アステロイド家族




グレイン・オブ・ライス



 働かざる者、食うべからず。


 アウトゥムヌスが同居してからというもの、ヤブキの朝は前にも増して早くなった。
 原因はもちろん、アウトゥムヌスの底なしの食欲だ。身長、体重、共に小柄なはずなのに、大量に摂取するのだ。
明らかに胃袋の許容量を超えた量を詰め込んでいるのに、僅かに腹が膨らむ程度で外見にはあまり変化がない。
好き嫌いが全くなく、出せば出した分食べてくれるので、作る方としては嬉しいのだがその分手間も増えてしまう。
 かといって、何も作らずに放っておくと、いつのまにかヤブキの畑に赴いて黙々と泥付きの生野菜を囓っている。
節度は弁えているので冷蔵庫を空にすることはないのだが、泥付きの野菜を貪っているというのはあまり良くない。
生野菜のままでは消化にも悪いだろうし、気が引けてくるので、ヤブキが彼女の分の食事を作ることにしている。
 今日も、ヤブキは日が昇る前に起床した。熟睡している彼女を起こさないように、足音を殺して自室を後にした。
リビングに入ったヤブキは明かりを付けてから、昨夜にタイマーをセットしておいた電気炊飯器の様子を確かめた。
蓋を開けると、甘い香りの湯気が立ち上った。艶々の白米がぴんと立っていて、硬さも水分も丁度良く炊けている。
サイボーグ故に、素手のままで白飯を握っては機械油が混じってしまうので、使い捨てのゴム手袋を手に填めた。
冷蔵庫から取り出した梅干しを中に入れて、おにぎりを握っていると、寝ぼけ眼のミイムがキッチンに入ってきた。

「おはようですぅ」

 ミイムはヤブキの背後を通り過ぎて冷蔵庫を開け、麦茶の入ったポットを出し、コップに注いで一気に呷った。

「おはようっす」

 出来上がったおにぎりに隙間なく海苔を巻きながらヤブキが返すと、ミイムは二杯目の麦茶を飲み干した。

「掃除とか片付けは全然しないくせして、そういうことだけはマメなのが気持ち悪いですぅ」

「料理は好きっすから」

 ヤブキはミイムのいつもの暴言を受け流し、二個目のおにぎりを握った。均等に力を加えて、三角形に整える。

「一個もらうですぅ」

 ミイムは先程出来上がったばかりのおにぎりをサイコキネシスで奪い取ると、躊躇いもなく囓った。

「とことん無礼っすね…」

 ヤブキは呆れつつも、気を取り直して今し方出来上がったおにぎりに海苔を張った。

「ま、悪くないですぅ。昨日のはご飯が柔らかかったけど、今日のはちょっと硬めだからこっちの方が好きですぅ」

 ミイムはあっという間におにぎりを食べ終え、指先を舐めた。

「そりゃどうも」

 ヤブキは実質三個目のおにぎりを握りながら、素っ気なく返した。ミイムは、ヤブキの手元の皿を見下ろす。

「それ、全部むーちゃんの分ですかぁ?」

「そうっすよ。五個ぐらい作っておけば、むーちゃんの胃も少しは落ち着くっすから」

 ヤブキは実質三個目のおにぎりを握り終えると、海苔を貼り、皿に置いた。

「でも、普通だったらそういうことは自分でやるもんですぅ」

 ミイムは欠伸を噛み殺し、サイコキネシスで自身を浮かび上がらせた。

「そりゃ確かにむーちゃんはとってもとおっても可愛いしぃ、ボクに負けず劣らず素敵ですけどぉ、トニーさんぐらい何もしないのも確かなんですぅ。お願いすれば手伝ってくれますけどぉ、何も言わなかったら置物みたいにじっとしてるだけなんですからぁ。この際ですから、むーちゃんにもお仕事を教えりゃいいんですぅ」

「そうなんすよねぇー」

 よっ、とヤブキはおにぎりを回転させた。ミイムは、大分中身の減った麦茶のポットを冷蔵庫に戻した。

「旦那なんですからぁ、それはヤブキが考えることですぅ」

 ミイムは長いピンクの髪を漂わせながら、キッチンを後にした。いつものように、シャワーを浴びに行くのだろう。
美しい外見に見合って綺麗好きな彼は、寝て起きてすぐにシャワーを浴びてたっぷりした髪を丁寧に整えている。
だが、それで朝食の時間が遅れたことはない。しかし、今日の朝食当番はヤブキなので相当時間を掛けるだろう。
 当初はミイムの女のような生活習慣が物凄く嫌だったが、時間が経つと慣れてくるので今では気にならなかった。
けれど、髪や肌はそこまでして手入れしなければならないものだろうか、と思うので理解出来ているわけではない。
だが、それでいいのだろう。ミイムとの関係は当初に比べれば軟化してきたが、両者とも相容れない部分はある。
 彼のアウトゥムヌスに対する評価は正しい。ヤブキ自身も、アウトゥムヌスの微妙な立場には懸念を抱いている。
ヤブキの未来の嫁になるということで廃棄コロニーで同居しているが、これとってやることがないのも確かなのだ。
家事の一切は母親役であるミイムがこなしているし、農作業は他の誰も出来ないのでヤブキが全てを担っている。
ハルの世話は家族全体の仕事なので、誰が、というものでもない。だが、ただ住まわせておくわけにもいかない。
穀潰しはトニルトスだけで充分なので、これ以上仕事をさせずに置いておくのは、逼迫した家計が更に困窮する。
しかし、彼女に何をさせるべきだろう。ヤブキは実質五個目のおにぎりを握り、回転させつつ、悶々と考え込んだ。
 大事なことだからこそ、よく考えなくては。




