アステロイド家族




火星より愛を込めて



 その夜。
 大きさの都合上機械生命体達はジェニファーのダンディライオン号に戻ったが、他の面々はホテルに泊まった。
あまり値の張らない中の上程度のランクのホテルなので、設備は大したことがなかったが、寝るなので充分だ。
マルスパークで目的のニンジャファイター・ムラサメのショーを見終えた後、興奮冷めやらぬままで遊び尽くした。
 特に凄まじかったのがミイムで、入場当初のハイテンションを引き摺っているせいで何度も歓声を上げていた。
ショーを見終えた直後から、手当たり次第にアトラクションに乗って回ったために、帰る頃にはグロッキーだった。
ヤブキに背負われてホテルに運ばれたミイムは、疲れすぎて夕食も食べられず、帰った途端に爆睡してしまった。
ハルもマサヨシの背中でうとうとしていたが、少し寝たら起きてきて、こちらはちゃんと夕食を食べることが出来た。
サイボーグであるが故に恐ろしいまでの体力を持つヤブキは最後まで元気で、こんな日も深夜まで起きていた。
だが、ネットゲームにログインすることもなければ、ネットやアニメを観るでもなく、いつになく大人しくなっていた。
 ハルが寝入ると、ホテルの室内は静かになった。マサヨシも昼間の疲れが出てきて、少し眠気を感じていた。
ヤブキはサイボーグボディに充電しながら、窓の外に見える作り物の夜空を眺めていたが、マサヨシを見やった。

「マサ兄貴、エアカー出せるっすか?」

「こんな夜中に、どこへ行くつもりだ」

 マサヨシが聞き返すと、ヤブキは笑った。

「夜中だから、行くんすよ。昼間は、オイラも皆と一緒に遊びたいっすからね」

「ダイアナのところか?」

「そうっすよ。それに、ダイアナのことは、マサ兄貴には知っておいてほしいけど、他の皆にはあまり知られたくないんすよね。なんていうのかなぁ…。ダイアナのことはもちろん大事で、これからもずっと大事なんすけど、マサ兄貴や皆のことも大事なんす。だから」

 マサヨシに返しながら、ヤブキは充電用ケーブルを抜き、腹部の内部に巻き込んで収める。

「ああ、俺にも解る」

「へへ、なんか嬉しいっすね、そう言われると」

 ヤブキは少し照れ笑いを零してから、ホテルのカードキーと情報端末を軍用ズボンのポケットに突っ込んだ。

「案内するっすよ。ダイアナのところに」

「サチコ、来い」

 マサヨシが充電スタンドの上で休んでいるスパイマシンに声を掛けると、彼女は少々躊躇った。

〈でも、私が行ってもいいのかしら〉

「別にいいっすよ。サチコ姉さんはマサ兄貴の一部っすから、マサ兄貴が隠してくれるっていうんならサチコ姉さんも隠してくれるんすよね?」

 ヤブキの言葉に、サチコはするりと充電スタンドから浮かび上がった。

〈そうね。私は、マサヨシの思う通りにするわ〉

「案ずるな。お前が言いたくないことがあるなら、俺は他の奴らには言わないさ」

 マサヨシが笑いかけると、ヤブキは嬉しそうに返した。

「さすがはマサ兄貴っすね」

 ヤブキが部屋を出たので、マサヨシも後に続いた。オートロックで鍵が閉まったことを確かめてから、外へ出る。
マサヨシが秘密を共有しているのは、ヤブキだけの話ではない。イグニスとミイムも、それぞれに隠し事がある。
そして、マサヨシも隠し事がある。上っ面だけの関係を維持するためには、何かを隠し通すことも必要だからだ。
これは、良いことなのか、悪いことなのか。皆がそれを望んだ末の結果なので、一概に悪いとは言い切れない。
 だが、良いとも思えなかった。




