アステロイド家族




嫁、襲来



 だが。マサヨシは、ヤブキに関わらなかったことを最大限に後悔した。
 鉄板の上で焼かれる生き物は十二本の足を不気味に蠢かせ、蛋白質の焦げる嫌な匂いを立ち上らせていた。
細長く伸びた尾のような部分を苦しげに揺らし、恐らくは口と思しき部分を開き、じゅぶじゅぶと湯気を吐いている。
それが、三匹も焼かれている。マサヨシは火が通りつつあるカブトガニを見つめていたが、目を逸らしてしまった。
 ハルはカブトガニが身悶える様が怖いのか、泣き出している。ハルを宥めているミイムも、明らかに怯えていた。
その気持ちは、マサヨシにも痛いほど解る。浮かれているのはヤブキだけで、喜々としてカブトガニを焼いている。
アウトゥムヌスはと言えば、僅かばかり目を見開いていて、悶えるカブトガニに対して興味を示しているようだった。

「いーやぁー! こんなの食べたくないー!」

 ハルはぼろぼろと涙を散らし、泣き喚いている。

「喰えるかこんなもの」

 マサヨシがぼやくと、サチコが傍に寄ってきた。

〈あら、食べられるわよ。メスの卵の部分だけだけどね〉

「そりゃ、サチコさんは絶対に食べなくてもいいからそんなことが言えるんですぅ! でも、ボク達は食べなきゃならないんですぅ! お金を払って買った以上、食べないといけないんですぅ! でも生理的に嫌なんですぅ!」

 ミイムは泣きじゃくるハルを抱き締め、涙目で叫んだ。

「カニ」

 アウトゥムヌスは、鉄板の上で焼かれるカブトガニをじっと見つめている。

「三葉虫とは違うっすけど、味は同じはずっすから」

 ヤブキはカブトガニの焼け具合を確かめていたが、一匹を鉄板から取り出して皿に載せてテーブルに置いた。
真っ黒く焼け焦げた殻から煙を漂わせているカブトガニは十二本の足をだらしなく広げ、食事と言うよりも死骸だ。
ヤブキは慣れた手付きでカブトガニの腹部を開いて卵の部分を出させ、独特の香りがする調味料を加えている。
 カブトガニを食さねばならない状況に至った経緯は至極簡単である。ヤブキにこのレストランへ案内されたのだ。
古生代エリア、中生代エリア、新生代エリアと見終えた頃、昼食の時間になったのでヤブキに案内を頼んだのだ。
ヤブキは元々グリーンプラントの住人であり、何度もここを訪れていると言ったので、信用出来ると踏んだからだ。
性格と趣味嗜好には引っ掛かる部分はあるが、味覚は確かな男なので、マサヨシも全面的にヤブキを信用した。
 だが、それが失敗だった。ヤブキに案内されたレストランは、いわゆるエスニック料理を扱っている店であった。
もちろん、香辛料と酸味は強いが普通のメニューの方が多く、カブトガニはゲテモノに分類される料理なのである。
マサヨシもそれならばと安心していたのだが、ヤブキが注文したのは未来の妻が所望するカブトガニ料理だった。
口直しとして他の料理もいくつか注文してあるのだが、カブトガニが強烈すぎて食欲など吹き飛ばされてしまった。

