アステロイド家族




ファースト・ステップ



 朝食の最中、ヤブキは落ち着かなかった。
 昨日までは空席だったリビング側の席で黙々と食べているアウトゥムヌスは、ミイムの手で飾り付けられていた。
ミイムとは身長こそ違うが体格はあまり離れていないらしく、アウトゥムヌスはミイムの持つ服を着せられていた。
 季節が巡って九月に入ったとはいえまだ気温が高いので、上半身はふわふわのフリルの付いたキャミソールだ。
下は涼しげな水色のフレアスカートでこちらも裾が柔らかく広がっており、長い赤銅色の髪も手が加えられている。
腰近くまである髪が煩わしくないように、とミイムなりの配慮なのかポニーテールにされてリボンまで結んであった。
 これが、可愛くないわけがない。ヤブキは自分の分の朝食を食べていたが、意識が逸れたせいで味が解らない。
フルサイボーグの身の上にとっては、重要な娯楽である味覚が鈍ることなど、今まで一度もなかったというのに。
だが、食べなければ熱量が補給出来ないので、ヤブキは機械的にハムとレタスのサンドイッチを押し込んでいた。
当のアウトゥムヌスは、一言も喋らずに食べ続けていた。ヤブキが喋らないせいか、いつになく食卓は静かだった。

「ところで」

 一番最初に食べ終えたマサヨシは、ミイムが淹れてくれたコーヒーを啜った。

「お前は自分の女房に対して何も言わんのか?」

 マサヨシの視線が向けられたので、ヤブキは口籠もった。

「あー、いやー、その」

 言いたいことなら山ほどある。だが、口を開いてしまえば、先程感じた衝動に任せて口を滑らせるかもしれない。
アウトゥムヌスは可愛い。普通にしていても充分すぎるほど美少女だ。それが着飾られたのだから、当然可愛い。
だが、寝起きに見た彼女の平たい胸元が忘れられなかった。眩しい太股も滑らかな脹ら脛も、脳裏から離れない。
ミイムの邪魔が入ったおかげで、衝動に走らずに済んだ。だが、これから先はどうなるか自分自身でも解らない。
あまりにストレートすぎる思考に、自分で自分が嫌になる。けれど、一度感じると忘れようにも忘れられないのだ。

「ボクの見立てですからぁ、むーちゃんが可愛いのは宇宙の必然なんですぅ。みゅふうーん」

 ミイムはうっとりとして、黙々と食べているアウトゥムヌスに熱の籠もった視線を注いでいる。

「むーちゃん、ママのご飯、おいしい?」

 ハルに問われ、アウトゥムヌスは卵のサンドイッチを食べ終えてから返した。

「良好」

「みゅみゅう、嬉しいですぅー!」

 ミイムが大袈裟なほど喜ぶと、アウトゥムヌスは空になった皿を差し出した。

「お代わり」

「可愛い可愛いむーちゃんの頼みだったら、いくらでも聞いてあげますぅー!」

 ミイムはアウトゥムヌスの皿を受け取るとふわふわとした足取りでキッチンに戻り、冷蔵庫から材料を取り出した。
サンドイッチのお代わりを作り始めたミイムの浮かれっぷりに、マサヨシは少々呆れながら熱いコーヒーを飲んだ。
だが、彼の気持ちは解った。ミイムはハルとはまた違った意味で、情熱を注げる相手が現れたことが嬉しいのだ。
 ハルもまた、女性が増えたのが嬉しいのかいつもより機嫌が良い。無機質で無表情だが、やはり女性は女性だ。
ミイムの容姿や生活態度がどれほど女性的であっても最終的な部分は男なので、女性らしさは感じられなかった。
しかし、アウトゥムヌスはそうではない。ミイムと違って、可愛らしい服を着ていても違和感はなくむしろ微笑ましい。
マサヨシも、なんだかんだ言ってアウトゥムヌスを受け入れていた。やはり、女性がいるといないでは大違いだ。
だから、余計にヤブキが変だった。一番はしゃぐであろうヤブキが、何も言わずにぼんやりしているのは異常だ。

「ヤブキ」

 マサヨシが声を掛けても、ヤブキは反応しない。マサヨシはふと思い付き、彼の牛乳にコーヒーを注いだ。

「あっちょっ、何してんすか!」

 牛乳の色が変わっていく様にヤブキはぎょっとして、マサヨシに振り返った。

「案ずるな。俺の飲みさしじゃない」

 マサヨシはブラックコーヒーが並々と入ったポットをコーヒーメーカーに戻してから、ヤブキに言った。

「どうしたんだ、ヤブキ」

〈そうね、ヤブキ君らしくないわねぇ。いつもだったら、五分もしないで食事を終えているはずなのに〉

 マサヨシの肩の傍に浮かび、サチコがくるりとスパイマシンを回転させた。

〈ミイムちゃんがアウトゥムヌスちゃんを着せ替え人形にしちゃっていることに何も言わないのも変だし、起きてきてからずうっと上の空だし、ほとんど喋らないし。どこか故障でもしたの?〉