 火星の造られた夜は、眩しかった。
 イクウェーターエリアの頭上を覆うパネルに表示される空の色が暗くなっただけで、繁華街からは光は消えない。
エアカー専用のバイパスも同じことで、光の洪水と化したエアカーやエアバイクがひっきりなしに行き交っている。
観光客や星間旅行客向けの繁華街を抜け、火星基地住民達が住む居住区に入っても、街明かりは弱まらない。
騒音こそ少ないが、様子は大して変わりない。ヤブキの指定した地区に到着するまで、時間が掛かりそうだった。
 バイパスから降りて細い路地に入り、奥へ奥へと進んでいくと、居住区に連なる住民達の住宅の数も減ってきた。
街灯も減っていくので、辺りの闇は深くなる。道の脇で青々と茂っている植物の間から、虫の鳴き声が零れている。
そして、ホテルを出てから一時間以上過ぎ、ようやく目的の場所に到着したのでマサヨシらはエアカーから降りた。
 イクウェーターエリア・セメタリー。生者の世界と死者の世界を隔てているものは、冷え切った金属の柵だった。
ヤブキは情報端末を取り出し、柵の脇に備え付けられたコントロールパネルに当てると、軋みながら門が開いた。
恐らく、墓地に眠る者の身内であることを示すデータだろう。ヤブキに促され、マサヨシとサチコも墓地に入った。
 墓地の中には、銀色に輝く金属柱がずらりと並んでいた。一メートルほどの長さの棒には、人名が記されている。
街灯を浴びてぎらぎらと輝く無数の棒の数だけ、命が終わった証でもある。マサヨシは、苦い思いが込み上げた。
サチコとハルの遺体を未だに埋葬させていないのは、自分の我が侭だ。本当なら、二人もこうしてやるべきだ。
夫として、父親として、最低だ。そう思いながらも、マサヨシはその感情を押し込め、出来るだけ無表情を装った。

「ダイアナ。兄ちゃんだぞ」

 ヤブキが立ち止まった。マサヨシも立ち止まり、その前に立つ金属柱を見下ろした。

「元気してたっすか?」

 DIANA・YABUKI。金属柱に刻まれている名前だけが墓標の個体差であり、それ以外の個体差は全くなかった。
ヤブキが墓に印された妹の名に触れると、墓標の先端が開き、ホログラフィープロジェクターのレンズが現れた。
そこから光が溢れ、映像が造り出された。ヤブキの目の前に、ハルに近い背格好の幼い少女が映し出された。
 黒髪に青い瞳の活発そうな少女だった。丸っこい目と健康的な頬が印象的で、目鼻立ちははっきりしている。
澄ました表情でこちらを見上げる顔にも、柔らかそうな手足にも、小さな肩にも、手を伸ばせば触れられそうだ。
だが、ヤブキの指先は少女を空しく擦り抜けた。それでも、ヤブキはとても優しい手付きで妹の幻影を慈しんだ。

「これがオイラの妹の、ダイアナっすよ」

 ヤブキはホログラフィーの前から身を引き、妹を示した。

「お前に似ているのか?」

 マサヨシが尋ねると、ヤブキは肩を竦めた。

「まさか。ダイアナは母さんに似ているから結構可愛いんすけど、オイラはどっちにも似てないんすよ。自分で言うのもなんすけど、地味っていうか時代遅れっていうか、そんな感じなんす。つっても、オイラの体は十歳の時に死んだから、今となっちゃどうでもいいことなんすけどね」

「そっちの方は、見せたくないんだったら見せてくれなくてもいい」

「ありがたいっすね。オイラも出来れば見せたくないっすよ、未練が出てきちゃうっすから」

 ヤブキはマサヨシに向き直り、側頭部を指先で叩いた。

「んで、ついでだから言っておくっすけど、オイラの口調がこんなんなのは十年前に一度死んだせいなんすよ。肉体が死んだ時の影響で、辛うじて生き残っていた脳の方にもかなり負担が掛かっちゃって、特にやられちゃったのが言語中枢だったんす。でも、脳が全部死ぬ前に処置を施されて、脳内組織の再構成処理をしてもらったから、記憶とか感情とかは生身の頃とほとんど変わらないんすけど、言語中枢だけはいつまでたっても不完全だったんすよ。でも、リハビリをしたおかげで、まともに喋れるようになったっすけどね。だから、かなり意識して押さえ込まないと、オイラの口調は矯正出来ないんすよ。まあ、これはこれで好きなんすけどね」