 その答えが出たのは、翌日の昼間だった。
 午前中の農作業を終えたヤブキは、オフシーズンになったので数がぐんと減ったナスやキュウリを抱えていた。
その後をいつものようにアウトゥムヌスが付いて歩いていた。やることがないので、ヤブキに付き合っているのだ。
ヤブキは、真夏に比べて細くなったキュウリを握って黙々と咀嚼しているアウトゥムヌスに振り返り、足を止めた。
それに合わせて、アウトゥムヌスも立ち止まった。今日もまた、彼女はミイムの着せ替え人形にされてしまった。
 長い髪は二つのお団子に丸められ、大胆なスリットの入っている赤いワンピースには金の刺繍が施されていた。
だが、前回と同様に、ワンピースの下にはゆったりとした白いズボンを履いているので中身が見えることはない。
靴も平べったく、先が尖っている。今ではアニメや漫画の中でしか見られない、いわゆるチャイナ娘の格好だった。

「むーちゃん」

 ヤブキが声を掛けると、アウトゥムヌスはキュウリを飲み下してから返事をした。

「何」

「今日の午後からでもいいっすから、オイラの仕事、手伝ってくれないっすか?」

 ヤブキが言うと、アウトゥムヌスは一度瞬きをした。

「なぜ」

「なぜってそりゃ、むーちゃんは何も仕事をしてないっすから、何かしなきゃならないっすよ」

「なぜ」

「むーちゃんはよく食べるっすから、食べた分は働くのが道理なんすよ」

「なぜ」

「んー、というか、常識的に考えたら逆っすかね? 働いた分だけ食べられる、ってな感じっすよ。だから、これからも今までみたいに食べたいんだったら、オイラの仕事をちょっとでもいいから手伝うっす」

「なぜ」

「そりゃ、労働は市民の義務っすから」

「なぜ」

「労働しなきゃ、社会は回転しないっすから。社会が回転しないと、経済は生まれないっすから」

「その表現はこの閉鎖空間にそぐわない」

「いやいや、ここも充分そうっすよ? マサ兄貴達が外で仕事をしてくれるからオイラ達は喰えているんすけど、その間はオイラやミイムがハルの世話や家の管理をしているから、マサ兄貴達は思う存分宇宙で戦えるんすよ。このコロニーじゃ、皆が皆、持ちつ持たれつなんすよ」

「なぜ」

「それが、オイラ達がマサ兄貴に養ってもらう条件っすから」

 ヤブキは背を曲げ、アウトゥムヌスと視線を合わせた。アウトゥムヌスは、また瞬きをした。

「共依存」

「まあ、それを言ったら森羅万象が共依存なんすけどね」

 ヤブキは姿勢を戻すと、アウトゥムヌスを指した。

「でもって、むーちゃんはオイラに全依存してるっす」

「なぜ」

「なぜってそりゃあ、当たり前じゃないっすか」

 ここは強く出なければ、とヤブキはまくしたてた。

「火星でオイラにプロポーズするまでの間、むーちゃんが何をしていたのかは知らないっすけど、ここへ来てからはずっとそうじゃないっすか。もちろん、頼られるのは男冥利に尽きるし未来の旦那として嬉しい限りなんすけど、やっぱりそういうのって健全じゃないっすよ」

「健全?」

「そう、健全っす。人間ってのは、労働してこそナンボのもんっす。でもって、働くからご飯がおいしいんすよ」

「そうなの?」

 初めて、アウトゥムヌスが興味を示した。銀色の瞳が僅かに見開かれ、無機質な面差しが少しだけ変化した。
やはり、アウトゥムヌスの興味は食欲に集中しているらしい。そうと解ればやりやすい、とヤブキは畳み掛けた。

「そうっすよ。むーちゃんがオイラの仕事をお手伝いしてくれたら、その後で食べるご飯の味が格段に変わるっすよ。いやホントなんすから。オイラは体が機械仕掛けっすから今一つ解らなくなっちゃったっすけど、生身だった頃はそりゃあもう…」

 ヤブキは言葉を切ると、アウトゥムヌスは目を大きく見開いてヤブキの作業服の裾を掴んできた。

「ジョニー君」

「じゃ、午後からオイラの仕事を手伝ってくれるっすね?」

 ヤブキが言うと、アウトゥムヌスは頷いた。

「了解」

「んじゃ、お昼をしっかり食べるんすよ。農作業ってのは重労働っすから」

 ヤブキの言葉に、アウトゥムヌスは再度頷いた。ご飯がおいしくなる、と言っただけで随分な変わりようだった。
ヤブキは作業服の裾を掴んでいるアウトゥムヌスの手を振り解くのがとてつもなく名残惜しかったが、外させた。
 その際、初めて彼女の手を握った。ヤブキの手の半分程度しかなく、白い肌は薄く、肉の下にはすぐ骨がある。
あまり体温が高くないため、ハルやミイムの手に比べて少々冷たかったが、生身の人間らしく柔らかかかった。
アウトゥムヌスの手を持っていたのは精々一、二秒のことだったが、ヤブキにとっては印象深い出来事だった。
 穢れを知らず、傷一つない繊細な手を土で汚すのは少々悔やまれたが、四の五の言っている場合ではない。
アウトゥムヌスにはこれからも満足するだけの量を食べさせてやりたいが、食べるために働かなくてはならない。
だが、問題は内容でも量でもない。家族の一員としてきちんと労働している、という確かな事実こそ重要なのだ。
 それはいずれ、彼女のためになるのだから。







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