アステロイド家族




ファースト・ステップ



 人生の春、到来。


 眠った気がしなかった。
 興奮していたため、眠りが浅かったのだろう。生温い睡眠の中、様々な記憶が反芻されていびつな夢を作った。
あまりにもデタラメだったから、夢の内容は良く覚えていないが、体が綿になったような浮ついた気分はあった。
全部夢だったかもな、と思いつつ、ヤブキは半分蹴り飛ばしてしまった薄い掛け布団を剥いでから上体を起こした。
 相変わらず、自室は汚い。一応掃除機は掛けているので一見すれば埃はないが、部屋の隅には堆積している。
だが、四隅には今まで掻き集めたアニメや特撮のディスクボックスやグッズが溜まり、掃除機のノズルが入らない。
棚でも買って整理すればいいと思うのだが、棚を買って組み立てるまでが面倒に思えて未だに手を付けていない。
畑仕事であればどんなことでも気にならないし、料理も同じだ。だが、掃除だけはどうしても好きになれなかった。
一度始めればその気になるが、腰を上げるのがまず億劫だ。ヤブキは自分にうんざりしながら、視線を下げた。

「うおっ!」

 思わず飛び退いたヤブキは、床に置いたままになっていた作りかけのプラモデルを踏み砕きながら後退った。
敷き布団の右半分の狭苦しいスペースに、小柄な少女が虚ろな目をして横たわっていた。アウトゥムヌスだった。
赤銅色の長い髪を埃っぽい床にだらりと流して、無表情でありながらも退屈そうな眼差しを天井に注いでいた。
アウトゥムヌスは眼球だけ動かしてヤブキを捉えてから、次に首を回してヤブキに向き直り、乾いた唇を開いた。

「退屈」

「おはようっす、むーちゃん」

 ヤブキは踏み砕いてしまったロボットのプラモデルを内心で惜しみつつ、アウトゥムヌスの前に胡座を掻いた。
バネ仕掛けの人形のように上半身だけを起こしたアウトゥムヌスは、若干寝乱れた髪を払い、再度繰り返した。

「退屈」

「んーと…まあ、朝っすからね」

 ヤブキはアウトゥムヌスを見下ろし、だらしなく笑った。昨日の出来事は夢ではなかったのだと解り、安堵した。
アウトゥムヌスは埃っぽい空気を吸い込み、空咳をした。寝間着がなかったので、ヤブキの服を無理に着ている。
クローゼットに詰め込まれているマイクロコンテナの奥底に眠っていた白のカッターシャツで、本来は礼装用だ。
だが、ヤブキはいつまでたっても訓練生から上に行けなかったこともあり、礼服を着たのは数えるほどでしかない。
だから、ヤブキの体格に合わせたサイズのカッターシャツは全く汚れておらず、素材も良いので新品同様だった。
 しかし、身長2.1メートルのヤブキと百五十センチ未満のアウトゥムヌスでは、肩幅が大人と子供並みに違う。
当然袖も引き摺るほど長く、裾も膝近くまであるため、ワンピースのようだが、ボタンが少ないので前が無防備だ。
しかも、アウトゥムヌスは替えの下着を一枚も持ってきていなかったので、必然的にその下は裸ということになる。
カーテンから差し込む鋭い日差しを浴びたことで、アウトゥムヌスのはだけた襟元から覗く素肌が白く輝いている。
内股気味に閉じられたほっそりした太股と掛け布団の下から伸びた滑らかな脹ら脛に、おのずと視線が向いた。

「とりあえず、なんか着てほしいっす」

 ヤブキはなんだか妙な気持ちになりそうだったので、手近な場所に転がっていた上着を彼女に押し付けた。

「なぜ」

 アウトゥムヌスは渡された上着を広げ、瞬きした。ヤブキは目線を逸らしながら、ひらひらと手を振った。

「いいから、とにかく着るっす。じゃないと、そのー、えーと…」

「了解」

 アウトゥムヌスはヤブキの半袖パーカーを被ると、ファスナーを上げて前を閉めた。

「さっきよりはいいっすよ、うん」

 ヤブキはアウトゥムヌスに視線を戻したが、今度はしなやかな素足が目に飛び込んできたのでまた逸らした。

「でも…まだズボンがないっすね。ていうか、パンツもいるっすね…」

「不要」

 アウトゥムヌスは腰を上げ、ヤブキの目の前に立った。丁度、ヤブキの目線の位置に彼女の股間がやってきた。
ヤブキは男としての純粋な好奇心でパーカーの裾をめくり上げてしまいたい衝動に駆られたが、なんとか堪えた。
だが、次は堪えられるか解らなかったので、ヤブキはアウトゥムヌスのウェストに引っ掛かりそうな下着を探した。