「いや、そうじゃないんすけどね…」

 ヤブキはゴーグルの下で視線をうろうろさせていたが、気まずげに顔を逸らした。

「ということは、まだアウトゥムヌスに手を出していないんだな?」

 マサヨシの言葉に、ヤブキはがたっと椅子を揺らすほど驚いた。

「なんで解るんすか!?」

「解るさ。俺でなくともな」

 マサヨシはコーヒーカップを揺らしていたが、飲み干した。ヤブキは、甘くないコーヒー牛乳を啜る。

「なんてーか…。どうしたらいいんすかねぇ、オイラってば」

「それは自分で決めろ」

「それもそうなんすけど…」

 ヤブキは空になったコップを置き、マスクの中に飲用チューブを収納した。

「本当に、どうしたらいいんすかねぇ」

 だが、マサヨシは答えてくれなかった。ヤブキは仕方なく、皿の上に残っていたサラダを押し込むように食べた。
当のアウトゥムヌスはミイムとハルにひっきりなしに話し掛けられていて、お代わりを食べながら単語で答えていた。
その表情は凍り付いたように変化がなかったが雰囲気は悪くないので、彼女なりに会話を楽しんでいるのだろう。
ヤブキはアウトゥムヌスの大理石の彫刻のような横顔を見つめながら、胸中に渦巻く荒い感情に悩まされていた。
 アウトゥムヌスのことは好きだ。大好きだ。出来ることなら、今すぐにでも結婚してしまいたい。思いも遂げたい。
だが、先に踏み出す勇気はない。興味もあり、中途半端だが知識もあり、何をどうすればどうなるか解っている。
けれど、踏み出せない。いきなり最終地点に至ってしまったら、アウトゥムヌスの人格を無視してしまいかねない。
下手をすれば、それだけの関係になるかもしれない。それはヤブキもだが、アウトゥムヌスも望んでいないだろう。
 やはり、サラダの味は解らなかった。




 そして。ヤブキとアウトゥムヌスは、二人きりになっていた。
 だが、ヤブキは作業着姿でアウトゥムヌスも動きやすいシャツとハーフパンツ姿なので、大して色気はなかった。
ヤブキの部屋の窓も扉も開け放ち、物という物を廊下に出し、至る所に埃が堆積した部屋を掃除しているからだ。
 それというのも、朝食後にミイムから説教されたからだ。汚れた部屋に女の子を住ませるなんて底辺すぎる、と。
以前のヤブキなら、屁理屈をこねまわしてミイムの言い分を逃れていただろうが、今度ばかりはそうもいかない。
ヤブキ自身も部屋の汚れ具合には辟易していた部分もあるし、アウトゥムヌスに対して悪い気がしていたからだ。
彼女が文句を言わないからと言って、何もしないのは良くない。未来の夫として、それ以前に人間としてダメだ。
だから、良い機会だと思い切って掃除をすることにしたのだが、堆積した埃の量はヤブキの予想を上回っていた。
 廊下に出したマイクロコンテナの数は、十や二十ではなかった。その中身は全て、アニメやゲームのディスクだ。
販売されていたデータディスクも多いがネット上に出回っている動画を焼いたものも大量にあり、有象無象である。
そして、ディスクの初回限定特典として付属していた限定カラーの美少女フィギュアやポスターもまた大量だった。
強引に積み重ねていた時はそれほどでもないと思ったが、いざ広げてみると、その数は予想以上になっていた。
 まず、訓練生時代にハマっていた剣と魔法系ファンタジーのアニメのフィギュアだけでも、五十個以上はあった。
主人公のヒロインだけでも十七個はあり、細かな色やポーズや表情が違うというだけで、同じものが複数あった。
脇役だが存在感の大きいサブヒロインのフィギュアも八個あり、重剣士の男性キャラのフィギュアも五個はあった。
今ではあまりフィギュアは集めていないが、この頃はフィギュアに熱中していて、手当たり次第に買い集めていた。
他にも、マイナーだがコアな人気のあるコミックの完全受注生産フィギュアやガレージキットもいくつか見つかった。
中には未開封だが分厚い埃が降り積もったフィギュアも多数あり、ヤブキのオタクらしい浪費振りを象徴していた。

「いくらか処分した方がいいっすかねぇ…」

 ヤブキは廊下にずらりと並ぶフィギュアの数々を見下ろし、苦笑した。

「賢明」

 アウトゥムヌスが呟いたので、ヤブキは肩を竦めた。

「ま、そうっすよね。むーちゃんはこういうのには興味なさそうっすから」

「ジョニー君」

 アウトゥムヌスは部屋に戻ると、隅に埋もれていたマイクロコンテナを引っ張り出し、開けた。

「うわーうわーうわー!」

 その中身を瞬時に思い出したヤブキは慌てて部屋に戻ると、アウトゥムヌスの手からマイクロコンテナを奪った。
だが、勢い余ってマイクロコンテナから零れ落ち、足元に落ちた。アウトゥムヌスは、そのディスクを拾い上げた。