「ほい、むーちゃん」

 ヤブキはカブトガニの卵を小皿に盛り、アウトゥムヌスに渡した。

「ほい、マサ兄貴とミイムも」

 続いてマサヨシとミイムの前にも小皿がやってきたが、二人は顔を見合わせただけで手を付けようとしなかった。

「カニ」

 アウトゥムヌスはスプーンを取ると、カブトガニの卵を口に含み、噛み締めた。

「滋養強壮にいいんすよ、カブトガニってば。食べといて損はないっすよ、損は」

 ヤブキは自分の分のカブトガニの卵を口に入れ、咀嚼した。アウトゥムヌスは二口、三口と食べ、呟いた。

「不思議」

「ということは、決して旨くはないんだろうな」

 マサヨシはカブトガニの卵が盛られた小皿を睨み、頬を歪めた。ミイムは、スプーンの先で怖々と突いている。

「滋養強壮ってのがまた怪しげですぅ」

「いやいや大丈夫っすよ、一晩中ナニがギンギンになるだけっすから」

 ヤブキがしれっと言い放ったので、ミイムは椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。

「余計に悪いじゃねぇかドチクショウですぅ!」

「そうだ、尚更喰えるか!」

 ミイムの勢いに流される形で、マサヨシも腰を浮かせた。ヤブキは二人の反応に、へらっと笑った。

「いいじゃないっすか、別に大したことじゃないんすから」

「大したことですぅ!」

 ミイムは再び椅子に座り直すと、ヤブキの目の前にカブトガニの卵をずいっと突き出した。

「だったらてめぇが喰いやがれってんだよオンドリャアですぅ。ヤブキは生身じゃないから、別に影響ないですぅ」

「それは暴言っすねぇ、暴言」

 ヤブキはそう言いつつもミイムの皿を受け取ったが、何の躊躇いもなくマサヨシの前に回してきた。

「ほい、マサ兄貴」

「だから俺も喰わないと言っただろうが」

 マサヨシが顔をしかめると、ヤブキはもっともらしく言った。

「父親なんすから、子供の前で好き嫌いしちゃいけないっすよ」

 それは確かにそうだが、食べたくない。マサヨシはびいびいと泣いているハルと、カブトガニの卵を見比べた。
マサヨシは、元々食べ物に対して執着はない。食べられればいいと思っているので、合成食品でも気にならない。
だが、ハルに食べさせるとなると別だ。マサヨシよりも遥かに繊細な小さな体を成すのだから、気を裂いてしまう。
しかし、ハルは好き嫌いが多く、ミイムやヤブキのおかげでまともになったが以前は野菜には手も付けなかった。
マサヨシの料理が恐ろしく下手だというのも理由の一つだが、合成食品の平坦な味に慣れてしまっていたからだ。
 廃棄コロニーに居を構えるまでの間は、マサヨシのスペースファイターで暮らしていたので食事も保存食だった。
一応調理可能な設備は揃っていたのだが、材料も器具もなかったのでせいぜい湯を沸かしていたぐらいだった。
その間、ハルが食べ続けていたのは、マサヨシが愛機に備蓄していた添加物と栄養剤が詰まった保存食だった。
その結果、ハルの未熟で無垢な舌は添加物の人工的な味に染まってしまい、好き嫌いが多くなってしまったのだ。
 けれど、カブトガニの卵は嫌いなままでいいと思う。むしろ、親心としては気色悪い生き物を好いてほしくない。
そうなってほしくないからマサヨシもカブトガニの卵を食べない、というのは、屁理屈を通り越して単なるエゴである。
だが、本当に食べたくない。マサヨシはしゃくり上げてくるハルを見やったが、ハルはぷいっと顔を背けてしまった。
卵も見たくないほど、カブトガニが怖いらしい。マサヨシはどうするべきか迷ったが、腹を決めてスプーンを取った。
 口に入れると、卵らしからぬ歯応えと共に海産物特有の生臭さが広がり、最後に独特の調味料の香りが抜けた。
その全てが混ざり合い、強烈な嫌悪感が生まれた。食材と言えども、カブトガニは珍味と言うべき括りに違いない。
少なくとも、マサヨシの舌には合わない。口に入れた卵を飲み下すことすらも嫌だったが、ここでは吐き出せない。
仕方なく自分のグラスを取って水を呷り、強引に胃に流し込んだが、それでも泥の混じった生臭さは抜けなかった。

「大丈夫ですかぁ、パパさん?」

 余程ひどい顔をしていたらしく、ミイムが不安げに覗き込んできた。

「大丈夫じゃない」

 マサヨシは口元を押さえながら漏らすと、マサヨシの前に鎮座していた忌まわしき卵の皿が二つとも姿を消した。
目を上げると、アウトゥムヌスが二つとも手にしていた。彼女は自席に座り直すと、二皿を平然と食べてしまった。

「よく喰えるな、それを」

 マサヨシが本気で感心すると、アウトゥムヌスは薄い唇の端に付いたタレを舐め取った。

「美味」

「むーちゃんは物好きっすからねー」

 ヤブキは鉄板の上から二匹目のカブトガニを取ると、腹の外殻を開けて卵を出し、先程と同じく味付けをした。

「物好きとかそういうレベルじゃないと思いますぅ。でも、なんか、これで色々と納得出来そうですぅ」

 ミイムはヤブキに頼んでカブトガニの卵をお代わりしているアウトゥムヌスを見、へっと変な笑いを零した。

「だな」

 マサヨシはカブトガニと共に注文したフルーツ入りのサラダを口直しに食べていたが、その手を止めて頷いた。
物好きでなければ、ヤブキの嫁になりたいと言い出すはずがない。普通の感覚の持ち主では、ヤブキは無理だ。
だが、アウトゥムヌスほど変わっている女性であれば、本当にヤブキの嫁になったとしても大丈夫かもしれない。
そこで、マサヨシはあることに気付いた。アウトゥムヌスはヤブキの未来の嫁になる、と言うことは、もしかすると。