「片足上げるっす」

 ヤブキは目線を逸らしながら、アウトゥムヌスにまだ新しいトランクスを突き出した。 

「なぜ」

「いいから上げるっす!」

「了解」

 アウトゥムヌスは片足を上げて、ヤブキが突き出しているトランクスの片方の穴に足を入れたが、止まった。

「もう片方も入れるっす!」

 ヤブキがもう一度強く言うと、アウトゥムヌスはもう一方の足も入れたのが解ったので、一気に引っ張り上げた。
トランクスから手を離してから、ヤブキは恐る恐るアウトゥムヌスを見上げた。今度こそ、見られる状態になった。
あのまま下半身を露出されていては、理性がいくらあっても足りない。彼女の腕を引いて、目の前に座らせた。
ヤブキと向き合ったアウトゥムヌスは、相変わらずの無表情だが、状況が良く理解出来ていないようにも見える。
 思い出してみれば、アウトゥムヌスは昔からそうだった。ヤブキと知り合った子供の頃から、ちっとも変わらない。
知識は深く、多いのだが、一般常識からずれている。行動に全く脈絡がなく、ほとんど単語で会話を成している。
長く付き合えば意思の疎通は出来るようになるが、その行動パターンは未だにヤブキですら理解出来なかった。
 アウトゥムヌスが結婚を申し込んできたことも、そうだ。結婚という言葉に舞い上がりすぎて、流されてしまった。
ヤブキと言えど、常識的な感覚は持ち合わせている。いくら幼馴染みとはいえ、いきなり結婚に至るのはどうか。
世の中には、遺伝子の相性や家系や企業の事情で生まれた当初から結婚を約束された者達もいることはいる。
だが、ヤブキとアウトゥムヌスは違う。ただ、子供の頃に付き合いがあった程度で、成人後は会っていなかった。
 アウトゥムヌスと再会したのは五年振りだ。ヤブキがハイスクールを卒業して、木星基地に旅立った時以来だ。
それから、アウトゥムヌスとは連絡を一切取っていなかった。それ以前に、どこに住んでいるのかも知らなかった。
どうやら、彼女はヤブキが火星から出てからも火星に止まっていて、再会した日までずっと暮らしていたのだろう。
だから、幼馴染みと言うよりも知人の域を脱してない。なのに、何の脈絡もなく、結婚を申し込むのは不可解だ。
交際して好き合っているならまだしも、久々に再会したからというだけで結婚を申し込まれるのは恐ろしく奇妙だ。
アウトゥムヌスだから、ということで説明してしまうのは簡単だが、それで納得出来るほどヤブキも単純ではない。

「むーちゃん」

 なのでヤブキは、アウトゥムヌスに質問をぶつけた。

「どうしてむーちゃんはオイラと結婚しようなんて思ったんすか?」

「ジョニー君だから」

「いや、それじゃ理由にすらなってないっすよ」

「けれど、それ以外にない」

 アウトゥムヌスの硬質な眼差しに揺るぎはなく、有無を言わせぬ強さも含んでいた。

「だからって…」

 ヤブキは彼女の平坦な返答に戸惑ったが、諦めずに問うた。

「でも、むーちゃん。それだけじゃダメなんすよ、結婚ってのは。だって、結婚するってことはオイラの家族になるってことなんすから、これからオイラと一生過ごすことになるんすよ?」

「大丈夫。問題はない」

「まあ、オイラにも特に問題はないっすけど…」

「ならば、それでいい」

「いや、だから、それじゃ良くないと思うっすよ」

「なぜ」

「だって、むーちゃんにはむーちゃんの人生があるじゃないっすか。それなのに、これから先の人生を全部オイラと一緒でいいんすか? むーちゃんには、もっとやりたいこととかあるんじゃないっすか?」

 ヤブキは強めに畳み掛けたが、アウトゥムヌスの表情には微塵も変化は起きない。

「構わない」

「でも…」

 ヤブキは妹の墓前で誓ったことを思い返し、言葉を濁した。自分の傍にいては、巻き込んでしまうかもしれない。
ダイアナが死んでも火星に帰ってこなかった両親を殺すことがヤブキの本懐であり、生き長らえてきた理由だった。
それを果たした後に、マサヨシの手で殺してもらうことも決まっている。だが、彼女には欠片も関係ないことなのだ。
もっと言えば、ダイアナ自身にも関係はない。全てヤブキの自己満足でしかなく、それ以外に何も意味も持たない。
だが、自分の行動によって引き起こされる事態は最悪だろう。殺人者は理由の有無に関わらず、極刑に処される。
 その時、アウトゥムヌスがヤブキの妻になっていたとしたら、アウトゥムヌスにもヤブキの犯した罪が降りかかる。
場合によっては、アウトゥムヌスも罪に処される。出来ることなら彼女とは結婚したいが、そうなってほしくなかった。

