アステロイド家族




流行性少女感冒



 トニルトスの豹変の原因は、案の定コンピューターウィルスだった。
 サチコによる入念なスキャニングの結果、トニルトスの人格を司っている重要なプログラムに感染していたのだ。
正体不明のコンピューターウィルスは、トニルトスの自己認識プログラムと感情形成プログラムを変質させていた。
その影響でトニルトスの人格を司るプログラムが損傷してしまい、自己修復を行ったがウィルスも入れてしまった。
全く違うコンピューター言語が混じり合ったせいで、トニルトスの自己認識プログラムがエラーを起こしてしまった。
そのせいで口調どころか人格も女性化してしまい、元々ヒステリックな性格が悪化してしまったというわけである。
 プログラムの損傷自体は軽く、トニルトス自身の自己修復機能で充分回復出来るので明日には元に戻るらしい。
人間で言うところの風邪のようなものだ、とサチコは説明した。治るのならまだ気が楽だ、とマサヨシらは思った。
これで女性化したままだったら、ただでさえ煩わしい性格のトニルトスを完全に持て余してしまうことになるからだ。
 マサヨシは女性化トニルトスから目を離すわけにはいかないので、リビングで三杯目のコーヒーを啜っていた。
サチコに宥められてすかされて怒鳴られた末にガレージから出てきたトニルトスは、ハルとおままごとをしていた。
昨日ハルにおままごとに誘われた時は徹底的に拒絶していたのだが、女性化していると気にならないようだった。

「これはこれでいいかもしれませんねぇ、ふみゅうん」

 マサヨシの向かい側のソファーに座ったミイムは、香りの良いハーブティーを傾けている。

「あれのどこがいいんだ」

 マサヨシが顔をしかめると、ミイムはふわりと尾を振った。

「だってぇ、女の子が増えた方が楽しいんですぅ。むーちゃんもそうですけどぉ、やっぱり女の子がいると華やかなんですぅ。着せ替えられるしぃ、髪をいじれるしぃ、お化粧だって出来ますぅ」

「アウトゥムヌスはそうかもしれないが、トニルトスは機械生命体だぞ?」

「トニーさんのタカビーっぷりは男だったら許せませんけどぉ、女の子だったらいいんですぅ」

「俺はどちらも嫌だが」

「みゅんみゅん、パパさんってば解ってませんねぇ」

「解りたくもないな」

 マサヨシは砂糖とミルクを入れたせいで甘ったるくなってしまったコーヒーを啜りながら、窓の外へ視線を投げた。
庭先で繰り広げられている寸劇は、似たようなことを繰り返している。ハルのおままごとのストーリーは緩いからだ。
 常に母親役であるハルは、父親やペットや子供になったイグニスを起こし、朝食を食べさせ、どこかに送り出す。
しばらくしたら昼食だと言って呼び戻して、もう一度送り出してから、またおやつだ夕食だと何度も何度も呼び戻す。
プラスチックの食器に盛られたオモチャの野菜や雑草などの食事を出されたイグニスは、その度に名演技をする。
ハルを喜ばせるために心血を注いでいるイグニスは、やたらとオーバーリアクションでハルの料理を食べてくれる。
 だが、今回初めておままごとに加わったトニルトスは違った。押しても引いても食事を食べてくれないのである。
不満に思ったハルがその理由を問い質すと、ダイエットしているから、とのいかにも女性らしい返事が返ってきた。
それを聞いたイグニスが馬鹿笑いしたので、トニルトスは彼を張り倒したが、イグニスがハルに怒られてしまった。
なので、イグニスは反省させるためとの名目で三回目の昼食を抜かれてしまったため、膝を揃えて正座していた。

「はい、トニーちゃん」

 ハルはにこにこ笑いながら、トニルトスの前に雑草を盛った皿を差し出した。

「いらないわよ」

 トニルトスが顔を背けると、ハルはもっともらしく言った。

「お野菜食べるとね、綺麗になるんだよ。ママが言ってたもん」

「それ、ただの雑草でしょ」

「お野菜だもん。お兄ちゃんのぐらいおいしいもん。だから、食べて?」

 ハルが皿を持って差し出してきたので、トニルトスは仕方なしに皿を受け取った。

「解ったわよ、食べればいいんでしょ、食べれば」

 トニルトスは雑草の盛られた皿を見つめていたが、ふと背後に振り向くと、イグニスが恨みがましく睨んでいた。
余程役割を取られたのが悔しかったらしい。トニルトスはイグニスに背を向け、これ見よがしに食べる真似をした。

