女の戦いは、既に始まっていた。 ヤブキとアウトゥムヌスは、例のコンピューターウィルスで人格が女性化したイグニスの後を追いかけていた。 といっても、あくまでも散歩がてらであり、特に急ぐようなことでもなかったので、悠長に歩いて公園にやってきた。 公園の傍に広がる花畑には、巨体の機械生命体が二人座り込んでいて、その間ではハルが花輪を編んでいた。 これまでもイグニスがハルの花遊びに付き合うことはあったが、トニルトスが付き合うのを見るのは初めてだった。 ヤブキはアウトゥムヌスを手招きし、イグニス手製のブランコに座らせてやってから、事の次第を見守ることにした。 女性化した二人は、外見は同じだが仕草が違っている。トニルトスは両膝を揃えて横たえ、しどけなく座っている。 ハルの見よう見まねで花を編んでいるのようだが、その手付きは意外に慣れていて、器用に花を編み込んでいる。 対するイグニスは胡座を掻いて、トニルトスのやり方を参考にして編もうとしているようだが、上手く行かなかった。 身長4メートルのイグニスの手はそれ相応に大きいので、花を抓んで持とうとしても、潰れてしまうか滑ってしまう。 だが、トニルトスは絶妙な力加減で花を潰すことも落とすこともせず、尚かつ彩りも良い花輪を丁寧に編んでいた。 トニルトスの器用さは、想像以上だった。将校だからだろうか、とヤブキは思ったが、それとこれとは無関係だろう。 イグニスは元は花だった潰れた草の固まりを心底悔しげに睨んでいたが、花輪を編むトニルトスに詰め寄った。 「てめぇっ、なんでそんなのが出来るんだよ!」 「あら、出来ないの? これぐらいの精密技能も持ち合わせていないなんて、ルブルミオンはどこまでも下劣ね」 トニルトスは妙な色気を含んだ眼差しでイグニスを一瞥し、花輪を編み続けた。 「うぅ…」 イグニスが項垂れると、ハルは出来上がったばかりの花輪をイグニスに差し出した。 「はい、おじちゃん」 「いいのか、ハル!」 イグニスは一瞬で復活すると、ハルから差し出された花輪を両手で受け取った。 「うん。だって、お花がないとお姫様じゃないもん」 にこにこと笑うハルに、トニルトスは笑みを零した。 「だ、そうよ。不器用すぎて同情されるなんて、あなたらしいわね」 「うっせぇ。こんな柔らけぇ組織の有機物を編めるてめぇが異常なんだよ!」 イグニスはハルから受け取った花輪を守りながら、トニルトスに言い返した。だが、トニルトスも負けない。 「私からすれば、あなたの方が余程異常だわ。確かにハルは可愛い子だけど、例のコンピューターウィルスに感染してまで執着するなんて常軌を逸しているわ。私の場合は不可抗力だけど、あなたの場合は故意じゃない」 「恋?」 なぜか、イグニスは照れた。何やら、思い違いをしたようだった。 「何言ってやがんだ、あたしはハルに恋なんてしてねぇよ。宇宙で一番愛してんだよぉ」 「じゃあ、この際だから聞くけど、マサヨシのことはどう思っているのよ?」 「え、あ、うん…。あれは、だな」 「何よ、あいつのことが好きだとか言うんじゃないでしょうね?」 嘲笑気味のトニルトスに、イグニスは言い返したが語気が上擦っていた。 「馬鹿言え! あ、あんな根暗な野郎はこっちから願い下げだ! ま、まあ相棒としちゃ最高だけどな!」 「何よ。滅茶苦茶意識してんじゃないの」 「十年も付き合ってんだぞ、ちったぁ意識しねぇ方がおかしいんだよ!」 「あんた、男でしょうが」 「今は女だ! てめぇになんざ付き合ったせいでな!」 自業自得だというのに、イグニスは苛立ち混じりに吐き捨てた。 