 ヤブキは、ダイアナの墓に視線を戻す。

「まどろっこしいのは苦手なんで、本題に入らせてもらうっす。ダイアナは、オイラのせいで死んだんすよ」

 その言葉には躊躇いはなく、強かったが、己への憎悪が滾っていた。

「十年前の、次元震が原因の事故で」

 ヤブキが口にした言葉に、マサヨシは暗がりの中で目を見張った。あの次元震の被害者が、他にもいたのか。

「十年前は、オイラは十歳でダイアナは五歳だったんす」

 生身の頃のヤブキは知らなくとも、明るく元気な少年の姿は目に浮かぶようだった。

「主に植物に関する遺伝子工学を研究していたオイラ達の両親は、その二年前に開拓植民船に技術員として搭乗していったんす。まだ八歳のオイラと三歳のダイアナを火星に残して。一応オイラ達の世話をしてくれる人はいたし、オイラもダイアナが大好きだったから頑張っていたんすけど、やっぱり寂しいものは寂しかったんす。だからいつも、ダイアナはお母さんに会いたいって泣いてばかりだったんす。普段は元気な子なんすけど、本当にちょっとしたことで泣いちゃうんす。ちゃんと両親が揃っている家族連れを見たりとか、母さんぐらいの年齢の女性に優しくされたりとか、誕生日とか、クリスマスとか、連休とか、日曜日とか、金曜日の夜とか。オイラはそれが鬱陶しくて怒っちゃう時もあったけど、本当はオイラも寂しかったんす。だから、ダイアナが泣いているとオイラまで悲しくなっちゃうから、早く泣き止んでほしくて怒っちゃったんす。今も昔も、オイラは器用じゃないっすから」

 ダメな兄貴なんすよ、とヤブキは自虐した。

「そしてあの日も、そうだったんす」

 ヤブキは在りし日の妹を造り上げているホログラフィーに触れ、内心で目を細めた。

「その日、オイラは学校が上がったから幼稚園にダイアナを迎えに行ったんすけど、そこにはダイアナはいなかったんす。保育士の先生に訊いたら、ダイアナは幼稚園が終わるとすぐに飛び出していっちゃったんす。お父さんとお母さんのお船が帰ってきた、って言って、凄く嬉しそうに駆けていったそうっす」

 大柄なサイボーグの背が、今ばかりは弱々しく見えた。

「でも、オイラの方じゃそんな連絡は受けていなかったし、保育士の先生も不思議がってたそうっす。んで、オイラが情報端末で慌てて確認したら、宇宙船は来たことには来ていたんすけど、両親の乗った開拓植民船じゃなくて辺境宇宙を調査していた次元探査船だったんす。長期の次元探査を目的として設計された宇宙船だったから、戦艦並みに図体がでかかったんすよ。五隻に別れて次元探査していた探査船の中の一隻で、その名前は忘れもしない、パッシオ号だったっす。それを、ダイアナは勘違いしたっつうか、やっと両親が帰ってきてくれたんだって思い込みたかったんすよ」

 次元探査船。聞き慣れているが胸の奥を抉る単語に、マサヨシは僅かに視線を彷徨わせた。

「その気持ちはオイラにも痛いほど解ったけど、このままじゃダイアナが迷子になっちゃうって思って、すぐに捜しに行ったんす。ダイアナにはいつも情報端末を持たせていたから、居場所はすぐに解ったんすけど、その時にはもうダイアナは宇宙港まで出ていたんす。オイラも急げるだけ急いで追いかけて、なんとかダイアナが乗り込んだ連絡艇に乗って、その中でダイアナを捕まえたんすけど、ダイアナは嬉しそうに言うんす」

 ヤブキの大きな肩が、小刻みに震える。

「お父さんとお母さんが帰ってきたよ、早く迎えに行こうよ、お兄ちゃん、って。あんなに嬉しそうなダイアナを見るのは、本当に久し振りだったんす。だから、オイラはあれは違うんだってことを言えなくなっちゃって、せめてダイアナの気が済むまで行こうって、そのまま連絡艇で火星の衛星軌道上にある宇宙港に向かったんす」

 そこから先は、聞きたくない。

「そしたら、いきなり次元震が起きて」

 言うな。それ以上、言うな。

「オイラとダイアナの乗った連絡艇は、次元震の余波で生まれた衝撃波を受けて真っ二つに折れて」

 言わないでくれ。

「オイラとダイアナはなんとか無傷だったブロックに逃げ込んだんすけど、二度目の衝撃波で船体が傾いて」

 もう、やめてくれ。

「その衝撃でダイアナは通路を滑り落ちて、流出する空気と一緒に宇宙空間に放り出されて、オイラも船体の爆発に巻き込まれて、手も足も内臓もぐちゃぐちゃになって…」

「それ以上、言わなくてもいい」

 マサヨシは、もう限界だった。ヤブキを押さえ付けて黙らせてしまいたいほど、心中の古傷が激痛を放っていた。
だが、ヤブキも限界だったらしく、言葉を切って浅い呼吸を繰り返していた。思い出すだけでも、かなり辛いのだ。