「平気」

 アウトゥムヌスは膝立ちになると、細い指先を伸ばしてヤブキのマスクに触れた。

「何一つ、問題はない」

「だから!」

 ヤブキはアウトゥムヌスの手を振り払おうとしたが、出来るわけもなく、華奢な手首を握り締めるだけに止まった。

「オイラとなんか一緒にいたら、むーちゃんは不幸になるっすよ? それでもいいんすか?」

「不幸?」

「そうっすよ。むーちゃんは、オイラになんか釣り合わないんすよ」

「それは、本心?」

「当たり前じゃないっすか」

「ならば、なぜ手を離さない?」

「あっ、あうっ」

 ヤブキは慌ててアウトゥムヌスの手首を離して身を引くと、アウトゥムヌスは瞬きした。

「退避行動の意味が解らない」

「えーと…なーんて言ったらいいっすかねぇー…」

 ヤブキは中途半端に身を引いたまま、アウトゥムヌスから顔を背けた。不幸にすると知っていても、好きだった。
子供の頃には異性として意識したことはなかったが、プロポーズされ、キスまでされてしまっては女性と認識する。
現実の恋愛経験が皆無だったため、そこから一気に飛躍して恋愛感情に至ってしまい、すっかり恋に落ちていた。
両親は殺したい。だが、アウトゥムヌスを手放したくない。ヤブキは双方の強い感情の間で、ぐらぐらと揺れていた。

「ジョニー君」

 するとアウトゥムヌスは腰を上げ、ヤブキの前に迫ってきた。緩い襟元がだらりと下がり、平たい胸が覗いた。

「うわおうわっ!」

 男の性で胸元から垣間見えるものに目線を向けてしまったヤブキは、強い自責の念に駆られて更に後退った。
だが、アウトゥムヌスも距離を狭めてくる。何度か攻防を繰り返した末に、ヤブキの背中は扉に阻まれてしまった。
こうなると、後はもう迫られるしかない。彼女はヤブキの前で膝を付き、ネコのようにしなやかに身を伸ばしてきた。
ヤブキの顔の数センチ手前にアウトゥムヌスの整った顔があり、そのすぐ下には平たくも魅力的な胸元が見える。

「ジョニー君」

 ただ名を呼ばれただけなのに、辛うじて張っていた虚勢が吹き飛ばれてしまい、ヤブキは呆気なく陥落した。

「あーもう辛抱たまんねぇっすー!」

 ヤブキが力任せにアウトゥムヌスを抱き締めようとした寸前、背後のドアが突然開き、廊下に転げ出てしまった。

「みゃっはぁーん、おはようですぅ、むーちゃあーん!」

 無反応のアウトゥムヌスを乗せて仰向けに転がったヤブキが頭上を仰ぎ見ると、見たくもないものが目に入った。
それは、白い尾を千切れんばかりに振り回すミイムのスカートの中身だった。もちろん、パンツは履いていない。

「うげ」

 そのせいで今までの甘ったるい気分が一気に粉砕されてしまい、ヤブキは声を潰した。

「何見てやがんだドチクショウが金払えやコンチキですぅ!」

 すかさず、ミイムの足がヤブキの頭部を蹴り飛ばした。だが、彼はアウトゥムヌスに気付くと、態度を急変させた。

「いぃやぁーん、ボクってば恥ずかしいですぅー」

 ミイムは少女のように頬を染めて恥じらったので、ヤブキは内心で顔を歪めた。

「朝っぱらから気色悪いモン見せるんじゃないっすよ。おかげで気分が全部台無しじゃないっすか」

「てめぇは別にどうだっていいんだよ底辺野郎がですぅ」

 ミイムはヤブキを睨んだが、その体の上にいるアウトゥムヌスと目が合うとにっこりと微笑んだ。

「むーちゃんは、ヤブキの服なんか着るもんじゃないですぅ。サイズが合わないどころか色んな意味で穢れまくってるもんだから、むーちゃんのピュアピュアな体だけじゃなくって魂まで穢れちゃいますぅ。だから、これからボクが可愛く可愛ーくしてあげますぅ」

 ミイムはサイコキネシスを放ってアウトゥムヌスを浮かび上がらせたかと思うと、いきなり連れ去ってしまった。
このままでは着せ替え人形にされる、と思ったが、ヤブキが起き上がるよりも先にミイムの部屋の扉が閉まった。
 一人取り残されたヤブキは、仰向けのまま乾いた笑い声を零した。邪魔が入って、良かったのか悪かったのか。
いや、良かったのだろう。ヤブキは上半身を起こすと、きゃあきゃあと歓声の聞こえるミイムの部屋を見やった。
相手がミイムというのはどうしようもない不安に駆られるが、服の趣味は悪くないので、しばらく放置しておこう。
 ヤブキは部屋に戻って着替えようとしたが、早朝に相応しくない衝動に襲われてしまい、自分が情けなくなった。
いきなりあんなものを見せられて、興奮しない童貞はいない。真っ平らでもなんでも、胸は紛うことなき胸なのだ。
せめて、夜に見せてほしかった。いや、朝で良かったかもしれない。ヤブキはそんなことを悩みつつ、着替えた。
 フルサイボーグの利点は、欲情しても表に出ないことだ。







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