「すーくるがーるず・いんふぃにてぃ。セーラー服にはニーソなんだからっ」

「うぐおっ!」

 ヤブキはアウトゥムヌスの手からそのディスクを引ったくると、マイクロコンテナに押し込んで蓋を閉めた。

「いいっすか、むーちゃん。この中身は処分しようと思ってもどうしても出来なかったギャルゲの山ってだけであって、決してエロゲの類じゃないっすからね? ただちょっとビジュアルがロリなだけであって、オイラは決してロリコンってわけじゃないっすからね?」

「隠蔽の意味が解らない」

「いや、オイラも別に隠したくはないんすけどね、でもやっぱりなんかこう人として守るべきものがあるような…」

「大丈夫。私はジョニー君の趣味を否定しない」

「でも、肯定もしないってことっすよね?」

「正答」

「だろうと思ったっすよ…」

 ヤブキは美少女ゲームのデータディスクが詰まったマイクロコンテナを、クローゼットに強引に突っ込んだ。

「とりあえず、掃除機掛けてから雑巾掛けでもするっすかね。夜までになんとかしないと、むーちゃんはまたオイラと一緒に寝る羽目になっちゃうっすから」

 ヤブキは気を取り直し、埃まみれの床を見渡した。

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスは僅かに顎を上げ、銀色の瞳の焦点をヤブキに据えた。

「私は、何も拒まない」

 何を。何が。何に。ヤブキは一瞬の間に動揺と混乱と高揚が駆け巡ったが、深呼吸するように肩を上下させた。
ヤブキの青臭い悩みなど、見透かされていたらしい。だが、そう言われたからといって開き直れるものでもない。
拒まない、と、求められる、では大きく差があるのだ。そんなことでは、結果的にヤブキだけが満足することになる。
それでは、アウトゥムヌスをむやみやたらに傷付けてしまうだけだ。ヤブキはアウトゥムヌスに向き直って、問うた。

「オイラはそれでもいいかもしれないっすけど、むーちゃんはそれでいいんすか?」

「躊躇の意味が解らない」

「いや、だから、なんて言うんすかねぇ…」

「その表現では具体性に欠ける」

「えーと、だから」

 ヤブキは言葉を濁したが、そんな自分が歯痒かった。脳波を音声に変換するだけなのに、上手くいかなかった。
自分のことが好きかどうか。根本的、かつ単純なことを尋ねるだけのことなのに、ヤブキはやけに照れてしまった。
 好きなら好きでそれでいい。嫌いなら嫌いで、結婚を申し込んだ真意を問い質してから状況を見極めるだけだ。
それ以外の理由があったとしたら、その時はその時だ。だが、それを問い掛ける言葉が発声機能から出てこない。

「むーちゃんは」

 数分間の葛藤の後、ヤブキは強めに言った。

「本当は、オイラのこと、どう思っているんすか?」

「抽象的すぎる」

「だから、オイラのことが好きかどうかってことっすよ!」

「興味の対象」

「でも、それだけじゃ結婚したいなんて言わないんじゃないんすか?」

「なぜ」

「なぜって、そりゃ…。朝にも言ったっすけど、結婚てのはそんなに簡単なことじゃないんすよ?」

「けれど、ジョニー君は」

「確かに、オイラは年齢イコール彼女いない歴ってやつっすし、結婚出来るならしたいっすけど」

「ならば、それでいい」

「…だから!」

 ヤブキは居たたまれなくなって、声を荒げてしまった。

「なんでむーちゃんは自分を大事にしないんすかっ! どうしてオイラになんか安売りしようとするんすかっ!」

 それでも、アウトゥムヌスの表情は変わらない。それが無性に腹立たしくて、やるせなくて、ヤブキは項垂れた。
再会してから、たったの二日間だ。だが、それだけで充分だ。ヤブキの中では、彼女の存在は大きくなっていた。
だからこそ、手を出したいが出したくない。体に有り余る機械仕掛けの力が、彼女を傷付けないとも限らないのだ。
 もちろん、彼女に拒まれないことは嬉しいが躊躇してしまう。好きで好きでたまらないが、壊してしまいそうで怖い。
アウトゥムヌスの体はどこもかしこも折れてしまいそうなほど細く、儚げで、繊細という言葉を体現したかのようだ。
対するヤブキの体は頑丈さと火力を重視して改造したサイボーグボディなので、抱き締めたら潰してしまいそうだ。
有り得ないとは解っていても、そう思ってしまう。最初はただ嬉しいだけだったのに、いつしか畏怖が生まれていた。
 恋をするのも、楽ではない。





 


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