「べっ、別に付き合わなくたっていいのよ! あんたなんか、本当に本当にほんっとーうにどうでもいいんだから!」 今度は、なぜかトニルトスが声を上擦らせた。 「どうでもいいって割にゃ付き合いが良いじゃねぇか、将校どの? ままごとだけじゃなくて、お姫様ごっこにまで付き合おうってんだからよ。あたしとハルが一緒に遊んでるのが羨ましいんなら、素直に混ざりゃ良かったじゃねぇか」 その様子にからかう余地を見いだしたのか、イグニスはトニルトスに捲し立てた。 「そんなわけないわよ!」 「にしちゃ、花輪作るの上手くないか?」 「誰も練習なんてしてないわよ! 言い掛かり付けんじゃないわよ、この怪力女!」 トニルトスはイグニスの肩を突き飛ばしてから、金切り声を上げた。すると、ハルが手を止めて顔を上げた。 「やっぱり、あれってトニーちゃんだったんだぁ。朝起きたらね、でっかいお花の輪っかが窓の外に置いてあったんだけど、おじちゃんじゃないならトニーちゃんかなーって思ったんだけど、違ったら悪いかなって思って黙っていたの」 「意外に可愛いじゃん」 イグニスが吹き出したので、トニルトスは激昂した。 「馬鹿言ってんじゃないわよ、別にあんた達のためでもなんでもないし、単なる手慰みよ手慰み! サーフィンも禁止されちゃったし、あやとりもとっくに飽きちゃったし、訓練しようにもコロニーが狭すぎるし、でもこんな怪力女と何時間も同じ空間にいるのは耐えられないから、暇潰しに作ってみただけよ! 嘘じゃないんだから!」 「ありがとー、トニーちゃん!」 ハルから満面の笑みを向けられ、トニルトスは目線を彷徨わせた。 「別に、あんたに喜んでもらいたかったわけじゃないんだから」 ハルはもう一つの花輪を、トニルトスに差し出した。 「それじゃ、これはトニーちゃんにあげるね。この前のお花の輪っかの御礼」 「くれるって言うなら、もらってやらないでもないわ」 トニルトスはハルの差し出した花輪を指先で受け取ると、手のひらに載せた。 「素直に感謝すりゃいいのに」 イグニスが呟くと、トニルトスは反射的に言い返した。 「あんたに指図される筋合いはないわよ!」 「ていうか、なんでいつまでも意地張るわけ? てめぇが割と良い奴だってことは、とっくに皆が知ってんのにさ」 「そんなこと、勝手に決め付けないでくれる? 不愉快だわ」 これ以上からかわれないためなのか、トニルトスはイグニスに詰め寄った。 「大体ね、私はあんたを殺すためだけにここにいるのよ? それ以外の理由なんてあるわけがないじゃないの。ここにいるのは、あんた達と馴れ合うためなんかじゃなくて、完調で戦うために必要な休息を取るために決まってんじゃないのよ!」 「でも、ここんとこはあたしらと一緒に傭兵の仕事に出てくるよな」 「出なきゃ出ないでうるさいからよ! それに、きちんと体を慣らしておかないといざって時に戦えないからよ!」 「けどな、てめぇにあたしは殺せないぜ」 「先兵の分際で何を言うのよ!」 いきり立つトニルトスに、イグニスは笑った。 「だって、あたしを殺したらハルが泣くって知ってんだろ?」 表情が出ていれば、したり顔に違いなかった。イグニスのマスクフェイスを睨み付け、トニルトスは呻いた。 「それとこれとは、無関係よ」 「二人とも、仲良くしてよぉ。そうしないと、お姫様ごっこに入れてあげないんだからね」 不愉快げにむくれたハルに、トニルトスは声を荒げた。 「そんなもの、やりたいわけないでしょ! この怪力女を見返すために来ただけなんだから!」 「ぅえ」 途端に、ハルは顔を歪めた。 