「ごめん、ダイアナ」

 ヤブキは膝を折り、妹の墓前に崩れ落ちる。

「あの時、オイラがダイアナの手を離しさえしなければ…」

 マサヨシはヤブキの背を見つめながら、固まっていた。言えない。何も言葉が出てこない。解りすぎるからだ。

「ダイアナ」

 ヤブキは出るはずのない涙を拭うと、妹の幻影を見つめた。

「ダイアナは兄ちゃんを許してくれないだろうし、兄ちゃんも自分が許せない。でも、もっと許せないのは」

 ヤブキは地面を殴り付け、怒気を放った。

「あの二人なんだぁっ!」

 十年間溜め込んでいた憎悪が、迸る。

「あいつらがオイラ達を捨てたりしなきゃ、ダイアナはあんなに寂しい思いをしなかったんす! ダイアナはあんなに泣き虫にならなかったんす! ダイアナは次元探査船を開拓植民船だとは思い込まなかったんす! ダイアナはあの連絡艇に乗らなかったんす! ダイアナは、ダイアナは、絶対に死ぬはずがなかったんすよ!」

 ホログラフィーのダイアナは、変わらぬ笑顔を浮かべている。だが、その笑顔がヤブキを苦しめる。

「なのに、あいつらはまた帰ってくるんす! ダイアナを苦しめて、死なせたくせに、本来の目的も果たさないでのうのうと帰ってきやがるんすよ! ダイアナが死んだこともオイラが体を失ったことも十年前に伝えてあるはずなのに、肝心な時には帰ってこなかったんす! それなのに、今更帰ってきやがってぇええええ!」

 ヤブキは積層装甲の奥底に封じていた激情を剥き出しにし、両の拳を震えるほど強く握り締めていた。

「お願いがあるっす、マサ兄貴」

 人工網膜保護用ゴーグルに覆われた目が、マサヨシを射竦める。

「オイラは、あいつらが殺したいくらい憎い。でも、ダイアナはあいつらに会いたくてたまらないほど好きだったんす。だけど、ダイアナのためには殺すべきだと思うんす。だけど、そんなことをしたら、ダイアナが悲しむんす。自分でも矛盾しているって思っているから、頼むんす」

 ヤブキはマサヨシに向き直ると、両手を地面に付き、額を擦り付けんばかりに頭を深く下げた。

「オイラがあいつらを殺したら、マサ兄貴がオイラを殺して下さい!」

 血を吐くような、凄絶な叫びだった。マサヨシはヤブキが吐露した愛憎を受け止めきれず、揺らぎそうになった。
だが、心の底では憎める相手がいるヤブキが羨ましくなっていた。八つ当たりにも等しくとも、憎める相手がいる。
それが、どんなに楽だろうか。自分以外の恨めしい人間、憎悪の矛先があるというだけでも、随分と違うはずだ。
 ヤブキはマサヨシだ。そして、マサヨシもヤブキだ。愛する者を守れなかった自分を憎み、責め、許すことはない。
故に、心中に充ち満ちた負の力を持て余している。マサヨシの場合は愛機に、ヤブキの場合は肉体に注がれた。
だから、答えは最初から決まっていた。両親を殺したヤブキを殺すことは、マサヨシ自身を殺すことにも等しい。

「解った」

 マサヨシは、自分の顔に表情が広がるのを感じていた。

「俺が、お前を殺してやる」

 自嘲と悔恨、そして絶望。それらを全て含ませた笑みがどれほど醜悪なのかは、自分の顔を見なくても解った。
ヤブキも、低く笑っていた。狂気にも思える笑い声は哀れなほど引きつっていて、自分自身の憎悪に怯えていた。
それを感じ取り、マサヨシは更に笑みが込み上がってきた。ヤブキは十五歳も下だ、だからまだ青臭いのだ、と。
そんなもの、マサヨシは既に通り越している。宇宙海賊や密輸船を自分に見立てて殺したことは、数え切れない。
 自分に怯えるだけ、ヤブキはまだまともだ。





 


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