「おいしかった?」

 ハルに問われ、トニルトスは取り澄まして答えた。

「ええ」

「てめぇこの野郎、ちょっとハルに気に入られたからっていい気になるんじゃねぇぞ愛玩動物!」

 イグニスが立ち上がると、ハルは叱責した。

「おじちゃんはまだダメ! お仕置きの途中だもん!」

「はーるぅー…」

 イグニスはその場に崩れ落ち、項垂れた。ハルは、女性らしく横座りしているトニルトスの膝に縋り付く。

「今日はずっとトニーちゃんと遊ぶの! だって、トニーちゃんがお姉ちゃんなのは今日だけだもん!」

「お、俺はどうなるんだ?」

「おじちゃんはパパと遊んだら?」

「あんな根暗野郎と遊んで楽しいかぁ! 俺が遊びたいのはハルだけだぁ!」

「行こう、トニーちゃん。おままごとの次は、お姫様ごっこするの!」

 ハルが身を乗り出してきたので、トニルトスはハルを肩装甲の上に載せ、髪を払うような仕草をした。

「所詮ルブルミオンはルブルミオンよねぇ。この場で死にたくなかったら、私の邪魔をしないことね」

 ほほほほほほほほ、と上機嫌に高笑いしながら浮上したトニルトスは、イグニスに突風を浴びせて飛び去った。
砂にまみれたイグニスはトニルトスの後ろ姿を睨んでいたが、ぐるっとマサヨシらに振り返ると、怒鳴り散らした。

「電卓女ぁああああっ!」

〈明日には元通りになるんだから、それまでの辛抱だってさっき説明したでしょ!〉

 リビングの窓越しにサチコが言い返すと、イグニスは掃き出し窓に顔を近寄せた。

「俺にもウィルスを流せ!」

〈え?〉

「ちっきしょう、ハルが気に入るんだったら女だろうがなんだろうがなってやろうじゃねぇか!」

 おかしな方向に気合いを入れたイグニスに、マサヨシは呆れた。

「錯乱しすぎだ」

「そうですよぉ、ちょーっとハルちゃんの興味が逸れたぐらいじゃないですかぁ」

 ミイムもマサヨシに同意するが、イグニスは譲らない。

「ハルに愛玩されるべきは俺なんだぁあああっ!」

「どうしますぅ、サチコさぁん。このままだとぉ、イギーさんのロリコン度が悪化する一方ですぅ」

 ミイムに詰め寄られたが、サチコはスパイマシンを後退らせた。

〈冗談じゃないわよ! あんなに気持ち悪いのはトニルトスだけで充分すぎるくらい充分よ! この上でイグニスまであんなことになっちゃったら、それこそ宇宙の終わりよ! ねえマサヨシ!〉

 サチコから全力で同意を求められたマサヨシは、頷く他はなかった。

「それが正論だな」

「大丈夫」

 その言葉に四人が振り返ると、いつのまにかアウトゥムヌスが廊下に立っていた。

「問題はない」

 アウトゥムヌスの手には、ヤブキの情報端末が握られていた。

「まっ待てアウトゥムヌス!」

 マサヨシが遮ろうと手を挙げるも、アウトゥムヌスは情報端末を上げてイグニスへ向け、ボタンを押した。

「送信」

 アウトゥムヌスの情報端末から放たれたコンピューターウィルス入りの電波は、イグニスの通信装置に入った。
一秒もせずにコンピュータウィルスによる浸食が始まったらしく、イグニスは頭を抱えて座り込み、呻き出した。
マサヨシは悶え苦しむ相棒と無表情で無慈悲な未来の嫁を見比べていたが、とりあえず情報端末を奪い取った。
イグニスは本当に苦しいらしく、頭を抱えたまま転がり、両生類を潰してひっくり返したような悲鳴を上げていた。