「あ…」 まずいことを言った、とトニルトスは思ったが、遅かった。イグニスに対する対抗心が、勢い余って出過ぎたのだ。 なんとか取り繕わなければ、とトニルトスは慌てたが、取り繕う前にハルはぼろぼろと涙を落として、泣き出した。 「やーだー! トニーちゃんも一緒に遊ぶのー! 皆で遊ばないとダメなのー!」 「なんでそんなことにこだわるのよ! あんたの遊び相手は他にもいるでしょうが!」 思わずトニルトスが言い返すと、ハルはもっと泣き出した。 「ダメなのー! トニーちゃんじゃなきゃダメなのー! だって、だって、トニーちゃんはトニーちゃんなんだもん!」 「ここまで好かれてんのに何が不満なんだよ、屈辱女」 イグニスに毒突かれ、トニルトスは口籠もった。 「私は、別に」 「あたしとやり合いたいんなら、素直にぶん殴ってこいよ。それがあたしら機械生命体のやり方だろうが」 イグニスは、トニルトスへ拳を上げた。トニルトスは泣きじゃくるハルを見下ろし、呟いた。 「それもそうね」 「う゛ー…」 しゃくり上げるハルに、トニルトスは手を差し出した。 「さっきは少し言い過ぎたわ。だから、あなたに付き合ってあげてもいいわよ」 「本当に?」 ハルは目元を擦り、トニルトスを見上げてきた。トニルトスは頷く。 「ええ。私は誉れ高きカエルレウミオンの戦士よ、子供の遊びに付き合うことなんて造作もないことだわ」 「最初からそう言えばいいのに」 にやけたイグニスに、トニルトスは激昂した。 「鬱陶しいわね!」 これなんてツンデレ劇場。ヤブキはアウトゥムヌスと共に一連の会話を聞き流しつつ、内心でにたにたしていた。 トニルトスの性根が思いの外優しいことは、イグニスに今更言われるまでもなく、家族全員に知り得ていることだ。 出会った当初は誰に対しても敵意を剥き出しにしていたが、今はすっかり落ち着いて家族の中に馴染んでいる。 事ある事に家族を馬鹿にした言動を取るが、その割に付き合いは良く、愛玩犬らしく毎日のように散歩にも出る。 ハルのことも、口では素っ気ない態度を取るがイグニス並みに優しく扱っていて、誰がどう見ても大事にしている。 だが、どこまでも分厚く頑丈な意地とプライドの固まりである性格のせいで、彼自身も表に出しづらかったのだろう。 女性化したおかげで感情の振り幅が広がったために、ようやく表に出せたに違いない。なんとも微笑ましい話だ。 ヤブキは本格的にお姫様ごっこを始めた三人の少女達から目を外して、ブランコに乗るアウトゥムヌスに向けた。 アウトゥムヌスはブランコの鎖を持つこともせず、膝の上に両手を載せて、瞬きもせずにお姫様ごっこを見ていた。 ヤブキはアウトゥムヌスの目の前で、手をひらひらと振ってみたが、アウトゥムヌスの視線は微動だにしなかった。 相変わらず、何を考えているか解らない。だが、それがいい。ヤブキは隣のブランコに腰を下ろして、漕ぎ出した。 こういう時間も悪くない。 翌朝。機械生命体達の変調は、完璧に回復した。 サチコの計算した通り、彼らの持ち得ている自己修復機能で自己認識プログラムの損傷は元通りに回復した。 声の本質は変わらないが女性的に変化していた口調も、女の子らしさが垣間見える言動も、男に戻っていた。 だが、たった一日であっても女性化していた事実が受け入れがたいらしく、トニルトスはまたもや引き籠もった。 イグニスもイグニスで、勢い余って自分の人格まで女性化させてしまったことが許せないようで、深く悩んでいた。 一部始終を見ていたヤブキとしては結果オーライだと思うが、女性化を体験した本人達は割り切れないのだろう。 