショーが行われる場所は、ヤブキの故郷である火星基地内のテーマパークだった。 「ダイアナにも、随分会っていないしな」 ヤブキはモニターを切り替え、満面の笑みを浮かべた黒髪の少女の映像を表示させ、少しだけ気持ちを緩めた。 妹は、ハルと同い年だった。顎も丸く、頬も柔らかく、澄み切った青い瞳は、世俗の穢れを何一つ知らない色だ。 そして、未来も知らずに死んでしまった。この画像を撮ってから程なくして、ダイアナは短い生涯を終えてしまった。 これはきっと、ダイアナが来いと言っているのだろう。アステロイドベルトに来てから、一度も会いに行けなかった。 だから、火星に行かなければ。ニンジャファイター・ムラサメが口実だったら、他の家族も悪い気はしないだろう。 火星基地も広い場所だ。基地とは名ばかりで、地上型コロニーの中では太陽系内最大の規模を誇る居住地だ。 十年前、ヤブキが暮らしていたエリアは火星の赤道付近に連なるイクウェーターエリアの研究員用居住区だった。 両親が旅立ち、そしてダイアナが死んだので、ヤブキはそのエリアの住宅を引き払って木星の軍基地に移転した。 だが、軍人になるべく木星基地の訓練学校に入学したはいいが、成績が悪すぎてしまい、最終的に放校された。 火星に住んでいた頃の友人達はとっくに成人し、それぞれの目指していた職業に就き、今では連絡も取らない。 グリーンプラントの研究員も、十年も過ぎれば大分顔触れが変わっているので、知り合いはほとんどいないだろう。 もう、火星にはヤブキの居場所はないのだ。それはヤブキとしては好都合だったが、人並みに物悲しさは感じた。 未だ、両親が帰還した様子はない。惑星プラトゥムから地球に向かった宇宙船はコルリス帝国の戦艦だけだ。 開拓植民船に搭乗していた両親が帰還する、という連絡はあったが、出航したという連絡はまだ届いていない。 惑星プラトゥムは、太陽系からは銀河を十五も間に挟んだ先にある辺境なので、大型船以外の移動手段はない。 だとすれば、ダイアナと会うのは今しかない。両親が火星に帰ってくる前に、自分の中で区切りをつけなければ。 最愛の妹のためにも。 翌日。ヤブキの思惑通り、皆はニンジャファイター・ムラサメのショーを観たがった。 ミイムは真っ先に反応したが、複雑そうな顔をして身を引いた。その反応が意外で、ヤブキはマサヨシに問うた。 マサヨシはミイムに関する何かしらの事情を把握しているようだったが、はっきりと言い切らずに、言葉を濁した。 それが気になったが、ヤブキは深く突っ込まないことにした。ヤブキにも事情があるように、ミイムにも事情がある。 だから、来たくなければ来なくてもいい、とヤブキが言うと、ミイムはやけにむきになって絶対に行くと言い張った。 何かしらの事情はあるが、ムラサメは観たいらしい。気持ちは解らないでもないので、ヤブキは素直に了承した。 当選したショーの入場券はファミリー向けだったので四枚あり、マサヨシとハルとミイムとヤブキの人数分はある。 だが、問題が残っていた。一家の中でも最大の問題児である巨大な愛玩犬、トニルトスの処遇について、である。 イグニスはまだ分別が付いているが、トニルトスをコロニーに置いておくのは不安を通り越して危険極まりない。 宇宙サーフィンの件もあったため、今回は家族全員で出掛けよう、ということで決定し、ジェニファーを呼び出した。 ジェニファーは火星への家族旅行だと聞くと面倒そうな顔をしたが、マサヨシから料金を受け取ると態度を変えた。 輸送戦艦ダンディライオン号にマサヨシの愛機のHAL号も搭載させてから、一家は火星基地へ向けて出発した。 そして、ワープドライブを用いた三時間の航行の後、ジェニファーの操るダンディライオン号は火星に到着した。 火星の衛星軌道上に浮かぶ宇宙港で審査を受けてから入港し、ダンディライオン号は火星の地表へと着陸した。 イクウェーターエリアの火星第十二宇宙港に輸送戦艦を停泊させてから、一家と運転手とその相棒は船を下りた。 火星内でも最も太陽光を受けられるイクウェーターエリアは、宇宙港から出てすぐのエリアにも植物が多かった。 人口が多いので廃棄コロニー内よりも若干薄めだが、それでも充分な量の新鮮な酸素が空気に満たされていた。 他の惑星のコロニーとは違い、異星人の数は少なめで、火星の住民と思しき者達の割合が見るからに多かった。 