「アウトゥムヌス」

 マサヨシが声を掛けると、アウトゥムヌスは五皿目のカブトガニの卵を食べ終えてからマサヨシに目線を向けた。

「何」

「君は、俺達の家に来るつもりじゃないだろうな?」

「当然」

 アウトゥムヌスは紙ナプキンで唇を拭ってから、ヤブキを示した。

「婚前交渉の許可を」

「うえ?」

 ヤブキは一瞬戸惑ったが、すぐに弛緩した。

「やっ、やぁだなぁーむーちゃん、それはちょっとどころかめっちゃめちゃ急展開じゃないっすかぁー」

「嫌?」

 アウトゥムヌスの銀色の瞳に見上げられ、ヤブキは首が外れそうなほどのパワーで首を横に振った。

「いやいやいやいや、嫌だなんてとんでもないっす! オイラ的には超万全っていうかなんていうか!」

「婚前交渉…なぁ」

 マサヨシは顔を引きつらせていたが、ミイムは身を捩って恥じ入った。

「みゅみゅーん、むーちゃんってば見かけによらず過激ですぅー」

「せめて同棲と言ってくれないか」

 マサヨシが苦笑いすると、アウトゥムヌスは返した。

「ならば、訂正する。ジョニー君との同棲の許可を」

〈健全とは言い難いけど、一般的な表現になったわね〉

 事の次第を見守っていたサチコは、マサヨシの手元に浮かんだ。

〈でも、アウトゥムヌスちゃんが一緒に住むとなると、また色々とお金が掛かっちゃうわね…〉

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスは手首に巻いたカーラーの下からブレスレット型情報端末を出し、ホログラフィーを表示させた。

「当面の生活費を振り込む」

 アウトゥムヌスの細い手首の上に浮かぶ、彼女の名の銀行口座には見たこともない桁数の金額が並んでいた。
その数字が吸い込まれるように消えたかと思うと、サチコが反応した。きゃあ、と甲高い声を上げて一回転する。

〈本当にこんなにもらっちゃっていいの、アウトゥムヌスちゃん? 単純計算でも、マサヨシの五百年分の年収はありそうな金額なんだけど!〉

「構わない」

 アウトゥムヌスは静かに目線を上げ、マサヨシを見据えた。

「許可を」

「仕方ない」

 マサヨシは様々な懸念と躊躇いを振り払い、言った。

「だが、俺の口座に振り込んだ金は、また君の口座に戻しておいてくれ。今の俺達には大きすぎる金だ」

「なぜ」

「俺達は所詮貧乏人だからな。金があるのは結構だが、ありすぎると労働意欲が削げる可能性があるんだよ」

「不可解」

 アウトゥムヌスは、ほんの少しだけ眉根を動かした。

「むーちゃん、おうちに来るの?」

 やっと泣き止んだハルがぐずぐずと鼻を啜りながら尋ねてきたので、マサヨシは笑い返した。

「そうだ。また家族が増えるんだ」

「じゃ、おじちゃんとトニーちゃんに教えてくる!」

 ハルは笑顔を取り戻すと、食事を摂れないので店の外で待機している機械生命体達の元に駆け寄っていった。
ハルは二人に一生懸命カブトガニの気持ち悪さを説明してから、アウトゥムヌスが同居することもちゃんと話した。
キャロライナ・サンダーに関するショックが抜けないトニルトスの反応は薄かったが、イグニスはいつも通りだった。
イグニスは困惑した様子でこちらを見ていたが、不可解げに首を捻り、何やらぶつぶつ言いながら胡座を掻いた。
ハルは家族が増えるのが素直に嬉しいらしく、にこにこしている。もっとも、同棲の意味も解っていないだろうが。
 マサヨシとしても、家族が増えるのは嬉しいことだ。だが、それを払拭してしまうほどの懸念や不安も起きていた。
そもそも、アウトゥムヌスとは何だ。どの人種にもない系統の名で、最初に聞いた時は綴りが思い浮かばなかった。
エスパーではなさそうだが、何かしらの力を持っている。強襲戦艦インクルシオ号で遭遇した異物に酷似している。
彼女の正体を掴むためにも、近付けていた方が良い。それに、ヤブキのためにもアウトゥムヌスは必要な存在だ。
 マサヨシが失った妻と子の代わりにハルを得て心を埋めたように、ヤブキもダイアナの代わりとなる相手が要る。
昨夜知った彼の素顔は、死した妹に愛情と等しく執着を注ぐ兄だった。だが、それがいいことであるはずがない。
愛情と執着は似ているが、根本的に違う。方向性を変えてやらなければ、マサヨシのように深みに填ってしまう。
ヤブキの苦悩も愛憎も解りすぎるから、少しは変えてやりたい。それに、やはりヤブキは笑っている方が似合う。
 両親を殺した彼を殺す時が来るまでは、思い切り笑わせてやりたい。







08 7/24