その気持ちは想像するに難くない。だから、特に何も言わないでおこう、という空気が家族全体に広がっていた。 夏よりは数は少ないが味は良い秋ナスの収穫を終えたヤブキは、ナスの詰まったカゴを担いで家に向かった。 昨日とは違って、アウトゥムヌスは同行しなかった。そういうこともあるだろう、と思ったのであまり気にしなかった。 家に戻ると、玄関先ではそのアウトゥムヌスが待っていた。ヤブキはナスと共に収穫したキュウリを、彼女に渡す。 「ただいまっす、むーちゃん。キュウリ、喰うっすか?」 「当然」 アウトゥムヌスは収穫したばかりなので棘の鋭いキュウリを囓り、半分ほど食べてからヤブキを見上げた。 「あんたのことなんか、宇宙一大嫌いなんだから」 「うえ?」 何を言われたのか全く解らず、ヤブキは変な声を漏らした。アウトゥムヌスは生のナスも取り、囓る。 「この場で死にたくなかったら、私の邪魔をしないことね」 「いや、だから、なんなんすか急に」 「あんたなんか、今すぐ殺してやりたいくらい嫌いなんだからね」 感情を一切込めずに言い切ったアウトゥムヌスは、ナスを食べ終えてから囓りかけのキュウリを頬張った。 「みゃーっはははははははははははは!」 「うげえっ!」 突然響いた高笑いにヤブキは心底驚き、飛び上がりかけた。庭先から現れたミイムが、笑い転げていた。 「みゃはははははははははっ、それでこそヤブキですぅ、あんたは底辺だから底辺なんですぅ!」 洗濯カゴを脇に抱えて勝ち誇っているミイムに、ヤブキは内心で顔をしかめた。 「ていうか、なんでミイムがそこで笑うんすか? マジで意味解らないんすけど」 「女の子」 アウトゥムヌスは、平坦に呟いた。 「へ?」 ヤブキが振り返ると、アウトゥムヌスはヤブキをじっと見上げてきた。 「別に、あんたに喜んでもらいたかったわけじゃないんだから」 聞き覚えのある言葉に、ヤブキは更に困惑した。昨日、トニルトスが言っていた言葉と一字一句変わらなかった。 アウトゥムヌスの眼差しを受けながら、ヤブキは考えた。もしかすると、一昨日言ったことが原因なのかもしれない。 女の子とはどういうものかと説明したが、肝心の女の子らしさについては、聞かれなかったので説明しなかった。 アウトゥムヌスは女性なのだから今更説明するまでもないだろうと思っていたが、その判断は甘かったようだった。 となれば、彼女は昨日のトニルトスの言動が女性らしい言動だと思い込んでいるに違いない、とヤブキは悟った。 「それは違うっすよむーちゃん、そういうのは女の子らしさなんかじゃなくて単なるツンツンツンツンデレっすよ!」 ヤブキは慌てて否定するが、アウトゥムヌスの表情は変わらない。 「気安く触るんじゃないわよ」 まだ、触ってもいないのに。ヤブキは無性に切なくなったが、アウトゥムヌスはヤブキに背を向けて家に戻った。 実際につんけんした言動を取られると、こんなにもやるせないのか。ヤブキは年甲斐もなく、泣きたくなってきた。 ヤブキの背後で、ミイムが未だに笑い転げている。それがまた癪に障るが、ミイムに言い返す気力も奪われた。 そして、改めて思った。ツンデレらしすぎるツンデレのトニルトスと接しているイグニスは、相当な根性の持ち主だ。 相手が好きであればあるほど、つんけんされると悲しい。だが、情報を訂正しないともっとつんけんされてしまう。 ヤブキはこの時点で心が折れてしまいそうだったが、精一杯気力を振り絞り、玄関を開けて未来の妻を追った。 やはり、ツンデレは二次元に限る。 08 8/6 |