それ以外はマサヨシらのような観光客か、統一政府から派遣されている研究所の職員、というような具合だった。 エリアを覆うパネルには青空の映像が映し出されており、こちらも季節は夏に設定されているので空の色が濃い。 「久々ねー、火星なんて。他のコロニーに比べると、やっぱり空気がいいわぁ」 ジェニファーは深く息を吸い、大きく伸びをした。 〈御言葉通りでございます、マスター。ダンディライオン号の艦内空気も常時循環し、各種フィルターを使用して濾過しておりますが、空気自体の鮮度は植物によって生成された酸素の足元にも及ばないのでございます〉 その背後で、自立型機動歩兵のセバスチャンが従順に頷いた。 「やけにあっさり引き受けてくれたと思ったが、お前にも何か用事があるんだな?」 自分の荷物と共にハルとミイムの荷物を担いでいるマサヨシが言うと、ジェニファーはへらっと笑った。 「ん、まぁね。私も結構忙しいから」 〈マスターの目的はあなた方の輸送以外にもございまして〉 と、セバスチャンが説明を始めたので、ジェニファーはセバスチャンを遮った。 「そこまで言わなくてもいいの。ついでにショッピングもするんだから、あんたはいつも通り荷物持ちね」 〈それでは皆様、ジェファーソン運送のまたのご利用をお待ちしております〉 セバスチャンはマサヨシらに深く礼をし、ジェニファーの後を追った。主からつかず離れずの距離を保っている。 ジェニファーはマサヨシらに大きく手を振っていたので、それに釣られてハルもジェニファーに向けて手を振った。 二人の姿が見えなくなると皆の視線は自然とサチコに向いたが、サチコは素早く移動してマサヨシの背に隠れた。 〈な、何よぉ!〉 「いやあ…あれこそがコンピューターのあるべき姿ってやつだろ」 イグニスがもっともらしく頷いたので、トニルトスはサチコを見下ろした。 「うむ。貴様のように回路が飛びそうなほどヒステリックな上に宇宙に選ばれし生命体である機械生命体に心身共に危害を加えるようなコンピューターは、本来不良品として処分されるべきなのだ」 「セバスチャンは人格形成に金を掛けていないから単調なだけであって、サチコは金を掛けたからこうなったんだ。というか、昨今のコンピューターはサチコみたいなのが普通だぞ? むしろセバスチャンのようなタイプの方が時代遅れなんだ」 マサヨシはサチコを庇うが、ミイムも容赦がなかった。 「でもぉ、だったらなんでもっとお淑やかな美人メガネ秘書みたいな性格にしなかったんですかぁ? 疑問ですぅ」 「そうっすよねー。どうせなら、自分の好みをこれでもかって詰め込んだ最萌えキャラにしちゃうっすよねー。もしかして、マサ兄貴ってば有能で気が強くて冷血だけどいざフラグが立っちゃえばデレデレでそのくせ嫉妬深いっていう、委員長系でも好きなんすか? だったら、サチコ姉さんのビジュアルはもちろんロングヘアのオールバックでデコ丸出しでメガネで吊り目っていうスタンダードな委員長だったりするんすか?」 「そんなわけがないだろうが」 饒舌なヤブキにマサヨシが苦笑すると、サチコはその背後からスパイマシンのレンズを覗かせた。 〈そうよそうよ! 大体、なんで私が委員長なのよ! そもそも何の委員長なのよ!〉 「あ、でも、世の中にはいいんちょさんっていう変則的なジャンルもあったりなんかしちゃったりするんすよ?」 〈だから何の委員長なのよ!〉 「問題は何の委員長とかじゃなくて、委員長だってことが重要かつ重大なんすよ!」 ヤブキは力を込めて言い切ったので、言っていることは訳が解らないがやけに説得力があった。 「ねー、早くムラサメを観に行こうよぉー」 一連のやり取りに付いていけないせいか、ハルが暇そうにむくれている。 「おう、そうだな! 早く行こうぜ、ハル!」 膝を付いたイグニスが手を差し出すと、ハルはその手に導かれてイグニスの肩装甲の上に座った。 「むーらさめーむーらさめー」 「そうだな。ショーの開始時間まではまだ余裕があるが、入場するのは早い方がいいだろうからな」 マサヨシが言うと、ミイムは恍惚とした眼差しであらぬ方向を見つめた。 