「むーちゃーん、オイラの端末なんてどうする気っすかー?」

 今頃リビングにやってきたヤブキは、窓の外で悶え転がるイグニスを見、ぎょっとした。

「え、なんすか? なんかあったんすか?」

「大丈夫。問題は」

「大有りだ!」

 アウトゥムヌスの言葉を遮って声を上げたマサヨシは、ヤブキの手中に情報端末を押し付けた。

「こいつは返すが、中のコンピューターウィルスは綺麗に消しておけ! 解ったな!」

「え? むーちゃん、なんかしちゃったんすか?」

 ヤブキが困惑していると、ミイムがもんどりうっているイグニスを指した。

「むーちゃんってば、イギーさんに例のコンピューターウィルスを注いじゃったんですぅ」

〈でも、元はと言えばイグニスが言い出したことなんだから、同情すべき余地は1バイトもないわね。どうせなら、このまま回路がショートするまで放っておくべきだと思うわ〉

 いつにも増して冷淡なサチコに、マサヨシは反論出来なかった。

「まあ…自業自得には違いないな」

 ヤブキは罪悪感の欠片もないアウトゥムヌスに内心で苦笑しつつ、窓の外に向いた。

「なんかよく解らないっすけど、イグ兄貴は放置ってことでいいんすね?」

 ふと気付くと、イグニスの様子は落ち着いていた。地面に突っ伏していた顔を上げ、視線を左右に動かしている。
軽く頭を振って頭痛を払ってから、イグニスは膝を立てて立ち上がったが、いつものような大股開きではなかった。
地面に手を添えて内股気味に立ち上がったイグニスは、リビングから注がれる視線を受け、照れ臭そうに返した。

「んだよ」

 イグニスの声質そのものは変わっていなかったが、若干高くなっていた。

「イグニス、お前」

 マサヨシが恐る恐る声を掛けると、イグニスはリビングに顔を寄せてきた。

「なあマサヨシ、あたし、どこか変わったか?」

「一人称と声の高さぐらいだな。それ以外は大した変化はない」

「なんだよ、つまんねぇな。もうちょっとこう、女の子ーって感じの変化じゃねぇとハルに気に入ってもらえないじゃんかよ。ウィルスの意味がねぇじゃんかよ」

「そうっすねー、イグ兄貴は元々ガラが悪いっすから、変化のしようがなかったんじゃないっすか?」

 ヤブキがへらへらと笑うと、イグニスはむっとした。

「そりゃそうかもしれねぇけど、あたしはハルのためにだな!」

「自分のためだろうが」

 マサヨシが呟くと、イグニスはリビングに背を向けた。

「とにかく、あたしはトニルトスの野郎からハルを取り返してくる! ハルはあたしの大事な娘なんだからな!」

「えーと、言うならば気が強くてケンカっ早いけど根は優しくていい人なアネゴ系ってところっすか?」

 イグニスの背を見送りながらヤブキが解説すると、サチコは項垂れるようにスパイマシンを下降させた。

〈もう、どうでもいいわよ…〉

「さぁーて、ボクはお掃除でもしましょうかねぇー。これ以上付き合ったらこっちまで馬鹿になりますぅ」

 みゅみゅーん、とミイムはハーブティーを飲み終えたカップをサイコキネシスでシンクまで飛ばし、リビングを出た。

「サチコ、シミュレーターのセッティングを頼む。訓練に没頭して、現実を忘れたいんだ」

 マサヨシが命じると、サチコはすぐさまテンションを戻した。

〈OK! マサヨシのためだったら、なんだってしちゃうんだから!〉

 それぞれが日常に戻っていく様に、ヤブキも畑仕事に向かおうかと思っていると、アウトゥムヌスが出ていった。
今日もまたミイムの着せ替え人形になったアウトゥムヌスは、オレンジ色の半袖のシャツワンピースを着ていた。
膝丈よりも短めのワンピースの裾から伸びた細い足にはレギンスが装備され、めくれても中身は見えない仕様だ。
赤銅色の髪も二つに分けられて三つ編みにされて、アウトゥムヌスの歩調に合わせて尻尾のように揺れていた。
ヤブキは畑仕事とアウトゥムヌスの間で一瞬迷ったが、アウトゥムヌスを放っておくのは不安なので追うことにした。
夏野菜の収穫は終わりが近いが、秋野菜を収穫するのにはまだ早いので、それほど忙しい時期ではないからだ。
 ヤブキが追いかけると、アウトゥムヌスはちらりとヤブキに振り返ったが、歩調を緩めることなく歩き続けていた。
サイボーグなので歩幅も広ければ足も速いヤブキはすぐに追いついたが、アウトゥムヌスは特に反応しなかった。
ヤブキが彼女に手を伸ばすと、アウトゥムヌスは首を傾げたが、ヤブキの差し出した手に手を重ねてこなかった。
無理強いするべきではない、と思ったヤブキはその手を下げて、アウトゥムヌスと歩調を合わせて歩くことにした。
 今、出来ることは、それぐらいだ。





 


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