「そうですぅそうですぅ、早く行ってトオリちゃんの限定グッズを徹底的に買い漁るんですぅ! アイドル顔負けのキラキラしたブロマイドとかぁ、オタ臭過ぎて絶対に着られないTシャツとかぁ、用途不明のピンズとかぁ、これもまた用途不明のラミカとかぁ、お湯を入れると水着姿になっちゃうマグカップとかぁ、世間的にはかなり恥ずかしいストラップとかぁ、デカ過ぎて飾れないA2のポスターとかぁー、痛すぎるけど魅力的な等身大POPとかぁー、完全受注限定生産の1/1フィギュアとかぁー」 「今日のは至極真っ当な小さなお友達向けのショーなんすから、そんなのは売ってないっすよ」 ヤブキが呆れると、ミイムは舌打ちした。 「ちっ」 「でも、小さなお友達向けでも充分いいことはあるっすよ。金は取られるっすけど、握手会と撮影会もあるんすよ」 ヤブキの補足を聞いた途端、ミイムは歓喜してぴょんと飛び跳ねた。 「それを先に言いやがれってんだよオンドリャですぅ! だったら余計に早く行くですぅ!」 「んじゃ、とりあえず目的の場所に案内するっすよ。イクウェーターエリアはその構造と役割の都合上、他の居住区に比べて内部改装の頻度が低いっすから、オイラがいた頃とそんなに構造が変わっていないはずっすから」 ヤブキが歩き出したので、マサヨシは後に続いた。サチコはようやくマサヨシの背から離れ、傍に寄り添った。 イグニスの肩に乗るハルは初めて訪れた火星基地が珍しいらしく、しきりに辺りを見渡しては声を漏らしている。 ハルを肩に乗せているので、いつもより足取りが柔らかいイグニスも、興味深げに植物の多い空間を見回した。 トニルトスはそうでもないのか、ただ前だけを見て歩いている。ミイムは浮かれているが、視線が注意深かった。 コルリス帝国の偵察艇を撃破した開拓植民船の搭乗員のほとんどは火星出身だった、という件があるからだろう。 だが、その事実は民衆には周知されていないらしく、大抵の人間はミイムの耳と尾を一瞥するがそれきりだった。 マサヨシは軽く安堵していたが、警戒心は緩めなかった。そして、先頭を行くヤブキの後ろ姿に別の懸念を抱いた。 ヤブキは火星基地が出身地だとは言っていたが、今の今まで一度も火星に里帰りしたいとは言わなかったのだ。 となれば、その妹のダイアナの墓もあるはずだ。しかし、これまで、ヤブキはその事実を徹底して隠し通してきた。 他人に自分の過去を知られたくない、とでも言うかのように角張ったマスクフェイスの下に素顔を押し込めていた。 ヤブキは言動こそ無駄に明るい青年だが、その内面は人並みにデリケートであり、心の奥底に傷を持っている。 過去を明かし、家族としての距離を狭めたいというのなら喜んで受け入れる。だが、それ以外の目的だとしたら。 「ヤブキ」 マサヨシが声を掛けると、ヤブキは振り返った。 「なんすか、マサ兄貴?」 「俺に家族サービスをする機会を与えてくれたのは嬉しいが、どうしたんだ、急に」 「そんな、どうもこうもないっすよ。ムラサメのショーの入場券が当選したからってだけっすよ。それに、オイラは宇宙船の操縦はからっきしっすから、オイラ一人じゃ火星に来ることなんて出来なかったんすよ」 「だが、これまでにも火星に来る機会はあったと思うが?」 「色んなことは、ダイアナの前で話すつもりっすよ」 ヤブキの明るい声色が沈み、かすかに重みを含んだ。 「ああ。解った」 やはり、何かある。この場では言及してはいけない、とマサヨシが了承すると、ヤブキはすぐに態度を戻した。 「さーて、今日のショーの内容はどんなもんっすかねー」 ヤブキの口調は明るく、陰りは見えない。その裏に何が隠れているのか、知らない方が良いのかもしれない。 本音を言えば、知りたくない。マサヨシも皆に言えないことがあるのだから、下手に掘り返さない方がいい、と。 だが、知らなければいけないのだ。ヤブキが明かしてくれるのであれば、それを受け止めるのが家長の役割だ。 しかし、こうも思う。自分の弱さすら乗り越えられない男が、他人の痛みを受け止めた後も立っていられるのか。 自分自身のことであれば、それなりに対処も出来る。受け止められる。だが、他人の痛みは他人のものなのだ。 そこに至るまでの過程も、痛みの意味も、重みも、苦しみも、全てを想像で補った上で対処しなければならない。 それが驕りでなくてなんであろうか。他人の痛みを受け止めたつもりで、そのまま受け流してしまうかもしれない。 マサヨシも人並みに弱い。ヤブキを理解するふりをして、逆にヤブキを突き放してしまう可能性も充分にあった。 けれど、恐れるのはまだ早い、とも思う。ヤブキに対する気持ちを決めるのは、事実を知ってからでも遅くはない。 少なくとも、逃げることは出来ないだろう。 08 7/13 |